無意識日記
宇多田光 word:i_
 



Aメロで"一般論"を歌い人々からの表面的な共感を得つつ、『だけど』の一言で"特殊性"を語るBメロに推移する。この構成が本当にわかりやすい。そこに繋げる為に過去形の『ずっと思っていた』を配しているあたりも心憎い。『だけど』の出現が唐突でなく必然となっている。歌詞に『ずっと』が登場するの何回目だろうね。今はそれはいいんだけど。

「歌のリズム」というものがある。言葉にこめられた思いをどういう呼吸の中で読み取っていくか。これが話し言葉や書き言葉なら『人間なら誰しも当たり前に恋をするものだとずっと思っていただけど』と一息の一繋がりで言うものだから、文章全体のトーンが真っ先に「だけど」の一言に染められてしまう。しかし、歌のリズムでまず『人間なら誰しも当たり前に恋をするものだと』の部分を歌われると、その中身を噛み締める余白が生まれる。「うん、そうだね。」とか「え、そうかな?」といった感覚が生まれる時間が出来るのだ。しかしそれは聴き手の中で言語化されるにまでは至らず、言葉とメロディーは感覚から感覚への推移を生み出す事に成功する。これが歌のリズムのマジックであろう。

その流れに乗る中での『だけど』からのBメロである。落ち着いた、冷静な一般論から入って僅か3行で聴き手を歌の世界の中に引き込んでいく。その滑らかさと着実さたるや比肩し得るものが思い当たらない程だ。

切迫感を増したアレンジをバックにBメロでは『あなた』について歌い綴る。余談になるが、アルバムでは『初恋』の位置は3曲目、2曲目の『あなた』に引き続く3曲目である。『あなた』の『あなた』の残像が消えぬうちに織り重なってよく『初恋』の『あなた』。よく考えられた曲順である。

Aメロで"一般論"を歌った対比としてBメロでは"特殊"を、もっと言えば"特別"をヒカルは歌う。誰かにとっての『あなた』は他の誰でもないその人でしか有り得ないが、どの誰にとってもその掛け替えのない『あなた』が居る、ということをこのAメロとBメロの組み合わせが教えてくれる。ドラマの形は既にここに完成しているのだ。

そこからまたサビの「初恋を知る瞬間」に舞い戻る。冒頭で突如クライマックスを見せられて驚き仰け反っていた我々も、今度は少し落ち着いて、なぜそんな気持ちになったのかの経緯を知る事ができる。もうそれはBメロまるごと、『もしもあなたに出会わずにいたら誰かにいつかこんな気持ちにさせられたとは思えない』という思いを胸に高鳴る胸の音を改めて耳にするのだ。ここの歌詞は本当に無駄がない。これ以上要約する事すら憚られる程に。それが"歌のリズム"を伴って供されるのだから説得力抜群なのだ。

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『初恋』は歌詞の構成力が図抜けている。アーティストと呼ばれるに相応しいアートの粋が詰め込まれているのだ。


この歌はサビから始まる。漫画で言えばいきなり1ページめから何の脈絡の説明もなくクライマックスの場面を描いてから「なぜこんな事になっているかというと…」と時間を遡って説明する、というあの演出方法だ。『初恋』でもまず、キーとなる場面の描写から始まる。

まず『高鳴る胸』『竦む足』『静かに頬を伝う涙』の3つが描写される。これらは、純粋な物理的現象だ。胸も足も涙も物質である。それらの存在を『高鳴る』『竦む』『伝う』事で認識する。そしてそれらが『私に知らせる これが初恋と』。

この順序が、この歌では重要となる。まず純粋な物理的現象が先にあって、それを感覚で感じ取り、最後に理由を解釈する。この順序がある事で聴き手は感情を情景と共に知る事になる。ただ感情を表現する言葉を並べる手法とは一線を画する事で『初恋』は圧倒的な視覚感覚を聴き手に齎している。その想像力を喚起させるパワーは何物にも代え難い。

こうやっていきなり「場面」を見せる事から曲が始まる。そこから歌はこうなるに至った状況説明を開始するのだ。

1番のAメロは『人間なら誰しも当たり前に』から始まる。この間口の広い、敷居の低い導入の仕方は「入口は広く、出口は狭く」たる宇多田ヒカルの真骨頂だ。当然、メロディーの質もそれに合わせて低く落ち着いた調子で始まる。共通認識を"通奏低音"と呼ぶように、皆に共通する認識について触れる場面ではメロディーは低音になる。過去曲でいえば『Flavor Of Life』などを想起すればわかりやすいかもね。(次回へ続く)

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新曲『初恋』を絶賛するのは次回以降と致しまして。

前作『Fantome』に引き続いて"日本語の歌"の限界を突破し新しい可能性を切り開いていくヒカルをもってしても、その最先端である『初恋』をもってしても、印象的なリフレインは英語になるのだなぁ。I need you. これを、残念と言うべきか否かは、引っ掛かる所なのだけど。

