無意識日記
宇多田光 word:i_
 



パットさんからの質問も締め切られそうだし、日記の訪問者数も落ち着いてきたことだし、そろそろ更新を再開しますかな。いや別にそれが理由で書いてなかったわけではないけれどね。

*****



ZABADAKの曲“遠い音楽”が好きだ。たくさん音楽をきいていると、そこに込められたいろんな感情と出くわす。激しさ落ち着き曲明るさ暗さ速さ遅さ長い曲短い曲低い音高い音実にさまざまだ。特に私個人は分け隔てなく偏りなく音楽をききたがるタイプで、いわば似非音楽グルメである。そして、グルメになればなるほど、好みの中心はシンプルさを極めたもの・ニュートラルネスを湛えたものに集約していく。たとえば私が好きな食べ物は何かと問われれば、結局白いご飯・おにぎり・おかゆ・お茶漬け雑炊、といった、毎日食べるさりげない主食を答えることになる。副食では豆腐なんかもたまらないね。お茶も好きだ。そう、私にとって、食における米や豆腐や茶にあたる存在が、ZABADAKの“遠い音楽”のスタイルになるのである。(他に似たスタイルの曲といえば“森とさかな”&“エピローグ”っていう大好きな2曲があるんだけど、それについてはまたの機会に)

この楽曲、とにかくありとあらゆることが淡々としている。無為に盛り上げるわけでもなく、妙に鬱々とするのでもなく、音がきて、次の音がきて、また次の音がきて、ある程度まとまったら終わる、といういわゆる「感動的」とか「刺激的」とかいう形容からは最も無縁なスタイル。テンポも中庸すぎるほど中庸、音も低くもなく高くもなく。アレンジもうるさすぎず静か過ぎず、メロディと、ちょっとの伴奏と、ひかえめなリズムで構成されている。しかし、私はこの曲を毎週のように聴く。

思うに、そういう「何の特徴もない」ものを魅力的にするのは、いちばんむずかしいのではないか。美味しいカレーを煮ようと思えば、たとえ安いお肉や見切り品の野菜であっても、とびっきりのスパイスやら調味料やらを取り揃え、手間をかけよりをかけ腕をふるい汗をぬぐい精魂込めて時間を費やせば結構美味しいものができあがる(と思う)。しかし、最高級のおかゆを炊こうと思ったなら、米・水・塩といった素材そのもので勝負するしかない(と思う)。刺激的に飾り立てることをすべてとっぱらって、特徴もなんにもなくなった真っ白なものを“美味しい”と思わせるためには、結局その一番難しいテーマを達成することが必要となろう。

“遠い音楽”は、そういう最高の素材なんだと思う。だから、音に静かな静かな自信が漲っていて、力む必要がどこにもない。ひたすら淡々としていて、盛り上がらず落ち込まず焦らず弛まず怠らず、音が音を呼び音と音とを紡ぎ合わせていくプロセスの中に時間の感覚と無時間の感覚の両方が生まれてゆく。音楽の音楽たる所以がここには表現されているのだ。原マスミ(ストレイシープでひつじのポーの声やってる人ねw)による歌詞もいい。そこで何が歌われているかというと、音楽について、である。なぜ歌を歌うのか。なぜ音を奏でるのか。そこに音楽があるからだ。なんだか登山家みたいなセリフだけどね。自然があっていきものがいて人がいてそこに人工がうまれて、その中に音楽が鳴っている。壮大なのに身近、身近なのに壮大なテーマを、やっぱりたいした抑揚もなく淡々と綴ってある。曲調にすんなりと合うテーマとことばの選り方だと思う。

なにより、そのバランス感覚が稀有に思える。さっきから私、この曲をどれだけ気に入っているかを書き綴りたいと思って筆を執っているわけだけど、いっこうに筆致が盛り上がらない。いつもの私の文章をご存知のかたなら、宇多田ヒカルの音楽を絶賛するときのあの熱情の渦の落し胤のような抑揚がすぐ思い浮かぶことかと思うけれど(たとえばこんな感じにね)、今回はそれができない。音を知っていれば知っているほど、自然とそうはならなくなってゆく。大袈裟につづろうと思えば思うほど、抑えようというきもちがはたらく。だからといって、つまらないと切り捨てるだなんてこともとてもできない。どちらにも傾けないのである。ただ、次の字を書きたい、この曲について語りたい、そう思うだけなのだ。こうして、見てのとおり文章の字数だけが増えていっている。妙に熱くなったり、斜に構えて冷めた目でみたり、ということが、この楽曲に対してはまるでできない。適度にユーモアの感覚も残し、けれどもどこかに真剣さもちゃんと備え、有機的になりすぎて流されることもなく、無機的になりすぎて硬直してしまうこともなく、音楽がそこにあって、それに耳を傾ける私がいて、こうやってそれについて語る私とそれを読んでくれるあなたがいて、そしてまた日が昇り日は沈み眠りについてまた朝を迎える。そんな「時の営み」がすんなりと封じ込められている。こういう感覚を、音楽に込めるのは、ひたすらにむつかしいと思うのだが、そんな力みはどこにもない。実に稀有な楽曲だ。今日こうやってこの日曜日にこの曲を聴いたのと同じように、また来週や再来週の日曜日には、この曲が聴きたくなって再生ボタンを私は押すのだろう。余計なことはそこにはない。音楽があって、聴く私、メロディを何気なく口ずさむ私がそこにいる。ただそれだけなのだ。そして、何よりそれが貴いことだと思う。また聴こう。常に私にそう思わせるたった4分42秒の奇跡的な音空間。それが、ZABADAKの“遠い音楽”という楽曲なのである。


宇多田ヒカルが最新作「ULTRA BLUE」において、彼女自身が一番聴くのが好きだといっているのが“日曜の朝”だ。このアルバムのバラエティ溢れ返る作風の中でも、ひときわ異彩を放つ、しかしちょっと前の彼女の作風を懐かしませるような、独特の立ち位置の楽曲だ。このアルバムの百花繚乱とすらいえる幅広い風味たちのなかで、なぜ彼女はこれを聴くのが一番好きなのだろう? それは僕が思うに(そして多くの人も思うだろうに)、この楽曲がニュートラルでフラットだからなんだと思う。私がZABADAKの“遠い音楽”に常々(というかたぶん、ここ数ヶ月なんだけどね)感じてた感覚と同じなわけだ。そういうバランスを彼女が自分自身で生み出しそれを音楽に込められた満足感、なにより、誰よりもいろんな風味の楽曲を生み出してきたおかげで――“Be My Last”で暗くなってみたり“Keep Tryin’”でみんなを応援してみたり、“Making Love”で愛の告白を爽やかなメロディに載せてみたり、もうとにかくいろいろである――「じゃあ結局私って、シンプルにいえばどういう人?」とふと疑問に思ってしまったときに、この“日曜の朝”という楽曲を聴いたら、彼女はふぅっと安心できるのではないか。様々な角度からにいろんな自分の横顔をひとつひとつの曲で描いていってその肖像画群で自らの周りを取り囲んでみたとき、真ん中にぽっかりできた穴に、この曲がちょうどすっぽり入るんじゃないか。そんな風に思うのだ。

歌詞を見ていても、そういうニュアンスがよく込められているように感じられる。「お祝いだ、お葬式だ ゆっくり過ごす日曜の朝だ」という一節は、僕にも特に印象深い。まるで、“This Is Love”や“Keep Tryin’”のような華やかな楽曲もある一方、“海路”や“Be My Last”のような鬱々とした深みのある楽曲もあるこの「ULTRA BLUE」という作品について象徴的に語っているかのように思うのだ。そしてその中に、このゆっくり過ごせる“日曜の朝”という楽曲も鎮座している。「締め切りとか打ち合わせとか やることがある方が僕は好きだ」と積極的な姿勢をふと見せたかと思いきや、次の行では「愛情に疲れたなら ひっそり眠るのもいいもんだ」と力の抜けたところも見せる。相反しているようで整合性が取れている、自分自身を多角的に表現しようとしたこのアルバムの中で、すんなりとした本音が語られている、という点では、この“日曜の朝”が一番なのだろう。だから、彼女はこの名曲ぞろいのアルバムの中からこの曲を選んで「いちばん好き」というのではないか。その“いちばん好き”という感覚は、他の12曲との比較の中で“こっちよりこっち、あっちよりそっち”という過程を経て選ばれた“1番目に好きな曲、2番目に好きな曲、3番目に好きな曲、、、”の中の1番目の楽曲なのではなくって、「13曲の中からどれか1曲選んでみせて」と訊かれたときに、すんなりと抵抗なく挙げられる楽曲・・・それが“日曜の朝”なんだ、という意味かと思う。多角的な魅力を常に発しているお陰で常にアイデンティティ・クライシス(“結局私ってどういう人間なの?”)と相対している宇多田ヒカルという存在、宇多田ヒカルという音楽の中で、いちばんひとつの楽曲の中でバランスと均整を保ち、さりげなく力みなくほんわかぼんやりと“軸”として佇んでいる、、そんな雰囲気を醸す珠玉の4分42秒の楽曲がこの“日曜の朝”なのだ。


