無意識日記
宇多田光 word:i_
 



ひとことめの感想:「やっぱいい女だなー」
ふたことめの感想:「おもろいやっちゃなー」
みつことめの感想:「やっとこれで普通のファンになれそう」

というわけで、やっと“宣言された”休みを取れるということで、めでたい。

実際、世間的には2009年の3~4月あたりを最後に消息を絶っているようなもんなので
「最近見なかったのに活動休止宣言?」というのが実感じゃなかろか。
InTheFlesh2010に参加した人間は、極々少数なんだし。

で、個人的には、正直ちょうどよかった。
というのも、このblogを隅から隅まで読んでる超コアな方ならご存知かもしれないが、
そろそろ「Hikki Calender」というものをつくろうかと思っていたところなのでした。
何年何月何日に宇多田光はどこで誰と何をしていたのか、というデータ集を
つくろうかと、、、まだ思いつきの段階で、実行に移すとかそんな雰囲気でもなかったのだけど、
今回の「来年から活動無期限休止宣言」を受けて、
本腰いれてもいいかなーと思えるようになった。
大体、こっちは100年の恋に落ちてるわけで(100万年と言いたいのだが、まぁいい)、
2年や5年休まれてもどうということはない。
事前に報せてくれたこと、それ自体が大きな成長、、、じゃないな、
前進だとは思うけど。ファンとアーティストの関係に於いて、ね。
BOSTONやSADEのファンはオリンピック2つ分以上のインターバルで
次のアルバムやツアーを待っているんだから、それに較べればかわいいものだ。

で、2年とかいう目安は、やっぱり出産なのかなーと思ったり。
結婚はもうしなくていいから(笑)子供は産んで育ててみて欲しい。
いや、結婚すりゃいいんだけどね。どっちでもいい、ってことさ。
、、、ってメールしたのはちょうど8年前の今頃だったかな。それもまぁ、いいや。

私個人としての一番の懸案は、「天才ミュージシャンの27歳」を
どう乗り越えるか、という件だった。blogでも何度か触れているかな。
カート・コベイン、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリンetc、、、
多くの天才ロックミュージシャンが27歳で死んでいる。
マンガ&映画「20世紀少年」でも斯様なセリフが出てきたから
ご存知のかたも多いだろう。よくよく考えてみれば、
この鬼門ともいうべき一年を乗り越える最もカンタンな方法は
「27歳の間ミュージシャンをやめる」ことだったのではないか。
というわけで、シングルコレクションとかもういいから、
今すぐ休止しちゃうってのはどう? 新曲も、いつでもいいよー

、、、読者的に物凄くどうでもいい話をしてしまった(汗)
勿論、4~5曲という新曲も楽しみだ。
全部にタイアップがつき、シンコレVol.2に入るのなら、
まぁ、そこそこは、売れるだろうか、、、うーん、そんなには売れないだろう。(汗)
Vol.2で大ヒット曲といえばFoLくらい、という感じ。
ただ、新しい、Hikkiを知らない世代にとっては伝説が肥大していて
勝手に妄想を膨らませてくれているかもしれないから、
逆にそういう層に、、、いや、その層はもうCDなんか買わないか。
正直、「頑張れEMIA&Rチーム」としかいえない。(汗々)

まぁ、おいおい天啓(日々の更新)でも、いろいろと触れていくので
今夜の今回はこれくらいで。あ、そうそう、

> 一回り大きくなって帰ってくるから。少し時間をください。

ビマラMステの加工写真貼り付け禁止な!(爆)>ねらー各位
あ、旧DSの松本明子期のヤツも、、、いや何を言ってるんだ俺w


> 私を信じて、待っててください。

今まで毎日そうして暮らしてきているので、今までどおり、よろしく♪



あーダラダラ書き綴っちゃった。チャットぐせみたいなもんだなこれ。

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以前のメッセ(PC/携帯)でアイヌ語の話が出たとき、Wikipediaで「キムンカムイ - (山の神)ヒグマ」という記述を見つけていたのだが、「イヨマンテ - 熊送り(の儀式)」というヤツの内容がやや酷な気がしたのでblogでは取り上げなかった。しかし今回、更に「熊=神」を強調されたので改めて調べてみることにした。昔だったら休日に図書館に行ってこないとわからなかった事が家で寝転びながら知れるって、いいねぇ。

日本語のページにはめぼしいものはなかったが、英語のWikipediaに「Bear worship」という頁を発見。字の如く「熊崇拝」の話だ。これに対応する英単語も存在し、「Arctolatry」というらしい。arctolatry.orgなるウェブサイトまで在る。そこの記述によると、「Arctolatry comes from the Greek roots αρκτο? [arktos] meaning “bear” and λατρεια [latreia] which means “service” or “worship.” As such, the word means “the worship or reverence of bears.”」、即ち「アークトラトリィ(Arctolatry)とは、ギリシア語で熊を意味する“アークトス”と礼拝や崇拝を意味する“ラトレイア”から来ている。つまり、この語は「熊を尊崇・崇拝すること」という意味である。」ということらしい。

同ページのニュース欄によると、つい最近(2010/6/25付け)「昨年9月にルーマニアで3万年以上前のものとみられる洞窟壁画が発見された」というニュースがあったらしく、そこに「熊の頭が二つ描かれていた」ところに、同ページは食いついている。まぁ、他の動物も描かれていたようで、特にニュースになっているのはサイの絵みたいなのだが(コメント欄で「これ、みんなサイっつってるけど、鼻長くね?マンモスじゃね?」というツッコミが入っていた。確かに「サイとされる写真(こちらからの引用)」を見るとそのようにみえる。3万年前と最近はいえ一応古生物なので、今後検討されるだろう。)、寧ろ食いつくべきは「A rough idea of their age might be gleaned by radiocarbon dating the numerous bear bones found on the floor of the cave.」の箇所、つまり「洞窟の床面に幾つかの熊の骨(恐らく化石)が発見され、放射性炭素年代測定法による年代の特定がまたれる」って方じゃないの、と思う(追記:と思ってたんだけど、今リンク先みたらバッチリ太字で書いてあったw 見落としていたか、書き足されたか)。まぁ、同ページはなんとなくヘンな感じなので、これから充実していくんじゃないかな。あ、ちなみに、この洞窟自体は30年以上前に発見されていたけど、水がたまっていたり入り組んでいたりでつい最近まで奥の方までなかなか調査できなくって昨年9月の発見になったらしいです。大変だねぇ研究者って。

