アメノチハレ

都志見隆の果てしない日々の日常

旅先から

2017年03月27日 | Tsushimi Takashi
最近は割とマメにスポーツクラブで汗を流している。
今のところ長続きしていると言っていい。

今はランニングマシーンにテレビもついていて
なかなかいいねえ飽きないねえとつぶやいたら
友人が、「そんなのもうだいぶ前からあるよ」と。。

バイクのペダルを漕ぎながらメール打ってる人もいる。

ピアノに向かって ない頭をひねっているよりも
スポーツクラブで曲をスケッチする方がアイデアが出そうだが。

作曲はできるだけ予定調和を裏切りたい。 
ある意味 流れに逆らってみたりすることでバランスがとれれば
むしろそんな楽曲がもっといい。

汗といっしょに先入観や固定観念をながして
仕事場で石のように固まった頭をリフレッシュ出来れば
スポーツクラブでの役割としては上出来である。

そして運動の後は代謝が上がりビール🍺もウマいし腹が減る。
今年の目標はシェイプアップだと年頭に立てたばかりだ。
毎回運動したあとはハラヘリの現実と年間目標のシェイプアップの狭間で
どう折り合いをつけるか考える。
マシンのスピードを時速6kmから9kmに上げながら
最近世間を騒がせている森友学園関係の参議院での証人喚問をほぼ見終わり
その日の昼食は早々にビールと担々麺と決めた。


「備瀬のフクギ並木」-沖縄-

そんなランニングの最中にメールが入る。
家族でハワイのマウイ島に旅行している友人からだった。
ハレアカラ山3050mからの夕暮れから星空へ変わる眺望は
息を呑むほど素晴らしく
人生観が変わりそうだとメッセージがあった。

沖縄からは友人のアーティストShifoが数枚の写真とメッセージをくれた。
新しくリリースする楽曲のプロモーションから帰京するという内容だった。
沖縄での移動中 リリース予定の楽曲の仮ミックスを聴いていると
リバーブのウエット感が邪魔で もっと乾いた音のほうが合うとわかったとあった。
出来上がりがとても楽しみである。

彼女の送ってくれた-備瀬のフクギ並木-の写真が好きだから
無断で僕のブログに掲載する予定だと帰宅後に返事を書いた。

ウエイトトレーニングモドキをひと通りやったあとシャワーを浴びて
体重計に乗った。

               
 
体重マイナス5キロへの旅は想像以上に長い道のりになりそうである。
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カモメが翔んだ

2017年03月21日 | Tsushimi Takashi
愛犬ミミの体調もだいぶ安定してきたが
老化やこれまでの投薬のせいもあってか腎臓の数値が上がっているということ。
犬も人間と同じで原因不明な事の半分は老化によると判断される。

腎臓には食事療法が一番効果的だということで
医師と相談したり個人的に色々と調べたり。

しかしながら、医者というのも千差万別
どんな医者と出会うかなんてのも
かかえた病気との付き合い方に大きく左右する

同じ疾患に対しての考え方が全く逆であったり
妥協のない考え方の人もいれば 
そのペットの年齢の事も考慮しながら柔軟に対応して頂ける医者もいる。



鰯ペプチドや青魚の脂身に含まれるDHAなどが腎機能低下に効果的というので
「サカナのタンパク質もダメですよ」という医者のほうではなく
「お肉より全然いいですよ〜」という医者の言葉のほうに乗じて
最近ではまた船釣りのモチベーションも増す一方である。

先日も、後輩と船に乗り 鯵や河豚釣りに東京湾へと繰り出した。
後輩はアジ103匹 僕はその半分の51匹

その差の原因は色々あるが、
少しモタモタしているだけで10や20の差はすぐに出る。
それくらい久しぶりに入れ食い状態だった。

僕の釣りの師匠である後輩だが
彼に会わなければ、おそらく釣りにも出会っていない。
彼以上に経験豊富な釣り人は沢山いるが
自分が釣りをやる気になった原因はそれが彼だったからである。
すべてとの出会いは縁なのだなあとつくづく思う。