昔から「日本語の歌の途中に英語が入ってくるの何なの」とはよく言われていたが、ヒカルの場合「だってバイリンガルなので」という究極の言い訳があった。日本語も英語も同等に喋れるから、どちらも歌詞に使っていい。ごもっとも。他の人たちでは、こうはいかなかった。

そのヒカルも、この2年は徹底的に"日本語の歌"にこだわっている。『Fantome』の収録曲は総て日本語タイトルだし、『初恋』の収録曲も大半が日本語タイトルだ。が、歌詞は別に徹底して日本語のみにこだわる、という事はしない。日本語の歌にこだわっても日本語のみの歌詞にはこだわらない。わかりにくいが、これが現状だ。

確かに、『誓い』のリフレインより『Don't Think Twice』のリフレインの方が強力に聞こえる。確かに主観に過ぎないが、でも、あれだけ美しい日本語を並べ立てた『初恋』に英語の歌詞が入ってこれるのはそういう理由があるからだ、というのは妥当な推論に思える。

『I need you.』という歌詞は、多くの人々にとって大変よくわかる文であって、最早歌詞の世界ではこれを英語だからと特別視する事はない。だからこそ「史上最も聖なる"I need you."」とか言ってられるのだが、ほんのちょっと「ここも日本語だったら」と妄想してしまう。そして何をあてはめようとしても、『誓い』が『Don't Think Twice』にリフレインのフックでかなわないのと同様、"I need you."にはかなわない。それが真実なのだと思う。

流石に次作の話までするのは気がはやすぎるが、しかし、もしかしたらまだ過渡期なのではないかな、と思う。反動で全編英語詞の作品を作りたくなるほど日本語詞にこだわりぬいて限界まで押し進めた段階にまではまだ到達していない。つまり、これからまだまだヒカルは成長するのだ。恐ろしい事である。

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『初恋』がリリースされた。

2016年の『Fantome』、2010年の『Single Collection Vol.2』ともにタイトルトラックが無かったから、"アルバム表題曲"の収録は2008年の『HEART STATION』以来10年ぶりとなる。名実共にアルバムの顔となる一曲だ。

1ヶ月以上ドラマ「花のち晴れ」で聴いてきたから今から衝撃的とか言っても説得力が出ないんだが、既に名曲だらけのアルバムにおいて代表を務めるに相応しい重みは、こうやって純粋な姿で会い直して改めて感じ入る。でも、ドラマ内でほぼフルコーラスで披露されていたから、全貌を表したというよりは、スッキリしたという感覚が強い。

『First Love』の『First Love』、『Distance』の『DISTANCE』、『DEEP RIVER』の『Deep River』、『ULTRA BLUE』の『BLUE』、『HEART STATION』の『HEART STATION』。これに『初恋』の『初恋』が続いた。深い意味はないかもしれないが、名前はやっぱり重要だ。

勿論、楽曲としては『First Love』と直接は関係がない。聴く方もあまり関係づけている感じはしない。しかしそれ以上に、かなりアプローチが異なる。

『初恋』はバラードと言って差し支えないと思うが、その魅力の核はサビのメロディーのリズムにある。冒頭からして

『うーるさーいほーどにーたかーなるーむねが』

と一定の符割でメロディーを載せていく。これは例えば『真夏の通り雨』の

『まぶたーとーじてーももーどらーないー』

に類似した効果を与えている。メロディーの流れを保ちながら一定のリズムを刻むことで、流されきらない力強さを楽曲に与えている。

なので、バラードでありながら、過去曲でいえば『Prisoner Of Love』のような気っ風のよさを感じたりもする。もっと言ってしまえば、『FINAL DISTANCE』や『Flavor Of Life - Ballad Version』のように、元々アップテンポだった楽曲をバラードに変化(へんげ)させたきらいさえある。だとしたら、漸く過程の楽曲を発表する事なく着地点に辿り着いた楽曲をいきなり発表できた訳で、過去に較べてもっとも進化したのはこの点なのかもしれない。もしそうだとしたならば、ですが。

過去と比較しなくても、しかしながら、『初恋』は新しい。そのリズムの力強さからの神聖極まりない『I need you』のリフレイン。人類史上最も繰り返し歌われてきたこのフレーズをここまで聖なる雰囲気で歌い上げた手腕には恐れ入る。ライブで再現するのはかなり難しいかもしれないが、その進化を最も表した一節として是非生歌に挑戦して貰いたい。

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前回「希少価値が本当の価値(生歌の魅力)を覆い隠すのは不愉快」みたいな話をした。解決方法は単純で、コンサートの回数を増やせばよいのだが、私が実際にそれを求める事はない。それより優先順位の高いものがある。そう、その魅力的な生歌を生み出す歌手の健康である。