脱線した。兎に角、3万年前の中欧の洞窟で暮らしていた人が熊の絵を描き、熊の肉や皮や骨を利用していたことは確かなようだ。更に、先述のWikipediaには「Bear worship may have been practiced as far back as the Middle paleolithic period amongst Neanderthal societies.」、つまり「熊を信仰する宗教はネアンデルタール人の社会にまで遡ることができる」という記述すらある。ネアンデルタールの存在範囲は年代・地域とも幅広いので、元文献をあたらないと何万年位前のどこの話かわかんないけど。

いちおう、そのWikipediaの冒頭部分だけでも訳しておこう。

Bear worship (also known as the Bear Cult or Arctolatry) is the religious practice of the worshiping of bears found in many North American and North Eurasian ethnic circumpolar religions such as the Sami, Nivkhs, Ainu,[1] and pre-Christian Finns. There are also a number of deities from Celtic Gaul and Britain associated with the bear and the bear is featured on many totems throughout northern cultures that carve them. Bear worship may have been practiced as far back as the Middle paleolithic period amongst Neanderthal societies.(Wunn, 2000, p. 434-435)

熊崇拝(熊カルト、あるいはアークトラトリィ)は、北アメリカや北ユーラシアの極地付近(筆者註:恐らく、北極星をのぞむ、という程度の意味かなぁ)の民族(Sami, Nivkhs, アイヌ、紀元前のフィンランド)等のあいだにみられる熊を崇拝する宗教的慣習である。ゲルト人のガリアや英国には熊と関連する神が多数在り、北欧の至る処の文化において、熊はトーテムに刻まれてその(宗教的な)存在感を示している。(以下先程簡訳したので略)

あとは、この部分だろうか、

The Ainu in Japan, the Nivkhs in Russia, the Haida of North America, and many peoples of central Asia regard the Bear Mother as their ancestress. The Great She Bear, Ursa Major, watches over us from the sky.

日本のアイヌ、ロシアのNivkhs、北アメリカのHaida、そして中央アジアの多くの人々が母なる熊を先祖(の象徴)であると見做している。夜空に輝くおおぐま座となって自分たちのことを見守ってくれているというのだ。

熊は母であり先祖である、と。

なお、英語版WikipediaのAinuの記述の殆どは、こちらの論文(金田一京助によるもの)を元に書かれているようだ。ログインしなきゃ全文読めないらしいので読んでないが、冒頭部だけでも参考になるだろう。


特にオチもなく(苦笑)、今回はまぁこんなところです。



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先日のメッセ(PC携帯)に感化(笑)されて
「昼から蕎麦屋でつぶ貝の味噌煮を食べながら一杯飲む」
を実行してきましたよ。

いいもんですなぁ。



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↑その顔文字は、本来「ぐっじょぶ!」を表す為のものなんですが、、、(笑)
「見て見て~! ほら、親指から採血したよ!」
っていうサインで使う人は、初めて見ましたよ僕はw

、、、という意味でさっきNHWに書いてきた私でしたとさ。

ところでところてん。

> 「な、なんか目がランランしてますよひかるさん!」って言われた(笑)
> 友達と遊園地に行って絶叫マシン乗ると、「乗ってる間ずっと大笑いしてるし終わった後も目がランランしててこわい、瞳孔開きまくってる」って言われるし(-⊆-;)

って書いてるけど、これ、「らんらんと(爛々と)」なんじゃね?
「ランランする」だとサ変動詞の語幹に擬態語をもってきた、
って解釈になるから、、、、そういや、ランランってどういう意味だ(汗)
「爛々」の方は、辞書にある。

「[形動タリ]光り輝くさま。また、鋭く光るさま。」

だそうな。いちおう、目が輝いている顔文字が並んでるし、
「瞳孔開きまくってる」ってあるから、
こっちでOKだろうな。タリ活用ってことは、「惨憺」が「惨憺たる」
だから、「爛々たる」っていう活用の仕方をするんだろうか。
ググってみる。現在1710件。微妙な感じ(^^;

それより、「ランラン」の方が難しい。
「ぴちぴち ちゃぷちゃぷ らんらんらん♪」
と同じだとすると、楽しい様子を表現する擬態語、ということになるか。

まぁ、どっちでもいいかw 似たようなもんだ。

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今日は、RRSさんの芸風を真似てみますたw


> 今日は久々に、もうかれこれ15年!の付き合いになる親友と優雅にランチしてきたぜ!

15年来の親友、となるともうあの人一択ですね(^^;

> なんか今、家の外に、マスコミの男三人組が黒の小さなワンボックスカーで駐車して、張ってるらしいよ(´‐ω‐`)カメラ構えて玄関狙ってるんだって。

その事実をどういう経緯で知ることになったのか、それがわからんわー
もしかして単なる仲良し3人組カメラ小僧かも、しれんよ?

でもまー、間違いないだろうねぇ。てか、なんで撮影に3人も必要なんだろう。

> 外気持ちいいから散歩でもしようかと思ったけどやめとこ(´‐ω‐`)

楽想って散歩中に思い浮かぶ事が多い、ってのが音楽家の一般論だよな。
もし今日のうららかな天気の中散歩していることで思いついたかもしれない
名曲を1曲損しているとしたらどうしてくれるんだマスコミ3人組!(怒)<結構な言いがかり

> というわけでそのお三方もこれ見てたら、今日は帰ってもいいっすよ!もう出かけないし。

大のオトナ3人が車の中で揃ってメッセのページを
携帯でリロードしまくってる姿はなんか微笑ましくないかい。(笑)

> あ、だめだ今くまちゃん着ぐるみ倉庫に保管してあるんだった。なんてこった・・・!

か、肝心なときにっ こういうときでないと、用途が全くないでわないかぁっ!

、、、そんなものに車一台分のお金をかけたHikki、、、GJd(T~T)


>なにか面白いアイディアのある人~!

