無意識日記
宇多田光 word:i_
 

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『あなた』もまた判を押すかの如く国内チャートでは悉く1位を獲得、引き続きヒカルへの関心と楽曲への評価が高い事を示した。今や「Jpopの最後の良心」みたいに思われてるとこあるので、ファンも安全安心の新曲購入だろう。

しかし、ちょっと勿体無いかなと思わされるのが、国際展開だ。『Fantome』が3位だか6位だかで、『Ray Of Hope EP』が2位をゲットした割にそちらのプロモーションは手薄というか皆無というか。各種動画も国内視聴に制限されていたり。海外に部署なり担当者なりが居ないなら仕方がないというか当たり前の事態に過ぎないが、なんだろう、2017年に至る今国内重視というのは寧ろ珍しいとすらいえるかも。

Dir en greyとBABY METALを筆頭にロック勢は積極的に海外に進出している。余波をかってか何なのか、海外進出の元祖たるLOUDNESSも近年は欧州フェスティバルの出演を増やしている。One Ok Rockのように、いやまぁもう若手ではないけれどというバンド達がひとつまたひとつと後続として国内という枠を外している。そんな中一度はアイランドレーベルという老舗のドメジャーと契約したアーティストがこうなっているのは、悔しくも残念でもないけれど(私は日本語が聞き取れるのでな)、なんかこう不可思議に感じる。

更に本人は普段ロンドンに住んでいる。言葉の使い方は間違っているが我々はイギリスから日本大衆音楽を逆輸入しているのだ。SONYに移籍したばかりでまず国内で結果を出さないといけない、という内情もわかるが、もしかしてSONYとは国内契約のみで国際展開が最初っから視野に入っていないなんてこたないだろうな?

SONYといえば今やユニバーサルとワーナーと並ぶ「音楽業界3大メジャー」のうちのひとつである。EMIの吸収のお陰で随分バランスは崩れてしまったが、それでも世界に販売網をもつ地球規模のレコード会社である事は間違いない。ヒカルは7年前一旦はEMIと世界契約を結んだアーティストだ。現状はどうにも窮屈に思える。

まぁ焦る事ではない。私としては出てくる新曲が日本語だろうが英語だろうが大して違いはなく、ワールドツアーも日本公演をやってくれればそれでいい。やってくれなければこっちからいくし。まずは来年のアルバムとツアーが国内で成功する事を祈っておくとしよう。

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『あなた』のアレンジでいちばん秀逸だな、と思ったのはやはりエンディングだ。壮大かつやや悲壮なストリングスと華やかなブラスセクションに左右から挟まれて『あなたいがいかえるばしょは天上天下どこにもない』と力強くヒカルが歌う。この曲でいちばん言いたかったことをラストに持ってきたかなと思わせながら、『どこにもなぁぁい』『どこにもなぁぁぁい』と繰り返す。しかしその最後の最後、一頻りアドリブでスキャットをかました後、憂いを追伸として置くように弾かれるジャズピアノをバックにリズムの符割りを変えて呟くように『…どこにもなぃ…』と歌う。この引き際のお洒落感が生む余韻は絶品で、この一瞬のせいで映画「DESTINY 鎌倉ものがたり」の後味の旨味が一段上がるのだ。エンディングのスタッフロールの時の映画館の空気を読み切った見事なアレンジである。

ここで注目したいのは、歌詞の解釈である。『どこにもない』には当然『あなた以外』がかかっている。これがあるとないとでは大違い。なければかえる場所が本当にない事になってしまう。『あなた以外』のお陰で「私にはあなたというかえる場所がある」とポジティブなメッセージを伝えられるのだ。られるのだ…

…ここに"隙(すき)"があるように思えてならない。最初に繰り返す『どこにもなぁい』のパートでは我々聴き手の頭にしっかり『あなた以外』の一言が刻まれているからメッセージをポジティブに受け取れる。しかし、そこからある程度の時間をとってアドリブを入れた挙げ句のピアノを従えた『…どこにもなぃ…』の呟きに辿り着く頃には、我々の頭の中で『あなた以外』の残像が霞み始めていて、半分くらい『あなた以外』がないような感触で『どこにもない』の一言を受け取る。サウンドの余韻とも相俟ってまるで「私にはかえる場所がどこにもない」と悲しい事を言われたのかもしれない、という感覚がそこに残る。ここの匙加減こそまさに絶妙。ニュアンスとしては、「私にはあなたというかえる場所がある」という肯定的なフィーリングから「もしあなたが居なくなったら私にはかえる場所がなくなってしまう」という否定的なフィーリングに移るか移らないかの落としどころ。いやはや、もう一度言うしかない。まさに絶妙。

