無意識日記
宇多田光 word:i_
 



あー今週はCDシリアル応募分当落発表があるのよね。抽選をした上で当たった方がお金を払うって冷静に考えたら奇妙な話なんだが、そういうものだと思い込めてる時点でまぁちょっと正常な価値判断が出来ていない。

「ツアーに臨む人々の圧力」が苦手だ、という話は幾度となくしてきてる気がするが、今回ばかりは自分もその圧に加担してる気がして気が重い。日々のヒカルのアウトプットに序列はないつもりなんだけどな。一言ツイートだろうがフルサイズのライブコンサートだろうが、極論すればその重みはお金を払う事で相殺されているようなもので、結局同じテンションでずっと居られる筈なんだけど。出来てねーな。嬉しくねーな。

お金を払う事の効果は凸凹±どちらもあるもので。払った分元を取りたいと思った時、それが純粋な集中力に転化するのか、それとも「これはいいもののはずだ」と思い込みに焼べられるのかは時の運。ヒカルも素直な感想が欲しいだろうし、そこは頭が痛い。

チケット入手に苦労すればするほど後者の感情に傾く気もする。金額の多寡は個人の金銭感覚に依るのでそれはそれとして、いつの間にかチケットを手に入れる事が自己目的化してしまって、どうにも目が眩む。やれやれ。

そうは言っても毎回ちゃんと観るべき所は観れてるな─と、昔に書いたライブレポ(らしきもの)とDVDを比較しながら思う。それが自信に転化すればいいのだけど、慣れないもんだね全然。

特に今回はアルバムとの連動性が強く、「もう渦中に放り込まれている」感覚が強い。ある意味ツアーは始まっている。撮影ロケ地についつい足を運んでしまってるのもそれに拍車を掛けている気がする。供給が贅沢な分、感覚も麻痺したままで。ツアーが終わった後に漸く「2024年に何があったか」を冷静に振り返れるのだろうな。

そういう意味では、アルバム『SCIENCE FICTION』にヒカルが真剣に取り組んでくれて本当によかった。今回はブックレットに『思春期』と一言手書きで記して終わり、ではなかったのだから。そうなっているから真価がわかりづらいが、そうなっていなかったら…つまり周囲の人間のみでアルバムがリリースされてヒカルがツアーとなっていたとしたら、捉えどころがなさすぎて終始狼狽えていただろう。今はアルバムを聴いていれば心が落ち着く。これをライブで聴けるかどうかを楽しみにする前に、これを聴いているだけで既に楽しい。チケットに関しては冷静になれていないけど、現地で見るにせよ配信で見るにせよ、その頃には多分冷静になれてるんじゃないかな。アルバム聴きながらなんとかしとくよ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 不埒なプラチ... のびのびヒカル »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。