この格好でエントランス行ってこい、とは流石にメールできんかった(苦爆)


> (っつってももうあんまりやる気ねぇけど)

やらんのかい!(笑)


マスコミのひとたちとのあれやこれや、
暫く音沙汰少なかったけど、恋愛となるとやっぱりこうなるんだねー
26歳ともなると、ニュースヴァリューもちょっとは減ってるんじゃないか、
と微妙な期待を掛けてたんだけど、そういうことにもならないのかな。
史上最高クラスの好奇の眼に曝された10年前を潜り抜けてきてるんだから、
ちょっとやそっとでは動じないだろうが、キラクになるにこしたことはないよね、と思ふ。

ていうか、相手の方がこういうのにガマンできるかどうか、そっちも心配なんだけどね(^^;


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メモメモ。


【真剣に】9.21(Mon) 21:19

の写真が、20:49撮影。

【かっかっかっかっ】9.21(Mon) 21:30

の写真が、20:52撮影。


きっちり、水戸黄門のエンディングの時間の撮影です。嘘偽りなし(笑)。


、、、こういう細かいチェックが入るから
メッセの更新とかが億劫になる、んだったら、イヤだなぁ(汗)

やめたほうが、いい?<誰に相談しとるんだ



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私、オフィシャル登録のZipCodeは
ワイオミング州リンカーン群フェアヴュー
ってところにしましたですよv 理由?見ての通りっす(笑)

***** *****

三日前の記事。


『テトリス』にはトラウマを軽減する効果がある。イギリスでの調査結果

元祖落ち物パズルゲームのテトリスには、トラウマの症状を軽減する効果があることが、イギリスでの調査結果からわかったそうです。

オックスフォード大学のEmily Holmes博士が行った実験の結果によれば、心的外傷後ストレス障害(Posttraumatic stress disorder)の患者が、テトリスをプレイすることで、心に傷を受けた過去の事件をフラッシュバックする回数が軽減されるとのこと。

「(テトリスをプレイすることは)感覚記憶がトラウマ体験の後に構築されるのを直接妨げると同時に、その後に発生するフラッシュバックの回数を軽減します。」とHolmes博士は説明。どうやら単純にテトリスのプレイを勧めているわけではないようですが、今回の調査結果は、脳の働きやトラウマへの理解がより深まる貴重な情報として、今後の研究に生かされるそうです。

ルミネス、マジカルドロップ、パネルでポンなど、少しルールの異なるパズルゲームでも同様の効果があるのか、ちょっぴり気になるところです。


真偽の眉唾っぷりは凄まじいけれど、
どうしても、「なんかあったのかなぁ小さい頃に」と
考えてしまうのはファンのサガというかなんというか。
新曲に「フラッシュバック」という歌詞がタイミングよく
出てきてしまったのも、それに拍車をかけましたとさ。

*****

さてさて、昨日のメッセですが。(PC/Mobile)

2000/1/6のメッセからほぼ9年経過後の今回のネタ。
(確か、この時期のメッセは携帯版にはなかったはずですが…)
当時の5人のラインナップを見てみましょう。
今回と違い、鬼籍国籍を問いません。



尾崎豊。

ジョニー・デップ。

関根勤。

イデダイ。

フレディー・マーキュリー。

えー、これはなんのリストかと言うと、私のアイドル達です。(自爆)えー、節操無いです。今のところ3/5の確立でまだ生きてます。ナメック星のドラゴンボールを集められたら、二つの望みで尾崎とフレディーを生きかえらせて、最後の望みでハーレム作れるのになー!

いくら印税稼いでも無理な話よのう(*'-')



誤字も含めてコピペです。
イデダイってどなたでしたかな、と完全に忘れてましたが(汗)、
VJの井出大介さんのことみたいですね。

1999年にMEGADETHにインタビューしたyoutubeが出てきたので見てみました。



見事に「外タレを前にしてはしゃぎすぎる典型的日本人インタビューア」を演じてくれています。
特に、相手が気難しさ天下一品のムステイン大佐とあって、
傍で見ていたであろうレコード会社担当氏は気が気ではなかったのではないでしょうか。
オジー・オズボーンみたいに怒ってケツ出して退席されなかっただけよかった。
、、、というほどに酷いインタビューってことじゃないんだけどね(笑)。
2分間のテレビインタビューじゃ、こんなもんでしょうな。

、、、どこらへんが光のツボなのか、わからん。


ジョニー・デップといえば、パイレーツ・オブ・カリビアンの人ですね。
9年前はそういう認識じゃあなかっただろうから、
無難な人選といえたかどうか・・・いやあ、記憶にない(汗)。

フレディと尾崎は改めて触れるまでもないでしょう。
死亡率40%を担っているお二人です。生きてろよなぁもぉ。


んで、9年前も今回も名を連ねているのが
日本が誇るマニアック・コメディアン関根勤氏。
好き嫌いがハッキリしてるところがいいんでしょうかね。
彼の人間性は、本人よりも寧ろ「目に入れてもホントに痛くない」と
溺愛されて育てられた関根麻里ちゃんの育ちのよさに顕れてると思います。
彼女のモノマネのレパートリ「歌の最中に首が落下する宇多田ヒカル」
僕はまだ見たことがないので、一度お目にかかりたいものです。

その関根さんとの共演も多かった江頭2:50はどうなのかなぁ。
今じゃすっかり素の真面目ぶりが有名になってしまって、
彼が好きでもあんまり面白みがないと思うのだが。
まぁ、好きかどうかと面白みは、関係ないけど。
前に雑誌で「最近ファン」と言いその後「うたばん」で共演した
小島よしおの芸風は、いや別にスパッツ対海パンというわけでなく、
似たようなポジションのような気がするので、光が「そういう趣味」なんだろう。

面白みがないといえば板尾創路を選ぶのはもっと面白みがない。
彼は現役中唯一松本人志と同等以上の発想を生み出せる歴代お笑い芸人屈指の天才で、
彼のセンスがわからん人とお笑いの話をしても始まらない、と言いたくなる凄い人。
欲をいえば欲が全くなさそうなので芸能界でビッグになれそうにないのが
なんとなく見てて惜しいんだが、いやとにかく天才を好きなのは仕方ないよねぇ。
こういう「ピュアな狂気」の人が好き、ってのは実は意外。
ハンカチ王子より不動明王」だったはずなのに、板尾さんはどっちかというと王子様でしょー。
んまー、お友達に王子の中の王子及川光博様がいらっしゃるくらいだから、
そういうのも関係ないか。関係ないよな。