、、、そう、お気づきだろうかな、ZABADAKの“遠い音楽”、宇多田ヒカルの“日曜の朝”、両者ともランニング・タイムが同じ4分42秒なのである。初めて知ったときは、ちょっとのけぞったよ。これに気がついたのは、「私からみて、冷たさや熱さや激しさや落ち着きや、そういった総てから等距離にある、フラットでニュートラルな魅力をもった音楽の代表格としてこの2曲をピックアップして比較するエントリを書こう」と思い、メディアプレイヤーに両方のMP3ファイルを入れて聴いたときだった。流石に、びっくりした。「偶然とはいえ、これはよい縁(よすが)だ。」と思い、このリラートのアイディアをずっと暖めてきたわけだけど、今日ようやくカタチにして日の目を見させた次第である。素敵な偶然の一致は、ひとを元気にしてくれるね。

この2曲、両者とも私はなぜか日曜日に聴きたくなる。“日曜の朝”なんかもうまさにタイトルからしてそのまんまなんだけど、それだけ曲調と歌詞のテーマが一致しているということなんだろうな。この、いろんなことが混ざり合った挙句にできるぽっかりとした静謐・・・ただ静かなのではない、いろんな動的なもの、さざめくものひしめくものせめぐものたちのどれからも等距離にあるような感覚・・・両方の歌詞において、これは共通しているな、と思わせるのがそれぞれ次の一節である。

----- 聞こえない ダイナモにかきけされ 人は何故 歌を手放したの (“遠い音楽”)
----- なぞなぞは解けないまま ずっとずっと魅力的だった (“日曜の朝”)

ここには、何か、失われて二度と戻らないものに対する郷愁とも諦念ともいわくいいがたい、達観めいた感覚が込められていると感じる。感情的にいきり立つこともなく、厭世的に眉をひそめるわけでもなく、ただ言葉が心に響き印象に残るこの感覚、私、たまらなくいとおしく感じます。そしてやっぱりまた、この2曲を聴きたくなって再生ボタンを押すのだった。まる。


*****


これを読んでくれているほぼ全員が、“日曜の朝”は知っているけれど、“遠い音楽”、及びZABADAKについてはよく知らない、というひとたちかと思う。彼らについては、Hironが専用エントリを作ってひかえめに(しかし熱くw)語ってくれているので、そちらを参照されたし。どうやら、20周年記念ベストに引き続いて、「Pieces Of The Moon」が廉価版再発になるようですね。同作の1曲目が“遠い音楽”なので、気になった方は(以下略(笑))。以上っ。


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2006年7月28日(金曜日)【2006.7.29up】


ZEPP大阪でのショウ

会場の外で(映像を)見てくれていたみんなも含め、Zepp大阪でのサプライズショウを体験することができた幸運なひとたちが、存分に楽しんでくれたことを祈ってる。(会場の雰囲気はアリーナのそれより)ロック風味が強くなっていて、いつもより少ない聴衆を前にして演奏することをバンドのメンバーたちは心地よく思っていたはずだ。こういう小さな設えのショウを眺めるのも悪くないもんだね。

さて、このショウについて他ならぬキミ自身はどう思ったかな? Zepp大阪でのショウや大阪城ホールでのショウに出向いてくれた人はいるかい?

さて、東京に帰ろう。次の週には、朱鷺メッセでの2つのショウをやるために新潟へと旅立つ予定だよ。



--- パット・ウッドワード


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ベンジャミン・ブリーグ;これは終局なのか、それとも?

2006年7月28日

遂に来た。ルーマニアから到着したEメールの送信者から連絡を貰えたのだ。最初のメールに対する私からの数多いチャレンジを経て、やっと彼は私に新しい通信を送ってくれた。ありがたいことに、今度は英語だ。もし彼と話せたときには、最初に私に送られてきた9つの単語にまつわる状況について説明をしてくれたらと願っている。

9つの単語の訳は、以下の様であった。

“ヒア・ライズ・ア・マン・オヴ・フーム・リトル・イズ・ノウン.”
(ほとんど 何に ついても 知られて いない 男 ひとり ここに 眠る。)

まず最初に思い浮かんだのは、これは普通なら墓石を飾る類の言葉であり、私のその従兄弟ベンジャミンが初めて就いた仕事が墓標を刻むことであった、ということだ。この言葉は、本当に私の従兄弟のものであろうか。

A.ブリーグ


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2006年7月26日(木曜日)【2006.7.27up】


大阪城ホール2日目

バンドのメンバーたちが今夜また新たなるコンサートへの準備を整えてステージを始めるのを今僕は待っているところだ。今週は、ウタダ・ユナイテッドのチームで働いている人たちの中の2人ほど誕生日だった。昨日もちょっとした祝福をしたんだけど、今晩もショウの前にもうひとつの誕生日を祝うことができた。

今ちょうどショウが終わり、観客たちが笑顔を浮かべて立ち去ってゆく。今夜のショウは

本当に素晴らしかった! 観客たちが見事だったね。コンサートの間中ずっと立ちっぱなしで拍手や手拍子をし続けてくれたんだ。ホールいっぱいにエネルギーが感じられた。ウタダ・ユナイテッド・バンドのサウンドは今夜もグレイトだったよ! ヒッキーはステージでとても幸せそうに見えたなぁ。

ショウを終えた後夕食に向かい、そのレストランを立ち去るときに、何人かの大阪のファンがフォレスト(・ロビンソン/ドラムの人)に気付いて、彼に写真を撮らせてもらっていたよ。フォレストはその人たちに新しい記念日を作ってあげたってわけだ。(笑)

大阪は楽しいことが満載だった・・・よいファンと素敵な人々がいてくれたからだな。


--- パット・ウッドワード

訳者より: ちょいと翻訳の話を。冒頭の部分、直訳すると「バックステージを待ち焦がれる」になっちゃうんですが、それじゃ変なので(冠詞もないしね)、「バックステージで待っている」の間違いなんだろうなと一度は考えたんですが、彼・パットは、ステージが始まるとき観客席の中にいるんですよね。だから「僕は準備を済ませたんだけど、バンドたちがまだだから、ちょっと座って待っていようか」という意味なんだと思います。どうなんでしょうか。(^_^; ★ お誕生日お二人・・・というと、おひとりはてるざねさん、もうおひとかたは・・・うぅっ、思い当たらない。ヒカチュウ界のペーとしては不覚っ。(苦笑)★ ところでパット、一日目のエピソードはどうしたの?前回書くっていったのにっ!(笑/日本語で書いておく私でしたv)★ 珍しく早めに更新を発見して急いで翻訳してみたので、誤訳などありましたら、お気軽に指摘してくださいヨロシクっ♪(^∇^;


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[UTADA UNITED 2006] SPECIAL REPORT! no.38


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2006年7月26日(水曜日)【2006.7.26up】

大阪城ホール

昨夜は空港からやってきてそのまま大阪で開催中というお祭りに行ってきたんだ。トシエと辺りをぶらついて大阪をちょっとだけ観光できたのは楽しかったよ。今はお昼、大阪城ホールに入って、今晩のショウを控えて短くリハーサルをしているところだ。東京での1週間のオフがあけて、バンドのメンバーは今夜のショウをするのを楽しみにしてるみたいだね。

今週はフォレストの家族が公演地にやってきている。彼は家族のみんなにショウを見てもらえるのを待ち望んでいたからね。バンドの他メンバーの何人かも、公演地外から家族をやってこさせているよ。

今夜の城ホールもまた、今までと同じく満員になった。ショウはうまくいったというわけだ。僕は観客たちの最中にちょこんと座って、みんながそれぞれの顔に笑みを浮かべながら帰っていくのを今ちょうど眺めているところだ。とても気分のいい時間だね!


