無意識日記
宇多田光 word:i_
 



がシフトしていく事を悩むのではないか。通常なら例えば30年前に書いた日記を読み返すのは通読正視を躊躇う気がする。多分、歌の場合だと存外大丈夫な事が多いのは、歌が作品として突き詰められているからだと思う。表現を突き詰めるには自分の感情を出来るだけ見極める必要がある。特に日記と異なるのは、ソレが悩んでいる最中の吐露か創作を通して悩みを昇華させた結果か、だ。理想論ではあるものの、そうやって歌を書き上げ一旦その感情から解放されているのなら歌は何年後に唄っても"サマになる"筈だ。デビュー30周年LIVEでもオートマ聴きたいな、という話ですw

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売れる予感がない。んなわきゃないよ宇多田に限って、とも思うが今CDが売れるアーティストは基本"ナマ"重視だ。ナマとはLIVEのみならず握手会等もだが。"特別さ"がフィジカルを手にとらせる。基本的にライト層は何も買わなくなっているし、ガラパゴスケータイ商法もスマートフォンが普及すれば衰える。代替の効かない唯一性があればひとはモノを買ってくれる。つまり光は有利なのでは、と思いきや彼女の"イメージ"が"ナマ"から程遠い事とその高過ぎる歌唱力が親近感を削いでいる。テクニックやクォリティのみならず、特別さ、唯一性、親近感といったファクターを一通り揃えれるなら売れる望みは未々ある筈だ。

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