ピーターバラカン氏は音楽評論家だけど、
Hikkiと会ったことないんだっけ??
そういや、“好きな男性芸能人・有名人”というからには
「TVの向こう側に居る人」という感覚がありそうだから、
実際に会ってその後も交流がある人だとカウントされないのかもしれない。
2004年当時「EXODUS」を酷評していたらしいが、
まぁ多分それも期待の顕れなんでしょう、、、とと、
某所にそれらしき(でもソース不確定な)コメントがあったから引用しときまひょ。

http://d.hatena.ne.jp/PEH01404/20040930#p1

アメリカ人と競作した曲以外は、全くグルーヴ感がない。
つまり、英語の歌詞では大前提である韻を踏んでいない。
もしくは韻の踏み方が足りない。あえて韻を踏まない効果
というのもあるにはあるのですが、彼女の詞はそうじゃない。

言葉を詰め込みすぎて、歌詞カードを見ないと何を歌っているかも
分からないところも多い。リズムがぎくしゃくして不自然な抑揚は問題。

いくら英語が上手いからといってネイティヴではないのに
なぜネイティヴチェックを受けないのでしょうか?
間違っていないかどうかを確認する意思さえ持たないというのは、
僕には非常に傲慢にうつる。

彼女の周りには彼女に向かって「これ間違っているよ」
といえる立場の人がいなかったんでしょうね。
アメリカで出すのなら、アメリカ人の音楽好きにも、
かっこいいと思わせるべく最善の努力をすべきと僕は思います。
そのへんの責任のなさが、むしろ非常に格好悪いと感じますね。


ふむ。私は英語を聴き取れないから何ともいえない意見なんだけど、
コレ、“英語”の部分を“日本語”に、“アメリカ”を“日本”に
変えたらそのまんま「First Love」アルバムの批評になりそうな気がするなぁ。
“ネイティヴでない”というのは、確かにアメリカで過ごした期間は10年以下だろうから
当てはまるという見方もあるけれど、今までUtaDAの翻訳をしてきた経験上いえるのは
しゃべり言葉に関しては、日本語より英語の方が流暢だとはいえる。
言い間違いや詰まりが少ない。まだまだサンプルが少ないから断言には程遠いんだが。
それと作詞とは別だから、彼のいうことは一応アタマに入れておこうと思う。

それとは別に、
> アメリカ人と競作した曲以外は、全くグルーヴ感がない。

の一行は、的外れといっておく。だって、
その3曲でも詞は光が書いてるんだし、サウンド面でも光は元々
グルーヴィなトラックをメインで作る人じゃない。
そりゃあんた中華料理屋にきてカレーライス頼むようなもんだよ。
売ってる場合だってあるだろうけど、それだけじゃあない。
共作曲では確り歌でグルーヴ出せてるんだから資質じゃなくて方向性の問題だよ。

なんか話がズレてきた(笑)。
まぁ、私は音楽評論家には手厳しい、ってことです。本職さんですからね。


がらりと変わって、今度も予想だにしなかった竹中平蔵さん。
元々は経済学者さんだけど、元政治家の名前をメッセに出すのはマズイでしょう。
ま尤も、どういう反応がくるかは百も承知で書いてるんだろうから
それはそれで構わないんだけど。名前の響きと、あと顔の愛敬で
選んでいるような気がするんだが、どうでしょうか・・・。
テレビでの見た目としては、小泉首相同様テレビの使い方をよくわかっていて
しゃべりも理路整然としていて取り乱すことも少なく、
大学での授業はきっと面白いんじゃないかなぁでもゼミには入る気起きないなぁ、
というキャラの印象でしたけれども。


しかし、もっともっと驚いたのは、
上記の5人に加えてライス現(そろそろ前)国務長官の名前が出てきたこと。
だってあ~た、コンドリーザ(って名前は音楽用語なんだよね確か)っていえば
(追記:っとと、wikipediaにちゃんと書いてあったw 『名前はイタリア語の音楽用語「コン・ドルチェッツア con dolcezza」(甘美に柔らかく演奏する)』に由来する。)
この記事この記事にもあるように、光があれだけ毛嫌いしていたイラク戦争を
大統領補佐官として強力に推進したとされてる人なんだから。
まぁ、政治的主張や仕事とその人の人間性とは関係ない、って言われればそれまでだけど。
友達がよくわからん職業に就いたからといって友達辞めるわけでもないもんなぁ。
職に貴賎なしというし。

恐らく、ピアノもフィギュアスケートも堪能で飛び級で15歳で大学に入るような
天才黒人女性、というキャラをみて「あぁこの人となら話ができるかも」と
光は思ったのではなかろうか。これだけの天才になると、話の合う人なんて
世界がいかに広くたって限られてくるからねぇ。音楽家を親に持ち、
アメリカで人種の違いに悩み、飛び級で周りとの関係にギクシャクした
人生を過ごしながら、尚且つ光の頭脳の回転の速さに
ついてこられる人を有名人の中でひとり見つけて喜んでる、だから
“友達になりたい”と、他の6人とは
違うニュアンスで選出してる、ということにしておこう。


最後に、アメリカのTVショウホスト、コナン・オブライエン氏の名が挙がっている。
youtubeでちらちら見てみたけれど、英語がわからんので何ともわからん(苦笑)。
とにかく、

ちなみにアメリカの男性有名人だと、私が長年の大ファンなのはConan O'Brianです。彼の番組に出演するまで死ねません(はぁと)

とノタマッテいるので、ファンは光のこの番組への出演を全力で阻止しよう!(笑)
そうすれば、いつまでも長生きしてくれるというわけさ、ふふふふふ、、、、

、、、、って、それじゃオブライエンさんにも長生きしてもらわなくちゃならなくなるけれど(笑)。



Utadaのアルバム制作が終わったら英語のメッセージ書こ~っと


うぉ。予告してくれたぜ。
なんとしてもそれまでに英語翻訳スキルを戻しておかねばっ(泣)。
10年分のキャラ推移をちゃんと把握しておかないと、
英語の翻訳なんぞできないからなぁ。最近のメッセの口癖は、と(はい調査開始!