その後輩 100以上釣ったはいいが、とうていさばききれず
結局船中の釣り人何人かにお裾分けして半分くらいを持ち帰った。

沖上がりの時間になり港に帰る船を一羽のカモメがずっと追いかけて来た。

もう少し近くに来いと念じながら
大きく手招きを繰り返してみたら
近寄ってきた気がした。

なんとなくではなく、
実はもしかしたら通じたかもとそんな考え方でずっと生きてる。

51匹釣ったアジの30ほどを三枚におろし
水抜きして冷凍した。
そのまま焼いてフレークにして食事に振りかけてやると
愛犬ミミはトレイを今にもひっくり返しそうな勢いでカタカタと完食である。

食事にサカナを加え始めてからユルユルウンチから硬い一本グソに変わった。
医学的数値よりも体調はすこぶる良いようである。



たまに行く沖釣りだが、
またひとつ釣りに行く理由が加わり、
役目を与えられた気分で俄然やる気になっている。

3月19日の釣果
アジ   51
サバ    1   
イシモチ  1
コハダ   1 
フグ    1
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あの〜やっぱり

2017年02月28日 | Tsushimi Takashi
よく行く船宿のおかみさんに
今年は恵方巻き食べたんですかって訊いたら
「あれは西の方の習慣でしょ?
こっち方じゃあ食べないよ。
とにかくこの時期だけ異常に高すぎるしね〜」って。

西の方にそんな習慣があったなんて
僕自身も知らなかった。

普段から巻き寿司や助六が好きでよく食べているので
我が家も最近は特に食べたりしなくなった。

時間は容赦無くすぎて明日からもう三月。



         

さて 最近ラジオなどに呼んでいただくことも増えたのだが
なぜだか収録の時よりも実際のオンエアーを聴くのは
特に恥ずかしさを覚える。

写真を見て自分の顔はこんな風なんだと改めて思うように
自分の声や喋り方も同様に
明らかに自分がイメージしているそれとは違うのだ。

先日オンエアされたものがradikoで一週間ほどの期間内で
再聴できるというので
恐る恐る聴いて見た。

決められた時間内でのトーク
「え〜あの〜やっぱり〜」が非常に多い。
おそらく え〜あの〜と間合いをとって
話す内容や言葉を組み立てているのだろうけど
喋ってる総量から、全ての「あの〜やっぱり〜」を取り除いたら
リスナーにとってどんなに聴きやすいことだろう。
無駄が多いのである。

収録では編集してもらえるが、生放送ではそのまま裸のtalkである。
喋り方に対して普段からの意識や訓練の必要性を痛感した。

隣の友人は30もの魚を釣るのに
その真横で釣ってる僕に魚はなかなか食いつかない時がある。
船長曰く
「何か無駄な動きが多いんだよ」

作曲もまた然り
今の時流がどうであれ
極力音数を減らした無駄な言葉を詰め込ませない作品の仕上がりに
意識を集中したいものである。
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元気

2017年01月31日 | Tsushimi Takashi
門前仲町と言えばこれまで女房の実家のご先祖のお墓参りに行く程度だったが
今年も明けてお誘いをいただき久々にまた門仲で飲んだ。

もうかれこれ25年になると聞いて改めて驚く。
前川清さんに書いた「男と女の破片」がリリースされたのが1991年
その当時のメーカーのスタッフの方達や
お世話になっている社長さんたちが集まった。


-辰巳新道-

最後に会ったのが25年前って。
久しぶりって言葉もちがうし、ご無沙汰ってのもなんとなく当てはまらない
四半世紀という時間を経てまたこうして訪れる出会いの妙。

当時のレコーディングの話とか作品をとりまく宣伝や営業の裏話とか
制作のこと以外で今はじめて耳にする話も多い。
「男と女の破片」という作品は実はレコーディングを2度した。
一度目に録ったものよりテンポをあげて、キーを1音あげて録音したものが
いわゆる最終形となったのだ。もちろんアレンジも質感もちがう。
曲が売れたら、そんな話も制作秘話となる。

僕の両親と同じような世代の名物社長達が
プロダクション当時の苦労話や裏話をなつかしそうに話す。
作品だって歌手だって、売れて世の中に知られてこそ
それに携わる多くの人達が幸せになるのだ。
曲を売るため タレントを守る為に奔走した数々の武勇伝は
現代ではギリギリの内容も多いかも知れないが
エネルギーはむしろそんなところから発生する。
まさに元気な時代だった。

元気というのはイコール健全ということではない。
人間だって、健康だけど元気がない人 
身体は病んでいながら
それでも元気な方は沢山いるのだ。
鉾先は違えど、
わるさも元気の一部である。

