こういう不謹慎と誹られかねない(私はそうは思わないが)エントリは
当事者になった時しか書けないので、この機を逃してなるものかw
奇しくも尾崎の命日のエントリを上梓した日が
祖母の命日にもなったので私は緊急に帰省、葬儀に参列した、、、といっても、
“生前の祖母の遺志”とかで、全く仰々しさもない簡素なお葬式。
彼女の希望で「音楽葬」という耳慣れない形式と相成った。
内容は至って単純で、お坊さんのお経を流す代わりに
「祖母が好きだった曲」を冒頭と最後に1曲ずつ流し、
ご焼香の代わりに讃美歌やらピアノ曲やら唱歌やらをBGMにして
参列者ひとりひとりが花を手向ける、という流れ。
それなりにしめやかだが重苦しさの希薄な雰囲気だった。
(どうしても“棺に花を手向ける”となったら映画「シャレード」の
場面をパロって色々やりたくなってしまったのだけど、流石に自粛した(笑)
映画を知ってる人ならわかってくれるかなw
あの映画のオードリーもかわいい!(余談))
で、そんな中私が考えていたのは勿論(なのかw)、
「こういう“音楽葬”で宇多田ヒカルの曲を使うとしたらどれがいいか」だ。
2月にねぎ忠の結婚式で宇多田ヒカルの楽曲をたっぷり堪能、
やっぱり有名曲にしろアルバム曲にしろ結婚式に似合う曲は結構あると思いを新たにした。
(光本人は結婚式やらなかったけどねぇ)
それが、今度はお葬式となるとどうなるか。
いや普通ならお葬式に音楽を、しかもポップスとなると全く関係なさそうだが
今回私は“音楽葬”というものを初体験したことで、
そういうことを考える機会を得た訳だ。
先述のウチの祖母が選んだ2曲というのは“故郷”と“夢路より”。
前者は古い古い文部省唱歌、後者は19世紀アメリカの歌曲・民謡である。
祖母の年代(享年86)が反映された選曲だとは思うが、
当然の如く私は両方を耳にしたことがあった、というか恐らく
読者のほぼ全員がよく知る超有名曲である。タイトルと音は一致しないにしてもw
で、その2曲を聴きながら私がまず思い浮かべたのは“海路”と“FINAL DISTANCE”だった。
前者はとにかく合いそうだ。歌詞もサウンドもバッチリだろう。
後者は、おめでたい席にこそ合いそうだが、“厳かさ”という点では
ヒカルの曲の中でも随一だ。天寿を全うされた方の葬儀には似つかわしいと思う。
案外いけるかな、と思ったのが「言葉にならない気持ち」だ。
歌詞が響き過ぎるのを避けながら、うっすらとBGMに流すには良さそうだ。
シチュエーションを限定するが、UtaDAの“About Me”が流れるのはどうだろう。
プロポーズにまつわる歌詞(しかもどこか毒気がある)なのは的外れっぽいが、
それが逆に哀しみを倍増させそうで怖い。というかこの歌はいつ聴いても泣けるんだが。
歌詞だけなら“テイク5”もいいのだが、あの威勢のいいサウンドはちょっと場違い、かな。
いずれにせよ、実際に音楽葬を体験したものからすると、
どうも電子音がメインの楽曲はあんまり合わないように思えた。
海路は電子音だが、基本的にはオーケストラルサウンドのアレンジだし、
FINAL DISTANCEは本物のストリングス録音だ。こういう人の息吹の伝わる“生音”が
葬儀の雰囲気に似つかわしいものと思えた。
それと、もっと根本的なところで、いわゆる“ポップス”はちょっと厳しいかな、とも感じた。
というのも、結婚式の場合は「たった今いちばん輝いている二人」を演出するだけに、
今という時代を反映した時代性のある音が流れてても違和感が無い、というか
そっちのほうがいいくらいなのだが、ことお葬式となると、どうしても悠久の時というか、
ひとの命の儚さとか思い出の永遠性とか、“時を越えて揺らがないもの”を
感じさせるものが強いと思う。先述の唱歌とか民謡とか、時代を越えて愛されてきたものを
選曲していたのは、結構おばあちゃん鋭かったな、と思う。単に好きな曲を選んでいただけだけどw
そう考えてきてみると、ヒカルの曲って“ポップスの定番曲”はオートマとか初恋とかトラベとか
かなり沢山定着してきてはいるが、それを更に超えた“人類に愛される曲”というレベルに
なっているものは、まだないような気がする。その一番の候補となる曲といえば、今のところ、そう
“ぼくはくま”しかないだろう。まぁ、この曲は結婚式にもお葬式にも合わない、かな。
どちらかというとお母さんが子供を寝かしつけるときにうたう子守歌、という方がいいかも、
と一瞬思ったんだけど、最後にママが“ママ”って歌うのも、変か。(笑)
やっぱり無邪気に子供がくちずさんでいるのを眺めるのが一番いいかな。
まぁ、そんなことを考えながらやっとゆっくりできてる日曜の朝の私でしたとさ。
| Trackback ( 0 )
|