無意識日記
宇多田光 word:i_
 



前回からの続きを書こうと思ってたのだけど、よく考えたらこのテーマはそんなに急がなくていい。

それよりアルバム『初恋』のふんわりした第一印象を今のうちに書き留めておこう。これから何度も聴き込んで理解度を深めていく前の、出来るだけ浅い感覚の事を。後からだとなかなかこの感覚を思い出せない。

最初に通して聴いてアルバム全体から感じ取った中で…いちばん残ったのは「死の匂いが強い」という事。インタビューによると追悼の意味が強かった『Fantome』からより前向きな作品に変化した的な事をヒカルは言っていたので、意外といえば意外だった。

この感覚が具体的にどこから来ているのかはよくわからない。母の遺影が出てくる『嫉妬すべき人生』でアルバムがクローズされるから、という直接的な理由でいいような気もするが、自分の今の感覚は「ヒカルにとって、死と向き合う事がより日常になったのでは」という事。ショックからは立ち直れても、母が死んだという事実から逃れる事はできない。ならば、その事実と向き合いながら生きていくしかなく、それが毎日の事になったというバックグラウンドが、この強い死の匂いに結びついているのではないかと解釈してる。

「ふんわりとした第一印象」の話の割にヘヴィな感じもするけど、このふんわりは“捉え切れていない感覚”を指すものだからね。

或いは、小さな幼子と暮らすうち「あぁこの生命は私が世話してやんないとあっさり死ぬんだ」と日々実感してるとか、そっちかもわからん。ここらへんは、アルバム曲の詳細をみていくうちに理解出来ていくかな。


サウンド面に関しては、そこかしこに"Utadaっぽさ"が出てきてくれて、そこが嬉しかったな。『Fantome』が日本語タイトルに埋め尽くされた「宇多田ヒカルの日本語アルバム」であったのと較べると、その違いが際立つ。

具体的には『Too Proud』に『EXODUS』の時のエクスペリメンタルでカラフルでエロティックなサウンドが踊っている事や、『残り香』に『This Is The One』の時のような「捻らずに得意技の哀メロで一本勝負!」感が漲っている点が素晴らしいかなと。それに、何よりハイライトたる『誓い』が『Don't Think Twice』の日本語バージョンなのがデカい。フルコーラスで聴いてますます確信を強めた。あのラップっぽいパートも最初は英語が乗っていたと解釈した方が落ち着くし。

別に『Utada』というワンワードブランドにこだわっていた訳ではないので、宇多田ヒカル名義であろうが構わない。要は『EXODUS』と『This Is The One』の美点や魅力を継承してくれればいいのだ。その点、そういった傾向が『初恋』では『Fantome』より強く感じる。

出来れば、もっと自由に英語と日本語を行き来してくれてもよかったかなとも思ったが、そこはまだ『Fantome』からの慣性がはたらいているかな。まぁ『俺の彼女』じゃフランス語も歌ったし、ヒカルも別にそこらへんに制限を加えている事はなさそうだし。

『初恋』を過去のアルバムと較べて優劣を判定する、とか好き嫌いを論じる、とかの段階にまではまだ至っていない。未だに各曲それ自体の力強さに圧倒されている段階だ。先述した「1時間足らずなのに2枚組を聴いたようなボリューム感」というのが今のところいちばんしっくりきている。これだけ沢山の多種多様なクライマックスを取り揃えたアルバムもないんじゃないか。冗談抜きで「Magical Mystery Tour」と「Abbey Road」を連続で聴いた位の充実度だわ。ホワイトアルバムじゃないぞ。あれよりこっちのほうが全体のテンションアベレージが高い。あんなに散漫じゃないし。

で、いちばん驚愕だったのがこれだけ人を何度も感動させておいて「アルバム全体の完成度が低い」事だ。アレンジがとっちらかってまとまりがなくなる場面が幾つもの散見された。兎に角出てきたアイデアをそれなりの形にしました、という荒っぽいサウンドと、相変わらず細部まで練られた日本語歌詞とのミスマッチ。『パクチーの唄』ですら、もっと洗練された楽曲に仕上げられただろうに、と思わせるその完成度の低さ。裏を返せば今後、宇多田ヒカルはこれ以上のアルバムを作れる能力を既に持っている事になる。自分でも何を言ってるのかわからない。

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えぇっとですね、昨夜はサッカーワールドカップロシア大会のグループリーグ最終戦がありましてね、結果日本代表がポーランド代表に0ー1で敗れまして。しかし同組のセネガルと勝ち点得失点総得点直接対決と総て並びまして最終的にフェアプレイポイント(イエロー&レッドカード累積数)で2ポイント上回り日本が同組2位で決勝トーナメントに進出しました。

で。その日本ポーランド戦の内容がしょぼかった。途中日本がこのまま0ー1で負けてイエローカードも貰わなければ決勝トーナメント進出とわかった時点で長谷部を投入して負けてる方の日本が時間稼ぎに入った。まぁ観てて面白いもんじゃないよね。

でこの試合に対するWeb世論が二分してる訳ですよ。「日本は世界に恥を晒した」ってのと「サッカーじゃ当然の戦略。よくやった」ってのと。

つまり日本が悪いとか悪くないって言い合ってる訳。特にワールドカップは視聴率50%という、殆どの視聴者が普段サッカーなんて見ないもんだから終盤での時間稼ぎとか慣れてない。いや負けてる方が、ってのは確かに珍しいんだけどね。

試合内容に憤るのはよくわかる。あたしも観ててつまんないと呟いてた。でも、その矛先が日本チームに向くんだよね。責める方も擁護する方も。日本が悪いか悪くないかって話になってる。