そんな方たちの中にいると、
もう少しで60歳になろうとする自分など
結局まだまだヒヨッコなのよねと潔く納得できてしまう。

僕などはもっと元気にならねばならんと思うわけである。
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The Mary Tyler Moore Show 

2017年01月27日 | Tsushimi Takashi
作曲の後輩が音楽武者修行先のL.Aからメールをくれた。
アメリカ在住のアーティストとのコラボセッションの様子や
大きなハンバーガーの写真。

アメリカでのコラボは初めてのようで
帰国後の飲みの席ではその体験談に花が咲くことだろう。

幸運なことに僕自身もこれまでに何度かの渡米のチャンスに恵まれ
その中でも20歳の時にニューヨークに約4年
その後30歳の時には丸2ヶ月ほどL.Aで曲を作り続けた経験は
その後のキャリアに大きく影響した。

どんな目的であれ、日本を離れ向こうの生活の中で
その国の文化や食そして空気に触れることは
日本にいて想像する世界とは似て非なるもの。
それまでの自分の価値観も変えかねない。
できれば若い頃の方が何でも刺激的に吸収できる事も多い。

誰が聴いて決めているかもよくわからない楽曲プレゼンに疲れたら
少しの間でもむこうに行って来るといいよと
後輩達には薦めている。


Mary Tyler Moore Dies at 80 | ABC News
今朝、Yahooニュースを見ていたらある女優さんの死が報じられていた。
メアリータイラームーアさん。

ニューヨーク留学時代のある時期
僕は彼女主演のこのコメディードラマで
英語を覚えたと言っても大袈裟ではない。
実際には渡米時の前年にドラマは終了しており
TVで流れていたのはリバイバルの放送だった。

一人一人のキャラクターの喋り方や言葉使いにも慣れてくると
より内容が理解出来てくるようになる。
言葉というのはその人の喋り方で覚えるのだ。
単語は会話の中で覚えないといつまでたっても生きた使い方が出来ない。
聞き覚えのない単語が減ってくるごとに面白さは増して
毎日のオンエアーが待ち遠しかった。
特に彼女の英語は滑舌もよく
発音が綺麗でわかりやすくとても参考になった。

訃報に触れて、一種の愛おしさにも似たなつかしさで
もしやと思ってYou Tubeを見たら
たくさんアップロードしてあるのに驚く。
昔は放映時間に間に合わずに見逃した番組も
いまではどんな形であれ大抵見る事が出来る。
つくづく便利な時代になったとおもう。

一国の大統領が思いついた事をツイートするだけで
世界が右往左往してしまう時代だが
それもただ嘆くわけにはいかない。
コンビニエントな時代の恩恵の裏側には
結果的にその副作用も同居するのだ。

起きたばかりの寝床の中で
番組のオープニングテーマから本編まで少しの間みてみた。
一瞬僕は まるで幽体離脱して
今から約40年弱前の当時のN.Yの街並や自分の日常に
舞い降りたようだった。

またひとつ 
僕のまわりにあった かつての良い時代が
その担い手と共に消えて終わってゆくようで寂しい。

メアリーさん 僕の母と同い年

安らかに。
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優しい言葉

2017年01月17日 | Tsushimi Takashi

その昔 実家の前はまだ畑でね。

雪といえば、ともだち達とその畑に積もった雪を集め
互いに陣地をつくって雪合戦をやっていたら
母がパートの仕事から帰って来たという光景を今でも時々思い出す

わが故郷 広島でも何十年振りの大雪
畑だった土地も今は綺麗な公園となって
おそらくドカ雪など見た事のない近所の子供達も
ここぞとばかり大雪と戯れながらきっと時間を忘れてるに違いない。



さて、気がつけば昨年の冬至を過ぎてから少しずつ日が長くなっている。
寒さはまだ少し続きそうだが、日が長くなるのは何とも嬉しい。
光の間口が少しずつ開いてゆくような
新しい人との縁に出会えるような
そんな心地よさがある。

正月に甥っ子たちが集まった際に、
その中の一人が溜まりに溜まった心の鬱憤を
ここぞとばかり吐き出していた。
別々に暮らしている父親のことで周りも承知していることなので
たまにはガス抜きも必要だとみんなも静かに訊いていたが
結局は酒の力も借りて集まりのほとんどの時間はその話。