この、歌詞のマジックともレトリックともいえる仕掛けに対してのサウンドプロダクションな。ストリングスの悲壮とブラスの華麗がピアノのしっとり感に収束していく様子と歌詞のニュアンスの変遷が軌を一にしている。果たして英語圏の演奏陣はこの総力戦的エンディングの意図をどこまで汲み取れているかはわからないが、三度び「見事・絶妙」と言うしかないわ。

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そうか、『Passion』の発売から今日で12年か。干支一回りした訳だ。

ヒカルが本格的にiTunes Storeでの配信販売を始めたのが2005年だった。それ以前から使えはしたが、『Be My Last』が年間2位になるなど目立った攻勢はそこらへんからだ。干支が一回りして今度はダウンロードからストリーミングへ。サブスクさんの登場である。

で。昨日の話には続きがあって。まずAppleがダウンロード終了を否定したと。こういうのは毎度判断に困るから難しい。わざとリークさせて皆の反応を伺い「…やっぱ、ナシかな。」と判断して徐に否定する、なんて事やってるかもわからないし。ま、最初の記事もただの推測だしこちらは経緯を見守るとして。

YouTubeが有料音楽配信を始めるらしい。こちらも2005年からだったっけ。干支一回りしていよいよ黒船感のある事業に乗り出してきた、のかな。

もともと、「ある日突然YouTubeが有料化されたら」という妄想は常につきまとっていた。皆の生活に浸透しきってから(妥当なお値段で)有料化されたらいちもにもなく加入するしかなくなるのではないか、と。勿論「無料だから」という理由のみで使っていた人は他の無料サービスに行くだろうが、YouTubeの規模…再生回数「億超え」がひとつの基準になるというワンピースの懸賞金みたいな桁の世界の話、ユーザーの1%でも残ってくれたらそれだけでも一大勢力となるわな。

サブスク参加を表明したばかりのヒカルもまたYouTubeの音楽配信に参画する事になるだろう。しかしどうせなら、有料サービスを利用して今置いてあるミュージック・ビデオの高画質化&高音質化を実現して欲しい。音源はどうせ買う、しかしUH5が出ないのであればせめて配信でハイクォリティーなビデオをを楽しませてはくれまいか。今のビデオ配信販売でも画質&音質ともに満足のいくものでもない(といってもそれは比較の話でしかないのだが)のでここで見られるようになったら大きなアドバンテージである。登録や支払の手間以上のメリットがあれば皆利用すると思うが如何か。

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先日、Appleがダウンロード販売を終了してストリーミングに特化する、というニュースが流れた。レストランがビュッフェのみを出してアラカルトはお断りだなんて英断を通り過ぎて無謀な気がするが、不評も厭わずiphoneからイヤフォンジャックを消したAppleなら無謀にみえて深謀があるのかもわからない。

この度、ヒカルも各種サブスクリプションサービスへの参入を表明した。Spotifyのみ来年かららしいが、まぁそりゃやってみるかな、という感じ。時期をみていた、というのも本音だろう。まだ一度もサブスク関連を使ってみた事がない私が勝手な予想をしてみると、ヒカルはサブスクで「やたら強い」ミュージシャンになる気がしている。

「取り敢えず宇多田」というのは手軽に音楽を聴こうとする層の合い言葉のようなものだ。新古書店でのSCv1の驚異的な売上もそうだし、『Fantome』は今でもレンタルチャートの上位だ。ヒカルにはマニアが少ない代わりに薄く広いファンが居る。しかも、ルックスや話題性などの傍流的な興味関心ではなく、シンプルに「歌を聴いて楽しもう」という層が厚い。薄く広いのに厚いとは是如何にという感じだが、それもまた宇多田ヒカルの摩訶不思議のひとつといったところか。

何しろ、ヒカルの歌は耳に入れば感動できる。他の理由で音を鳴らすミュージシャンたちと、音楽の力そのもので勝負したら敵う筈もない。定額制サービスは、いよいよ"宇多田の覇権"を強固にするだろう。


ただ、私個人はサブスク何の必要もないというか。特に宇多田関連だと全く不要というか。CDだろうが配信だろうが「購入一択」なので、定額聴き放題だから何だもうこちらは"所有"しているぞというしかない。

たとえAppleがダウンロード販売を取り止めても他のダウンロード販売サイトで購入するだけだからね。普通に考えて、音楽へのアクセスでAppleを使う機会が激減する。moraやらレコチョクやら、ダウンロード購入できるサイトは幾つもある。Goodbye Apple、てなもんだ。