悪い悪くないでいえば、あたしから見たら明らかにこんな試合をせざるを得ない状況を作ったサッカー及びこの大会のルールが悪いと思うんだけどそういう声が驚く程少ない訳ですよ。

日本人は、と言っていいのかは知らないけれど、どうにも「つまんない状況が生まれたらルールを変えて面白くなるようにしよう」っていう発想を生みにくい。ルールを絶対とみて、いや、みてすらいなくて、それは決まったものとして盲従するか、或いは悪ぶって反発して破るかの二択になりがち。なぜかルール自体は疑われづらい。勿論、長い目でみればルールを変えながら前に進んではきてるんだけど近視眼的な立場でとっさに「これはルールが悪いね」とか「じゃあルール変えよう」とかが出てこないのよね。

こういったルール意識、或いは規範意識についてヒカルがインタビューで興味ある発言をしている。私なりに要約すれば「私は自分が感じるままに行動してるだけ。人を殺さないのは、自分がそれをすると気分が悪くなるからやんないってだけで、ルールで決められているからじゃない」って感じ。

これが言えるのには様々な条件が必要で、その条件を検討する事でヒカルの歌詞に対する意識を掘り下げて理解できるようになる。

注目すべきなのは、そういったヒカルの自分に対する「規範意識の無さ」を自覚する発言がある一方で、「歌詞に対するセンサーシップ」についても発言している点だ。センサーシップとは、まさに「ある言い方が歌詞として用いていいか悪いか」という基準であって、まさに歌詞における規範そのものだろう。こういう表現をしたかったけどセンサーシップに引っ掛かるから使えないんだよね、っていう事があるのならそれは自分にとって気分の良いものと規範にとって良いものにズレがあるって話なので、まさしくこれがヒカルに(当然)起こり得る筈の問題なのだ。

ポイントは…って長くなったな。この続きはまた次回に。

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もう何度も書いているのだが自分自身かなり衝撃を受けた出来事だったのでまた蒸し返してみる。

10年程前ヒカルがラジオ出演した時、あろうことかインタビューアの人が「新曲の中で、あ、ぼくはくまは除いて」と言ったのだ。全く悪気はなかったのだろうけれど、そこからヒカルの声色が変わった。慣れている人でないとわからない変化だったかもしれないが、あんなに怒ったヒカルをあの時以来みたこと&きいたことがない。戦争が始まった時や遺族といざこざがあった時ですらあんなに激情を漲らせた事はなかった。勿論、どなりつけたとかではない。知らない人が聴いたら「ん〜声がうわずってるかな?」という程度だったのだがヒカルの感情の動きに敏感なヒカチュウたちには戦慄の体験だった。そりゃあ最高傑作と自負する楽曲を冗談として片付けられようとしたら怒るわな。一生懸命モノを作った事のある人ならわかるだろう。3日前から仕込んで6時間かけて調理したフルコースを「え、これ食べ物だったの?」とゴミ箱に捨てられている瞬間を目撃したような、そんな感覚だったのではないか。

その時のパーソナリティさんは私の中で「ヒカルに失礼な事を言った人歴代No.1」に輝き続けて10年になる。なおNo.2は「この『前世』って歌詞、NGなんですけど?」とヒカルに言ってきたNHKだ。言った内容より言い方だったと妄想するが、これで『ぼくはくま』の「みんなのうた」への参画が頓挫していたら↑のインタビューアさんを抜いて歴代1位だったかもしれない。ちゃんとテレビとラジオから『ぼくはくま』が流れてきたから2位に甘んじていると申しますか。流石NHKと感嘆せざるを得ないんだけど。

で。

『パクチーの唄』の新しい偉大さは、その"No.3"を今回生み出しそうにない所にある。うたマガを読んでいても、危なっかしかった人はわんさと居る。最終的に共作者として名を連ねたなりくんの最初の反応がいちばん危なかった…というかアウトだったんだろうけど"共犯"になる事で相殺されたと言うべきか。他にも、レコーディングに携わった人たちも危うかった雰囲気だし、そもそも今回のインタビューアの人の反応もデインジャラスだったようにみえるけど、最終的にヒカルを怒らせるに至っていない。全部ギリギリだったかもしれないが、これきっと誰もヒカルの怒りを買っていない。

この点こそが、『ぼくはくま』にはなかった、或いは少なかった、『パクチーの唄』ならではの美点である。ヒカルの剥き出しのこだわりをそのまま曲にせず、なりくんの力を借りてしっかりしっとりPop Songとしても(勿論童謡としても)聴ける楽曲にして世に出せた。これはヒカル自身の成長でもあるだろう。それだけ、様々な人たちの顔が見えていて、その心を掴めているのだ。

詳細に分析するのは結構難しい。それだけリスナーの心理というのは多岐に渡り微妙なので微調整が必要な訳で。ストレートさでは『ぼくはくま』が勝るが、『パクチーの唄』はまるで、「コリアンダーは洋食にも和食にも合いますよ」というアピールポイントを雑多なサウンドで見せてくれているような。チョコレートのように万民に愛される味ではないからこそ、パクチーの苦味が目に染みる。『Flavor Of Life』以来の、大人の『淡くほろ苦い』唄である。

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あれま、「パクチーパクパク」って書いてたけど歌詞カードだと『パクチーぱくぱく』って平仮名なのね。特に意味はなく気付いてなかっただけです。

『こりゃなんだコリアンダー』(笑)

そつがないよねぇ。ただの駄洒落なんだけど、落として来ない。で、きっちり落とし込んでくる。これを聴いたら一瞬ギャグソング・コミックソングに聞こえそうなんだけどフルコーラス聴き終えた頃には印象がすすすっと変化している。本当に見事なものだ。