彼はなんにも悪くないのだけれど
時間が長引くにつれて
その怒りの気持ちや言葉で
こちらも結構疲れてくる。

先日会った友人が言っていたことを思い出した。

人の悩みなど聞くときは時間を決めてあげたほうが
話す方も聞いてあげる方もお互の為にいいらしい。

例えば、「話聞くけど、30分ね」って時間を区切ると
話す方もその中で完結しようとするらしく、
時間が来たら話題を変えればいい。

人に向けた念というものは
そのぶん自分のエネルギーも取られる。

なるべく、優しい言葉を使って過ごせるように
自分の気持ちを穏やかにコントロールできたらいいね。

言うは行うより易しだけど
今度彼に会ったら
自分の事はひとまず棚の上の方に上げておいて
ちょっとそんなアドバイスもしてやるか。
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断酒

2017年01月10日 | Tsushimi Takashi
年々正月らしさがなくなるなあなどとボヤキながら
それでも毎年無事に新しい年を迎えられるという事は
とても有り難いことですね。
いい事 そうでない事 色々
それら全部が我が人生の血となり肉となり でしょうか。

遠くに拝めば美しい富士もその麓から実際に登りはじめれば
その険しさたるや外から眺めているのとは大違い。
人もその美しさの裏側には人知れず
幾重の苦悩を越えて来た日々があるのだなあと
素敵な方々に出会う度にそう感じてしまいます。


2017.1.10 大阪出張の友人が撮影

さて、断酒。
もちろん、これから先ずっとではありません。
飲み食いしすぎて血肉を通り越え贅肉だらけになった内臓を休めるため
少しの間(といっても次の健康診断まで)酒を断ーつッ!

ここ何十年と健康診断の前の日もBeer🍺くらいはええやろと
気にせず飲んでいましたが
肝機能の数値も高く一度酒無しの状態で検査しましょうという事になり。

新しい年のはじめということもあり
何事もその気になっている時が旬ですね。

今年はシェイプアップの年
身体だけでなく 心も 
そして作品にも一段と磨きをかけます。
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2017

2017年01月06日 | Tsushimi Takashi
みなさま
新年も無事に明けましてもう一週間。
時間は容赦なく過ぎて行きますね。
ブログのほうは長くご無沙汰してしまいました。

昨年は色々あった中ではやはり愛犬を失った事は
一番の大きな出来事だったでしょうか。
実はチロが亡くなったその翌日から、
まるで順番を待っていたかのように
もう一匹のミミが具合を悪くしてしまい
今は主治医を離れ東大の動物医療センターのほうで投薬治療中ですが、
とりあえず体調は回復しひと安心。
もう16歳なので色々とくたびれてくるのは無理もないよね。
残りの時間をどうか心地よく穏やかに過ごしてくれたらと
ただただ願うばかりです。

ひとつ不思議に思うことが。
以前のミミは偏食気味で1日1回の食事も気まぐれ食いで
薬に対する警戒心も強くとても苦労したのだけど
チロが亡くなってからというもの
最近は毎朝毎夕どんなに寝ていても必ず起きて薬を飲むようになって。
生前のチロがそういう几帳面な犬だったので
なんだかミミに乗り移って導いてくれている気がして
いつもチロの写真にありがとうって手を合わせてる。



さてさて、今年は元旦明けの2日 友人と東京湾に河豚を釣りに。

今までなら、新春に豪打!と銘打って仲間とゴルフに出かけていたのだが
昨年の春から始めた釣行の熱は未だ冷めるどころか
慣れて来るとそれなりの面白さが次から次へと湧いてくるようで。
それはまるで、宿題なんかなければよいのにと、
時間を忘れてギターを弾いていた小中学時代の自分に出会っているかのよう。

糸を垂らした先の目に見えぬサカナの気配に五感を傾け、
時に己の無力さと向き合いながら心を研ぎすまそう。

そしてさらなるヒット曲を 時代を越えて響いてゆけるような歌を
全身全霊をかけて作ってやる!という意気込みと共に
また新しい1年のスタートでございます。

改めて今年もどうぞよろしくお願い致します。

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さようなら チロ!