問題は、Appleのやり方が"世間の主流"になった場合だ。つまり、ダウンロード販売をどこもやらなくなった場合、ヒカルのシングル曲を聴く方法がサブスク以外なくなってしまう。それは非常に困るわね。普段は音楽はCDで買うんだけど宇多田は配信しかないから仕方なくダウンロードで買ってる、という人に有料定額払わせるのはハードルが高いぞ。多分、流石にそんな事ないとは思うが日本は昔から外圧に弱いからな…。


大体、各種サブスクの説明を読んでも肝心の「ローカル保存」の細かい仕様がわからない。Appleのm4pファイルのようにデバイスやアプリが限定される形式なのかとか、気になる事は山ほどあるのにどこもストリーミングだのプレイリストだのというオンラインの話ばかり。パーソナルカスタマイズドになったからってそれは結局ラジオでしかない。ポッドキャストやインターネットラジオに親しんできた身からすれば正直"退化"ですらある。まぁそっちは使っていくうちに変化するだろうからいいとして、オフラインで"財産"が築けないのであればサブスクほんと要らない。


っと、後半ただの愚痴になってしまったが、我々宇多田ヒカルのファンは「暫くサブスクは無視しといてよし」というのが結論だ。もし梶さんが「新曲サブスク先行公開」とか言い出したらイヤだなぁと思うがやらんだろう流石に。ダウンロード購入ですら「本当はジャケットと歌詞カードがついて音質もいいCDシングルで手に入れたいんだけどな」と"妥協して"利用しているに過ぎないのがコアなファンなのだからこれ以上あっち行っちゃうとマズいんじゃないかな。

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『宇多田ヒカルの言葉』に寄せられた寄稿文八編はいずれも個性に溢れた興味深いものだが、どうにもこのままでは言及が足りないと痛感しているので一言だけ付け加えておこう。それは『Utadaの分』である。

Utada名義で発売された2枚のオリジナルアルバムは極一部を除き歌詞は英語である。よって今回の(縦書きの)『宇多田ヒカルの言葉』には直接関係ない。それはそうだ。

しかし、『宇多田ヒカルの作詞の何たるか』を語る上で、特に、日本語詞の特性を語る上でUtadaの英語詞は外せない。それは"引き算"として機能する。

宇多田にもUtadaにも共通する作詞の特徴が何かあるとする。例えば小道具としてPHSやBlackberryが登場するとか失恋と別れの歌があるとか。そういった特徴は詞が日本語か英語かに影響されない。一方で英語詞でしかみられない特徴、例えば『The Workout』や『Dirty Desire』などの直接的な歌詞などのような特徴は、それが英語ならではだったり、日本語ではできないといった理由から生まれていたりという可能性が出てくる。

そう、Utadaの歌詞を検討する事によってヒカルが日本語詞で何をしているかのみならず、「何をしていないか」まで考察の対象とする事が出来る。この差はかなり大きい。禁忌とまではいかなくても禁じ手や忌み手、避け手などを通して宇多田ヒカルの日本語詞の個性をより一方進んで見極める事が出来る。その観点からみれば『宇多田ヒカルの言葉』にとって「Utadaからの言葉」は殊更意味をもつ。八つの寄稿文にはその視点がなかった。ヒカルの歌詞に対して分析的になるのは「気分じゃない」のかもわからないが、だからこそ今ここで指摘するのは大事なのです。

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驚異的だな、と思ったのは、こちらの、『あなた』という楽曲自体に対する印象や評価が、映画を観る前と観た後で「何も変わっていない」事だ。

映画のエンディングで流れるのを聴いて、すっかりこの曲の事を気に入った、というのであれば、非常に優れたエピソードではあるが、それ自体は理解可能だ。ところが私は、相変わらず「ラジオから流れてくるポップソングとしては中途半端なサビだな〜」と思っているし感じている。事前に映画のエンディングにフィットするかどうかも確信が持てなかった。果たして実際に観たら、どうだ、もし私が何も情報を知らなければ、「出来上がった映画を観た上で書いた歌だ」と言うだろう。いや、そう言うしかないだろう。実際は、ヒカルが言う通り、大まかな内容とコミックス数巻で『あなた』を書いている。一体どうやったのか、全くわからない。

だから私は今、「映画に合わせたからこんなメロディーになったのだ」と解釈できる立場にいる。だがその解釈は、無意味というかしっくりこないというか、兎に角気が向かない。映画は大いに楽しませて貰った。エンディングテーマも魔法のようにフィットしている。しかしそれでも『あなた』は宇多田ヒカルブランドのシングル曲としては弱い、と思っている。

と言っても、サビが中途半端だな、というだけで他のパートはいずれも素晴らしい。フックの強さという意味ではサビよりAメロなんじゃないのと思っているほど。後半の展開や終局部での引き際など心憎い程だ。フルコーラス全体に対する評価にはいつもの絶賛が似合う部分も多々あるのだ。