質問を寄せてくれたひとたち全員にもう一度お礼が言いたい、ありがとう。これを5つに絞り込むときが、近づいてきているよ。

今度は、ここ大阪で何が起こったかについて書き込むつもりだ!(笑)


--- パット・ウッドワード

*****

訳者より: 「Hikkiへの5つの質問」の締め切りが近づいているようですのでお気をつけを。何日の何時まで、とか書いてないけどね(^_^; ★ 本文中にもあるように、パットはいつも観客席の中の、よくいう「PA卓」ってところにいらっしゃるようですね。冨田さんのブログに写真があったので、URLを掲載しておきます。冒頭が「ttp://」になってますが、わざとhを抜いているので、面倒ですが各自補ってアクセスしてくださいませ。写真は、左から順に森くん(フォレスト・ロビンソンね、ドラマーの彼)、サム(・シムズ、ベーシスト)、パット、マット(・ローディ/バンドマスターでキーボーディスト)、そしてMr.タク・ヒラノ(パーカッション)です。冨田さんが写ってないのは、単にこの写真を彼が撮影したからですね。(笑)



http://blog.livedoor.jp/mintmania/archives/50632209.html
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ベンジャミン・ブリーグ;更なる進展

2006年7月26日

私のいとこであるベンジャミン・ブリーグについて情報を寄せようとこのウェブサイトにコンタクトをとってきてくれる人々の数に引き続き驚かされている。

彼の作品を見たという人も幾らかいたし、6年前という比較的最近に彼と出会ったという人も何人かいた。それを具体的に証明できる何かがあればと思う。私が彼の探索捜査を始めてからもう2年以上が経過しているが、まだまだ彼の所在に近付いているという感じはしない。生きているか死んでいるかすらわからない。皆さんが関心を寄せてくれていることに感謝すると同時にまた、ほとんどのやりとりを等閑に、蔑ろにせざるを得ないこの状況を大変申し訳なく感じている。Eメールの数は非常に多いが、それらはまもなくリリースされることになるレコードと関連付けられたものばかりだ。ただ、今の私は些か混乱し始めているように思う。なぜなら、彼についての何らかの情報を見い出す方法としてはこれまでの調査の方向性でいいはずだと依然として思っている一方で、この曲のタイトルに従兄弟の名が使われているのはやはり単なる偶然の一致に過ぎなかったのかもしれないという考えを私の心が受け容れ始めてしまってもいるからだ。

これから私は、彼等が如何にしてブリーグの名を知ることになったのかについて誰かに問い質そうという目論見の許、その曲を録音したグループのレコード会社を訪問してみるつもりだ。既に電話での問い合わせはしてみたのだが、そのレコード会社はこちらの要求をあっさりと拒絶してくれた。しかしもし私が実際に姿を現してしまえば、まさか彼らもそう安易に私を無視するわけにはいかなくなるだろう。

出来る限り多くのEメールへの返答をしようとしたが、その圧倒的な量のために、私は皆さんからの殆どの約束や要望に応えることが出来なくなっている。

今のところ、ルーマニアから来たメッセージの送り主とコンタクトしようとする私の試みは成功に至らずにいる。たったひとつのメールに含まれていたルーマニア語の翻訳については依然として待っている状態だ。願わくば、翻訳が完了した暁には行方不明の従兄弟の軌跡を追う私の助けとなる更なる情報を得られればと思う。

ところが、二つのとても興味深いEメールが出現した。ひとつはパリの個人的な芸術品蒐集家から、もうひとつはロンドンの稀覯本の商人からである。
蒐集家の人は、(他のスケッチや絵画とともに)破棄されたと考えられていた私の従兄弟による一枚の絵を見たことがあると言ってきた。残念ながらそのEメールには、彼が実際にその絵を保持しているのかどうかについては特に明らかにはされていなかった。しかし、たとえ彼がその絵を所持していないとしても、彼が私に、少なくともその絵がどこに存在するかについて教えてくれるのではないかと期待せずにはいられない。もし絵の実物を見ることが出来、それがベンジャミン・ブリーグによって描かれたものであると肯定的に判別できたならば私はこれに沿って調査を進めてゆくのが適切だと思う。

稀覯書商の人の方は、私の従兄弟の著した4つの書のうちの1つか、或いはそれ以上についての情報を持っているのではないかと想像している。(それはまた私の願望でもあるのだが) 彼は親切にもアドレスと電話番号をメールに書いてくれていたので、今日このあと彼にコンタクトをとってみる予定でいる。2人のうちのいずれか、できれば両人ともが、行方不明である私の従兄弟の追跡せんとするこの試みにおいて何か助けになってくれたらと切に願う。


A.ブリーグ

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[UTADA UNITED 2006] SPECIAL REPORT! no.35

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2006年7月21日(金曜日)【2006.7.23up】

大阪公演まであと4日!

UTADA UNITEDのツアー・メンバーは、城ホールでのショウと共に大阪で過ごす来週のことを楽しみにしているよ。


今まで寄せられた質問の数々はどれも素晴らしい。受付を終えたあと最高の5問を選び出すのが楽しみになってきたよ。(笑)

これを読んでる中で、誰か大阪のショウに行く予定のひとはいる? もしキミがそうであるなら、何を見るのを楽しみにしてくれてるのか教えてくれないかな?


--- パット・ウッドワード


*****

訳者から: 5問といわず、全部答えてほしいんですけど。(笑) 時間の制約もあるし、忙しい中Hikkiにアプローチしてくれるパットさんに感謝です~。gooID所持者しか質問できないのが少々難儀ではありますが(^^; もうしばらくは質問を受け付けてくれるみたいですね。引き続き翻訳の申し出を受け付けてますので、希望者はBBSかメールにてどうぞ~v



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ベンジャミン・ブリーグ:更なる知見

2006年7月20日

まず初めに、私が立ち上げた自分の従兄弟にあたるベンジャミン・ブリーグに関するこのウェブ・サイトにコンタクトをとろうと考えてくれた心優しき人々に謝罪したいと思う。
本来ならばもっと迅速にサイトを更新するべきだったのだろうが、私はカリブ海(より正確にいえばそれはハイチである。1960年代の間の何時しかに暫く私のその従兄弟が移り住んでいたと判明している場所だ)に長く滞在したのち今漸く帰って来たばかりなのだ。ここ最近にこのサイトを訪れ行方不明の私の親戚ベンジャミンに関心を持ったと表明してくれた人たちのその数に私は圧倒された。それはサイトへのアクセス数もまた然りだ。

しかしながら、その総ての反応の中で最も困惑させられたのが、このサイトにコンタクトを取ってきた“アイアン・メイデンというポップ・グループのファン”の数の多さだ。どうやら、そのグループが「ジ・リインカーネイション・オブ・ベンジャミン・ブリーグ」なる曲をリリースしたということらしい。自然、“ベンジャミン・ブリーグ”の名に触れているという事実が私の興味を惹き、次には、彼等が私の従兄弟について何かを知っているのではないかという考えを私の頭にもたげさせた。
彼等がどうやって私の親族の名を知るに至ったかを明らかにする為私は彼等のレコード会社にコンタクトをとろうと試みた。しかし残念ながら、私がなんとか責任者であろう人物と話せた際にも、如何なる経緯でその曲のタイトルに私の従兄弟の名が使われることになったかについて私を満足させる説明を得ることはできなかった。そのグループが彼等の曲に使用する為にこの名前を選んだのは単なる偶然の一致であると見ることも出来るかもしれないが、やはりこの名前がそうは見られないものであるという事実は、彼等がまさに私の従兄弟について(もしかしたら彼の作品についても)何か聞き及んでいるのではないかと私に疑わせるに十分だろう。もしこの疑いが真実であるのならば私は直接彼等とコンタクトを取らんと訴えかけたい。