2016年11月16日 | Tsushimi Takashi
何からどう書いていいか迷うけれど
わが家に来てくれてから12年と10ヶ月
一緒に過ごした愛犬チロがついにあの世にへと旅立った。



この2年間は何種類かの薬を飲みながら、
何度も病院に行き何度も夜間救急に行き 
良くなったり悪くなったり 安堵したかと思えば 
もうダメかなと思いながらの時間の連続だった。

可哀想だがもうそれ以上我々にやってやれる事はなく、
1日でも長く生きてほしいとただ願うばかりだった。

小型犬で高齢になると発症しやすくなるという心臓弁膜症。
普段は一方向にしか流れない血液が
心臓弁が不全で血液が逆流するようになり 
全身に血液が行き届かなくなるので
それを補う為に心臓がより多くビートを打って
血液を送り出さなくてはならなくなる。

寝ていても、マラソンしている時のような鼓動で心臓が働いている状態で
腕に抱けばその小さな身体が揺れる程の鼓動が痛々しく伝わり、
隣の部屋で寝かせていても、
その呼吸の音がこちらの部屋にまで聴こえて来て
苦しげなチロの寝息にたまらず耳を塞いだこともある。

どんないい薬でも長く飲み続ければ
効き目も薄れる。
苦しい日もあれば楽な日もあり が、
だんだんそのバランスも悪くなっていった。

でも よく頑張った。
老犬と言われるようになるまで生きてくれたじゃないか。
タラレバばかりを並べればキリがないが
それだけ生きてくれた事は
飼い主である我々にとっては
とても大きな慰めになっている。

毎日毎日ずっとそうしてくれたように、
最後の日も僕の帰りを玄関で待っていてくれた。
僕の帰宅後すぐに呼吸は荒くなりそれから1時間ほどで力尽きた。
呼吸が荒れて苦しむ光景はもう何度も目にして来たが
何となくその日は
もしかしたら今日がチロの最後になるかも知れないと思った。
女房の「チロ、もう頑張らなくていいよ」と背中をさする姿をみて
本当にその通りだと思った。もうがんばらないでくれ。
その言葉を受けたかのように
それからスッとチロの身体から力が抜け、脱糞し
そして何度か痙攣したのちに動かなくなった。
胸に手を当てるとまだ心臓はかすかに動いていた。
大声で何度名前をよんでももうチロは帰ってこなかった。

2016.11.11 20時45分 

一緒に散歩をしていた広場や駐車場や道などには
くっきりと映像が残っていてまだなんともやりきれないが
さすがに三日三晩も泣けば
こうして言葉にできるくらいには気持ちの整理がついた。

 チロ 
ごめんな。最後までちゃんとやってやれたかどうか
今でも自信ないけど
お前はうちに来て幸せだったか?
もしそうだったらうれしいな。

あの日 ミミは苦しんでるチロのそばに一度も来なかった。
部屋に入って来さえしなかった。
どうしてなんだろう。
最近少し落ち着いた日々が戻って来たら、
毎朝ミミは色んな場所の匂いを嗅ぎながら
チロの事を探し始めたよ。
どこを探しても見つからないので
そのあとはいつも寂しそうに丸まって寝はじめる。



2匹はまるで親子のようだったから、
一人残ったミミを見ていると
とても不憫に思うよ。
むしろそんなミミを見ていて泣けてくる。
仕方がないことだけどね。
限りのある命だもの。  

チロ あっちの世界に戻る前に、
出来れば一度くらい夢の中に出て来てくれたら嬉しいよな。

どうか安らかに安らかに。
ゆっくりと大きく息を吸って吐いて

きっとまた会えるね。
とっても幸せだったよ。
色々ありがとうね チロ!
さようなら。


アーク動物病院
の先生方 スタッフの皆さま
いつも親身に対応してくださり心より感謝しています。
ありがとうございました。
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祇園恋物語〜京都へ その弐 

2016年10月22日 | Tsushimi Takashi
仕事柄、ほとんど地方出張のない生活が基本だが
ひさしぶりに先日、大阪、京都へと旅をして来た。

大阪で活動するミューアというアーティストのライブに参加したのち
京都へ移動。
待ち合わせのKBS京都へ向かい、ラジオ二本を収録させて頂いた。


KBS京都 「ホリー&春さんの祇園恋物語」

それにしても「縁」とは不思議なものである。
それぞれが違う場所で生まれて、様々な環境の中で生活しながら
少しでも違った道をゆけば、
もしかしたら出会えなかったかったかも知れない人間同士が
偶然のふりをしてふっと引き合わせていただくわけだ。