鍵になってるのは、『パクチーぱくぱくパクチーぱくぱくパクチーぱくぱくパクチーぱくぱく』と続いたあとの『uhhhh〜♪』でしょう。あそこで空気がパッと変わる。そこから順番を逆さにした『ぱくぱくパクチー』に繋げてメロディーがひとまとまり。最初の『パクチーぱくぱくパクチーぱくぱく』が"起"、次の『パクチーぱくぱくパクチーぱくぱく』が"承"、『uhhhh〜♪』が"転"、『ぱくぱくパクチー』が"結"ときっちり起承転結になっている。

この『uhhhh』があるかないかでえらい違いだ。『パクチーぱくぱくパクチーぱくぱく』の部分だけだと本当にただの童謡にしかならんのだが(それでも名曲になってたと思うけどね)、この『uh』がAメロ部分のしっとりとした大人な雰囲気を誘い出す呼び水になっている。『uh』と歌われた瞬間に「え、そっちの空気に行けるの?」と思ったが、まさに。サビの転部を担いながら楽曲全体の雰囲気を事前に示唆する伏線の役割を果たす『uh』。Utada Hikaruのuhですよこれはまさに。

だってねぇ? 最初の『こりゃなんだコリアンダー』の時点では最終的に『泣いたらとてもお腹が空いてた事に気づくよ』に着地するなんて夢にも思わないじゃない? またここの歌詞も人生の苦味をパクチーの味になぞらえて更に食べる話で終えてるのが秀逸過ぎるんだけど、こりゃなんだからここまで滑らかに繋いでくる第一歩が『uh』なんですよ。ここナシでは『パクチーの唄』は成り立たない。最重要パートのひとつです。

ライブでギター弾き語りとかして欲しいけど、そこでこの『uh』を歌い忘れないようにしないとね。

それにしても、この唄に違ったコード進行を持ち込んだのはなりくん(小袋成彬)だそうだが、もしこの『uh』が彼の発案だとすれば作曲者クレジットに名を連ねているのも納得。ほんの一音(の長音)だが曲にとってクリティカルな効果を齎したのだから貢献度極大なのですよ。

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アルバム『初恋』は最初に『Play A Love Song』があるだけで名盤確定なのに3,4曲目の『初恋』『誓い』が凄すぎてもう…! 特に『誓い』はトレイラーで高まり切ったこちらの期待に見事以上に過剰に応えた圧巻のフルコーラス。何というのだろう、聴いてると何度もどっかイってしまってなんともイケない。イケるからイケない。もう何言ってんだかわかんないけど実際聴いた人はわかってくれると思う。それ位ヤバい。

でシングルの売上からすると次の『Forevermore』で聴き手の好みが別れるんだが残念な事に皆さん御存知私この曲が大好きでしてね。いやはや、もうここに至っては何度昇天したやらわかりません。異常ですよこのアルバムは。

で、エクスペリメンタルな『Too Proud』を挟んでシンプルな歌詞の『Good Night』が最高のクロージング・トラックでもう。歌詞にしろ曲調にしろ嗚呼やっぱり『初恋』は素晴らしい名盤でしたありがとうおやすみなさいっ!って言って終わってもいい満足度を齎してくれた所に私の感覚でいえば2枚組の2枚目が始まるんですよ。そう、あの曲で。

パクチーパクパク・パクチーパクパク・パクチーパクパク・パクチーパクパク・Uhhh……

真剣に言うぞ。考えてみる。この超絶アルバム『初恋』の12曲で、最も後世に残って"クラシックス"として生き残る歌って何だろう。

前半の7曲も凄かったけどまぁこの後の『残り香』『大空で抱きしめて』『夕凪』『嫉妬されるべき人生』もとんでもなく筆舌に尽くし難く…! 正直大空で天翔る星に祈りを捧げた後にどんな曲来たって蛇足じゃろがい位に事前には思っていたのにもう一瞬にして手のひらクルーですよ。夕凪も嫉妬もなんじゃこら度ドMAXでね…!

こんなアルバムなのに、でも、いちばん"残る"という意味でクラシックスの可能性が最も高いのは『パクチーの唄』だよね。と私は思うのです。

昔「宇多田ヒカルの作った歌の中で、宇多田ヒカルの名が忘れ去られた後も歌い継がれる歌があるとすればそれは『ぼくはくま』ではないか」と指摘した。ヒカルが『ぼくはくま』を『最高傑作かも』と自賛した事を受けて。如何に『First Love』や『traveling』が名曲でもそこに『宇多田ヒカルの』という冠がついていないのは考え難い。が、『ぼくはくま』は、日本の邦楽市場が壊滅しても、いや、日本という国が無くなっても世界のどこかで歌い継がれてるんじゃないかという希望が見いだせるのだ。

その意味での"最高傑作"に匹敵する凄味を、真面目に『パクチーの唄』から感じる。初恋も誓いも夕凪も嫉妬も"従えて"、この曲が超絶絶対名盤『初恋』を"支配"している気がする。

だって、食べ物であるパクチーを食べるオノマトペたるパクパクと繋げたんだよっ!? 日本語わかる人だったら絶対そこで、「くだらねー(笑)」含めて笑顔になる筈だ。そう、この唄を聴いた人の殆どがきっと笑うのだ。それってとんでもなく凄くない? それも、笑いを取りに行くギャグソングかと思いきや結構曲展開がお洒落…! 形態は違うがボサノバソングにも通じるポップソングとしての商品性を感じる。一方でこどもが聴いても面白い。大人も唸らせられる。いわば『パクチーの唄』は「大人の童謡」なんだと思う。

それに、たとえパクチーを知らなくても、いや、日本語がわからなくても、ただひたすら『パクチーパクパク』の繰り返しが音として面白い。日本全国のまだ言語未習得なこどもたちに聴かせてみた反応を知りたいよ。老若男女誰もを笑顔にさせ、素人も玄人も唸らせる。ズバリ言ってザ・ビートルズクラスの名曲である。スト…いや流石にそれは言い過ぎか…。