同じことは、私の従兄弟について何か情報を持つあらゆる人に対してもまた当て嵌まる。出来る限りすぐさまこのウェブサイトを通じて私と連絡を持って欲しい。

私が受け取ったEメールの中で最も関心をそそったのはルーマニアから来たものだった。1966年から1969年の間私のその従兄弟が彼の地に住んでいたことが判明している為殊更これは興味を惹いた。ところがまた残念なことに、そのEメールのどこにも送り主の名がないし、何度返信をしようと試みても私の送ったEメールは跳ね返されてきてしまう。結局私はそのメールの送信者とコンタクトをすることが出来ずじまいだった。このやりとりに含まれていたのはたった9つの単語だけで、しかもそれは(またまた残念にも)ルーマニア語で書かれていた。今ちょうど私は、それらの単語を英語に翻訳してもらおうという段階に入っている。ひとたびこの翻訳が完成したならば、それが私の失われた親戚を追跡するのに何か助けとなることを願う。一方で、もしこのメッセージの送り主がコンタクト可能なアドレスを私に寄越しもう一度私と接触をもつことができたのなら、それは当然感謝に値することとなるだろう。

A.ブリーグ


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「宇多田ヒカルにツアーについて何か質問があれば、僕が5つ選んで訊いてあげる」
UBUBで英文エントリ担当しているパットさんからの提案です。
このエントリでは、各質問の日本語訳を掲載します。

*****


2006-07-14 20:47:54 Danielさんから:
『ウタダ・ヒカルに質問があります。2000年最後の夏コンサートから6年のブランクののち、また何千人もの人たちにむかって歌いにステージへと帰ってきたわけですが、今の状況は楽しいですか? (パット・ウッドワードさん、(質問の機会を与えてくれて)どうもありがとう。)』

2006-07-14 23:36:07 i_(AI-Shadow)さんから:
『僕もヒカルに質問がありま~す!(^0^) “バナナはおやつに入るんですか?”(ばきっ』

2006-07-15 01:14:52 kojiさんから:
『僕はいつもこのブログの更新を楽しみにしています。最初に見れるショウが9月の広島になりそうですから。僕からHikkiに質問です。仙台での最初の公演について書かれた記事を読みました。それによると、Hikkiはもう“モノマネ”やその他のサプライズをもうしたくない、んだとか。僕はHikkiの椎名林檎さんのモノマネが大好きだし、そういうサプライズなものっていうのは、観客にとってもとても楽しめるものだと思うんですよ。Hikkiは本気でそういうことはもうやりたくないと感じているのでしょうか?…それとも、単にこのツアーに限っては、モノマネとかみたいなことはうまくいかない、って思ってるだけなのかな、、、。』

2006-07-15 13:35:33 Yukiさんから:
『Hikki、こんにちは。何かカバー曲をやる予定はありますか? かなり聴いてみたいんですが。』

2006-07-15 23:59:33 cyndiさんから:
『Hikkiへの質問です。大きなアリーナと小さなライブハウスだと、どちらで歌うのが好きですか?』

2006-07-16 00:37:49 まつしまさんから:
『ネタバレに注意しつつ質問です。(汗) 仙台の2日目に参加致しました。UtaDAパートの1曲目(全体を通すと、オープニング曲も合わせると9曲目ですね。わかるかなぁ?(笑))と、中間部の1曲目と3曲目(全体でいうと12曲目と14曲目)に特に強い感銘を受けました。その中間部の最後の曲、つまり14曲目ですが、その曲のライブ・バージョンが特に味わい深いものであったことは、とても驚きでした。このアイディアはどこからきましたか?』(いくつかの改変と英語への翻訳はi_(AI-Shadow)さんによるものです。(ついでに、逆翻訳もi_さんです(笑)) 原文は日本語ってわけ)

2006-07-17 14:13:24 Spiritさんから:
『将来にライブでダンスを踊るプランとかはありますか?』

2006-07-18 09:53:10 Skyさんから:
『Hikkiにひとつ質問があります。“このツアーの期間中に何人かのスペシャルゲストとコラボレーションをする”のはいいアイディアだと思うんですが、どうでしょうか?』

2006-07-18 13:15:43 M+さんから:
『歌のイメージに合った素敵なステージ衣装ですが、スクリーンや床の光の演出の中では、少々暑苦しく見えて、気の毒に思えてしまうのですが、実際どうですか? 衣装への思い入れとかあれば聞かせて下さい。』

2006-07-18 15:17:50 Danielさんから:
『ウタダ・ヒカルにもうひとつ質問です。「ULTRA BLUE」アルバムが、日本に加えて台湾と北アメリカでリリースされましたが、UK(英国/イギリス)での発売の予定はないのでしょうか? 「EXODUS」はUK盤もリリースされましたからね。』

2006-07-18 21:39:49 Amosさんから:
『今日私はTシャツを着てました、、、天神地下街を通ってるときに、ベーグルを買おうとお店に立ち寄ったらカウンターの向こうの女の子が突然私のTシャツを指差して、英語で“私もコンサート行ったよぉぉぉっ!”と興奮して叫んだのです。(笑) / 私にも、パットさんへ、英語での更新のお礼を言わせてくださいね。/ 昨日(17日月曜日)と今日(18日火曜日)、Hikkiがブログに投稿しなかったことに気づきました。コンサートでHikkiは、8日間連続で仕事してることになるんだよね、と言っていましたが、そこで彼女に訊きたいのですが、そんな重労働のあとのこの月曜日、終日眠りこけたり眠り込んだりしてキラクに過ごしたりしてたのでしょうか? 或いは福岡と九州を一日中楽しんだりだったのかな?』

2006-07-19 17:56:09 Yujiさんから:
『さしあたって質問のエントリを。最近の2、3のインタビューで、ヒカルは昨年のニューヨーク・シティ(NYC)でのショウケースが、彼女がステージ・パフォーマーとしてどうあるべきかということを見出すにあたって大きな転換点になったと解説してくれていましたけよね。ショウケースのどういったことが特にその啓示を誘発したのでしょう? その点に僕は些か興味をもちました。』

2006-07-20 22:33:53 naoさんから:
『こんにちは、パットさん! ブログの投稿を続けてくれてありがとう。いつもとっても楽しませてもらってますw 私は、ヒカルがショウの前に何か特別なことをしてるかどうか教えて欲しいです♪ NINTENDOで遊んでるのかな? スタッフのみんなとおしゃべり?? ヨガかなお食事かな? まさかショッピングなんてことはないでしょう!?(笑) でなかったら、ショウに集中できるようにとひとりになろうとするのでしょうか??』

2006-07-21 14:57:03 tamachan_7さんから:
『どんな魔法を使ったの? / 7月15日16日の両日、マリンメッセ福岡でのコンサートを観させてうただきました! 大満足でしたよ! 2日目のアコースティック・ミュージックでのチェロのサウンドは見事だったと思います。そこで質問なんですが。あの夜にだけ何か特別な魔法でも使ったのでしょうか、どうしてあんなにまで見事なサウンドが可能だったのかな?? カンタンにでいいですので、お答えいただければと思います。(私は、もし可能であればもう一度広島でそのパフォーマンスを聞いてみたいと願っています。)』

2006-07-21 23:25:29 Johnさんから:
『順調ですかね。 / どうやら、いずれのショウもうまくいっているみたいですね。それをきけて嬉しく思います。広島でHikkiに会うのが待ちきれません! パットさんには、引き続きよいリポートを期待しています♪ さて、私からの質問です: ヒカルにとって、ツアーに向けての練習や準備のときと、ショウの間のステージに上がっているときでは、どちらがより大変ですか? ツアーを終えた後、ヒカルは何をしようと計画しているのでしょうか。(願わくば、素敵な夏休みをとってくれればと思います。)』

2006-07-23 03:45:07 tamachan_7さんから:
『一番いい質問、かぁ。(苦笑) / こんにちはパット! お元気ですか。ずいぶん後だと思っていた大阪での公演も間近に迫ってきました。このコンサートでの成功を祈ってます。ところで、ウタダ・ヒカルに、少々答えるのが難しい質問をしたいのですがよろしいでしょうか? なんとかしてヒカルには答えてもらいたいんですが。UtaDAとして英語で歌うのと、宇多田ヒカルとして日本語で歌うのでは、ステージに挑む上でその性格の間に差異などは出てきますか? また、どちらにより挑み甲斐を感じますか? (バラードを歌っているときなどは、宇多田ヒカルのキャラクター、性格の方がより馴染んでいると私は考えます。一方で、ハードロックチューンが歌われるときにはUtaDAのキャラクターがベストではないかと思いました。)』