もしあの時そうこうしなければ、
全く違った人生の出会いがあっただろうけれどなんて考えるが、
そもそも人との出会いとはもっともっと以前にさかのぼって
そのご縁は始まっていたのかもしれないなんて思う。

もしあの歌を書かなければ、
あの時に頂いたお手紙にお返事をしていなければ
今回のご縁はなかったように思ってみても
実はもっと昔から たとえば僕が音楽を志したときから いや
果ては生まれたときからもう出会いの道筋ができていたのかも知れない。
あとは準備ができたらお互いのタイミングを見計らって
ふっと誰かが出会わせてくれるのかも。

初対面にもかかわらず昔から知っていたような感覚になるのも
そんなわけもあるのかもしれない。

先日もこのブログで綴った 亡くなった歌手の甲斐ゆたかさんに書いた作品を通して
写真左手前のホリーさんこと堀内圭三さんが2ヶ月前に僕に手紙をくれた。
昔の僕の楽曲など沢山の作品のファンだと仰って頂いて
改めて作品の向こう側に必ず聴いてくれている人がいるという事を再認識する。
煮詰まった時 投げ出したくなった時 そんな人達の顔を思い浮かべてみよう。
本当に出会いは不思議。
僕と同い年で地元中心に活躍している歌手の春さん(柳田道春さん)(写真左奥)ともご一緒に
夜は祇園でとても和やかにおもてなし頂いた。
おかげで京都は僕にとって以前よりグッと近い場所になる。

母方のおばあちゃんの喉仏が納められている清水の近くの大谷本廟にも出向く事が出来て
京都から電話を入れたら母もとても喜んでくれた。

そういえば京都に向かう日のランチは前日のライブでお世話になったミューアや
大阪のおっちゃん達とお好み焼きに誘って頂いたのだが
どう考えてもお好み焼きにライスとみそ汁は、やっぱりあきまへん。
次回は焼きそばとライスにしてみますわ。

てなわけで久々の出張に味を占めた僕は 
またなんやかんや機会を作って
そんな気の合う人達とまた一杯やりたいと思う今日この頃。

折角お会い出来ると思っていた祇園「NEST」の美人ママが風邪でお休み。。

というわけで また 次の機会に。

ホリーさんはじめ 
今回ラジオでお世話になったKBS京都の制作スタッフの皆様
このたびは色々とありがとうございました。
とてもいい時間を過ごさせて頂きました。
心より感謝申し上げます。
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おめでとう!

2016年09月27日 | Tsushimi Takashi
この年齢になるとそれなりに予期せぬ訃報も少なからず届く。
一方では、結婚や出産といった吉報も多い。
もちろん同世代の友人達のその息子や娘達の話だが。

相手の応えを急がない時 そして急がせたくない時は
ほとんどがメールやメッセージなどのSNSを使ってやり取りしているので
そんな相手からたまに夜遅く電話が鳴ると一瞬ビクッと構えてしまう。

最初に頭に過るのは、やはり誰かに不幸があったとかそういう事だが
おそるおそる電話に出て相手の第一声のトーンを確認
ホッと胸をなでおろした。

広島時代から一緒に歩んで来た友人の息子が結婚するので
是非ビデオレターを撮ってほしいという内容だった。

もちろん My Presserよ!

と快く引き受けたのはいいのだが
いざとなってみれば
やれ、髪型はどうしよう 着るものはどうしよう どこで撮影しよう
BGMは何がいい 下書きをしようか など
一本のコメント録りの前に やらなければならない事が多すぎである。
というか 物事をそういう風に感じて捉えてしまう言わば性分なのだろう。

だから疲れる。

サッとiPhoneをセットして、お祝いの言葉を述べて それっを送ればいいだけなのに。

何度も台詞を噛みながら七転八倒したあげく、何度目かでとりあえず完了。

あれほどメッセージはコンパクトにと言われていたのに
終わってみればまだ長い。

案の定長くなったから、適当なところで切って使ってくれとメッセージを添え
ええい!と送信ボタンを押した。

朝起きたら、友人からメッセージが入っていた。

長いのではないか、内容的にどうか、だいぶ年取ったねと言われるのではないか
ニヤケていたのではないか という僕自身の懸念材料は吹っ飛んだ。

「ありがとう。昔の事もいろいろ思い出して涙が出そうになった。
息子もきっと喜ぶと思うよ。落ち着いたら飲みに行こう」と あった。

彼も僕も18歳 広島から音楽やるためにお互いに東京を目指してから40年が経った。
自分達自身のために選んだ音楽という職業で
いつしか人に喜んでもらえることに心から喜びを感じれるそんな歳になった。

息子が生まれた!と友人の下丸子のアパートに会いにいってから30年
のちに娘さんも授かって彼女ももう20代半ば。

あの時志した音楽の道で二人の子供を立派に育てて来た。

凄い事じゃないか。息子の結婚はもちろんだが
そんな親になった君をもっと讃えたい。

本当に本当に おめでとう!                