ヒカルのシングルで近い気分になった曲があったのを思い出した。『Wait & See〜リスク〜』である。この時も、「ヒカルのシングル曲としては今一歩かな」という感想をもった。が、その時は理由が明白だったのだ。楽曲制作には「polish」とでも呼ぶべき最終工程がある。原石のようなメロディーを隅々まで磨き上げてダイヤモンドの輝きにまで高める工程だ。『〜リスク〜』にはその工程が欠けていた。

楽曲を作っている人間はしばしば「このアイデアならあそこまで届くはずだ」という確信をもってpolishに取り掛かる。「あそこ」というのは完全に感覚の話で、磨き上げた挙げ句の完成品に対して「よしできた。"手が届いた"ぞ」という感触が生まれる。『〜リスク〜』の時は、単純にヒカルに時間が無かったのだろう。確認はしていないが、私はそれでほぼ間違いないと思っている。


『あなた』に関してはそういう「時間が足りなかった」とか「途中で〆切が来ちゃった」とかの"制作上の都合"は透けてこない。ちゃんと出来ている、完成された楽曲だ。だからこそ映画のエンディングにピタッとハマった。どこまで意識的かは兎も角、ヒカルの意図した通りの曲が出来たという事だ。


今私が受け取っている摩訶不思議な感覚が伝わるかは不安だが、曲の評価も印象も変わらないままその機能(今回の場合は映画のエンディングテーマ曲としての、だ)を絶賛する羽目になっているのが、まるでヒカルに掌の上で転がされているかのようだ。天才のやる事には何とも翻弄される事よの。

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『宇多田ヒカルの言葉』が縦書きだった。

この手の書籍だとそりゃまぁ自然なのかもしれないが、欧文が読みにくい事この上ない。たまに差し挟まれるならまだしもヒカルの曲はその多くがタイトルからして欧文であり最初からその存在は大きい。勿論最終的にはヒカルがGoサインを出したのだろう。読書家は縦書きに欧文が混ざるのに慣れているのでOKしたのかな。見づらいってのに。

当初の「352ページだと一曲あたり見開き2ページでは半分以上余ってしまう」問題も杞憂だった。詩集のような大胆な余白の取り方で基本一曲あたり見開き4ページ。ふむ、これなら全部埋まるわな。これはこれで拡張高いしいいのだが、ページの半分以上が余白となると「700円くらい余白に金払ってんのか」とか野暮や事まで考えてしまう。余白に響く余韻まで含めての読書体験だというのに。やれやれだぜ。

総じて、シンプルな作りである。ヒカル本人によるまえがきと、著名人8名による寄稿。時期を3つにわけ黒駒で塗りつぶしたページで区切る。パッと本を見た時わかりやすい。いいアイデアだ。

しかしやはり肝は掲載順だろう。執筆時期の順番で並んでいる。故に書籍は『Never Let Go』で幕をあける。それだけで随分と新鮮だ。そこから辿っていくと、確かに、アルバムの中にとどまらない宇多田ヒカルの大きな流れのようなものが見えてきそうな気がしてくる。これは英断だった。

この本は、それだけの、ある意味素っ気ない作りの本だ。潔いという事も出来るが、ヒカルの詞の普遍的な価値を伝えるにはこれ位でちょうどいいのかもしれない。紙の上の詞はまるで違う手触りを放つ事もある。貴方も迷わず買ってみるといい。

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リアルタイムで観れなかったので書き逃してたが、今年のM1グランプリのネタを観た。いやぁ毎年面白いねこの番組。とろサーモンも和牛も勿論面白かったが、やっぱり私がいちばん笑ったのはジャルジャルの「ピンポンパンポンピン」のネタだ。完成度という意味ではM1史上最高峰じゃないの。水も漏らさぬとんでもない構成力だったわ。結果は6位だっが、彼らは漫才の枠にとどまらずに独自の創造性を発揮していってくれればいい。実際、つまらない人には徹底的につまらないらしいし。

彼らのネタは非常に"音楽的"である。主題を提示し応用して展開させる。コードを変えテンポを変えリズムを変えて様々な変奏で彩った後に前半からの主題を再提示して帰結していくカタルシスの作り方は全く協奏曲や交響曲のそれだ。今回は第4楽章のアレグロの爆発力か。いやはや、あれを実現する練習量も凄まじいし発想の独自性にそこから可能性を突き詰めて辿り着いた完成度の高さときたら。

