無意識日記
宇多田光 word:i_
 



無理のある解釈だと承知の上で推論を展開すると、冒頭の『抑え込んだ其れは消えず湖の底へゆっくりとまた沈んでく』とは光の(扁桃周囲炎等)持病に対する不安が未々燻っている事の暗喩なのではないか。仮にそうだとすると直後の『二兎を追う者一兎も得ず』とは宇多田とUtaDAの"二足の草鞋"に挑戦していながら結局仕事に穴を開けてしまい日米双方のファンに心配を掛けてしまった、という気持ちの表現だと思えてくる。エナジティックに『私は弱い』と歌いありのままの自分を認め受け容れるその愛の力強さに具体的なエピソードが付随しているとすれば興味深い。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




確かに物凄く興味深い内容と迄はいえなかったがソレを"汚い"と形容するのはシックリ来ないな、と昨夜の光のツイートを読み返し乍思う。シックリ来るか否かも光に対するコチラの先入観に起因するものな気がするし、何より気が気でないのはこういう厭倦感がツイートへの愛着を薄れさせないかという点だ。ヲタ以外は光のツイートが途切れても殆ど気が付かないのだし(タイムラインに現れなくなるだけだ)挨拶ナシに途切れさせてもコチラとしてはメッセの更新を当て所無く数ヶ月待っていた時期が長くなるのと似た様なもんだと割り切る事も出来なくはないがやっぱり何処か引っ掛かるのであった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




何故SMLだけ詞の毛色が違うのか、単純な答は制作時期の差異だろう。今振り返れば"GermanMagic"な09年秋に最終ミックスしていたのはSMLで確定と思うが、当時の光はといえば、勝手な想像だが、5月に療養に入らざるを得ず関係者やファンにどう償おうかと思い悩む時期だったのではないか。私らからすればアンタの健康よりPreciousなものはないんだから気にせずじっくり治せとしか思わなかったが、タモさんに3年半越しで謝罪してしまう光だから(きっとずっと気にしてたんだろうなぁ)、その悔しさがこの曲のハードさに転化したのだと思えばチョットはシックリくるかもしれない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




兎に角"自分"を連発するSMLNADだが、肝心要のキメフレーズは『CanYOUshowmelove』な所がこの曲の"矛盾"であろう。頑張れ自分、と自らを奮い立たせる言葉で日本語部分を埋め尽くしていて特に"You/アナタ"の出る幕はない内容の為普通に解釈するならば鏡でも見ながら自分に「オイお前! 夢じゃなく愛を見せてみろよ!」と言い聞かせている場面を想像するし、もしそうなら次の"It'sAllInMyHead/総ては私の胸の内"とも整合するのだがSC2の他4曲では"You/あなた/君"は神格的絶対的に愛されているのにこの曲だけ相手不在とすると、どうにも納得がいかないのである。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ハッキリ云って実現は不可能だと思うが、AboutMeの日本語版を聴いてみたい。自らの名を冠した"光"とその英語版S&Cは少し物語が異なっていて後者は「アナタは私の事を愛しているというけれど」という内容なのだがAboutMeも同じ事を歌っていて、ソレならば逆にその日本語版は"光"の様に、より瑞々しく未来を見つめる詞になるのか、ソレとも別にこの2曲に相関はないのだろうか。タイトルが一方は自分の名、もう一方が"私について"と対になっているとみれば的外れではないと思うのだが。事によると既に続編が存在していてソレがTakingMyMoneyBackだったら、チョット笑えない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




今や音楽DVDは一大産業でCDの売上減を補う迄はいかないものの配信と並んでかなり"メディアの世代交代"を感じさせる状況となっているがこと"作品性"の点でいうと些か心許ない。ソレはつまり、CDアルバムの方は小室哲哉を皮切りにコンポーザ/プロデューサといった裏方ブランドが一定度合訴求力を持ち始めたのに対し映像作品で監督やエディタ等の職種の名が出るのはPVでも希少、ライヴビデオ編集では皆無だという話だ。ライヴビデオも"作品"な事に変わりはない訳で、今回は光がGBHPVで監督として自分の名を前面に出した様に、"監修:宇多田ヒカル"と大きくクレジットしてはどうだろう。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




"ン"の歌い方、光の曲で有名なのはFLの『今はまだ悲しいラヴソ"ン"グ』の"ン"だろうか(表記はLoveSong?)。何が特徴的かといえば、実際は『ラヴソオォ(ン)グ』と歌っていて当該の音符には"ン"が載ってない所。似た様な例で先般GBHの『楽園』を『ラクエェン』と歌う場面を挙げたが、つまり昔から光は歌詞の載せ方を工夫するのみならず歌い方で凌ぐケースもあるという事だ。あクマでソレはケースバイケースで、光とS&Cでは"どんな"及び"when(ホェン)"共に2音目は"ン"であるにも拘わらず歌詞を重視しメロディの方を変えている。音符、詞、歌唱法を様々に組み合わせてベストを探っているのである。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