コンサートの本数を増やしてあの宇宙的価値を誇る歌声を毀損する事こそ最もあってはならない事。それに較べれば我々愚民がその歌声になかなか触れれない事など些事も些事。たまに気が向いた時にフラッと現れて気持ちよく歌って帰ってくれるのにどこかで巡り会うのを期待して日々を過ごす位が身分相応というものだろう。

だが残念ながらヒカル本人がそんな考え方から最も遠い。「てめーら俺の歌声を耳にできる幸せを噛みしめやがれ!」くらい叫んで欲しいところなのだがそんな事一生言いそうにない。何が「聴いてくれてありがとう」だよ礼を言うのはこっちだよ。

という思想の持ち主としては次のライブは「当たれば儲けもの」くらいのスタンス。必死になる気はない。まぁ、「最低12枚買うのは当然として」とか実は言ってたので結構これだけでも「大分必死やんけ」と指摘される気がしないでもない。いや海外行く事に較べればこれくらい別に。(嗚呼、やっぱ必死と思われてそう(笑))

では唐突にライブのアイデアを出しておきたい。武道館でチケット代10万〜20万円位のコンサートをやろう。『First Love 15th DX』を買った人たちが1.5万〜2万人位なので、この人たちならこの値段設定でもやってくるだろうという算段。私も含まれる。

この開催だけでは金満と謗られる事必定。流石にこの金額ならヒカルのギャラを払ってもありあまると思われるので、これを資金源に「18歳か20歳以下の人たち限定のコンサート」を安価なチケット代で開催してくれへんかいの。無料だと客層が荒れそうなので1000円でも3000円でも適当なお値段で。

若いうちに上質のパフォーマンスを体感しておくべきだ、というのは私の一貫した主張だ。が、例えば今回のチケット代は10800円。小中学生が気軽に払える値段ではない。実はこれはS席料金で、一般発売ではA席6480円が売られるのかもしれないが、それでも高いよね。でも商売だから利益を出さないといけないし…という訳で我々大人から存分に搾取して欲しい。ヒカル一晩10万円。毎日だと流石に厳しいが年1回ペースなら毎年行くだろう。

何度でも言うが、油断すんな。観たいと思うアーティストがいつまでも生きていると思うなよ。

で大人から奪い取った資金で若人にヒカルの歌を味わって貰おう。大義名分があれば大金を払う方も気分がいい。結構うまくいくと思うんだけど、どこか穴があるかな〜? 年齢確認方法とかはじっくり時間をかければ大丈夫だと思う。その気になればマイナンバーカードを作るように何ヶ月も前から啓蒙するとかな。まぁそんなのはどうとでもなる。ヒカルは「若い人たちにも聴いて貰いたいなぁ」ときっと思ってるから提案してみたまで。まぁ妄想ですが。

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このままツアー詳細で関心がそちらに向くとしたら、流石に今夜からの『初恋』配信は忘れないにしても、ドラマ花晴れの視聴とか、あとは来週映画「DESTINY 鎌倉ものがたり」の円盤が発売されるんだけど、そういうのも忘れ去られそうでちと怖い。ヒカルの歌が聴けるのに。

どうにも、毎度ヒカルのコンサートチケットがプレミア化するのに辟易している。手続きが煩雑で面倒だというのも大きいが、いちばん気にかかっているのはそのプレミア度にばかり注目が集まる事だ。

宇多田のライブチケットがとれた、と言えばファンでない人まで含めて羨望の眼差しでみられる。それだけ稀少な機会を得れたのだから優越感に浸るのも当然。だが、そればかりでは物事の本来を見失う。ただ稀少な機会に選ばれるという優越感で完結してやいないか。

いちばんの目的はヒカルの生歌を体験できる事だ。それは、機会が稀少かどうかには関係が無い。たとえ1年365日毎晩ヒカルの生歌が聴けたとしても相変わらずその歌声は素晴らしい。ただもうそれは人生が素晴らしくなるのと同義だ。多い少ないは関係ない。それを、チケットのプレミア化が塗りつぶしてわかりにくくさせている今の状況が歯痒いのだろう。

勿論、他の人がそれをどう感じどう表明しようと自由だが、目的の違う人でいっぱいの空間に居続けなきゃいけないのはストレスだ。環境としては、ちゃんとヒカルの生歌に焦点が当たるようなものを所望したい。つまりただの願望表明だな。