彼らの今回のネタは普遍性という点でも図抜けている。実際、20年後30年後にこのネタを披露しても笑いがとれる。予め知っておくべき約束ごとが「ピンポーンは呼び鈴の音」程度の事しかないのだから老若男女問わず楽しめる。時代が変わってもそういった約束ごとのマイナーチェンジを施せば幾らでもエバーグリーンなネタだろう。落語でいえば「古典」を作ったといって差し支えない。あとは本当に時代を超えてこのネタを見せてくれるコンビが現れるかだが…めっちゃ練習いや訓練しないとひとつのミスで総てがグダグダになるタイプのネタなので、あれだな、パガニーニのカプリースみたいな感じか。名曲だけど、さて演奏できる人は現れますのんか、というような。


こういう他分野の作品に触れるのは刺激になるねぇ。動画はYouTubeなどに落ちているから気になる人は4分ちょい、見てみればいい。万が一笑えなくても感心は出来るから。

「DESTINY 鎌倉ものがたり」も同じく「とてもよく出来た作品」だ。こちらは古典となるような強靱さには欠けるものの、レンタルビデオやテレビ放送なんかで気軽に触れたらかなりの好打率で「結構よかった」と言って貰える作品である。「丁寧に作り込んであるなぁ」と感心するような小ネタがそこかしこに潜んでいる。あんまり煽ってこれから観る人の期待値を上げすぎると「何だ、大した事ないじゃん」と言われる事請け合いなので、肩の力を抜いて楽しんできて欲しい。

こういう作品にヒカルが主題歌を提供する、というのも不思議な感じである。「Casshern」やら「エヴァンゲリオン」やら、制作者が命懸けで作っているような真剣勝負の作品にはヒカルのシリアスなトーンがマッチしていたが、こういう、「DESTINY 鎌倉ものがたり」のような「所詮はお話なんだし」という態度が透けて見える作風は正直合わないと思っていた。実写かアニメかにかかわらず。

しかしまぁ『あなた』のはまり具合はどうだ。見事なものだ。更に不思議なのは、ヒカルは別にその「所詮はお話なんだし」というアティテュードに全然乗っかっていない所だ。息子への愛を正直に誠実に歌った歌がこの茶番映画にすんなり溶け合うというのはなかなかに得難い事態だ。ヒカルは一体どこまで"見通して"たのか。本当に不思議だわ。

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全体を覆う茶番臭、か。漫画的というか戯画的というか、演じる方に「これは作り話ですよ」という態度が透けて見えるから…だから入り込めない、という人と、だから安心して楽しめる、という人が居る。前者の人はなかなか「DESTINY 鎌倉ものがたり」を楽しめないだろう。私は後者なのでよかった。

この映画には現実とリンクするような逼迫したメッセージとかは薄い。せいぜい、夫婦愛や家族愛を賛美してますね、という程度か。内容としてはもっとシンプルに、軽妙なやりとりや人情話、更にはファンタジックなVFXの技術なんかを楽しむのがいいだろう。なので、茶番臭というのは、全体的にコントっぽいと言うかコメディと人情話の…あぁ、今は亡きリセットリミットの芸風に近いかな。平くんの脚本はもっと複雑だけど。それはさておき。

ヒカルはそういうの好みじゃない気がする。漫画やアニメだったらいいのかもしれない。それでも、徹底的なエンターテイメント娯楽作品よりはエヴァンゲリオンのような、クリエイターの生の叫び声が聴こえてくる生々しい作風の方が好みなんじゃないかと思ってしまう。

『宇多田ヒカルの言葉』のまえがきにもそのシリアスな態度が表れていたな。空気を読んだだけと言われてしまえばそれまでだが、装丁をはじめとしたこの本の佇まいに馴染む、冗談を差し挟まない真面目な文章だ。これは『点』の序文にも通じるものがある。漫画を読む時は違うのだろうが、文章のみだと徹底して硬派だな。自分の作風がよくわかっているというか、自分の支持者の傾向がよくわかっているというか。

そうそう。そういえば『宇多田ヒカルの言葉』の奥付に見逃せない一文があった。要約すると、ヒカルが一部歌詞を書き改めているそうな。恐らく、歌詞カードとして当時掲載されたものと実際に収録されたトラックに差異があるのだろう。早速出始めに『タイム・リミット』と『A.S.A.P.』をチェックしてみたが、書き足しはなかった。残念。まだそこしか見てないので、今後ゆっくり検証していこうかな。


…という具合に今週は「DESTINY 鎌倉ものがたり」と『あなた』と『宇多田ヒカルの言葉』の話があちこち絡み合いながら進んでいきそう。テーマ別に書き分けられるほど私器用じゃないので、その辺は勘弁してやってくださいな。