転寝してる間にサッカーの試合と光のツイートが終わっていた様だが、元々『チームを応援する気持ちが解らない』と言っていた人が熱心に国別戦を見てたり日米戦で躊躇いなく日本を応援したりするのを見ていると心境の変化というより単に「今の彼氏は日本人でサッカー好きなのね」って事なんだと思ふ。コチラはサッカーは小窓にしてittvでスロベニアオープンの録画を見つつ寝入ってた人間なのでそもそものテンションが違うのだが、こういう事を素直に周りに合わせる光を見ていると2002年の頃の事を思い出して微笑ましくなるやら今後の展開が不安になるやらで些か複雑な気持ちです。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




有り体に言えば、光が2年か5年かして戻ってきた時の人気の度合いが気になる。リアルタイムで99年を知らない層がどう反応するか、案外後追いの伝説に対する憧憬の力は侮れないもので、例えばエアロスミスはキッスやクイーン同様70年代(が全盛期)のバンドと思われがちだがキャリアが最も華やいだのは86年にランDMCとWalkThisWayを共演して以降、90年代なのである。外部からの押し上げ、リスペクトが伝説を肥大化させる事を考えると光が戻ってきた時に必要以上に持ち上げられて今より売れる、なんて事態もあるかもしれない。当然乍時間と共に忘れられていく未来も有り得るんだけどね。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ほんのチョットしたコトだがオフで話したら得心があった様なので当欄でも触れておく。「んなのトリビアル」と言われそうだが、"何故ライヴでのトラベは他曲からメドレーで演奏されるのか"という疑問だ。「突然曲の途中みたいな感じで始まるから」が答で、CDVer.は前フリなくリズムインしてしまう為ライヴ中MC後等の"リズムのない"状態から始めるにはドラムカウントから行くしかないのだが、ソレは圧倒的にノリが悪いばかりかトラベが始まったというあの高揚感が殆ど生まれない。のっけからあのダンスビートに巻き込むには他曲のアウトロからフェイドインするか1曲目ならインストから繋げるしかないのである。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




いつ光がツイートを止めるのか気が気でない日々が続くが、未々露出は幾つかある訳で、特にSMLNADが映画とどう連動するかは注目だ。エネーチケー(って発音するよねw)でも1曲目に持ってきていたし少なくともEMIはもう1度テコ入れしたいだろう。流布中のCMではヒカルの名は目立っては強調されていないしシングルカットがある訳でもないだろうが、例えばWL10のDVD/Blurayの露払い的な宣材にSMLのライヴテイクを用いてPVを作る位なら出来る筈だ。余程の事がない限り光はもう顔を出さない訳だから今既にある素材でプロモ活動を行わねばならないのでココは最大限活用してみて欲しい所。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




何だかんだ云ってもライヴビデオは実際のライヴの映像と音を素材にしたソレ1ッで独立した"作品"なので、i_は音が差し替えられたり2日分の素材がシャッフルされてても気にならないが問題を孕むと思われるのはその点を作品或いは商品に明記すべきか否かという点だ。ライヴはナマでしか有り得ないと思っている私の様な向きには熊々態々書いてくれなくてもそのつもりで向き合うが、そもそもCDの時点で楽器を別々に録音している事にガッカリする人が多い事を考えると「コレはライヴの真空パッケージですよ」という体裁で"夢を売る"のはアリだと思う、けれど光はソレでイイのだろうか。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




このまま光がツイートを止めてしまうのかと思うと何だか切ないが、1ッ気になるのは人活期間中MailToHikkiを読むのかという点だ。ソレを云うならこのblogもそうなのだが2年位ファンからの発信に一切触れないとなると自分の事なのに浦島状態になってしまう虞もあるよね、と本当に余計な事を考えてしまう。今、幾ら光に言われてもコレだけは止められないというのが少なくとも2ッあって、ソレは宇多田光を愛する事とその思いを表現する事だ。真顔で光に訊いてみたい、「コレから2年か5年、クマチャンなしで居られるか? 光から音沙汰ない時期を過ごすのはソレと同じ事なのよ」と。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




一方、番組でいちばんのギャグだなぁと思ったのはロンドンでコーラス指導をする場面だ。例の"もたる"パートを光が実際に軽く歌ってみせているのだが、余りのその美声ぶりに思わず反射的に「(そんなに完璧に歌えるんやったら)アンタが歌たらええがな」と呟いてしまった。バッキングヴォーカルを悉く自分で録音してきた光が何故今回熊々態々足を運んだのか、勿論光の語る様にケルトの風は御当所御当人達に運んで貰うのが最善だからだが、ソレと共に"複数の声質による濁り"が欲しかったのだとしたら地味ながら宇多田ヒカルサウンド史上に於いて革命的な事件と成り得るかもしれない。

コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )




一番のこの番組のハイライトといえば光が車から降りてくる場面だが―なんて風にblogを書き始めれば皆ドン引きしてフォロワ減るよと余計な助言をしつつ(でも何の事だかすぐ解った貴方も私の仲間です)、やはり目を引いたのは光の"監督/プロデューサとしての顔"だ。きっとNHKの事だから場面は厳選したのだろうが、ミュージシャン達に的確に指示を出す姿は『なぜあなたはそれほどくまが好きじゃないんですか?』と真顔で書き込む人と同一人物だとは思えない位格好イイ。てかこの今朝のツイート本気で言ってるからね、くまの所をヒカルの名にしてこのセリフ私何度も言った事あるもの。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