無意識日記
宇多田光 word:i_
 



今日4/30、HMSで新待受配布開始。月末日にコレではアカラサマに来月(明日)のファンの注目を携帯に向けよう、或いは反らさせよう、との意図が見えちゃうねw 4年前HPリニューアルと称してヒカ5発表を打った人達だけに油断は禁物です。さてドラマ日5/1の配信開始、一体何時スタートが最も効果的か。ラジオ&有線解禁も同日とすると一般的にはQVは単なるC/w曲で視聴率にも影響薄、解禁をドラマの22時迄待つ理由もない、か(そもそも技術的に無理?)。ヤハリ0時解禁が筋だが、何れにせよお披露目方法はQVの楽曲としての色合いに左右されるだろう。新曲のプロモ戦略は分単位で練る時代なんだねぇ。

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「ライブパフォーマーとしてのペルソナだけが遅れをとっていた」。光が06年当時ツアーに際してTR等で何度か繰り返した言だがこのままだとまたもやライブとライブの間に2枚のアルバムを挟む事になりそうだ。FoL以降06ツアーが作曲に何か影響を与えるかと注視してきた。その中で、アルバムコンセプト「シンプル素直」の遠因が「ツアーで全国津々浦々老若男女を何万も見た事」にあったのではと思い至った。カオが見えれば届く音を作りたくもなる、と。てコトでUtaDA2nd制作開始前にミニツアーを敢行するのはどうだろう。前作がどんなカオを集めてきたのか確認してから曲作りに入るのも又一興かもしれないよ。

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寝る前に映画を観る時間もありつつ。この間地上波でもしていた「ファインディング・ニモ」、ノーカット吹替版を漸く体験。今や世紀の鉄板ブランドと化したピクサーの決定版というからどんなものかと思いきやいやぁ素晴らしかった。定番のテーマをお決まりのエンディングまで全く飽きさせず魅せる手腕の数々。5年前でこのクオリティのCG。イヤそれにも増していつの時代のアニメにも必要な「その時々の技術を活かし切るセンス」が光る。映画は魅力的なキャラクター、誠意あるストーリーテリング、何より愛ある演出力だと改めて思い知らされた。こんなアニメを観て成長していける世代の子達が羨ましくて仕方がないぜw

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をどれ程理解しているかをよく端的に音で表現してくれるのが各リミックスバージョンだ。DevilInsideはCDアナログ両用に各々リミックスが在り各リミキサー毎の解釈の違いを比較できる好例となっている。その中で最も優れているのは当然ながらというべきかUtaDA自身によるライブバージョンだとi_は思う。作曲者本人の手によるだけあって曲の持つ不気味さを特に際立って抽出できている。全バージョン中最も「音の引き算」が大胆なのだ。各1音1音のサウンド全体に於る役割を正確に把握しているから曲の骨格を維持する為のミニマムな音だけを残し他の音を大幅に削る決断を下せたのであろう。

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光がアレンジした曲はパーツ毎に分解すると1ッ1ッの音がよく選び抜かれている事が判る。即ち、シンプルだ。「ごく当たり前の事実を積み重ねれば驚く様な非自明な結果が得られる」とシャーロックホームズは作中で度々宣うが、UtaDAの場合は「推理のロジックの1ステップ1ステップの様に、1ッ1ッのパーツはシンプルでトリビアルでも何れの音も必要不可欠に機能している」とでもいえばいいか。時折光の編曲能力を云々する向きがあるが、気持ちはよくわかる。局所的な音は意外とシンプルで地味なのだ。然しそれが全体として機能する時驚く様な効果を発揮する。彼等は「木を見て森を見ず」なのかもしれない。

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こういう不謹慎と誹られかねない(私はそうは思わないが)エントリは
当事者になった時しか書けないので、この機を逃してなるものかw


奇しくも尾崎の命日のエントリを上梓した日が
祖母の命日にもなったので私は緊急に帰省、葬儀に参列した、、、といっても、
“生前の祖母の遺志”とかで、全く仰々しさもない簡素なお葬式。
彼女の希望で「音楽葬」という耳慣れない形式と相成った。

内容は至って単純で、お坊さんのお経を流す代わりに
「祖母が好きだった曲」を冒頭と最後に1曲ずつ流し、
ご焼香の代わりに讃美歌やらピアノ曲やら唱歌やらをBGMにして
参列者ひとりひとりが花を手向ける、という流れ。
それなりにしめやかだが重苦しさの希薄な雰囲気だった。

(どうしても“棺に花を手向ける”となったら映画「シャレード」の
 場面をパロって色々やりたくなってしまったのだけど、流石に自粛した(笑)
 映画を知ってる人ならわかってくれるかなw
 あの映画のオードリーもかわいい!(余談))