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と【続・年末のご挨拶】2008.12.31(Wed) 02:19



> 昨日、家の廊下で激しくすっ転んで顔、ぶつけました。

貧血?(汗)

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んじゃま「今日の1曲」出張企画ということで。

***** *****


> 最近はJames BrownとChick CoreaとNotorious B.I.G.ばかり聴いちょる。


んでも全員ワタシの専門外だぁーーっ!(泣)


ジェイムス・ブラウンさんは「ゲロッパ!」でおなじみの、こないだ亡くなりはった方。
(って、え、もう2年も経つの!? 時が経つのは(何かに対して)速いなぁ。)

詳しくはWikipedia参照っ。(笑)


ノトーリアスB.I.G.さんも故人。
ワタシの知ってることはこれまたもれなくWikipediaに書いてあるから読んどいてー(投げやりw)。
あれ、この人の代表曲ってなんだろ、、、ピンとこないなぁ裏方さんのイメージがあるから。<門外漢の私には
てことで、iTunesアーティスト別で1位だったこの曲を。


この流れだとチック・コリアさんも死んでることにされそうだけどなんのなんの!
元気で現役頑張っておりますよ! Wikipediaによると
今年で67歳になってはるそうですが、去年からリターン・トゥ・フォーエヴァーを再結成して
ツアーしてまわっとりまして、今月末に日本先行でライヴアルバムが出るのよね~。
発売日付近になったら紹介しようと思ってネタとっといたんだが、
メッセで先を越されてしまっては仕方がない!てことで、ココで紹介。

アマゾンのリンクはっときゃよいよね~。
この美麗なジャケットで、12月31日発売です。かなり売れそうな予感。(中身の保証はせんが)
てか、コロムビアME、ここで頑張らないとッ!(祈)

ん~2008年のライヴ映像でいいのなかったから、1974年のライヴで。

チック・コリア、アル・ディ・メオラスタンリー・クラークレニー・ホワイト
凄すぎるメンツ。ちびるぜw

あぁ、こんときのメッセで触れてた人ね、チック・コリア。
うたゆなんときにマットに教えてもらったっぽいです。
そんときのアルバムは、こちら(iTunesが開きます)。

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日曜日夜のメッセで書かれていた2か所の「障害」の表記が
障がい」に改められている。

何故このような訂正が必要だったのか。

検索すれば幾らでも説明が出てくる。
詳しく知りたい方はキーワード“障碍者”でググればOKだ。


ここでは、私なりにそれらを斜め読みして理解したことをまとめておく。


「障がい」の“がい”は、漢字にすると“碍”なのだが、
常用外なので媒体や公文書で書かれるときにはひらがなになる。

実は、元々戦前までは「しょうがいしゃ」を「障碍者」と書いていたのだが、
戦後常用漢字が制定された後に、当て字として“碍”の代わりに
常用漢字である“害”があてられるようになり、
「障害者」という表記が主流となったんだそうな。

しかし、この当て字の字の当て方に問題があった、と。
“碍”の字と“害”の字では、意味が微妙に違うのである。

“碍”の字は、融通無碍という四字熟語からも察せられるように、
「自由を妨げる」「不自由である」という意味である。が、
“害”の字は、被害・損害という風に、
積極的に他者に“わざわい(禍・厄・災い)”を与える存在を指す。


差が微妙なのでわかりにくいか。
具体的に「身体障がい者」と書いたときの“がい”に
それぞれの漢字をあてはめて考えてみよう。

「身体障碍者」と書けば、「身体が不自由な者」のことであって、
これは我々に身近な「身体障がい者」の皆さんを指すことばに成り得る。しかし、
「身体障害者」と書くと、「身体に(身体で)わざわいをもたらす者」という
意味になってしまう。それは違う。彼らは別に我々に害を与える訳ではない。

だから、現在では「身体障がい者」或いは「身体障碍者」と書こう、
という風潮が、各自治体レベル等で広がり始めている、ということらしい。


恐らく、光の許にもそういった指摘が来たのだろう。
デリケートな問題に迅速に対応した点を評価したい。


実は、私が日曜深夜のエントリを書いた際も
その書き換えのことがアタマを過ぎったのだが、
他に“きちがい”だとか“メクラ”“チンバ”などの、
「放送禁止用語」とか「不適切表現」にあたる単語をたくさん使ったので、
敢えてそのままにしておいた。
「今迄の(時に誤謬や偏見に基づいた)慣習にしたがった表記」を
使用する態度で文章全体を統一する狙いがあったわけである。
したがって、それらの表記には障碍者の皆さんを貶める意図等は一切ないことを、
この場を借りて、強調しておきたい。よろしくお願いします。

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やれやれこのコは。
元々私は思考回路に似たところがあるから
ココでこうやってblogを垂れ流し続けてもネタ切れの心配がないのだが、
勿論とても違うところも多くって(当たり前だ)、
それが、こうやって「思ったことをまっすぐに言う」態度だ。
メッセを読み始めて一番面食らったところはそこだ。

「もっと、思いやりのある世界になればいいな、と思う! 」


だなんて、よほどの勇気(言う気)と覚悟(書く語)がないと、
言えないし、書けない。とても敵わんと思ったよ(そりゃそーだ)。


まぁたまにはそういうのに脊髄反射してみるのもいいかな、と珍しく思った日曜の夜だ。


光はとても強いコだ。
そして、稀有な人生を送っている。
だから「自分らしさ」も自分の力で獲得してきたし、
それに対して称賛以外のことばは特に思い浮かばない。
でなくば、我々の人生もこうではなかったのだから。

しかし、多くの、大多数の“普通の人”たちにとって、
他者に対して誇らしく喧伝できる“自分らしさ”なんて、皆無だ。
寧ろ最も大きな希求は、何か既に確立した価値観の枠組の中に
自分の居場所を確保することだ。自分らしさは逆に邪魔だ、というか、
それを維持する為のコストは絶大なので、
大抵疲弊して、どこかに属して安寧を得る。

健康と病気、正常と異常、健全と障害、とかいう二項対立軸が
もたらすものは、多くの場合偏見や憐憫であるが、
しかしそれゆえに、その何かに属する安寧を得ることができる。
また、人と人との関係の中において、「自分はこういう人間だ」と
社会的に認知された枠組みの中で捉えてもらえることで、
個々の対応は常にスムーズになっていく。