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なのでもう私は変質してしまいました。聴く前の自分にはもう戻れません。将来認知症になって自分の名前を忘れてしまっても、歌は魂に刻まれるからね、無意識が口遊むよ。

ネタバレ無しで書こうとしても、否、何を書こうとしても、したがって、アルバム『初恋』の影響を受けたものになりますので、もうそれは隠し仰せるものじゃない。端々隅々から滲み出てしまうものなので、そのつもりでこちらに来てくださいな。

第一印象は「果てしないアルバムだなぁ」という事。なんだろう、2枚組かと思う位に内容が分厚い。『Good Night』で『おやすみ』っつった時点でもうフルアルバム一枚聴き切った充実感がある。そこからの、「え、まだ続くの!?」なあの感じ。ほんと2枚組だわこれ。一時間足らずのくせして。

んー、このままアルバムの話を続ければ勿論止まらないので、先に花晴れの感想語っとくか。今書いておかないと二度とタイミングがないかもしれないからな。

ひとまず。二ヶ月半『初恋』を流し続けてくれてありがとうございました。フルコーラスの大盤振る舞いも一度ならず有り、いやはや耳福でありました。ところどころ『初恋』を意識したと思しき台詞回しもあり、リスナーとしては嬉しく思いましたわ。

ストーリーとか演技力とか、色々とご意見はあるでしょうが、放送開始前から明らかだったように、出演陣にとっては、登場人物たちと同じく、発展途上の身でのチャレンジの場だったのでせうからその位置付けを前提とした評価を下すのが妥当なのではないかと思います。

こちらとしては、こほん、「杉咲花が可愛かった」の一言に尽きます。もうそれだけで総てOK。冷静に脚本をみれば、最後の最後まで周りの人間を傷つけ振り回し続けた江戸川音は正真正銘の「ホントしょうもない」奴になりかねないところだったのを、杉咲花が救ってくれたと言ってもいい。そりゃ本人も「難しかった」って言いたくなるよね。江戸川音より杉咲花が魅力的なドラマだった、という事です。可愛いは正義の実例をワンクールみさせてうただきました。

あと反町"poison"隆史が笑えた。町中にあんなかっこいい男が歩いてたら思わず振り返るよね。かっこいい男は違うわ。松田家の次男坊、だっけ?は言わずもがな。あれにテンション上げられる花男組を微笑ましく眺めてましたよ。

なんだかんだで最後まで観ていたので、自分も楽しめていたのではないかと思います。続編なり何なりあった時は、またヒカルの歌をイメージソングにして復活してくれれば嬉しいです。

…という感じで。次回からはみっっちりアルバム『初恋』について語り始めますか。私自身が楽しみだわ。

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あれ?こないだ40万目標とか書いてみたけど店頭をみると全然そんな雰囲気じゃない? プロモーション展開の仕方で推測したのと違うなぁ。或いは、2年前に較べて更に配信の比率が高くなったのかなぁ。ひとまず、新曲・新譜はストリーミングに乗っていないので、ダウンロードが下がるという所までは行かないと思っているんだが…。

うーん、邦楽の売上枚数に最近関心を払ってなかった(ってずっとな気がしますが)からなのか、感覚がズレてるな。今回出る数字をみて感覚を修正しなくっちゃだわ。

勿論、毎度言っている通り売上枚数なんて付け合わせに出てくるパクチーみたいなもんで、別に嫌いではないし無いと寂しいんだけどやっぱりメインディッシュがねーってコラボメニューはそのパクチーが主役に躍り出てるんだったな。今日は間に合わなくて食べれなかったのでまた次の機会に味わいたいものだ。

さて、まだアルバムを聴いていない私は中途半端な存在だ。誰からも必要とされていない時間帯である。凪、だな。好き勝手な事を書こう。

ヒカルは時代をわからないと言っていたがサウンドはそんな事無い。幾度か指摘してきたように、そのまま英米のチャートに載せても違和感のない曲、編曲、曲調も散見される。それはそういうスタッフを雇っているから、と言ってしまえばそれまでなんだが、時代がわからないというのは例えば中世のルネサンス音楽ばっかり追究していてついつい「今21世紀なんですけど?」とツッコミたくなるような人たちの事を指すんじゃないのという私(勿論そういう人たち大好きです頑張れ!)からしてみたらモダンもモダン、最先端ではないけれど十二分に“今”の音を鳴らしている。インターナショナルな意味で。

日本の商業邦楽は独自の進化を遂げてガラパゴス化しているか、海外の流行を一周半遅れて取り入れてコピーし損なってるかというのがぼんやりとしたイメージなんだが、つまり国際標準とか最先端とかのニーズが少ない市場なのだった。そんな中でヒカルがイギリスの旬のミュージシャンたちと作り上げた『Fantome』から『初恋』までの楽曲は、邦楽のトップにありながら非常に異質、もっと言えば異様で場違いにすらみえる。聞こえる。

しかしその場違いさをヒカルの日本語が打ち消す。ここまでややこしく考えられた日本語歌詞があっただろうか。ギミック満載の桑田佳祐の歌詞も凄いけれども、真っ正面から日本語の美意識と向き合うその作風は、他の追随を許さない…というか、ヒカルがその位置に居るから他の日本語作詞家の位置どりが決まって落ち着くというか。椎名林檎や桜井和寿は『初恋』を聴いてまた安心するだろう。宇多田ヒカルが居てくれてよかった、と。

このイギリス風のサウンドと極められた日本語の取り合わせはいつまで、どこまで続くかはわからない。また次に全英語歌詞の楽曲やアルバムを制作した時に、その位置付けは決まるだろうかな。ただ、ヒカルがどこまで何を「言語」に対して思っているか、それは不明、というか不明瞭だ。