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ヒカルの『あなた』がエンディングテーマ曲として使われている漫画原作の映画「DESTINY 鎌倉ものがたり」を観てきた。いやはや、前評判も高くなかったし封切り日だというのに160席(初日からまぁ小さいスクリーンだこと)の半分も埋まらずガラガラで非常にゆったり観させてもらったが、これが実によく出来ている。残業続きで土曜出勤も重なりクタクタでつつけば今にも寝落ちしそうな私が一睡もせず二時間強の映画を観終えたのだから大したものだ。普段30分アニメですらすぐ途中で寝てしまうのにな。

放映前の宣伝はアイドル役者たちを中心とした実写映画のものばかりで、「鎌倉ものがたり」もそういう客層を当て込んだ作品なのかなと一瞬思ったが、中身を観てみたら完全なるミスマッチと判明した。舞台が鎌倉で実写なだけで、中身は完全にアニメ映画である。日本人の役者さんに抵抗のないアニメ映画ファン、とりわけディズニー&ピクサーやジブリといった「丁寧に作り込んだ作風」が好きな人はきっと気に入るだろう。

いや、歴史に残る傑作や名作という訳ではない。舞台に鎌倉を選んだという以外はオリジナリティの欠片もない、よくある内容でストーリーも別にどってことはないありふれたものだ。山崎貴監督の他の作品を知らないから勝手な事を言うが、「DESTINY 鎌倉ものがたり」を作った人は、全く世にも新しい事を発明・発見する能力はないが、既にあるよい作品を研究して自分の作品に応用する能力は非常に高い人なのではないだろうか。よって映画通からは特に高い評価は得られないだろうが、こちとらただ目の前の2時間を存分に楽しませてもらえればそれでOKな一般市民なので、この2時間がよく出来ていれば満足なのだ。よって満足である。

あとは役者さんを気に入るかどうかだわな、アニメ映画ファンからすれば。キャスティングのノリは完全に内輪な感じの、流石テレビ局制作だなと思わせる国際感覚皆無のソレなのだが、私としては「高畑充希が可愛かった」だけでもう頗る首肯反復だ。恐らく、原作漫画(私はまだ読んでいない)でのキャラ造形とは若干違う印象でありそれ故原作ファンからは難癖をつけられるかもしれないが、原作を知らない身からすれば目の前の高畑充希が魅力的であってそれで万事大丈夫である。いや〜、元々お芝居は上手な子だが、やっぱり前髪おろしてる方が似合うね。「とと姉ちゃん」よりよかったよ。彼女の顔は前面にくっきりはっきりしたパーツが冗談みたいに綺麗に並んでいるタイプなので、徹頭徹尾茶番臭しかしないこの映画にはピッタリの人選だ。

そして堺雅人。彼も随分と偏った人種を演じる時に威力を発揮するタイプなのだろうが、いやぁ笑った。間違いなく原作通りである。全く原作を読んでいなくてもわかる、キャラ造形にブレやズレを感じない。ある種作者の分身的存在なのだろうな。試写を観たヒカルの感想そのまんまである。これには高畑充希に不満の残る原作ファンも溜飲を下げるだろう。


そしてエンディングテーマの『あなた』である。もうこれがバッチリ。本編のディズニーのサウンドトラックみたいな音楽も相当よかったが、まさに真打ち登場という感じ。一番の歌詞が映画そのまんまで徐々にスタッフロールの中で『宇多田ヒカルの世界』を聴かせこんでいく手腕は圧巻の一言。ちょっと映画のエンディングテーマ作りっぷりがこなれすぎていて小癪に感じる位だ。楽曲自体への私の評価は変わらないが、映画「DESTINY 鎌倉ものがたり」の主題歌としての『あなた』の立ち位置は満点に近い。原作を流し読みしただけでこの曲を作ったのならやっぱヒカルは天才。嗚呼よかった。

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読者の皆さんは薄々感じていたと思うが、私の『あなた』に対する評価は余り芳しい感じではない。わかりやすく言えば、今までヒカルの新曲がリリースされたほぼ総ての楽曲は「仮に宇多田ヒカルという看板がなくとも、ラジオで流れてきたら購入を即断するレベル」のものばかりだったのだが、今回ほぼ初めて「もしこの曲が誰の曲とも知らずにラジオから流れてきたとしてもスルーしたかも」と感じたのだった。いや別に250円を出す価値がないとかではなく、毎日何十曲と新しい曲を聴いていく中で手元に残しておきたいと感じる曲はそのうち1、2曲くらいの割合なんだけどもだからといってその他の何十曲が駄目という訳でもないんだな。ただ残るか残らないかの差があるかどうかなんだ。