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京都へ その壱

2016年09月15日 | Tsushimi Takashi
京都といえば、何年か前に訪れたきりで 
過去にも数回しか駅に降りた事がない。
人の喉の骨が仏様に似ている事からそれを喉仏というが
母方の祖母の喉仏が京都の西本願寺に納骨してあるということで
はじめてお参りしてからもう10数年は経つ。
ちなみに僕は分骨や散骨に関しては反対論者である。

さて 
これまでそんなに多くはないが色んな歌を書いてきて、
もちろんまだその途上ではあるが
そんな作品達が繋いでくれたご縁が少なからずある。

自分の知らないところで知らない人が
その歌をとても愛していてくれているんだとイメージする事ができれば
次の作品へのすごい力になる。

先日、ある方からお手紙いただいて 
その後何度かメールでもやりとりするうちに
その方に実際に会いたくなった。

そうこうしているうちに、大阪に出向く用が舞い込んで来た。
ならば京都のその方にも会ってこよう。

ついでで悪いが広島にも足を伸ばして
両親に不意打ちを食らわすか。
びっくりして心臓が止まらぬように
やはり京都から一本電話を入れて
今からちょこっと帰ると言ってからにするか。

何ごともイメージする事がとても大切。

書きたい曲 食べたいもの 釣りたい魚  なんでもかんでも。
ありたい自分 そして 会いたい人

イメージすれば叶うと錯覚し妄想する事。

それも大事。            

                 
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Want you 俺の肩を抱きしめてくれ

2016年09月07日 | Tsushimi Takashi
「お前、丸井というデパート知ってるか?
金がないなら取りあえずそこで月賦で必要なもの買っとけ。
そのあと別な買い物してもすべて月々の支払いは定額でいいんだから」
今でいうリボ払いである。

広島から上京したての1977年
その後の住まいの中心となった四谷三丁目の交差点が
僕には渋谷のハチ公の交差点並みの大きさに感じた。
夜の新宿裏通り〜と唄い始まる八代亜紀のうた(なみだ恋)の舞台はここか〜と
西口の高層ビル そして歌舞伎町あたりの小アジアなエリアが
漠然と同居する巨大な街を見上げては
この大きな都会で今から新しく始まる自分の人生に
いささかビビっていた。



まだ右も左もよくわからない時に
「どうだ、少しは東京に慣れたか?」「風呂に入りに来いよ」
なんていつも声をかけてくれていた方がいた。
お世話になった事務所のスタッフの方で
自分より3つくらい年上だった。


独身時代の彼の狭い部屋にも何度か泊めてもらった。
シングルベッドがくっついた壁には
アランドロンのDURBANのポスターが貼ってあった。
いつもスーツをビシッと決めていた方だったが、
そのルーツが理解出来た。

4年弱の海外留学から帰国した際にも、最初に声をかけてもらった。
「元気そうだな」「お前、もっと垢抜けて帰ってくるかと思ったけど
広島から出て来た頃とそう変わらないなあ。それがまたお前らしいけどな」

結婚してからも夫婦で一緒にゴルフもした。
「あらら、また自分の世界入っちゃった。まあクリエーターだから仕方がないよな。
奥さんも大変でしょう?こんな喜怒哀楽がはっきりわかりすぎるのも(笑)。」
思うようにいかないとすぐに寡黙に一人旅する僕をみて
よくそう言って場を和ませてくれていた。

近年は、長年勤め上げた事務所を退社して今度は自身で事務所を立ち上げ
俳優をマネージメントしておられたらしい。

今朝、知り合いの方から手紙を頂いた。

「そういえばもうすでにご存知とは思いますが、
赤坂の事務所時代に一緒だった吉澤豊彦が肺がんで亡くなったと....」


もう少し憎まれっ子でいれば もっと長生きできたかもしれないのに。

酒に酔うと南佳孝の曲が好きでよく唄っていた。

もう一度お目にかかりたかった。

吉澤さん ありがとうございました。

安らかに

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爆釣

2016年09月06日 | Tsushimi Takashi
「釣れたじゃなく、釣ったという感覚がほしいんです。
悔しいので明日も練習がてら釣り行って来ます!」とは
同じ業界に身を置く友人である。