非常に単純な話で、「花粉症」という病気がまだ認知されていなかった頃は
医者をたらいまわしにされた挙句確たる治療法も与えられず帰宅するしか
なかったが、「花粉症」という病気が認知され社会的な地位を
確立した今では発症してすぐ本人も周りの人もお医者さんに行っても
「花粉症ですね」のひとことで済み適切な処置を受けられる。

障害者もそうだ。もしそれが“単なる個性”ということであれば、
それに応じた責任をとるのが社会の建前上の基本だ。
実際はそうでなくても、個々人の選択によってその生き方を選んだかのような
扱いを受ける。しかし、障害者手帳ひとつを獲得することで、
自治体などから適切な援助補助を受けることができる。
それもこれも、“障害者”というレッテルが社会で流通しているからだ。

花粉症や身体的障害なら物的証拠の羅列で区別が出来る。
これが精神医学の分野となると話が一段難しくなる。
名前の通り、「精神論」が罷り通る分野であったからだ(今も多分ある程度そうだ)。

精神的な側面を原因として社会に対して不適応を示す事例に対しては
個々の努力の不足や精神力の弱さを糾弾し「排除」によって解決とする風潮が
恐らくずっと続いていた。それが徐々にではあっても
改善されてきた経緯を支えたのは、それらが次々と事細かに分類され整理され
物理的な基盤へと帰着させることにまで到達した、平たくいえば投薬による
治療が可能になり主流になっていく中で、それらは“市民権”を獲得していった。

一昔前なら「きちがい」といわれ隔離され断絶していた人々に対して、
例えば風邪や胃腸炎や感染症と同じように(とまではまだまだいかないかもしれないが)、
一種の“(治療可能な)病気”として認知されることで、また社会復帰への道がある、
いわば一時的な不調状態として寛容されていくようになった。
その、徐々に成立してきた“システム”が為した社会への貢献は計り知れないだろう。


要は、“病気”や“障害”や“異常”やらは、
特に社会的な認知に基づいた呼称であるということだ。
もっといえば、社会の中で、社会のシステムの中で居場所を見つけるとき、
病気や障害や異常のレッテルがシステムの中に既存していて、
それに自分をあてはめることができれば、それに応じた対処・療法を
適切なカタチで被ることができる、ということだ。

裏を返せば、病気や障害や異常とは物理的な現象、
身体における生物学的化学的イヴェントのことを直接には指さない。
社会による認知を受けて初めて、それは病気や障害や異常に、“成る”のである。

この点、光のいう

私には分からない。なにが「普通」なのか。なにが「正常」、「健康」なのか。なにが「異常」、「不健康」なのか。


というのは、的を射て得ている。
元々そんなものは、異常や不健康など“ない”のだから。
人間の、人間社会においての“認知・認識”を得て初めて姿を表す“概念的存在”、
もっといえば、“慣習的存在”でしかない。

ここでもまた裏を返せば、一昔前は異常なり障害なりになっていた現象や症状が、
社会の認知や認識やシステムや機構や技術などの発展によって、
わざわざそういう名称をつける必要がなくなっていく事態も、想定可能だ。
それが、光の言いたいことに繋がっていくと思う。

それが単なる“個性”にまで還元できる社会とは。

言うのは実に単純である。
例えば義眼や義足や人工心臓が、
今よりぐっと進歩し安価で誰にでも手に入るようになったら、
メクラやチンバといったことばが多分化石になっていくだろう。
目の見えない子供が生まれてくるとわかっても、
「じゃあ、生まれてきたら目が見えるように手術しますから。5分で済みますよ」
というだけの医術がその時点で出来ていれば、そんなものを障害だと
わざわざ名づけるひとは居なくなっていくだろう。
先天的な視覚機能と後天的な視覚機能に何ら差異がなくなっていけば、
それを取り上げて何かいうひとも居なくなる。
(例えばこの番組でそういうことに携わる人たちがたくさん取り上げられてるから一度見てみればいいと思うよ)

勿論、現実はもっと複雑だ。
今述べた「目が見える」という非常にわかりやすい基準ですら、
では全世界の盲目者の人口をゼロにすることが今現在できているかと
いわれたら、それはまず間違いなく違うだろう。
これが、上述の精神的と称される領域の“異常・病気・障害”になったら、
それらにたいする研究や技術が発展すれば、“解決”となるかは、わからない。

我々は、果てしない夢を見る必要があると思う。
もし、もし、世界中の盲目者が居なくなる日が来るとして、
それを示唆する象徴的な出来事は何になるだろうかといえば、
私は、「別に見えなくてもいいんだけど」と言う人が出てくることだと思うのだ。
もし、誰かが盲目であっても何不自由なく生活できるだけの
社会的基盤が構築されたなら、もはや盲目自体が障害ではなくなっているだろう。
そのような社会の構築の方が、義眼を究極にまで高める技術の成立より
更に遥かに難しそうだ、というのが素直な直感的意見だが、まぁこればっかりはわからない。

しかし、そこまで世界が優しくなれるか。思いやりで満たせるか。
先ほど述べた様に、それは「果てしない夢」に過ぎないだろう。
実際には、我々は、自分のことで精一杯でしかない。
光だって、恐らく何億何十億という資産がありながら、
彼女の毎日は、「このドのシャープの音のところに載せるべき母音が何かわからない」
とかいう、恐ろしくミニマルな悩みで埋め尽くされている。
そんな果てしない夢なんか、宇宙の彼方の向こう側、という風に。

だから私が言いたいことは、果てしない夢は託しながら前に進むものであるから、
叶うとか叶わないとか野暮いってんじゃなくて、それに心を満たされながら、
足りないものを現実の中に想像していけばいいだろう、ということ。

私は、今これを読んでいる貴方を適切に説得することすらできやしない。
ココに書いてあることを事細かに理解してもらうことすらできやしない。
それどころか、今自分が自分で書いていることが何であるかすらよくわからん。

世の中出来ないことだらけだ。それが現実なんだから、
出来もしないことについて夢を見るのなんて普通である。でも、
その夢を謗る人がいるのであれば、そのひとは普通じゃない、なんていう言い方を
したら、今度は僕らが同じ隘路に陥る。先述通り、
異常とか普通とか、そういうのは、僕らの社会のシステムの中に、
ひとりひとりの心の中に常識と認識として幻影のように在るものだから。