で、そんな中私が考えていたのは勿論(なのかw)、
「こういう“音楽葬”で宇多田ヒカルの曲を使うとしたらどれがいいか」だ。

2月にねぎ忠の結婚式で宇多田ヒカルの楽曲をたっぷり堪能、
やっぱり有名曲にしろアルバム曲にしろ結婚式に似合う曲は結構あると思いを新たにした。
(光本人は結婚式やらなかったけどねぇ)
それが、今度はお葬式となるとどうなるか。
いや普通ならお葬式に音楽を、しかもポップスとなると全く関係なさそうだが
今回私は“音楽葬”というものを初体験したことで、
そういうことを考える機会を得た訳だ。

先述のウチの祖母が選んだ2曲というのは“故郷”と“夢路より”。
前者は古い古い文部省唱歌、後者は19世紀アメリカの歌曲・民謡である。
祖母の年代(享年86)が反映された選曲だとは思うが、
当然の如く私は両方を耳にしたことがあった、というか恐らく
読者のほぼ全員がよく知る超有名曲である。タイトルと音は一致しないにしてもw

で、その2曲を聴きながら私がまず思い浮かべたのは“海路”と“FINAL DISTANCE”だった。
前者はとにかく合いそうだ。歌詞もサウンドもバッチリだろう。
後者は、おめでたい席にこそ合いそうだが、“厳かさ”という点では
ヒカルの曲の中でも随一だ。天寿を全うされた方の葬儀には似つかわしいと思う。

案外いけるかな、と思ったのが「言葉にならない気持ち」だ。
歌詞が響き過ぎるのを避けながら、うっすらとBGMに流すには良さそうだ。

シチュエーションを限定するが、UtaDAの“About Me”が流れるのはどうだろう。
プロポーズにまつわる歌詞(しかもどこか毒気がある)なのは的外れっぽいが、
それが逆に哀しみを倍増させそうで怖い。というかこの歌はいつ聴いても泣けるんだが。

歌詞だけなら“テイク5”もいいのだが、あの威勢のいいサウンドはちょっと場違い、かな。

いずれにせよ、実際に音楽葬を体験したものからすると、
どうも電子音がメインの楽曲はあんまり合わないように思えた。
海路は電子音だが、基本的にはオーケストラルサウンドのアレンジだし、
FINAL DISTANCEは本物のストリングス録音だ。こういう人の息吹の伝わる“生音”が
葬儀の雰囲気に似つかわしいものと思えた。

それと、もっと根本的なところで、いわゆる“ポップス”はちょっと厳しいかな、とも感じた。
というのも、結婚式の場合は「たった今いちばん輝いている二人」を演出するだけに、
今という時代を反映した時代性のある音が流れてても違和感が無い、というか
そっちのほうがいいくらいなのだが、ことお葬式となると、どうしても悠久の時というか、
ひとの命の儚さとか思い出の永遠性とか、“時を越えて揺らがないもの”を
感じさせるものが強いと思う。先述の唱歌とか民謡とか、時代を越えて愛されてきたものを
選曲していたのは、結構おばあちゃん鋭かったな、と思う。単に好きな曲を選んでいただけだけどw

そう考えてきてみると、ヒカルの曲って“ポップスの定番曲”はオートマとか初恋とかトラベとか
かなり沢山定着してきてはいるが、それを更に超えた“人類に愛される曲”というレベルに
なっているものは、まだないような気がする。その一番の候補となる曲といえば、今のところ、そう
“ぼくはくま”しかないだろう。まぁ、この曲は結婚式にもお葬式にも合わない、かな。
どちらかというとお母さんが子供を寝かしつけるときにうたう子守歌、という方がいいかも、
と一瞬思ったんだけど、最後にママが“ママ”って歌うのも、変か。(笑)
やっぱり無邪気に子供がくちずさんでいるのを眺めるのが一番いいかな。



まぁ、そんなことを考えながらやっとゆっくりできてる日曜の朝の私でしたとさ。


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光のサウンドメイクの特徴が最も明解なのはEXODUSだ。深河超青Hステは各々河野サン&トミーのインプットがあるが、ティンバランドの3曲の場合彼のインプットする色が著名な為引き算が容易である。然もExodus04はコ・ソングライター(共作)、WonderBoutはリミックス、LetMeGiveMyLoveはアレンジと1曲毎にクレジットが異なる為その色の入り方を多角的に捉える事も可能だ。確かに同作は全曲別ジャンルといえるバラエティがあり冒頭で「私が越えたいのはジャンル間の壁ではなくて」と注釈をつける必要があった位だが、音楽DNAのミックス具合がクレジットに明示される事でどれが光の色なのかをリスナーに示唆してくれるのである。

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4/19のメッセで、漸く私の長年(て程でもないが)の疑問が解けた。フレディが逝ったのを光がリアルタイムで知ったか否かだ。光の音楽的早熟を慮れば8歳でQUEEN聴いてたとしても何ら不思議はなかった訳だがこうしてハッキリと本人が言ってくれたのは大きい。当時、彼の死は1人の偉大なアーティストが居なくなった以上の大きな意味を持っていた。91年、ロックシーンはMETALLICAやNIRVANAのブレイクで激変期を迎えた。一方でフレディやスティーブクラーク、エリックカー等ミュージシャンの死が相次いだ。あの頃の空気を知ってれば、光は間違いなく音楽と人の永遠と儚さの両方を胸に刻み込んでいる。その差は大きい。