「都志見さん、釣りなんかやるの?さかな臭くなるよ」と去年の今頃。
食べることには興味はあっても
釣り自体には全く興味がなかった人間の変わり様である。



物事に凝ったり拘ったり
時間をかけて突き詰めて来たからこそ
失敗の数以上に喜びを味わえる。

我々の住む音楽の世界などは言ってしまえば
そんなこだわりを持たなくなったら
奇跡どころか寝た子も起こせない。
人に感動を与えるなんて夢のまた夢。

昔と違ってそんなに多くの種類の人間と
関わりを持たなくなったせいもあるが
どうも自分の周りには、ことごとくそういった
凝り性の人種ばかりが目立つようになった。

思い通りにいかない悔しさも
楽しみのうちである。
さかなと真剣に向き合う程に
釣りは面白味を増してゆく。

趣味で始めた音楽だって
やればやるほどのめり込んだ。
そんなに好きなことを職業にしたいと思うのは
今考えれば自分にとって当然の成り行きだった。

昔からよく訊かれる事に
今まで書いた曲で予想に反して売れたり
予想もしなかった反響があった作品は
あったりしたかという質問がある。
先日ゲストに呼んでいただいたラジオでも話したのだが
自分にはそんな強烈で想定外な経験はないかもしれない。
毎回全力であるが、
そのことと出せる結果は別である

自分の意識に反して売れたためしがないのは
案外幸せな事なのだ。

友人の釣行と同じく
僕自身も日々悔しい思いと戦いながら
ひとつでも多く作品をヒットさせたいと踏ん張っている。

釣れたじゃなく 釣りたいのである
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歌は世につれ世は歌につれ

2016年08月31日 | Tsushimi Takashi
先日、三波豊和さんのライブにお邪魔してきた。

豊和さんといえば三波春夫さんの息子さん。
そして三波春夫さんといえば
忘れもしない1970年 僕が小学校六年生の時の大阪万国博覧会
そのテーマ曲「世界の国からこんにちは(1967)」を唄われた。

余談であるが1970年の万博会場で食べたカレーが500円。

豊和さんとは約2年前であるが
参加したあるゴルフコンペではじめてお会いした。
遠くから駆け寄って来こられて
「いやあ、都志見さんの書いた曲好きでいつも唄ってますよ!」と
声をかけて頂いたのが最初だった。



それ以来ゴルフやお芝居の案内など何度か頂いたのだが
あいにく都合がつかずあれ以来お目にかかれずにいた。
今回のライブ それから御自身がパーソナリティーをやられている
ラジオ番組へのゲスト出演の件も含めて
ありがたいことに今年もご連絡を頂いた。
特に今回はライブの中で
中西保志の「最後の雨」という曲を唄いますからとあったので
こちらとしても少々緊張しながら聴いた。

ライブで唄われた豊和さん自身のデビュー曲「青春よ翔べ(1975)」や
特に御父上の代表曲でもある歌謡浪曲『俵星玄蕃(たわらぼしげんば)』
この作品は多くの歌手に唄われている作品だが
あの糸をピンと張った様な声質を遺伝子としても引き継いだ
豊和さんのその歌声と表現力に圧倒されてしまった。
その「俵星玄蕃」を聴きながら
たとえば歌手がこれを唄える事って
それだけで一芸に価すると思えたほど。

そんな歌たちが求められ楽しまれた時代を
僕は本当にいい時代だったと心から思う。

歌は世につれ そしてまさに世は歌につれ

Rioの五輪も終わり、さて4年後の東京五輪2020
少なくともこれから4年はこの新しい東京オリンピックに向かって
あらゆることが渦をまくように加速してゆくのだろう。

豊和さんがライブの終盤で唄った東京五輪音頭(1963)。

「オリンピックの顔と顔 ソレ トトント トトント 顔と顔〜♫」
まるで御父上の歌を聴いているようではじめてフルコーラスを聴いた。

四年後 なんだかまたこういう歌が響く日本であればいいなと思った。
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