難しいでしょう? でも、それを楽しむこと。
何も成せなくって当たり前なんだ、僕らが出来ることなんて石の礫にもなりゃしない、
そう思えば、逆に、できることなんて限られてるんだから、
何をすべきかの選択は、ラクになるんだよ。
どれがどの道へのプラスになるかも、そんなにわかったことじゃあないんだけどね。

大抵のひとが、「できもしないことだったら、やるだけムダ」と考える。
僕だってそう。でも、その人が一番やりたいことをやっていれば、
「果てしない夢」を心に抱いていた方が、いい。とても心がラクになる。
できることなんて僅かだからね。


うーん、、、

、、、、なんで、漢字が満載の箇所よりひらがなが増えた箇所の方が内容が難解なんだ私。(汗)



あ、最後にひとつ。
光が、

病気を乗り越えた子も、亡くなっていった子たちも、私は毎日彼女たちに思いを馳せる

っていってるけど、「毎日」ってのは誇張じゃないよ。
僕ですら毎日食事をするたびに必ず
「これが食べれずに餓死してくコがたくさんいるんだなぁ」
って思いながら手を合わせてるくらいなんだからw
(オフで会ったことのある人なら知ってるかもしれないが、私はモノを食べるとき必ず手を合わせて目を瞑る。一瞬だけども。)
実際にメールをもらって死を目の当たりにしてきて、
精神的なショックを受け止め続けてきた光が、その“彼女たち”のことを
忘れるはずはない。光が「毎日」って書いたら、本当に毎日なんだ。


もう一度書いとく。「誰を信じるか、それだけは確かめておけ」



あわやグレンラガンの某名台詞かー、とアタマをよぎったのは私だけか。(笑)




追伸:久しぶりに勢いで書いた。今は反省と後悔をしている(苦笑)。それもまた人生。

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「クローアップ」っていうふうに濁るんじゃないのか、
と問われそうなので、エントリアップ。

Yahoo辞書の「closeup」のページに“発音を聴く”っていうリンクがある。
“くろうすぁっぷ”って言ってる。
この“close”は「come closer」とかいうときのclose、つまり
「近づいて」ていう方で、反対語はfar/awayとかになるか。

「クローズ」って最後が濁るcloseは、
野球の「クローズド・スタンス」「クローザー」のように「シメる」って意味の方。
こっちの反対語はopen/オープンなわけさね。


なぜか日本では「クローズアップ現代」なんていう番組すら
あるくらい、「closeup」は「クローズアップ」と最後を濁る発音で定着している。
理由や由来は私も知らない。

「ルーズ・リーフ」なんてのもあるやね。
あのノートが一枚の紙に分解されてるヤツ。
これも「looseleaf/ルースリーフ」がより正しい。
これもなんでこうなったかは知らない。
多分、「負ける/失う」の「lose/ルーズ」と混同したんだとは思うけど、
定着するまでに至るのかなぁこんなん。


こういう話題ですぐに思い出すのは「ヤンキーズ」のメッセだよね。

-- 2003.10.19(sun) 01:44 [ヒッキー、投稿拒否??
-- 2003.10.25(sat) 07:35 [日本シリーズで盛り上がってる時になんなんだが、、、
-- 2003.10.27(mon) 11:24 [日本語の未来


なんだかたくさん語られているので抜粋は難しいが、
結論としては

> 外国語を日本語に取り入れるときに、なじみ易くするためにいくらか変えるのは分かるけど、その仕方にルールがとくに無いのが問題みたいだね。

ということでFAっぽい。

んで、「日本語の未来」では
こんなふうに語っている。

授業中とかだけじゃなくて、普段から、脳みそに入ってくる情報に注意してるといろいろ気付いて面白いよね。中学や高校で英語を勉強している諸君っ!こんな疑問を学校の英語の先生にぶつけて、これから増えていく一方であろう外来語のあり方、日本語の未来について議論してみてはいかがでしょう☆

固有名詞はしょうがないけど、そもそも必要の無い外来語が増え過ぎるのはどうなんだろうね。どの言語も、他の国の言語から沢山言葉を取り入れたりして影響し合って形成されてきたわけで、常に変化してる。古文とか見るともうちんぷんかんぷんだもんね。

でも、私は、古風な考え方と映るかもしれないけど、今の日本を考えると、日本語でも問題の無い言葉をどんどん外来語に取り替えていってるのがあまり良い風潮には思えないんです、、、。もとの日本語が不自然に思えてくるじゃない?気にしだすと、テレビも町も雑誌もカタカナばっかりでびっくりしちゃうよ。



、、、やっぱり抜粋は難しかったので、結局丸ごとコピペになった(涙目)
それだけ必要十分にまとめられているってことなんだが。

で、話は横道に逸れるが、
梅田望夫氏のはてなダイアリdankogai氏のblog
↓こういう名の本が紹介されている。

「日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で 」(amazonはてな
水村 美苗 (著)

すべての日本人がいま読むべき本だと思う』/梅田望夫
今世紀最重要の一冊』/小飼弾



二氏のレビューを読んでみると、どうやら煽り文句でなく
本当に日本語が亡びることを危惧している内容らしく、
なんだか読んでみたいなぁ、とちょっと思った。

でもまぁ、その前に川端康成を読みたい私。
後回しに(或いは忘却)しそうだわ~。まぁ、風任せでw


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2008.8.1(Fri) 16:09【八月だー!
2008.8.1(Fri) 16:27【ほんとに
2008.8.1(Fri) 18:19【ひでぶ!!!
2008.8.1(Fri) 23:18【撃破の前
2008.8.1(Fri) 23:19【色塗ってみた


というわけで、漸く映画「攻殻機動隊」「イノセンス」を
ぶっ続けで観るという無謀を達成できましたよ、と。

押井守監督の作る映画はヘンな気分で観る。
彼が作品のテーマ・ストーリープロットの主軸として提示する思想・疑問・哲学は
僕にとっては総て一度は考察してきたものばかり。
故に“頭痛が酷くて映画を観るくらいしかやれることがない”という
動機で見始めたにも拘らずすらすらとどのセリフもアタマに入ってきた位なので、
ネット上で散見された「内容や台詞が難解」というのは
僕には全く当てはまらなかった。まぁ、興味や関心が同じラインではあるので
親近感はわいたけど「今更そんなことを言われてもなぁ」という気分。
釈迦に説法だな。なんと不遜。(笑)