だから毎度お馴染みの"チケット狂騒曲"に対しては冷めた目で見てしまう。理想をひたすら言えば、売れ残るくらいにチケットが用意されていればこんなに色々と惑わされる事はない。「お、今夜は時間があるな。宇多田の歌でも聴きに行こうか」と言ってフラリと当日券でみられるくらいがいちばんいい。それくらいリラックスした状態で聴いてもやっぱりヒカルの生歌は素晴らしい筈だ。流石に現実にはそれは無理だとわかりきっているしヒカルの喉の為にも無茶は止して欲しいがそれが本音なのは間違いない。

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早速「Message from Staff」でツアー詳細に関する追加説明があった。で、薄々感じていた事だが多分合ってる。

これ、担当者が不慣れだわ。

様々なツアーに取り組んできた百戦錬磨ならこんなにあたふたしないよ。多分、右も左もわからない感じでやっているのだと思う。

それに対して、どう思ってくれても自由。1万円の買い物だからね。しかも一期一会の。マジなトーンになっても構わないよ。

それについては個々の対応を尊重したい。なので、皆も私の対応を尊重してくれ。(無茶な願い)

正直、担当者の方(々)を責める気にはならんのだ。ツアーチケットの販売は複雑怪奇。慣れていたって失敗する。それを暗中模索の中本当に頑張ってくれている感触がするのだ。いやいやプロなんだから不慣れとか初めてとか知らんがなちゃんと最初から完璧に説明しろやと仰る方々を不快には思わない、当然の心境だとは思うけれどもやっぱり私は「応援してるから頑張れ〜」と言いたい。宇多田ヒカルのツアーの仕切りなんて、たとえこの道40年の人だって緊張するさ。昨今のチケット事情のめまぐるしい変転についていくのも大変。そんな中で、確かにそこかしこに拙さを匂わせてはいるが、それ以上に担当者の誠実さを感じる。彼(ら)に対して不信感をもったり、高圧的な態度で苛立ちをぶつけたりといった事を、少なくとも私はする気はない。出来るだけ協力的に、敵対的にならずに対応したいと思うのだ。なので、少々至らない所があっても、次の機会までに何らかの対処なり改善なりが見受けられればそれでよしとしたい。対応が後手後手に回ったとしても、それはきっと
怠慢ではなく、単純に余りにもこの仕事が大変だからに過ぎない。なので、私は担当者(の皆さん)を精神的に追い詰める事をするつもりはない。私の対応に賛同する方がもしいらっしゃれば幸いに思う。

と、こう書かないと1つ前の日記があまりにもイヤミったらしいものだと誤解されてしまう可能性が高いのよね。いや本当に真面目に問題点を洗い出しただけだからね!

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という訳で追加説明がRIAからあったな。要は

「1人1回のみ応募有効、第3希望まで」で2限(枚数の上限が2枚である場合こう言う。2時間目の事でわない)てことだ。ごくごくおおざっぱに言えば。

他にも色々答えてくれているが、いちばん肝心な所が抜けている。それは「同一名義」の定義である。

申し込みの際に氏名は必須だろう。まぁこれはいいとして、では、氏名が別なら他の項目は同じでも別名義とカウントしてくれるのか? つまり、住所電話番号メールアドレスが全く一緒で「宇多田一郎」さんが1シリアルで1回応募、「宇多田二郎」さんが他の1シリアルで1回応募、「宇多田三郎」さんが更に別の1シリアルで1回応募…で「宇多田百郎」さんまで応募したら百人分別名義になるのか?

んなわきゃない。不正し放題だ。つまり、氏名が別だとしても必ずしも別名義とはカウントされないだろう。では一体何をもってして「同一名義ではない」即ち「別名義」としてカウントされるのか?

メールアドレスだけ別ではダメだ。幾らでも捨てメアドを作れるのを皆さんご存知だからだ。

有力なのは電話番号。今や1人1台携帯電話かスマートフォンを持っているのが当たり前。ただ、2台持ちも珍しくないし、ぶっちゃけ私ならその為だけに何台か携帯電話を契約してしまいそうだから「氏名と電話番号」のセットが有力だ。

でもこれってフェアかなぁ? 10代でまだ養って貰ってる身なら携帯電話を持ってないなんて珍しくもない。家の電話(家電てヤツだな)しかない場合、兄弟姉妹父母祖父母叔父叔母なんていう大所帯で一家揃って宇多田ファンなんて家族がたった1回2枚しか応募できない、なんて悲劇も考えられるなぁ。これを機会に家族みんなに携帯電話を…凄まじい出費になるだろうね。

ここらへん難しいよな。同一住所で同一電話番号だが名義は別、ってのをOKにすると先程の「宇多田百郎」さんが出てきてしまう。おいらも十郎さんくらいなら躊躇わず生み出すよ? まぁそこらへんは事務局判断だなぁ。