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光は5thを「気楽に聴けるものにしたかった」と語る。3rdロングインタビュー時にも似た趣旨の発言をしていたが、何故熊々態々こんな事を言うかといえば、放っておいたら「気楽に聴けない」曲を作ってしまうからだろう。邪推だが光の中には今でも抗い難く、例えば尾崎の様な破滅も厭わない強烈な衝動が潜んでるのかも。尾崎は享楽の80年代に於て聴き手に真剣さを要求する点で異質な光を放っていた。光の音楽にも内面にも同質を感じるが、プロフェッショナルに徹する事で今の高いポピュラリティに結びつけている。過去のアーティスト達からの教訓が光の音楽には息衝いているのである。

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ドラマやスマスペでの露出でPoLの着うた等の売上が堅調だ。5thもiTMSオリコン共に粘っている。光本人の露出もJAPANの特集で一段落、今後数週はラスフレ頼みとなるから内容の評判は重要だ。光は(やっぱり)ドラマを見ていないのかメッセでも一切触れていない。観る時は今度は何弁当を頬張っているのだろう。ザネッティの「ほんの少しだけのボンヤリ」は、普通に休憩の事なのか不透明さも意味含んでるのか。"新しい曲"というのは、或いは日本での新曲置土産もあり得るか。所で、2/5JAPAN取材時に行なった「音楽の方でやらなきゃいけない(アルバムとは関係ない)作業」って、結局何だったの?

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即ちこのやり方は外堀から埋めていく理詰な方法であって理知的な光に向いていた訳だが、ぼくはくまの場合コード進行皆無の状態で文字通りいきなりクチをついて出てきたのだ。ソレこそ神様からの贈り物だった筈。今の光が総ての曲をコードから組み立てているという話はない。然し、PCを使い始めてから最近はソレが主流になっていた様だ。FirstLoveの頃は「制作にアレンジの過程がある事もよくわかってなかった」らしく、即ち全曲を直接メロディから書いていたんだな。その1stと比較しながら「シンプル素直」な5thの何曲がメロディから書かれたのか想像しつつ聴くのもイイかもね。

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音楽をやらない人にとっては「コード(和音)進行を決めてからメロディを書く」という方法には違和感があるかもしれない。鼻歌で思いついたメロディの雰囲気を盛り上げる為に伴奏を後からつけるんじゃないのか、と。寧ろコード進行とはその最初の「メロディを思いつく事」を助ける為にある。メロディを作るには常に次の瞬間の1音を確定しなきゃイカンがコレは大変だ。その為にまず曲全体のコード進行を決める方がメロディを突然作るのに比べずっと容易いのだ(決める事が少なくて済む)。然し乗せれる音の選択肢はある程度狭めれるので、メロディ作りをより身軽にする事が出来る訳です。

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人は人生の中で喜びを欲し悲しみを忌避せんとするが、こと作品鑑賞となると話は異なる。喜劇と同等かソレ以上に悲劇は愛されるし恋の成就の歌より失恋の歌の方が多分多い。何故か。人に必要なのは悲しみを生じさせる原因を忌避する事であって悲しみの感情自体は忌避の対象ではないからだ。寧ろ感情の励起として歓迎され得る。子供に悪影響云々というのは、彼等が現実も虚構も両方実体験として認識するからだ。一方光は現実も虚構も総て虚構として受け止める。現実を虚構(夢)の特殊な一形態として見ているから喜び5gも悲しみ5gも同じ5gになるのである。

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彼の"フィラデルフィア通り"を聴いて曲のファンにはなっても彼のファンにならなかった話は印象的だ。10歳にして1曲だけで「ココから先に踏み込んでも私の1番好きな彼の曲はコレのまま」である事を感じ取っていたのだろう(事実25歳の今も他の曲を聴く気はなさげ)。この「1を聞いて10を知る」嗅覚は、特に作曲に於て重要となる。曲作りは「次にどの音を置くか」の選択と決断の連続だ。「あらゆる音を試してみる」事が出来ればいいがそれも無理。今鳴っている音が自らの由来と未来を語り掛けてくるのを耳にとめ理解する力が必要だ。光にとって音楽は言葉以上に雄弁なのだろう。

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私が龍角散の広報担当ならどうすれば職務を全う出来るか。創業1871年という老舗、野暮な事は出来ん。「名前を出して頂き感謝」と品を送りつけても嫌味か皮肉だ。もし可能なら「そういったお客様に向け近年では同じ効能で無臭のものもございます」とにおわ納豆的商品を贈れればベストなのだが、ナイか。個人的には今回のメッセで一合点。コレは「良かれと思ってした事が芳しくない結果を生む」事を実例で喩えてくれている訳だ。インタビュー時にそうしなかったのは、やぱ疲れてたからなんだろうなぁ(後相手が男子だったからか?)。今回は若干身を呈しちゃった感あるけどね;

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