というのも、今きっとじっとずっと息子の言語習得過程を観察しているだろうからだ。そこからの影響は高い確率で作詞に反映される。言葉の成り立ち、来し方行く末を見極めていく中で新たな発見がどれ位あるか。全く予想もつかない。「無意識の時代」に対する観察は見事だった。それ以上の洞察を今後期待するとしよう。

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カウントダウンは毎日の事なので押しつけがましくなると「またか」と思われがち。出来る限りサラッと流してしまうように書いてるのだが、今日でひとつ項目が減る。その事に妙な寂しさを覚えたりもするんだが、それを埋めて余りあるのがニューアルバムな訳で、気持ちとしては明日から「今日で僕らの人生に『初恋』が加わって2日目です」と書きたいくらい。でもそれをするとキリがないのでやんないけどね。

一枚のアルバムでも、内容によっては、特に若い頃は人生観を変える程の威力をもつ。一方で、年寄りだと良くも悪くも何も変わらない。本当にシンプルに、新しく知る歌が12曲加わるだけである。既に5曲フルで、2曲断片的に知ってるから実質5〜7曲だけれども。

だけどそれでいい、それがいいと思えるのもまた人生だ。『生きてりゃ得るもんばっかりだ』とはよく言ったもので、たとえ忘れ去ったとしても人生の中で新しい歌に出会った事実は変わらない。忘却を喪失と捉えるかは人それぞれだし、誰も知らない事実に価値を見いだす事は、少なくとも人間には出来ないので問う事時代罪なのだが、難しい話は抜きにして、生きていれば新しく出会う。それだけだ。

なので今日。大事なのは生きて1日を終える事だ。たとえ忙しくてアルバムを受け取ったり買いに行ったりする暇がなかったとしても、今日1日無事生き終えれれば必ず明日はやってくる。『生きてりゃ得るもんばっかり』なのは、生きていて初めて意味を持つ。死んだら得れるかはわからないし、本当に失っているかもしれない。生きている者は死んでいる者になりかわって、得るべくを得る。重くなりすぎないように。持ちきれない。

別に今日に限った事ではないのだけれど、大体今日の我々は浮かれていて注意力が低下している。財布を落としたり事故に遭ったりしないよう、いつも以上に注意を払おう。Pay Attentionですね。

1日を終えるまでの様々な手順を忘れないように。間違えないように。祭り気分に水をさすようだが、アルバムを聴いたら脳内祭り状態になれるのだからそれまでは努めて冷静に。勿論、自分にも言い聞かせてるよ(笑)。

深呼吸して。いいだろう。地球上の殆どの人たちにとって今日はいつも通りの何でもない1日だ。何十億と居る人間のうちほんの数十万、ほんの数万の人間が落ち着かない心持ちで1日を過ごす。早い人は今日開店と共に…嗚呼、もう聴いてる人も居るのかな。かもしれないが、兎に角皆、自分の1日を忘れずにいつも通り過ごす中で、ほんの数曲を人生に加える事にしよう。それがどれだけの潤いを死ぬまでの間の人生に与えてくれるか、まだわからない。それを知る為にも、1日々々を、いつも通りに、滞りなく。

で今日の正午からライブ抽選受付開始だっけか。やれやれだw

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まぁ浮ついてるよね。

明日明後日新譜発売で各企画(カクキカク…カ行に強い彼女になったよねぇ…)も明日からとなればそれは浮き足立つ。全然関係ないけどサッカーのワールドカップの日本代表が昨夜未明セネガルと2ー2で引き分けて(乾と本田△のゴール)1勝1分けにした。前のコロンビア戦からして視聴率50%て国民の半分見てますやん。そら国全体が浮かれるわな。

SONGSの視聴率なんて5%も行ったらよい方だってのに…ってそれでも何百万人の人が観るのだから観た人のうち百人に一人が買ったら何万という売上増が見込める訳でな…

…という風にあらぬ皮算用まで始めてしまうので、一旦落ち着こうかと思う。ふー。

どうせアルバムの中身を聴いたら興奮するのだから事前にテンションを上げる必要はない。寧ろ下げとく位でちょうどよかろう。大体、アルバムの前半だけでノックアウトされるのはほぼ確定しているのだから。先行シングルとして出しといて貰って本当によかった。こんなん全部が初出で浴びたら命の危険やわ。

ほんに、生きてる間あと何回宇多田ヒカルのニューアルバムをリアルタイムで聴けるやら。インターネットと計算機のお陰で「過去の音楽」はバンバンアーカイブスされて誰でも聴けるようになっていく。それだけに、その時代に生まれたその時代の音楽をその時代に浴びれるのは意義深い。そして当人にこう言われるのだ。『時代と関係ないところで生きてきたのでわかりません』と。ぎゃふん。

新しい歌に新しく出会うのはその人の物語だ。歌が出来た日に聴くのも歌が出来た日から百年経った日に聴くのも、その人にとって初めての体験ならそれは新しい。他人が決める事じゃない。

が、リアルタイムの最大の効能は、大体に於いてそれが初めてである人が最も多くほぼ同時に生まれる点である。実況のよさというか、新しい歌に対して新しい感情を新しく共有できる機会がその一瞬、歴史上最大となるのだ。

勿論後世に発掘されブレイクする人も居るので必ずではないが、ヒカルの場合現時点で大きく有名なので、人類の歴史の中で最も『初恋』が注目されるのは明日明後日、そしてまぁ「NHK SONGS」のオンエア直後とかかな、これから一週間であろう事はあんまり疑いがない。