もうひとつこれに関連してちょいとマニアックなツッコミを。まぁ例えば同居家族且つ全員携帯持ち、即ち同一住所だが別電話番号別氏名を別名義とした場合、3歳以下の応募をどうするかだ。実在はするが年齢を4歳と偽り応募してもいいかどうか。そんなん黙ってたらわからへんやんな、というのが答なのだが、真面目にルールを守ろうとしてもひっかかるケースがあるのだ。

それは、2018年11月6日から2018年12月9日の間に4歳の誕生日を迎える人物の処遇である。彼或いは彼女は、そもそも応募していいのだろうか? 例えば12月7日に4歳の誕生日を迎える人は12月8日と9日しか、つまり第2希望までしか書けない、と考えていいのだろうか。

いや、3歳4歳のこどもが宇多田ヒカルのコンサートがどうのとか言う訳がない、というのはその通り。だが、親が連れて行きたいとか、親に譲渡する(個人間譲渡は是認される旨が今回暗に示された)場合を考えると、この「※3歳以下入場不可、4歳以上有料」という記述は結構問題を孕んでいる。「入場不可」とは書いてあるが「購入不可」とは書いていない。つまり、0歳〜3歳のこどもの名義(別名義扱い)で購入して保護者なり誰か4歳以上に譲渡が決まっている場合は、3歳までのお子さんをもつ親御さんなどは彼ら彼女らの名義を使って応募できるのかな? たぶん、ルールにも、道義にも抵触しない気がする。「入場不可」ってたぶん「公演中に泣くから」が理由だと思うから。

何だか完全に重箱の隅つつきだが、「名義」の定義はそれだけ重要なのですよ、えぇ。

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ライブの詳細が先週発表になったが、一つ気になるのは、未だに正式なツアータイトルが発表になっていない事だ。タイアップとの連携過程等で意図的に発表時期を調整しているのならいいのだが、本当にまだ決まっていないとなるとツアーグッズの制作すらまだ白紙という事になる。U3とRIAのメンバーが現時点ではアルバムリリースにかかりきり、という事で本格始動できていないのかもわからない。今までの経緯からして、ファンからの要望やプロモーションのリズムなどでツアー情報をとって出しで都度リリースしているようにもみえる。逸るファンを諫めるには効果的であったという評価をまずはしておこう。

とはいえ、発表になった詳細内容に不満を表明する声が一部にあるのもまた事実。そこのところは追加説明があってもいいかもしれない。

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ライブの話題とブラの話題とどちらに先に食いつくべきなのか。難しい問題である。ライブラリの話でもしようか。なんか両方いっぺんに話せるような気が…錯覚ですね。

日米カップ対決で大なり小なりエンドレスリピートというのも興味津々だが、やはりそれよりライブの話かな。


でも、なんだかなー。

…まぁいいや、幾つか新しい情報が出ているので整理してみるか。

・※同名義による複数応募に関しては、1回の応募とカウントされます。

まず最初にこれだろうかな。同名義というのが同名なのか同住所なのか同メアドなのかで色々と変わってくるが、少なくともシンプルな複数枚買いでは当選確率を上げる事は出来ない、という事だろう。いろんな人から名前や住所やメアドを借りるしかない、のかな。

・転売に関する注意書きがある

これも重要だ。つまり、普通に発券されるチケットなのだろう。電子チケットの類いではないという事だ。これは大きい。

・■チケット料金:\10,800(税込)

これを高いとみるか安いとみるかは知らない。言い値で買うだけだからな。まぁここはまた突っ込んで書こうか。

・1申込み1公演のみ2枚まで

ペアまで、か。絞ったな。仲良し3人組の席が離れるのが辛い。4人組なら2&2なのでまだマシだが。奇数人の家族や友達はきついなー。

・全公演18時開場19時開演

これは重要な情報。しかしいちばん驚いたのはこの"全公演"の部分。何が言いたいかというと、12月8日9日の土日公演まで19時開演な訳である。

正直あほかと思った。

いや勿論土日出勤の人に対しては朗報だ。間に合う確率が高くなるのだから。しかし、今時の土日公演というのは「全国各地から皆が駆け付けられる」と重宝されるものなのである。ぶっちゃけ、日曜日などはコンサートを昼間にやるべきだと思っている。終演後その日のうちに帰れる人間を少しでも増やせる。

例えば関東に住んでいるとこんな事もある。平日忙しくて関東の平日公演は行けないんだけど日曜日に名古屋公演があるから新幹線で日帰りしよう、と。交通費2万円を払っても休日にゆっくり余裕をもって楽しみたい関東の大人はこういう選択肢をとったりもするのだ。どうせ金はかかるのだから、存分に公演を楽しめる方を選択する。「平日近場より休日遠出」の法則である。(…いや、法則じゃあないだろ…)

そういった計画をぶち壊す「土日19時開演」。今からでも遅くないから16時開場17時開演にしよーよー。…もう無理かなぁ?



