今回の件で沢山の報道―と呼べるのかどうかも疑問だが―が溢れ返っていて、改めてメディアとの付き合い方を考えさせられる。
再三書いてきたように、筆者は余りスポーツ紙や週刊誌、ワイドショーなどを見る習慣がないから、こういう対応にはやや戸惑っている。ミュージシャンがある程度ゴシップに晒されるのは仕方ないとは思うが、それにしてもこの「芸能人」という枠組みで扱われる感覚には、未だに慣れない。
身も蓋も無い事を言ってしまえば、メジャーレーベルからレコードを出さなければ、こんなことに惑わされることもないのにな、と思ってしまう。何故これだけあることないこと(であるかどうかすらわからない情報みたいな何か)を書かれてもある程度ガマンしなくてはいけないかというと、そういったタフなメディアに普段、商売上、多分に依存している面が大きいからである。
宮崎駿が言っていたように、例えば「アニメーション」という文化がこうやって今成立しているのは、日本という国が大体一億人サイズの国だという事実に基いている。つまり、あれだけの技術を集積できる程の訓練が積まれた人間が、毎週30分分のアニメーションを毎季40本量産できる位の才能を育むことができ(外注も多いけどね)、更に、それを資金的に援助できるだけの人間が大量に存在しなければならない。具体的に言えば円盤を買ってくれる人が万単位で存在しないといけない。どんな社会であれ今の文化程度では数万人のコアなアニメファンが現出する確率はせいぜい全体の数%だから、やはり億単位の人口が必要となる。そこが、「アニメ文化成立には億単位の人口が必要」という話の要諦だ。
そして、それが成立する為には、いちばん大きなファクターがある。その億単位のほぼ全員に、特定の情報を行き届かせられるシステムだ。幾ら一億人の人間が居ても、その中の数%を“炙り出す”方法論がなくてはどうにもならない。それを可能にしているのが「全国区のテレビ」であり、これは狭い国土に多数の人口が密集しているこの国ならではの特色であるといえる。
日本のメジャーレーベルは、今は流石に昔ほどではないが、この「全国ネットの地上波テレビ」のお世話になり続けている。このシステムを使わなければ、宇多田ヒカルが何百万枚も売る事はかなわなかっただろう。
そして、そのバーターとして、ミュージシャンを「芸能人」として扱ってゴシップの種にするのは、レコード会社としては痛し痒しであって、色んな議論を端折って結論だけ書いてしまえば、人をビジュアルから入って見るからゴシップの対象になってしまう。ラジオにも全国ネット番組は存在し、日本中で同じ番組を聴いているケースも数多くあるが、ミュージシャンは基本的にミュージシャンとしてしか扱われない。AMラジオでゴシップを取り上げる番組は数多くあるが、内容を聞いていると大体がテレビ経由の話だったりする。しかし、それはつまり「噂話」の域であって、ゴシップ対象である本人がそこで登場するわけではない。ここが違う。
つまり、ラジオはその人をそこに呼ばないとどうしたって「噂話」の域を出ず、もっと踏み込んだ話をしようとすると本人を呼んでくるしかないが、その状況でゴシップ話に花を咲かせる、なんてことは土台無理である。やる人も居るけれど。しかし、テレビは違う。映像だけ流して、噂話を重ねる事が可能である。ここのマジックを理解しておかないと、どんどん誤解が広がるだろう。ラジオだとただの噂話、飲み屋の延長線上で済むのだが、ワイドショーで本人の映像つきであーだこーだとコメントを被せるのは、対象のイメージ戦略そのものともいえる。これはある程度週刊誌もそうで、彼らが「写真」にこだわるのは、記事の説得力というか、与える印象の方向性を決定づけることができるからだ。視覚、ビジュアルに訴えるというのはそこが大きく異る。本人がそこに居ないのに、“まるでその人がそうであるかのように”思わせる事ができるのだ。ラジオで噂話をしている段階では、印象に残るのはコメンテーターの声でしかない。つまり、我々が井戸端会議で噂話に興じてるのと変わらない。これがテレビだと様相がまるで変わる。絵とコメントの組み合わせは、まるで「その人が実際そうであるかのように」思わせる事ができる。非常に大きなシステムなのだ。
話が長くなってすまん。この性質がうまく作用すれば、First LoveやFlavor Of Lifeのようなとんでもないビッグヒットを生み出す事もできる。その旨味と引換に、ミュージシャンもゴシップに晒される。如何ともし難い。
ただ、個人的なワガママを言ってしまえば、レコードを出してライブをする、という程度ならそこまで売れなくてもいいんだから、全国ネットの地上波テレビに出ないようにすればいいんじゃないかな、とも思う。んだが、正直もう後戻りなんてできない。今後ヒカルがインディーズで活動しようと、定着してしまったこのとんでもない知名度を消すことはできない。しかも、レコード契約が世界契約になったのだから自動的に日本国内での活動もメジャーレーベル前提になる。やっぱり、我々はこの巨大メディアとの付き合い方をこれからも考え続けなければならない。まだまだ先は長い。そこらへんの具体的な話は、また次回以降のお話で。
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