今がどんな時代かなんてわからない。しかし、今が、少なくとも私たちの多くにとって“『初恋』の時代”である事はほぼ違いないんじゃないか。

多少のズレはあるだろう。平日は忙しいからゆっくり聴けるのは週末になる、とか大切過ぎてなかなか封を切れない、とか。その気持ちも痛いほどよくわかるが、「『初恋』に初めて巡り会った時の気持ち」を最大多数の人たちと共有したり、突き合わせたりできるのは今なのだ。このタイミングがいちばんエネルギーに満ちている。Webを巡回するのでもいいし、CDショップを回ってみるのもいい。誰か友達や家族と語り合ってもいいだろう。まぁ何も出来ないなぁという人は、仕方がないからこの日記でも読みに来てくれれば。幾ら時代と関係のない所で生きていようと、我々が宇多田ヒカルを見つめ続けている限り“『初恋』の時代”からは逃れられない。

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さて『初恋』発売週。明日の正午にはライブの受付も始まる。しっちゃかめっちゃかになる事請け合いである。

そのライブ、未だにタイトルが発表になっていない。その理由については前に考えてはみたが、いずれにせよ明日発表になる可能性がある。もし発表がなかったら「宇多田ヒカルツアー2018(タイトル未定)」で受け付ける事になり、なんかちょっと格好がつかない。勿論、日時と場所の指定さえされていればそれで事足りるので、言う程気にする事でもないのだが。

発売日或いは店頭陳列日に新規発表があると益々混乱しそうだが、発売週ブーストの為には必要な事だし、ここから一週間は"祭り"状態にして『初恋』を手にとって貰いやすくする必要がある。特に、土曜日のテレビ出演で日曜日に買って貰うパターンは魅力的だろう。今回のフィジカルがどれ位売れるかはわからないが、一週目で40万枚位が目標だろうか。若干高望みしている気がしなくもないが、結局今のままだとツアーチケット抽選権の価値が宙ぶらりんのままなので、明日以降の発表次第という側面もある。できれば、普通に曲を気に入って買って貰いたい所だが、まず買って貰って聴いて気に入って貰うのも悪くない。そういう順番で好きになってくれたっていい。要は最終的にヒカルの歌が愛されるようになればいいのだ。

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コラボカフェのパクチー尽くしは結構思い切った。何って、コイツはクセが強くて好き嫌いがハッキリしてるからだ。

宇多田ヒカルといえばかつては自ら八方美人かもという程全方位から好かれた人間だった。『First Love』のビッグ・セールスは同世代だけでなくずっと上の世代にまで受け入れられたのが決め手だったと考えられている。40代以上というのは昔から、いや、昔は、かな、滅多に新作を買わないくせに一度び話題の振れ幅が閾値を超えると群がるように皆一斉に同じタイトルを買う傾向があった。幾つかの"突発的なロングミリオンセラー"は、そうやって生まれたのだろうと推測され、宇多田ヒカルにおいては、30代までの若い音楽ファンに新時代の旗手として持て囃され、一方で同時に40代以上のロングミリオンセラーとしても指名されるという、通常なら有り得ない複合効果で史上最高を名乗るまでになったのだ。

そんなヒカルなだけに、嫌われるようなクセの強いエピソードは少ない。いや、あるのかもしれないが、2回の離婚でも大してイメージダウンになっていないのだからどれだけ好かれているかは推して知るべし。


話が脱線した。そんな毎度書いてる話はいいんだよ。パクチーが好き嫌い激しいって話。

そうやって"老若男女から普く支持されている"ヒカルがまぁ偏った食材で攻めてきたもんである。我々はついつい、「だって前々から『パクチーの歌』を楽しみにしてたんだもんねぇ」と考えてしまうが、いやそもそもなんでパクチーの歌を歌ったんだよと。いやまぁもう今は『パクチーの唄』という表記ですがね。

多分、パクチーが好きなのだろう。だとしたら身も蓋もないが。嫌いなのに歌ってコラボメニューまで監修したとすると鬼である。いや鬼は鬼でも天の邪鬼かな。

お陰で、スペクトルの広いヒカルファンから次々と悲鳴が上がっている。パクチーを好きではない、嫌いな人たちからだ。コラボカフェは絶対行きたい。メニューだって見てみたい。でもパクチーを口にするのはイヤだ…! そう感じている人は日本に何千人居るだろうね。

こういう事は、これからも起こるであろうと推測される。ヒカルが特に大衆に媚びる気もなく面白いからといった理由で余り人気のないものをどんどん取り上げていく事が。もう昔のヒカルじゃないもんね。忌避される事を忌避しない。

こうなった時に戸惑うのは熱心な人たちだ。私はヒカルが大好きだ。企画とか全力で乗っかるもんね。それだけの為にM-onだって契約してるさ…でもパクチーは苦手!どうすりゃいいの!?ってな。

処方箋はシンプルである。普段から好き嫌いを減らしておけばいいのだ。これは、食べ物に限らない。例えば自分が嫌いなミュージシャンが居たとして、次のアルバムでヒカルと仲良くデュエットしてたらどうすんだ!? 「新曲発表!? やった! どんなの?? …(詳細を目にする)…お、おう………。」ってなるよきっと。特に皆が自分がそのミュージシャンの事が嫌いだって知ってたら、気まずいぞぉ。考えただけで身震いする。

ハッキリ言ってヒカルの音楽の趣味は広すぎて一般人にはとてもついていけたものじゃない。しかし、自分の嫌いなジャンルについて、あまり積極的に発言しない事は出来るだろう。ずっと黙ってたら心身の健康に悪いのでどこかにガス抜きは必要だろうが、ふと手を止めて「ひょっとしたらこれ、ヒカルが好きかもしれない」と考えるクセをつけておく事はできる。そこで一つ立ち止まれれば、少なくとも気まずい空気は回避できるようになるだろう。