…まぁ色々書いたんだけど。私がいちばん気になるのは一点。「ヒカルは『初恋』をどんな風に購入して欲しいの?」だ。同じアルバムを何十枚も購入してどれひとつとしてプレイヤーにかけることなく(ストリーミングやダウンロードやプレイパスで聴く方が早いからね)CDが売られていく(と思ったら買取拒否されたりなー)のを、ヒカルは喜んでくれるのか? なんともそこが、やるせない。

私がもしプロのミュージシャンだったら「俺のを買ってくれるのは一枚でいいから、何十枚もCDを買うお金があるのだったら何十もの他のアーティストのCDを買って欲しい」と言う。理想論ではなく、プロのミュージシャンが欲しい顧客は音楽を目的としたリスナーだからだ。その人たちを捕まえられれば、末永くこちらの生み出す商品(作品、楽曲)を買い続けて貰えるのだから。何十枚ものCDが新たな音楽への出会いを演出し、より多くのCDを更に買ってくれるモチベーションになってくれるのを祈るだろう。それが商売だからだ。

職業音楽家たるヒカルはどうなのだろうか。市場に出された商品は消費者のものだからこちらからとやかく言う事はない、と言うかもしれないが、そんな建て前は置いておいてこちらは純粋にただ知りたいのだ。ヒカルがどこまで承知してこの売り方を承諾したのか、まぁ公の場では言えないだろうな…。

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日大アメフトの件、凄いなぁ。スポーツで怪我した事件が連日ここまで大々的に取り上げられるなんて、誰か何か隠したいのか、大物の政治家の癇に障ったのか、何なのだろう。ここ数日見出しを見聞きして素通りしているだけなので詳細は知らないのだが、殺人事件やら労働死やらもっと重要にみえる案件をまるっきり差し置いてこうやって注目を集めているのをみると、中身なんてどうでもいいんだなと思われる。

げいのうじんのゴシップも似たようなもんですな。その人がどんな芸能を持っているかなど関係なく、いや、その人である必要すらなくニュースが消費されていく。ただ一点、「知名度が高い」というファクターだけ持ち合わせていればいつでも餌食になりうる。生きている生命からただの肉になりはてるのだから、確かにそれが誰だろうと関係がない。

ヒカルが餌食になる時、勿論どんな歌を歌っているとか歌ってきたとかは関係ない。ただ有名であるというだけで絡め捕られ、消費されていく。

一方で、同じ紙面や誌面で、はかったようなプロモーションが展開される。中身の話である。もちつもたれつだから、一方的に邪険にする事も出来ない。

ググれば色々と出てくるが、新聞社、出版社、放送局などは人脈的にも資金的にも繋がりが多い。この中でレコード会社がどういう立ち位置なのかは難しいところだが、いざプロモーションとなった時に各社各局を動かせる程度の"権力"は持ち合わせている。案外「ただ昔から顔見知りだから」みたいな理由もあったりするっぽいけど、ひとまず、所謂"既得権"のお陰で宣伝網を利用させて貰っている。

その紙面や誌面や画面が横並びで、内容的には"どうでもいいこと"に注力する様は滑稽だが、その陰で何人もの人生が動いている。或いは、止めさせられている。ミュージシャンとしてその沼に嵌っているという自覚は、母の背を見て育った身には十分あるだろう。気にする事はないなんて言えない。人間にはいつでもそういう面がある。ここから1ヶ月、それに曝されながら健康を保っとくれ。

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Apple Musicを使うようになって、使う前から予想してた通りになった事とそうでもなかったのと両方を経験中。

予想通りになったのは、音楽を聴くのの全体が"ラジオ化"した事だ。途中で購入とか決済とかを差し挟まない分、かなり気軽に「どれ、聴いてみるか」とプレイボタンを押すようになった。そう、「音楽でもかけるかな」とラジオのスイッチを入れるような感覚で。

CD時代は、いやさアナログレコード時代は音楽を聴くという行為自体が特別だった。恭しくジャケットからLPを取り出し、割らないように落とさないようにそっとターンテーブルに置き、ノイズを極力減らす為に盤面をクリーニングし、いよいよ針を…というルーチンワークが、既に精神的な儀式であり、否が応でも音楽への集中力が増した。そう、それは鑑賞するものだったのである。

Apple Musicは、まさに、いつでも音楽を流す事の出来るシステムだ。Spotifyだってレコチョクだって同様。すると、どんな作品でも鑑賞するというよりは「試しに聴いてみる」感覚で接するようになる。

かつて昔は、ラジオで「聴いてみる」、レコードで「聴く」というサイクルだった。これが今では全部が「聴いてみる」なのだ。「聴く」が、ない。どこかで腰を落ち着けてじっくり耳を傾けよう、とはなかなか思わなくなるのだ。