2006-07-23 12:25:24 Poohさんから:
『1.Hikkiは昨年行なわれたショーケースライブで、「初めて突き抜ける事が出来た。ようやく自分がやりたかったパフォーマンスがやれた。」と語ってましたが、今回のUTADAUNITED 2006のツアーでも、その突き抜けた感覚をライブ中に味わう事が出来ましたか? / 2.Hikkiの曲は、本人も語っていましたが、歌い手に優しくない曲が多いのですがライブの中で歌い始めに一番緊張する曲は何曲目ですか? / 3.ファンのみなさんで、ULTRA BLUEのアルバム曲など、セットリストに是非加えてほしいというリクエストを頂いてるかと思うのですが、今後セットリストの変更や追加などもありえますか? / 4.すごくエネルギーのいるライブだと感じていますが、一回のライブのその前後でどれくらい体重が変化しますか? / 5.私がこのツアーで一番聴きたかった箇所であるUtaDAセクションの2曲目の最後のヴォーカル・パート(低音部)が聞けなかったのが非常に残念なんですが、今後ライブでこのパートを歌ってはくれないのでしょうか? / 最後に、Hikkiに質問するチャンスを私たちに与えてくれたパットさんにお礼がいいたいです。どうもありがとう!』(翻訳&逆翻訳(いずれも):i_(AI-Shadow))

2006-07-25 04:18:27 Johnさんから:
『僕にとって大阪の地はとても親しみがあるのですが、今そんなに早くに日本に到着することはできません。夏も終わりの気配漂う8月末に飛行機で参じますので、Hikkiに会えるのは広島でのコンサートということになりますかね。 / さて質問ですが。Hikkiの、ライブで歌うのが好きな曲ってのはどれでしょうか?』

2006-07-28 22:44:43 アリハルカン@金属と不思議社交ダンスwww(HALCASSHERN)さんから:
『Hikkiにとって、くまちゃんってどんな存在ですか? 家族? 友達? 気兼ねなく本音で話しあえる親友? はたまた癒しを求める対象? そこんとこ気になって、夜も眠れませんwww ご回答のほど、よろしくお願いいたします。』

2006-08-07 06:49:26 なつきさんから:
『まだ間に合うかな? / 質問があります。Hikkiは目下ライブツアーの真っ最中なわけですが、それぞれの県を十分に楽しむことはできているのでしょうか? 県ごとの名産品を楽しむ時間なんてあるのかな? もしいままでにそういう時間がとれているのなら、その中で、いちばん印象的だったものは何ですか?』



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[UTADA UNITED 2006] SPECIAL REPORT! no.33

http://blog.goo.ne.jp/ultrablueunited/e/852c1ffc0d9a38d1e03478ede5033d58

2006年7月16日(日曜日)【2006.7.17up】

福岡での最後のショウ


今夜のショウは本当に素晴らしかった! あそこにいたひとならわかるよね。バンドのサウンドはタイトで、彼らはあの場所でよい時を過ごせていたようにみえた。ファンたちも素晴らしかった。あるバンドメンバーの家族が福岡にやってきていて、今夜のショウを見ることもできたんだよ!


今バンドはバックステージで、東京に帰る支度をしているところだ。今夜のショウの進み具合には皆満足している様子。バックステージは忙しなく走り回る人たちのお陰で忙しない雰囲気。ステージ・セットは、大阪へ運べるようにと解体・撤収が始まってしまった。ウタダ・ユナイテッドのバンドとスタッフにとって、今日という日は長く、しかしとてもよい一日だったな。

“博多祇園山笠”フェスティバルの期間中に福岡に居れたのもよかったね。昨日のショウの朝はオイヤマ(追い山笠)で、冨田(・謙(ゆずる)さん/ステージ向かって一番左の人)とトシエ(ツアーマネージャーさん??)が見に行ってきたようだ。

これまでにみんなが投稿してくれた質問、いいね! このエントリのコメント欄に質問をしてくれても、OKだよ。どちらにも目を通すつもりだから。

次週は大阪へと向かいます。大阪で会おう!!


--- パット・ウッドワード



*****

訳者より: ・・・ということだそうですので、引き続き「宇多田ヒカルに直撃!ツアーに関する5つの質問」の英文への翻訳、受け付けています。質問文を日本語で書いて、メールかBBSに送信をお願いしますね~。(^∇^)


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Hironからバトンをうただきました~♪
何を隠そう、私も人生初バトン??
前にとみねえさまんところのバトン拾おうとしたんだけど、
下書きどっかいっちゃったんだよね確か。(苦笑)
そんなこんななので、不慣れな点も多いんだけど、いってみますか~。

*****


1◆回してくれた方の印象をどうぞ

とにかく美しくてカワイイ!(笑)
ヒカチュウになってよかった、オフに出てよかった、と思うくらい。(笑々)
それに加えて(それとは別に?)、
ブログを始めるようになって書く文章がどんどんよくなっていってるのが
一番嬉しいかな。ときおり「こういうことに気をつけて」とか
アドバイスしているつもりになっていたのだが、つもりだけだったみたい。(爆)
最近はHironのリラートから僕がいろいろ学ぶことのほうが多い。(笑)
成長の契機と物事の本質は決して逃さない、まさに「チャンスの前髪の女神様」です♪


2◆周りから見た自分はどんな子だと思われていますか?
   5つ述べてください。

・英語が得意。(超誤解)
・料理が上手。(これも誤解だが、まぁいいや(笑))
・知識が豊富。(極偏った分野に限定されると思うんだが)
・愛情が極端。(Hikkiに対する愛情、ね。それは正解。(笑))
・文章が長大。(…コメントの必要なし!(爆))


3◆自分の好きな人間性について5つ述べてください。

・自分固有の価値観を大切にする人
・ユーモアとウィットを大切にする人
・ことばを大切にする人
・Open-minded-person
・宇多田ヒカルを大切にする人


4◆では反対に嫌いなタイプは?
・英語が得意でもないのに翻訳を続けてファンをだまし続ける欺瞞的人物。
・料理が上手でもないのにひとんちで料理してくるような厚顔無恥な人物。
・知識をやたらと掲示板やブログでひけらかして独り悦に入る衒学的人物。
・アーティストに対する自分の愛情をちゃんと表現できてない偽善的人物。
・文章を簡潔にまとめられないのを長さで幻惑しようとする詐欺師的人物。

5◆自分がこうなりたいと思う理想像とかありますか?

ヒカルの笑顔を増やせる人間になりたい。


6◆自分の事を慕ってくれる人に叫んでください。

ごめんね&ありがとう。


7◆そんな好きな人にバトンタッチ5名!(一言つき)

嫌いなひとはダメなの?(笑)

SACKY : ブログじゃないから断られそうだけど、単純に読んでみたい。(笑)
とみねえさま: ファンサイトだけでも超忙しそうなので、思い出したらどうぞv
乱ちゃん  : Hironが読んでみたいってさ。(笑)
ぴかイエロー: 果たしてこのブログを読んでいるのだろうか!?w
ウメ@天然娘: 福岡2日目キャンセル残念やったねぇ。その多忙を縫ってよろしく!w


8◆タイトルに回す人の名前を入れてびっくりさせてください

確かにこれはビックリするなぁ。(笑)

↓Hironとこに書いてあったので、残しとくね☆

.. - ジーッ_ .