一方、一枚の絵すら描けない私にとって、
そのアニメーション表現能力の高さは掛け値なしにネ申の領域。
実際に出会ったら「こ、この人があの押井守か!!」と大感激するに違いない。
月とスッポン、いや、そんなこといったらスッポンに失礼だ。

とにかく、両作品とも、とりわけ「イノセンス」の映像の凄まじさは100分間
“口をポカーンと開けた状態”で眺めているしかなかった。
どれだけの手間と人員と予算をかければ、こんなモノが作れるのか。
しかも、もう4年も前の映画だ。(制作時はその更に前なわけだ)
ストーリーがシンプルなのも、この視覚体験の為と考えれば納得。
士郎正宗の原作もきっと素晴らしいのだろうが、
「映像監督押井守」の天才ぶり・神ぶりは、千手観音千人分の拍手万来に値する。
世界に誇れる才能だねぇ。


「攻殻機動隊」で最も印象的な場面が「君と融合したい」なのは、
私も全く同意する。いやさっきメッセを見返すまではこの場面のことを
言ってるってのがうっすらとしかアタマになかったんだけどね(笑)。
でも、その割になんかあっさり描いてるんだよなぁ。
尺の問題があった、というのも一説だが、
やっぱり、「“ひとつの作品として”どの場面が重要か」という自覚が
押井守監督には決定的に欠落しているかもしれない。
(だから、格言の引用や映像表現のアイディアの数々に物量作戦を
 持ちこめてるんだろうから、一長一短ではあるけれど。)
その点は、スカイ・クロラでも感じられたのだが、そのことについてはまた稿を改めて。

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http://www.u3music.com/message/index.php?m=1&d=2008091218455j.xml

高校生のとき書いたと思しき“黒猫”の絵。
確かに、かわいい。が、先週ポーの“大鴉”を翻訳したi_が
真っ先に思い出したのは、ニューアルバム「魑魅魍魎」が
10日に発売になったばかりの陰陽座の女性歌手“黒猫”であった…

…いや、まぁそれはおいといて(笑)。2番目に思い出したのが、
そう、そのエドガー・アラン・ポーの短編小説“黒猫”であった。

青空文庫にしっかりあったので、
http://www.aozora.gr.jp/cards/000094/files/530_20932.html
早速読了。以下感想。

今まで彼の短編は、「モルグ街の殺人」や「手紙」、「黄金虫」といった短編を
読んできたが、それらと比較しても最も“ホラー”な一編であった、そして、
ムードは、“大鴉”に非常に近いものを感じさせた。
個人的には、プロの邦訳をこうやって読んで、
やっぱりこういう方向性で翻訳するのが
ポーの怪奇譚には合っているのだな、と再確認できたのが収穫。
(勿論ここまで巧みには訳せないんだけど。あクマで方向性は、ね。)
まぁ、古典なので筋に新鮮味があるとかではないが、
主人公の狂気を孕んでいく様子の描写は流石と思わせた。

一万字程度の短編なので、十数分で読めるのではないだろうか。
大体“大鴉”の4倍程度の長さ、か。朗読しても9分30秒だった訳だから
その程度だろうな。

4年前のUtaDA1stアルバム「EXODUS」でポーの“大鴉”を取り上げ
“KremlinDusk”を完成させた。もしかしたら、今度のUtaDAの2ndアルバムで
この“黒猫”を題材にした歌詞の曲にお目にかかれるかもしれない。

、、、流石にそこまであからさまなことは、しないか。(笑)


しかし、、、これを読むと「お酒の飲み過ぎはよくないなぁ」と
思わずにはいられない。(フィクションにそんな感想を持つのもどうかと思うが)
光のストレスは僕ら凡人には想像すら及ばないだろうが
できれば他のストレス解消方法もどこかで見つけてほしいものだわぃ。




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うーむ、今夜も天啓を一編書き上げたのだが、
読み返してみて「これはどーもなー」と思い取り下げ。
んだもんだから、今日は穴埋め代わりに
昨日久々に降臨したメッセの話でも。

> ところで私の一番好きな詩人は、中原中也と宮沢賢治です。
>
> 本当に愛してます。ずっとっす

詩人になろうかと本気で思った。


> 宮沢賢治の出身地は、岩手県花巻。
> うちのおかあちゃんは(略)花巻なのです
> 中原中也は、山口県の下関あたりの出身。
> うちのおとうちゃん(略)は先祖代々、下関なのです。

まぁ、これはわかるが、ではそれがなぜ

今「白洲正子自伝」を読んでるんだけど、どうもこりゃ偶然じゃねぇんじゃね?と思えちゃったりする。

、、、と、白洲(今度は間違えてないな、ふぅw)正子自伝と繋がるかわからない。
てなわけで、早速今日買ってきた( ̄∀ ̄)
でも、まだ読んでないや。
とりあえず先にWikiってみる。

中原中也:
* 1923年(大正12年)この年の末に長谷川泰子を知り、翌年より同棲。
* 1925年(大正14年) 立命館中学の卒業を待たず、泰子とともに上京。同年、小林秀雄と出会う。11月、泰子が小林の元に去る。

なるほど、中也は恋人を小林秀雄に寝取られたのか。
これで合点がほんのちょっといった。何故かというと…

小林秀雄:
東京市神田区(東京都千代田区)生まれ。長女明子は白洲次郎・正子夫妻の次男兼正の妻となった。

白洲正子とは、こういう間柄なのである。


、、、まぁ、だからなんだという話もないのだが。


まぁ、自伝はあとで(←この単語は私にとって数か月はおろか数年を表す場合もある)読むとして。
しかしそんなに白洲正子に心酔しているというのなら、孫の信哉と懇意になったらどうだ。
細面の文学者肌のやや二枚目なルックスは光の好みだと思うのだが…。横顔はモーツァルトに似ているそうな(ホンマか)。
確か、だいたいキリヤンと同い年くらいであったのではなかろうか・・・(あれ、禁句だっけ?(汗笑))


***** +++++ *****


なんだか話が脱線してしまったから、一旦あっぷ。

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