いいことだと思う。私はラジオが好きだからだ。極端な話、手当たり次第に再生ボタンを押していくうちにどんどんいい曲と出会っていく訳で、総てが出会いというのも悪くない。ラジオが好きなのは、その偶発性にある。音楽体験全体がラジオ的になるのは大歓迎なのだった。


予想をしていなかった方…そうだな、CDを持っていて、かつロスレス音源も記憶装置に入っているのにそれでも敢えてApple Musicにアクセスして聴いてしまう事、かな。あれなんですよ、前もちらっと触れたけど、再生するごとにそのアーティストに配当がいく訳で、まぁそれなら意図的にストリーミングで聴くのもありかなぁ、と音源を持っているにもかかわらず思うのだった。完全なる自己満足なのだが、自分が好きなアーティストに僅かでも貢献できるのかと思うと気分がいい。気分がよくなる為に音楽を聴いている時などは見事な相乗効果を生む。うむ、悪くない。

今のところ新曲や新作をヒカルがストリーミングにのせる機会は無さそうだが、旧譜旧作になった暁にはサブスクで再生する事にするわ。

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5Gまで待つべきなのかもわからないが、やはりサンプル音源はハイレゾにしてしまった方がプロモーションとしてはよくないか。

既に壮観、だ。『初恋』全12曲中7曲までのサンプル音源がオフィシャルに居並んでいる。もうこの楽曲だけでフルアルバム扱いでいいんじゃねーのと言いたくなるくらいに充実してる。『Forevermore』なんて、シングルで聴いた時は間違いなくアルバムのハイライトになるだろう位に思っていたのに『初恋』『誓い』と並ぶと埋もれてしまう。「え、箸休め?橋渡し?」とか言ってしまいそうだ。いや流石にそれは言い過ぎだけどね。

これで残りは『Too Proud』『パクチーの唄』『残り香』『夕凪』『嫉妬されるべき人生』の5曲となった。まぁこちらとしてはこれくらいに絞ってくれた方が胃もたれ胸やけせずに済む。豪華すぎて消化不良になるのは御免なのだ。

『初恋』も『Good Night』も、混じりけのない音源で聴けると実に清々しい。『誓い』は初出なパートも含まれていて目を見張る。アルバム全体が「目も眩むような」と言いたくなる静謐な、いや聖謐な空気で満たされている。今のところ最大のヒット曲である『あなた』が殆ど繋ぎの役割を任されているのだから、まぁなんというか、チープな言い方しかできないが「とんでもない傑作」ですよね、『初恋』。

何をどうやったらこんなに曲が揃うのか。なんだかTHE BEATLESの「Magical Mystery Tour」アルバム並みの楽曲の揃いようだ(正式なオリジナルアルバムじゃないけど)。しかも、あっちは4人で寄って集ってだが、こちらはたった1人、である。有り得ん、な。勿論幾らかのゲストさんに余力を仰いでいるだろうとはいえ、ね。

各曲の詳細については長くなるからまた後日に回すとして…「丸ノ内サディスティック」について語ろうかと思ってたのにサンプル音源が総て吹っ飛ばしてしまった。こう言っては何だが、椎名林檎姐さんは、こんなヤツが帰ってきて心底嬉しいだろうな。暫くすればまた「椎名林檎が椎名林檎であるだけでよい」時間がやってくるのではないだろうか。でも、『初恋』。内容は最早疑問の余地無しだが、どれ位売れるのか。こればかりはもうその時になってみないとわからないが、ここまで「皆の耳に届かないと勿体無い」作品も稀有な事ですわね。

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「丸ノ内サディスティック」の話を…と思ったが、何やら不穏なツイートしとるな。

『うきーっ、なんかヘンテコな会社から何度も電話かかってきてイラついてんだけど』『話したくないってずっと言ってんのに辞める気配がないからどうやって電話番号知ったのか訊いたら切りやがった。無礼な。』『会社ってもんは時に愚にもつかんものになるとわかってはいるつもり。でもそこで働いてる人たちはそれで生計を立てようとしている至って普通の人間なんだもんね? 必要以上に喧嘩腰にはなりたくないけど次は(こっちから)そっと電話を切る事にすっかな(^_^;)』


こんな感じ。案外英文としては難しい箇所が幾つもあるので学生の皆さんは和訳にチャレンジしてみませう。まぁそれは置いとくとして。

やれやれ。また電話の愚痴かよ。やんなっちゃうねぇ。電話を切るタイミングがわからないとか、迷惑電話の対処に悩んでるとか、スマートじゃねーよなぁ。ヒカルはデビュー曲で『七回目のベルで受話器を』と歌って「6回目でも8回目でもなく7回目なのが粋だ」と絶賛された作詞家なんだが。他にも『Movin'on without you』で枕元にPHSを置いたり『This One (Crying Like A Child)』でBlackberryを登場させたりと電話を効果的な小道具として歌い込んできた。そんな人がこうやって電話にまつわるあれやこれやで思い悩んでいるのは痛々しいわ。あと萌える(←それはいつも何をしててもだろうがよ)。