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その1~その4で「relate/relater/rilato」を実際に使ってみた感想です。

*****



最初「リレイター」という、人間を呼称する単語から入ったのだが、いざ実際に用語を使いながら文章を書いてみたら、使い心地は以下のような印象になった。


リレイト(動詞) > リラート(名詞) ≫ リレイター(人物名詞)


動詞が、一番使えそうな感じ。単純に最初っからある単語をカタカナにして使ってるだけだからね、しっくりくるに決まってるっちゃあ決まってるんだけど。(笑) 関連した物事について考える・感じたことを書く・いろんなものを関連付けあう、というタイプの文章にはもってこいだと思ふ。今後も一番使う頻度が多そうだ。意味がわからなくても、なんとなく文脈で通じそうな使い方ができそうだし。名詞の「リラート」は、響きが気に入った♪ meiriさんに「宮沢賢治」というキーワードを教えてもらったことも後押ししてくれて、彼の詩情に共鳴する身としてはなんとも居心地がいい。少し煌き感が強いかな?と思うが「リュート」とか「リポート」とか、そういうのにも似ていて、どっちつかずの浮遊感を持ってるのがポイント。地域限定(ココだけw)だけど、もうちょっと使ってみたい、と思わせる感触が残りました。で、初出の「リレイター」だけど、紹介文で肩書きに迷ったとき、にはいい威力が発揮された感じ。(ウチのHironブログブクマんとこ参照) ただ、普段は別に余程の場面でないと“必要ない”かも。言い換えができる単語が案外多い。(単純に「書き手」とかでもOKな) 

でもま、こういう一連の感触を通じて、「書き手としての自覚」をもちやすくなる、ってのが一番の収穫かな。この単語の導入の一番の意味は「発信者になろう」という積極性にこそあるんだなぁ、と再実感しているところであります。というわけで、一旦実験終わり~♪


・・・でも、もちろんこれからも使っていくよ。ふふふ。(^m^)


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[UTADA UNITED 2006] SPECIAL REPORT! no.30


http://blog.goo.ne.jp/ultrablueunited/e/74a181b5b1705ad6bb94b5998bb012be

2006年7月14日金曜日 【2006.7.14up】

福岡に向かっています

今日僕らは週末のマリンメッセでのコンサートのために、福岡に向けて南下している。福岡に到着したあと、もういちど投稿し直して、君たちに最新情報を教えるよ。


静岡でのコンサートの写真、みんな気に入ってもらえたかな? 僕には、この2~3週間の間、ヒカルに5つの質問をするチャンスがある。もしキミがツアーに関連する何かでヒカルに訊きたいことがあるというのなら、それはどういったものだろうか? その質問を書いて、コメント欄に投稿してほしい。僕がその、ツアーに関連する質問の中から気に入った5つを選んで、彼女に訊いてみる予定だ。いい質問を期待しているよ!

もしかしたら、まだ知られてないかもしれないけれど、この英語のブログは、下に書いてあるサイトで、日本語に翻訳されているよ。
http://bbs1.on.kidd.jp/?0100/aishadow
これが、君の助けになることを願っている。


--- パット・ウッドワード


*****


訳者より: いやはや、とうとう本文中で紹介されちゃいました。(^^; 光栄です。なんとまぁありがたいことか。でも、おいらの翻訳がより多くの人の目にとまるのは、申し訳ないような恥ずかしいような・・・。(苦笑) ところでパットさん、そこ英語で書いても、肝心の日本語ユーザーはクリックしてくれないかもよ・・・(笑)。まぁ、押すだけは押してみるかな。怪しいリンクなわけもないし。★ 今回から「Mr.Woodward」を「ウッドワード」さんに表記変更しました。検索してみたら(最初にするべきだったな・・・)、「ウッドウォード」より「ウッドワード」の方が遥かに多かったので。ただそれだけっす。ちな!みに、彼は音響スタッフさんらしく。Protoolsとかを使ってサウンドメイキングを担当してらっしゃるみたいです。詳しいことは、僕もわからないまま翻訳させてもらってるんですけどね・・・(^_^; ★ ということで、「宇多田ヒカルに訊いてみたいツアーに関する5つの質問」の募集が開始されましたので、日本語で投稿してくれれば、気づき次第、英訳しますのでヨロシク。この翻訳BBSで質問なさってから、回答をコピペしてUBUBへ、という手順でもOKですよ。ただ、僕のレスがどのタイミングでくるかはわからないので、どなたでも、回答しちゃってくださいね~(ここ、元々そういう場所だしね(笑))。



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さらにいくど~怒涛の3連発の3発目だっ♪

*****


 なんだか、ことばの説明ばっかりで内実がなさすぎるなぁ、と思えてきた。(苦笑) でも、この用語の使用の提案は、別に内実が全くなくってスローガンだけがただ先走っているわけではなく、あくまで、先に実態があって、それにどう適切な名前をつけようか、というそれだけの趣旨なわけだから、既に現時点でリレイターズ・テキストと呼べる(呼びたい)文章は、この世にたくさん存在するってわけなのだ。

 ということで、この項では、「じゃ、そのリレイターズ・テキストってのは、どういうのをいうのか」っていうのを具体的に踏み込んで考察してみることにする。もちろんこの僕による“考察文”自体もリレイターズ・テキスト~“リラート”といっていいわけですがw


 まずは、やっぱりHironの書く文章を推薦したいな。彼女の書く文章こそ、それこそエッセイでもなくコラムでもなく、単なる感想でもなければ批評でもない、文章に詩情があり作法があり個性と構成があり、でも、詩や俳句というには散文的で、なにより、Hikkiのインタビューやメッセや歌詞なんかからの引用が主軸になっているから、どうにも独立した文章と捉え辛いのが難、という実に形式や呼称を決め付け難いスタイル。とはいえ――恐らく僕のところにきているほとんどのひとは彼女の「WEB-ROAD」を読んでいるだろうからわかると思うけど――、別段目新しいHikki情報が盛り込まれてるわけでもない彼女のブログにHikkiカテゴリの文章を楽しみに読みにいっている人は多いはずだ。つまり、それだけ、彼女の文章には独自の魅力があり、“Hironでなければ書けないもの/そこでしか味わえないもの”、ひとことでいえば、“Hironの創造性”が感じ取れるのが、固定読者を生んでいる大きなポイントなんじゃないかな。では、早速・・・でもないけど一例を挙げてみよう。

 【揺らめいて光る】@ 2006年07月11日

 このエントリは、表面だけみれば、単なるTV番組「トップランナー」の感想文。しかし、無論彼女の個性はそこだけにとどまらず段落を追うごとにHikkiのインタビューの内容の感想からHikkiの内面世界の成長や推移などに想像を膨らませていく。その流れの中でキリヤさんとの出会い以降の話に到達し最終的に「WINGS」の歌詞の一部とリレイトさせることで、全体の文章がキリッと引き締まる。この構成力は見事だ。熱心なファンにしか通じないのが難点ではあるけれども、この「WINGS」という楽曲はHikkiがキリヤさんとケンカしたあとに書かれたものであり、それを踏まえて“安心できる暖かい場所”というのをラスト前にもってくる機微。この魅力を前にしてこれを単なる“感想文”といってしまうのはやっぱりちょっと惜しい。

 でも実は、ここには更に、もっと私を感動させる段落があったのだ。その「WINGS」からの一節のリレイトから先、最後の方にある、「冷蔵庫の中のものを、食べていいかどうか聞いてしまうみたい」という形容だ。ここを見た瞬間、僕の背筋がぞくっとしたことは正直に告白しておこう。こう感じたのはあるいは僕だけなのかもしれないが、まぁそれでもいいや、どうしてそうまで感動したかというと、この“冷蔵庫”という単語の選び方が、そこだけでまるで小さいころのHikkiと、今キリヤさんと仲良くやっているHikkiとを(僕の中で)重ね合わせる力を持っていたのである。