私?食べ物の好き嫌いならヒカルより遥かに少ないし(分け隔てなくほぼ何でも食う)、音楽の趣味の広さは流石にかなわないが、「苦手なジャンル」というのは多分ヒカルより少ない。なので、ヒカルが誰とコラボしても恐らく受け入れるのに抵抗はないだろう。まぁ、抗争に明け暮れているラッパーの皆さんとはあんまりかかわり合いになって欲しくない、というのは本音だがそれは音楽の話じゃないからね。ヒカルはNotorious B.I.G.を高く評価してたから、そういうのにも抵抗ないんだなぁと。まぁ自分も言われてみれば殺人者のブラックメタルを素晴らしいとか言ってたりするから同類なのか…。

とこのような考え方をしていくので世の中から嫌いなものはどんどん減っていくのが年寄りなのだ。若い皆さんは気まずい思いを沢山経験して、自分の好き嫌いとの付き合い方を考えていって下さい。あとはどれだけヒカルに拘るかだけよ?

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コラボ企画ひとつひとつの内容には何の不満もないが、全体として攻められてくると「…で、アルバムの中身は?」という所が置き去りになる印象を抱いてしまう。まぁそんなのこちらの心の持ちようひとつなのだが。

折角だからまた歌詞を呟けるようにしといてくれると有り難いんだが、或いは、兎に角聴いて貰えさえすれば気に入って貰える自信があるから今はひとまず「手に取って!」とだけアピールできれば正解なのかもね。

やっぱりいちばん沢山の人の目に触れるのは地上波テレビなのだろうから、見た目で訴求するコンテンツが必要だ。こちらは歌と音楽という耳に訴求するコンテンツをメインにしているのだからそれを直接となるとなかなか難しい。結局、本人が出演して話して歌うのが、当たり前だが、いちばんのプロモーションとなる。

今回のコラボ企画はどれもがパッと見のテレビ映りが映えるものばかり。コラボカフェは店内の装飾や奇異なメニューなどのビジュアルが強いし、ARくまちゃんは言うまでもないだろう。タワレコポスターも「あの黄色いヤツ」と言えば伝わる(?)のだし、内容勝負のうたマガだって表紙をバーンと映せばいい。宇多田書店も本屋の一角を占めているカットが目に入れば「気合い入ってるなー」と感心できる。どれもテレビで直接取り上げ易い。

…という書き方でわかるとおり、フリーペーパーと宇多田書店に関しては、内容重視の、本来のコンテンツである音楽により近い企画となっている訳だ。特にうたマガはここにオフィシャルインタビューを持ってくるという暴挙に出た。ここは梶さんが来ていないだろうから思い切って言ってしまうと、「スマホで何でもタダで読める時代に有料紙媒体である雑誌にインタビューを載せても訴求力が弱い。同じタダのうたマガなら、CDを買いにきたついでに高確率で手にとって貰える。何しろ、読んで貰わないと始まらない」といったところか。

「CDを買いにきたついで」というのは、『初恋』を買いに来た人は勿論、ヒカル以外のCDを買いに来た人にも狙いをつけている。雑誌だって立ち読みすりゃいいんだがなんだかんだで肩身が狭い。フリーペーパーなら手に取った瞬間自分のものだ。遠慮なく立ち読みできる。それを読んで『初恋』を買ってみようかなと思う人だって出てくるだろう。発売日にも縛られずにピンポイントで投入できるし、ありていにいえばろきのんよりやくにたつとはんだんしたのではないかな(なぜかひらがな

敢えて書き方を過激にしてみたが、テレビで表紙を宣伝しておけば店頭で手にとって貰える確率は格段に上がる。パクチーノの「む」のインパクトと共に目印となるうたマガの表紙も宣伝してくれると有難い。普段テレビ観てないのにこんな事言っててすみません。お互い様ではありますが。

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そしてタワレコのもう一文の方である。



―その中で、音楽はどのような役割を担っていると思いますか?

音楽に責任はありません。


そもそも前の質問でその「その中で」に対して「わかりません」と答えているのだからこちらの問答も成立しないんじゃあ…と思う間もなく一刀両断。やはり清々しい。何でもかんでも音楽のせいにするな。音楽は音楽だ。そこに何か役割を見いだせるのは見いだそうとするからだろう。それを止めてしまえば、音楽だけがただ残る。何かそこに果たす役割があるとしたら、それは貴方が託したのだから貴方が責任を取りなさい。音楽のせいにしないで。―とまぁこんなところだろうか、読んだ人の解釈は。

私が受けた印象はちと違っていてな。どうも、音楽を我が子のように見ているんじゃないかという気がしたのだ。「どの曲も我が子のようなもので、順位なんてつけられないよ」というセリフはアルバムをリリースした時に「どれがいちばんですか?」と訊かれて戸惑いながら逃げを打つ時の為のものだが、その用途は別にしてもそれが本音であると思う。どんな曲も作った人からしたら苦労して産み落としたものなのだから愛着が沸く。腹を痛めたまで言うと言い過ぎだが、身を切って心を歌に込める人は多かろう。そりゃ、まるで自分が生んだこどものように思えても不思議はないと思う。

その視座に立ってもう一度『音楽に責任はありません。』という一文を噛み締め直してみると、どこか悪さをした我が子をかばうような言い方だと感じられませぬか。「いえいえ、この子は悪くないんです、何かあったのだとしたらそれは親である私の責任です」と毅然と告げる母親のような、そんな風な。それが『音楽に責任はありません。』のニュアンスだとしたら。

確かに、時代の中で音楽が何か役割を果たす事があるかもしれない。が、結局はその責任は"生みの親たる人間"の方にしか無い訳で、音楽をどうするもこうするも、奏でるも黙るも総て人の自由。音楽は選べない。だから、自由をもつ人の方が責任をもつべきだ。そういう事ではないだろうか。