今後については、リプ欄に様々な対処法がツイートされているからそれを参考にして貰うとして。これを英語でツイートしたのはなんでなんだろね。単純に英語圏の家で電話をとったからかな。

単純に「言語障壁を期待して」というのもあるのだろうかな。ヒカルの英語での発言はホントニュースにならない。昔Utadaのインタビューで『恋人?いますよ。』としれっと答えてたのをみて「あちゃー突撃取材とかきちゃうかなー」とその時は思ったのだが総スルー。一体誰が何をそうさせたのかというくらい総スルー。イタリア人と結婚するからって現地にまで取材に行くようなバイタリティが彼らにはある筈なんだがな。

なので、あんまり拡散して欲しくないから英語にした、とかは有り得る。なのであたしゃ翻訳は呟かないぞ。ここに書いたので十分過ぎるでしょ。

しかし、『Don't wanna be unnecessarily antagonistic』って一文に胸を痛めるわ。今の世の中、生きづらくねーのかな。次が"but"なんだもんね。電話を(たぶん無言で)切るのすら"躊躇い"があるのか。まその割に『the company might be crap』って結構キョーレツな言い方なんすが。ようわからんわ。心は優しいけど口は悪いというか。時々英語だとキツい言い方するよね。"hate"は気軽に使うけど、日本語で"嫌い"とか"憎い"とか言わないもんね。まぁそこらへんの感覚はネイティヴかそうでないかの違いも大きいか。

こういう話題がある事自体は残念なんだけどたくさんツイートしてくれて嬉しいとも思う背反な感情。いつものことか。こういう事を呟くなとは全く思わないが、もっと生きる事を愛せるような話をしてくれてよいんだよヒカルさん?

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花晴れも少しずつシリアス(?)な展開になってきていよいよ『初恋』の歌詞とよく符合するようになってきた…って昨夜のは寧ろ、歌を受け取って歌詞を吟味した上で編集したようにすらみえた。いつもより歌詞がよく響いてきたし、ある程度は狙っていたのでは。勿論原作にああいう場面があって、それに基づいて撮影されているのだから編集の時点で出来る事は限られているだろうけどそれでも『初恋』が丁重に扱われているのは嬉しい。ドラマの展開としては、主題歌の前向きな曲調に合った落としどころを探りそうなだけに、"イメージソング"という儚い立ち位置で引き受けたのは正解だったかな、と。まぁ『Flavor Of Life』という実績と経験があったればこそですが。

そうこうしているうちに『初恋』の発売まで一週間を切った訳で、となると再来週以降ドラマをちゃんとみるかどうかとなるのだが、改めて歌詞を確認した上で劇中で『初恋』がどう使われているかを確認するのもまたよさげ。ピアノバージョンなども再度流れるかもしれないし、そこはチェックして損はないか。ただ、1時間超え枠の実写ドラマというのはかくも長いものなのか…。


一方昨日・今日未明に「丸ノ内サディスティック」By宇多田ヒカル&小袋成彬の配信がスタートした。ここが面倒なところで、椎名林檎トリビュート・アルバム「アダムとイヴの林檎」の発売に合わせたもので…完全に余談だが最初「アダムとイ"ブ"の林檎」で検索したらひっかからなかったよ。Google先生並みになれとは言わないが、この表記の揺れで配信買うの諦める人が居たら結構な機会損失だよねぇ。あと、林檎姐は「イヴとアダムの林檎」ってタイトルにする気はなかったのかな。それはさておき。

話を戻すと。トリビュートアルバム「アダムとイヴの林檎」は、まずCDで発売されていて、配信でもダウンロード販売されている。しかし、『宇多田ヒカルのうた』同様、アルバム収録曲の単品購入には制限がかかっており、約半数の楽曲が単品購入できない("アルバムのみ"ってヤツだね)。しかし、ヒカルとなりくんの「丸ノ内サディスティック」はアルバム「アダムとイブの林檎」とは別に、シングル「丸ノ内サディスティック」の(たった一曲の)収録曲として購入できる。アルバム内単品購入はできないが、それとは別にシングル曲として売られているという話。『宇多田ヒカルのうた』でいう浜崎あゆみの「Movin'on without you」と同じ立ち位置だ。

あーややこし。

で。そのシングル曲「丸ノ内サディスティック」がアルバム収録曲とは別バージョンだそうな。マスタリングが違うらしい。そんな事してきたか。ちょっと考えてなかったな。

なぜこんな事をしたかとかどういう効果や影響があるのかという話は長くなったのでまた次回。

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