 小さいころ、小学校にあがるかあがったか、というころのHikkiは、両親が音楽に没頭する余り、スタジオ代に自動車を売るような生活を送っていることに心底おびえを感じていたようだ。トップランナーでも語っていたが、自分の生活が、不安定な両親とその仲に左右されてしまう毎日。彼女は、明日すらどうなるかわからないという不安とともに日々を送っていた。だからその恐怖感が、まわりの大人(おもに両親)の顔色からその日の気分なり機嫌なりを推し量る習性を彼女に身につけさせてしまった。そういう彼女の当時の性格や環境を、「怯えながら冷蔵庫を開けていいかどうか訊く」というある生活のいち場面は、非常に象徴的に表現することに成功している。学校から帰ってきてひとりだけの家、お腹がすいてて他に誰もいないのに、ついつい「これは食べていいのだろうか?」と心配しながら冷蔵庫を開けて中を探る姿・・・「冷蔵庫」というのは、食べものが保管されている場所・毎日の生活の糧がおさまっている場所である。いうなれば、幼い鍵っ子にとっては生命線の象徴だといえる。その生命線の象徴が目の前にあり手の届くところにあるんだけどついつい躊躇ってしまう彼女。また、薄暗い部屋の中で、扉をあけた瞬間に漏れ出でる庫の中からの淡い光・・・これは、彼女のそういった孤独を表現しているようにも思える。そして、その冷蔵庫の所有者は、不安定な収入と離婚結婚を繰り返す自らの両親。「冷蔵庫の中を食べていいかどうかきいてしまう」というのは、そのころの彼女の精神状態・・・明日への不安に満ち満ちた、しかし両親への深い愛情と優しさは捨てきれずどうしても気遣ってしまう、そういうこころもちを、非常にうまく表現しているように思えた。

 翻って、今の彼女は冷蔵庫を開けるときに何のためらいも感じないだろう。ニコニコ笑いながら、「カズは何飲む~!?」とキリヤンに話し掛けながら扉を開けるに違いない。あぁ幸せそうだキリヤンめ羨ましいぞ。(笑) 僕がその場面で想像するのは、あの名曲「光」のPVの世界だ。コップを流しに持ってくる前の段階の、台所のすみの冷蔵庫を本当に幸せそうに何の躊躇いもなく開ける彼女の姿と、7歳の頃おそるおそる周囲をうかがいながらおなかをすかせて扉を開ける彼女の姿。こうこうと照りだされる蛍光灯のしたで、冷蔵庫の淡い光に気づくこともなく冷えたお酒を二人分取り出す今の大人になった彼女と、その淡い光をたよりに、食べていいものかどうかを悩みながらおびえながらチーズに手を伸ばす子供のころの彼女・・・その二つが、Hironの記した「冷蔵庫」というキーワードで、僕の中で一気に重なったのだ。その間の十数年の宇多田ヒカルというひとの波乱万丈と、それを乗り越えてきた努力の数々が、その重なり合った二つの映像の間を一瞬にして通り過ぎ、僕は胸がいっぱいになった・・・・・・。


・・・はい、そうですよ、もちろん、Hironはそんなことまで想像していないと思います。そこまでは意図してなかったと思う。でも、それでいいのだ。「リラート」とは、その名のとおり、文章から文章へと繋がりあっていく何かなのだ。Hikkiを起点として、その彼女のことば世界から膨らんだ想像から何かを文章に起こす。そして、それを読んだ読者がまたそこにリレイトする文章をそれぞれのイマジネーションを使って記していく・・・その「繋がり」が、リラートの魅力、リレイトすることの魅力なんだと思う。そのプロセスの中で、どんどんと更なる素敵な文章が生まれてくればいいのだ。今、Hironの文章は、僕の文章を生み出す新しい起点、きっかけとなった。二人の文章がリレイトしあった(繋がり合った)のである。そう、僕の今この書いてる文章も、そんな「リラートの輪」の中の一環なのだ。・・・素敵かどうかは、わからないけれどね☆


 ちょっと大仰になった。(汗) 次の例に移ろう。もっとキラクな感じでね。
 
 
 宇多田共和国を毎日のぞいている人は、忠太さんの長文も、また楽しみのひとつかもしれない。独特の文体と固定された色の文字、個性的な改行の入れ方で、中身を読まなくてもハンドルネームを確認しなくても、彼の投稿であることが常に瞭然なくらいの存在感はある。特にその中でも僕が楽しみにしているのがHikkiの新譜が出るたびに行われるかの「グルグルレポ」である。これは、渋谷を中心として、都心近辺のレコードショップでのHikkiの新譜の売れ具合や売られ具合を調査・リポートする企画で、もうずいぶん長い間やってくれているが、これが、実に面白いのである。いちおう、最新版のリンクだけ張っておこうか。

グルグルレポ その壱☆】@2006.6.15
グルグルレポ その弐☆】@2006.6.16
グルグルレポ その参☆ (最終章)】@2006.6.17

 結構な長さなのでここで「まずは読んでみてほしい」とはいわない。しかし、上記したように、少し全体を眺めて2、3行読んでもらえれば、なんとなくその独自の魅力は伝わるのではないか。有体にいえば、どちらかといえば、レイアウトにしろ段落分けにしろ、「レポート」と呼ぶには些か情報が混雑していて、これをもとに実際的な「宇多田ヒカルの都心での商業的価値」云々について述べるには、不親切な文章になっている。しかし、この文章の面白さの主眼はそこにはない。もちろん、そういった魅力もある程度備えてはいるものの、寧ろ僕がいつも注目しているのは彼の独特の語り口で綴られるグルグルレポ中の彼の心情の変化と機微である。この味わい深さの魅力が、先述の情報源文章としての不親切さを補ってあまりあるのだ。長年こういったことをやっているだけあるHikkiへの思い出の多さ思い入れの深さや懐古の情から全体のレポが始まることからわかるとおり、各店舗での描写は、多分に彼の主観が差し挟まれつつしかしだからといってご本人それが主眼にならぬようにととてもさまざまな事柄に気と心を配りつつ文章を綴っている。そこらへんの行きつ戻りつのもどかしさが妙な興趣となっているのがポイントだ。この心情の吐露の控えめな連鎖が、僕にいつも彼のグルグルレポへの期待を醸造させている。単純にいえば、それは原初的な文学風味であり、僕が時折彼のことを親愛をこめて「書生さん」と呼ぶのは、彼の如何にもな普段の佇まいも勿論そうであるけれども、決して高いとはいえない文章力のはざまに“文学性”の本質が、水面に不意に浮き上がりなおす遠くから眺めたアメンボの足跡の波紋のようにポツポツと現れて消えていくさまが、如何にも「小説家未満」な風合いを感じさせるからである。その“書生さん”の書く文章なだけに、レポートというにはひとつ利便性に欠けるし、しかし文学と言い切るにはやっぱり体裁はレポなんだしかといって文章技巧に秀でてるわけでもなしとはいえこの独特の魅力は捨て難い・・・そういった微妙な感覚に囚われるのだ。なんというのだろう、こういう微妙な感覚を押し詰めていけば、梶井基次郎の「檸檬」のような名作が出来上がるのではないだろうか。これは高校の教科書に掲載されていたほどの有名な掌編であるが、まさかそこまでの格式はないものの、同系統の匂いが忠太さんの文章から感じられるのだ。そんなわけで、彼の肩書きはその「書生さん」というのが一番気に入っているのだが、その文章の魅力が、どうにもレポというにも文学というにもどこにも収まりがつかない、という点でリラートの一種だと捉えてみれば、僕の言いたいこともなんとなく伝わるのでは、ないかなぁ。

 
 ぜんぜんキラクな感じに仕上がらなかった。(苦笑)
 次こそはもっと短く端的にまとめるぞっ。ヲーッ。
 
 
 3例目は矢島瞳姐様の「銀花帳」から。Hikkiファンサイトの中でも最も歴史のある「リラート集」と断言してしまおう。それだけに、この膨大な中からどれを選ぶか迷うところだが、比較的最近で、僕の印象に残っているテキスト――今話したいと思っている主眼にそぐう内容を簡潔に内包しているもの――を選んでみた。

「Keep Tryin'」】@2006-01-23

 この文章は短いので、すぐに目を通して頂けると思うが、もう冒頭から今回の趣旨にぴったりの導入部である。なんと、まだ聴いてない曲について語ってしまおうというのだ。当然「曲を聴いた感想文」でもないし、内容を読んでみればわかるとおり「曲調の予想」でもない。しかしながら、それまでの情報を網羅的にしかも簡潔に纏めてあって、その上異常に的を射ているのだ。2005年11月のインタビューからいきなり2002年のロング・インタビューや同年の「Message from Hikki」の引用に飛んでしまう抽斗の扱いの軽やかさも鮮やかなら、ジャケットの写真についてのカンチガイ(僕も同様だったのだが、あの写真は全部同じHikkiが並んでいるのだ)から本質をつく結論を引き出す強引さもお見事。圧巻は最後の段落で、どうあがいても「Keep Tryin’」本編を熟聴したあとに書いただろう貴女、としか思えないくらいぴったりハマっている節が居並んでいる。ここの文章の並び加減は同曲のラストそっくりだ。しかもその内容はまるで同曲のプロモーションビデオを見てきたとしか思えないシロモノ。この文章がアップされた時点ではまだPVの編集はおろか撮影すらまだ途中だったはずなのに、である。

 このように、聴いた感想でも聴く前の予想でもない、いうなれば単なる「妄想」の域にしかないのにどんどん作品の本質を突いていってしまう文章も――とてもフツーは真似できないが――リラートの一種といっていい・・・というか最早“リラートの雛型”といっていいかもしれない。感想でも予想でも批評でも批判でも考察でもない、単なる妄想にしか過ぎない筈なのに「Keep Tryin’」に纏われている空気を簡潔にしかし的確に表現している文章・・・確かに、この種のテキストに対する呼称は皆無だ。リラートとでも呼ぶしかないではないかっ!?


