面白いけど普通、つまらないけど独特。どっちがいい?
面白くて独特、と答えるのが夢なのだろうが、宇多田ヒカルは現実なのだ。
という、荒野のおおかみを読んでいる途中の感想。まだ結構あるな。せっかく電子書籍で読んでいるのだから「あと何ページあるかわからない」スリルも楽しめたら、とは思うが長編小説を読むのはマラソンを走るようなもの。ゴールできれば、たとい走っている時に見えた周りの景色がどこまでもつまらなくったって構わない。だから、今何kmまで来たかを知るのは読む大きなモチベーションになる。
毎日発売日(と店頭陳列日)を呟くのもまたマラソンみたいなものかな。時々間違えててケツを蹴り上げたくなるけれど。
「唯一無二なのは間違いないけど、聴いていて楽しくない」という評が『Fantome』に付き纏うのではないかという不安はずっとある。あるからどうなの、と言ってしまえばそれまで。
あるから、どうなんだろう?
やっぱり、特に何もないな。
そうなった時の私は、躊躇いなく楽しんでしまう。幾らかの人を、もしかしたら大半の人を置いてき堀にしてしまう。
嗚呼、そっちの不安があったか。私が置いてき堀になる可能性。考えていなかった。それだけ自信があるという事だ。
それに、もしヒカルが自分に理解できない歌を歌ったとしたら、そう、私は色めき立つだろう。本当に活き活きとするだろう。生きている事を八百万の神に感謝するだろう。たとえ大嘘八百であろうとも八百長であろうとも。
「わからない」―何て甘美な響き。初めて見つけた洞窟を探検できるような気分。私がいちばん欲しいのは、これかもしれない。ヒカルの新曲を聴いて、何の事だかわからない。上機嫌な自分が現れるのが手に取るようにわかる。それはわかるんかい。
ふむ。でも、それはどうなんだろうな。鳴った瞬間に総てを悟るのもまたよい。大事なのは、3曲しか聴いていない今、現在進行形で「わからない」事だ。この時間が9月28日以降も続けば奇跡だ。叶わぬ夢なのか私がひたすら自分自身を勘違いしているのか。幻のような理想形を、『Fantome』に追い求める。それでいいのかもしれないな。
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