そんな感触だったので『あなた』の評価はフルで聴けるまで保留するつもりで昨日まで来た。果たして、フルで聴いてみると、やはり『大空で抱きしめて』と『Forevermore』に引き続く楽曲という事で楽曲全体の構成、特にエンディングのアイデアには秀逸なものがあり、フルで聴くまで待った甲斐があったと唸らされるものだったが、結局最初に感じたサビの"中途半端"な印象は変わらないままだった。爾後私の印象と評価も中途半端なままだ。

ポップスにおいて"中途半端"は決してネガティブな話ではない。大衆を相手にする以上、八方美人やどっちつかずを極めていって終局「万民に愛される」存在になっていくのは寧ろ王道であろう。であるからには、『あなた』はもしかしたら、この中途半端さを押し進めていけば最終的には大ヒット曲を生む"未来への種が巻かれた"タイプの楽曲であるかもしれず、とすれば、曲調は全く異なるものの、作曲者やリスナーに与える機能としては例えば『Passion』のように、売れなかったけれど後々どんどん影響力を増していくようになるやもしれぬ。未来はわからない。

しかし、さしあたって、今目の前にあるひとつの楽曲としては、私の印象は"中途半端"なままである。シビアだが本音だろうしこの状況説明は事実である。嘘ではない。

取り敢えず、映画を観てみないとヒカルの"意図"はわからない。エンディングで流れて初めて"ピタッとハマる"何かがあるかもわからないし。そこで私の評価にも変化が起こるかもしれない。でも、そうなったとしてもポップスの楽曲としての評価は変わらない。やはりポップソングはラジオから流れてきた時に「ん?」と反応できるかが肝要だろうからだ。それとは別に、ヒカルのキャリアへの影響力の強さについての認識や理解は日々深まっていくかもしれなく、それについてはこの日記で日々更新されていく事だろうからお楽しみに。

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「アルバムも出す、ツアーにも出る」と言い切っているのに"2018年中"という括り以上の事は何も言っていない。この事態は何なのだろう。

デビュー記念日にサプライズを期待されている、しかし、まだ具体的な発表の出来る段階ではない、という中でのひとつのソリューションだったのだろうか。間違いなくファンは喜んだしニュースにものった。確かにこれでよかったようだ。

意地悪につついてみれば、これがネガティブな事なのかポジティブな事なのか、という点な。本来ならこの日に大々的に具体的な予定を打ち出したかったのだが何らかの事情でスケジュールが狂った挙げ句の苦肉の策、だったのか、或いは、総てが順調に進んでいく中で逆算された"加速のタイミング"だったのか。素直にアルバムとツアーを喜んでおけばいいものを、ファン歴(?)が長いとこんな風に訝るようになる。まさに我こそは老害なり。

後者なら勿論何の心配も要らないが、前者だと、では何故スケジュールが遅れているのか?となる。例えば、来年の息子の保育園が決まらない、とかだったらわかりやすいんだけど、これがヒカルの創作上のスランプとかだったら全く笑えない。いや保育園の待機児童問題も全く笑えないけどな。

アルバムの方はそういう理由で遅れるのもわかる。金銭的にバックアップがある場合、アルバムの出来が気に入らなくて全破棄していちから作り直す、なんて事例もある。そうなれば何ヶ月何年の発売延期となるだろう。

しかし、ツアーは? 昨今、大きな会場(の特に週末や祝日)は一年は前に仮押さえしておかなくてはならないと言われている。『WILD LIFE』の横浜アリーナ(初日公演から今日で7年だ)は偶然運良く空いていたらしいが、僅か2日間だから好運に頼る事が出来た訳でツアーだとそうはいくまい。2018年中にスタートするなら既に会場を押さえておかなくてはいけない。つまり、ヒカルのツアーデイトは既にコンファームされていて然るべきなのだ。なのに今発表を躊躇う理由はあるのか。

会場を押さえるのは興行元がやる事だ。つまり、幾つものコンサートを取り仕切っている会社が。彼らはしばしば、アーティストの目処が立たないうちに会場を押さえてしまって後からアーティストを嵌め込む、なんていうギャンブルをやる。もし意中のアーティストと契約できれば仮押さえをそのまま流し込む。無理だったら代替を探す。たまに、「あれ?このアーティストでこんな広い会場埋まるの?」と疑問を抱く事があるが、それはたとえば仮押さえの本命がポシャってうまく代替が当てられなくて「せっかく会場おさえたんだし、何もやらないよるは」と分不相応な会場をあてがわれたケースであったりする。これはわからない。

なので、今ヒカルが保育園でもスランプでも、何か、理由があってあたふたしているのなら、仮押さえ会場は代替公演で埋められていく。しかし、そんな事態にはならないだろう。なんだかんだ言ってヒカルはやるヤツだ。結局辻褄を合わせて素晴らしいアルバムと待ってましたの全国ツアーをみせつけてくれる事だろう。とすれば程なくして正式日程が出るだろうから暫し待たれい。

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困った。オフィシャルで「アルバムとツアー」が公式発表されたのだから諸手を挙げて大喜び、狂喜乱舞に突入かと思いきややけに冷静になってしまった。「2018年中に7枚目のオリジナルアルバムと全国ツアー」って、2018年!? そんなにざっくりな発表ってある?? 来春とか来夏ですらないの!!??