ヒカルもリアル我が子を生んで育てて間もなく3年。こどもに対する気持ちと自らの生み出した楽曲に対する気持ちの、同じところと違うところ。似たところとそうでもないところ。そういった比較もより容易になり、余計に素直に自分の気持ちを出せるようになっているのではないか。その中で、「やっぱり自分の生み出した音楽って自分のこどもみたいなのよね」と改めて言えるのであれば―タワレコのポスターのかっこよさが益々増すように思えませんですかね。まぁ私の勝手な解釈に過ぎないのですが。

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いや〜すまんすまん、昨日の午前中のうちにタワレコポスター画像出回ってたのね。コラボメニューにゲラゲラ笑ってて見落としてたわ。やれやれだ。

で。意見広告というから何を言ったのかと思ったら。






―今はどのような時代であると思いますか?

時代と関係ないところで生きてきたのでわかりません。

―その中で、音楽はどのような役割を担っていると思いますか?

音楽に責任はありません。


にべもない(笑)。意見広告という企画自体にダメだししたこの返答。質問者は何か勇ましい回答を期待したのだろうが両方とも「そんなん関係あらへん」と切って捨てた。いや、切り捨てたというよりそもそも相手にしていない、かな。

タワーレコードの担当者には拍手を送りたい。こんなん普通ボツですやん。自社ディスりに近いポスターを何百何千と印刷して全国各地に掲出しようだなんてこちらもぶっ飛んでいる。

…お前らグルだな(笑)。

とはいえ、書いてある事はそれはそれで面白いが、反論は幾らでも可能だ。お前昔一時代築いたやんけ、とか大衆音楽に携わる以上時流と無縁ではいられない、とか。でも多分そういう事じゃない。「今という時代は」と切り出して語り始めるような態度で音楽を作ってはない、とそういう事だ。大衆音楽を作るヒカルがみているのは、時代の空気というよりリスナー一人々々だろう。具体的にこの人だとかこんな人だとか、そういうのを想定して曲を作ってるなら「今の時代って?」と訊かれても「…さぁ、ね?」としか答えられない。そういう事だろうかな。

過去にはこのタワレコの意見広告で時代について大上段から語ったものもあったかもしれない。が、そういう人たちからヒカルが反感を買う事はないだろう。音楽家は須く宇多田ヒカルを尊敬するものであり、ヒカルが図抜けて特別だと知っているから「宇多田ならそれが言える」と納得してしまえる。何しろ時代を意識せずとも自分で一時代を作り上げれてしまうのだからそもそもの視座が違う。何より、作り出す歌が漏れなく尊敬を集めている。何の心配も、要らない。(ここで手刀を斜めにスパッと、だな…)

そんななのでこの質疑応答はヒカルの立ち位置の表面としてはうまくいってるのではなかろうか。少なくとも炎上はしないだろう。

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『初恋』発売まであと一週間。企画告知がドバッと出ました。

で。いつも言ってるように、情報を一気に出されても混乱してしまって把握しきれない。こういう時は数えるに限る。番号をふってしまおう。

1.うたマガ復刊!
2.コラボカフェ!
3.ARくまちゃん!
4.タワレコ広告!
5.宇多田書店!!

これでだいぶわかりやすくなったんじゃないか。今回の告知はこの5つだ。それぞれの目玉は

1.16年ぶり復活ムズムズ通信!
2.ヒカル監『「パクチーノ』!
3.スマホでくまちゃん七変化!
4.ヒカルが黄色いのに初登場!
5.HMV9店舗で再び宇多田書店!


みたいな感じだろうか。なんか4の掴みが弱い感じがするがこれは企画が「内容次第」という性質をもつからだろう。メッセージ次第では今回いちばんの目玉になりえる。

しかしやっぱり最初に目を引いたのは『パクチーノ』だわ。あまりの語感の自然さに一瞬戸惑ったよ。「あ、パクチーとカプチーノのフュージョンか!」と気付くのに若干遅れてしまった。ポタラかもしれないがそれは兎も角、普段あんまりカプチーノと発音しない私はきっと今後カプチーノを間違ってパクチーノと言うに決まっている。これは確定的な予言だ。いやもう今後は全部パクチーノでいいよ。いっそ清々しい。

しかし、この駄洒落を一切思いつかなかったのは本当に悔いが残る。何の為に5000回も日記を書いてきたかわからなくなるわ。こういうのを先取り先回りする為じゃろがい。落ち込むわ。

しかし仮にこの駄洒落を思いついていたとしても、コラボカフェのメニューに組み込もうなんて夢にも思わなかったろう。そう考えるとヒカルは二段構えの「とんでもなさ」だといえる。着想自体と、その実現能力の。

他のコラボメニューも軒並みパクチー尽くし。最早“パクチー責め”と呼んで差し支えない暴虐ぶりだ。ヒカルファンでパクチーダメな人は臍を噛む思いだろう。SACKYは悔しがってるのか安堵してるのかどっちなのかなとか考えてしまいました。

一方私は香草全般オールOK人間。パセリは生でも美味しいねと言ったら結構ドン引きされるものだが構うものか。できればカレーもクレープもパンケーキもパウンドケーキも大福も総て食べてみたいがうまくいくかなー。パクチーフルコースで行きたいものです。

でも地味にしっかりと『カプくーま』があるのが嬉しい。あれは本当に可愛い。ついついあのまま底に沈めて”I'll be back !!“とかってキャプションをつけてしまうのも御愛嬌。また飲めるとはなんとも幸いにござる。

あぁ、五つある企画のうちカフェネタにしか触れられなかったではないか。(汗)

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