 ・・・おそらく、ここまで読んで当の矢島瞳姐様は「なにをおおげさなことを。(照)」と半ば呆れながら笑ってはるだろう。「そんなふうにいわれたら、これからキラクに文章が書けなくなるじゃないの。ヘンなプレッシャーかけないで~(T.T)」とw まぁ、そこはちょっとした僕の悪戯心で少々大袈裟な文体で綴ってみたのは否定しないんだけど(笑)、でも時折彼女の文章の中にはっとさせられる一節が紛れ込んでいるのは紛れもない事実なんだし、その上、あとから過去ログを読み直して思わず日付を確認し直してしまうような、上記のようなケースすらあることもまた事実なのだ。予言者というのとはちょっと違うけれども、Hikkiの音なり人なりの本質をぐわっと掴んでないと、とてもこうはいかないと思ふんだな。こういう機会でもないと彼女のその点を称賛するきっかけがつかめないので、折角だからこうやって記しておくことにした私でしたとさっ。これからも、いつもどおり肩の力の抜けた文章を遠慮なく綴ってちゃぶだい♪> 矢島瞳姐様:




 こうやって三様の「リラートな」文章を紹介しながら、結局僕がやりたかったのは「リレイト」という用語を導入しよう云々という言い訳を振りまきながらそれを隠れ蓑にして、普段頑張ってHikkiの文章を綴ってくれているひとたちに「いつも楽しく読ませてもらってますよ」とお礼をいうことだったのかもしれない――このいつにもまして冗長な3連続エントリを書き終えながら、僕はふとそんなことを思ったのでした。まる。


追伸:もちろん、ここに紹介したお三方は“Hikkiリレイターズ”のほんの一部であって、他にもまだまだたくさん、個性的で枠に囚われないテキストを書くひとたちが、いてくれてはりますよ、、、ふふふ。(くまちゃんでしめっ)




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どんどんいきます「relate/relater/rilato」関連カテゴリ。のってるよ私。(笑)

*****


 こういう新しい用語の使用の提案をしたあとに、きまってやってくる質問、っていうのがあるんだな。いわく

「では、この人の文章はリラートっていっていいんですか?ダメですか?」
「私は(彼は/彼女は)リレイターって呼んでいいんでしょうか?どうでしょう?」


 すなはち、「その用語にあてはまるか否か、白黒をはっきりつける基準が知りたい」ということ。これは、当然なんだよね。新しい言葉を覚えたらそれがどこまで適用できるのかを学びながらその意味を身につけていく…至って通常のプロセス。たとえば「ゲームソフト」ということばを最初にきいたときに、「テトリスはゲームソフトですか?ソリティアは?」ってきくことになるだろうし、「ゲームじゃないソフトも存在するの?」とかきいてきたら、かなりカンのいい質問だと思ふ。

 でだ。このバヤイの僕の答えは次のようになるw
 
「その質問をしてくれてる時点で、その文章はリラートっていっていいし、その人はリレイターって呼んじゃってかまわないよ。」


 これは、もともとのこの用語の導入の動機を思い出せば、はっきりするんだな。このことば(たち)は、そもそも「何か、既存の用語には収まり切らない文章や、それを書く人」に対して何かいい名前はないか、ということで僕が提案しているものだ。つまり、定義からして「“コラムニストともいいきれず、エッセイストともいいきれず、批評家ともちょっと違うし、詩情はあるけど詩人とカテゴライズするわけにもいかず、小説家でもないし、うーん、こういう書き手のひとのことなんて読んでいいかわかんない”人のこと」を、リレイターと呼ぼうと提案したのだ。逆にいえば、「このひとはコラムニスト」とか「こにひとはエッセイスト」とか、あきらかにカテゴライズできる場合は、その人をわざわざリレイター云々と呼ぶ必要はないし、そもそも「このひとはリレイターと呼ぶべきかどうか」という質問する必要もない。それぞれ、コラムニスト、エッセイスト、批評家、etc...と素直に呼べばいい。そういうカテゴライズが明快にはわからないから「このひとをそう呼んでいいのかどうか」を質問する必要が出てくる。そして、その疑問の感情が湧いてきた時点で、リレイターの定義に合致する。シンプルにただそう呼んじゃえばよくなるわけだw

結局、この呼称は「呼び方の定まらない、居場所がみつからない、所在無い書き手」全員に“残されてる”言い方だと思ってもらえればOK。


 ・・・あぁ、今の話、どうも意味がわかりにくくてややこしい、ってのは、わかってるよ(苦笑)。わかってて書いたんだw

 こういう屁理屈を僕がこねたがっているのには、わかりやすい理由がある。“線を引きたくない”、んだよね僕が。「あっちとこっち」っていう風に。「このひとはAに属していて、こっちの人はAに属していない」って明確に決めちゃう行為自体が、イヤなんだな。こう書けば、ヒカチュウのみなさんは即座に4月18日の名文メッセ「そっちとこっち」を思い出すだろうけど、まさに、そこに書いてあるとおり。「境界線を引いて分ける」ことより「境界を通じて接触しあってる」感覚のほうを大事にしたい。

 たぶん、Hikkiが頑なに(?)ファンクラブを作らないのも、そういう価値観からきているんだと僕は思う。(何度も書いてる気がするけどね) ファンクラブを作ったら、そこに入会してる人としていない人のあいだに、「分けるための」境界ができちゃう。象徴的にいえば「あれ?あなたファンクラブ入ってないの?それでもHikkiファン??」みたいな会話が出てきちゃうってこと。彼女は、そういう選別意識は、ファンに望んでないと思うのね。人のやることなんだもの、興味がわくときもあれば、さめるときもある。もし、今度出した歌が気に入ってくれたら、また戻ってきてくれればいいさ、昔と変わらず仲良くやろうよ、っていう、そういう感覚。そのたびにファンクラブに入会したり、そっから退会したりしてたら、どうも身動きがとりづらくなっちゃうじゃない。別にファンでもないのに惰性で入会し続けてたり、逆にまた好きになってきたけど、出戻るのも気が引ける、とかになったらなんか損でしょう?ってね。だから、コンサートツアーが始まったからといって、普段から熱心に応援してるファンも、それこそ6年ぶりにひょっこり戻ってきたファンも、チケットの入手のしやすさは変わらない。ひとりひとりが、その人なりに、Hikkiへの愛情の強さや質の違いに従って応援してくれれば、好きでいてくれれば、それでええやん(何故か関西弁なのはアタマにくまちゃんが過ぎったからだが(笑/いや、関西のひとじゃないぞ?(苦笑) 人じゃなくてクマだしなw))―― そういう肩の力の抜けた感じなんだと思う。

 僕もそれには全く同感なので、こうやって新しい言葉を導入するときに「白黒ハッキリつける」ようなことは、面倒なのでやらないことにする。(結局面倒くさがりなだけ?かい??(笑)) あくまで(くどいけど繰り返すと)、「名称・呼称がなくて所在無い、居心地がなんとなくよくない人に、名前を何かしらつけて、所在無さを解消しよう」という意図だから、別に「relate」ということばにこだわる必要もないし、他にいい単語が見つかったら、僕からして率先してそちらに乗り換えると思ふ。(笑/無責任だけどねw)



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