普段、「そんな心配ばかりしてても仕方ないよ。大船に乗ったつもりでワクワク期待して待っていようよ」と人に諭すi_さんが柄にもなく期待より心配を先行させる結果となっている事に少々驚き中。この時点で、詳細な日程はおろか季節すら特定できないって、かなり制作やら準備やらが難航しているんじゃないか…?

更に、今日解禁になった『あなた』のミュージック・ビデオが心配に拍車をかける。普段人に「女の子に対していちいち太っただの痩せただの言っていてはキリがないし本人だってどうしようもない。ほら、ヒカルは今日も美しい。」と諭しているi_さんが思わず「痩せ過ぎだろ!」と呟いてしまったのだからまた驚いた。いや確かにかわいいし美しいが、ただでさえ痩せていたのに更に細くなってまぁトリガラ状態。ダンスやボクササイズで鍛えて締まった、というのなら悪くないが、過酷な制作が続いて憔悴疲弊しきってるんじゃないかと心配になってくる。嗚呼すまん、普段はこんな事言わないのだよ、心配・アフター・ザ・心配なんてな。

そもそも、2018年にアルバムを出してツアーするなんていうのは既定路線もいいとこで、仮にそうでなかったらそっちの方が吃驚だ。実際、今年は『Fantome』を引っさげて全国ツアーだと思っていたのにSONYに移籍して連チャンで新作制作に取り掛かるというアクロバティックな展開をみせてくれたのだ。既定路線が既定だよと教えてくれたのは素直に嬉しい。

更に、『全国ツアー』『国内ツアー』と発表されたのも安堵材料だ。世界ツアー、海外ツアーじゃなかったんだから。アクセスが随分楽ね。安室ちゃんみたいにアジアツアーを絡めてくる可能性もなくはないけれど基本日本国内というのは有り難い。その気になれば沢山回れる。もっとも、チケットが手に入ればの話ですが。

14年前の事を思い出すと、同じく12月8日にコンサートシリーズ『ヒカルの5』の発表があって、実施されたのは僅か2ヶ月後の2月上旬だったのだ。全国ツアーともなるとまた規模が違うけれども、そんな"スピード感"を味わった事のある向きからすれば今回の「時期発表なし」は少々異様に映る。願わくばヒカルの体調健康に影響がない事を祈りたいです。

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さてあと数十分で『あなた』のダウンロードが可能になる…で、いいのかな? iTunes Storeでは毎度1時間ほどフライングして発売されているのでこの後暫し見張っていようか。まぁ、焦る事もない。起きてたら聴くだけである。

逆に、12月8日発売なのだから24時間以内のどこかでダウンロード可能になっていればいい訳で、そうなると今夜の夜更かし組はギャフンと言わされるパターンだ。

にしても、何故1日早いのだろう? 映画も本も土曜日スタートなのに。まぁ勿論こちらとしては分散してくれた方がやりやすいので不満はないのだが。これが逆さだったら怒ってたかもしれないけどね。曲のリリースの方が1日遅い、っての。これはじれったい。現実はそうでなかった。ありがたや、ありがたや。

曲を聴いた上で映画館に出向けるので、2時間座りながらそわそわして気もそぞろ、なんて事にもならない。普通に映画を楽しめる。そして最後に映画館の音響でヒカルの歌声が聴けるのだ。贅沢な時代に生まれたものである。

あとは、ミュージック・ビデオがどうなっているか、だ。マチェイ・クーチャを迎えて(?)以来アピアランスに問題がなくなり、写真も動画も心配せずに期待して待てるし、いざ見る段になったら純粋に楽しめる。イイコト尽くし、だ。VOGUE JAPANの1分動画だけであんな感じなのだからフルコーラスとなるとどこまでいくのか。すぐ販売はあるのかな。まだ情報を整理できていない私。遅い。

明日からどれくらい怒涛なのかよくわからない。願わくば、ゆっくりと『あなた』を聴けてのんびりと『宇多田ヒカルの言葉』を、カプくーまでも啜りながら読むとか出来ればいいんだが。無理か。

さてさてカウントダウンだ。気持ちの入ってる方もそうでない方も取り敢えずみてみよう。さぁ、どうなるか。

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