アメノチハレ

都志見隆の果てしない日々の日常

穴ぐら

2006年10月22日 | Tsushimi Takashi
ちょっと、こもりっきりの生活が続いてこのブログもご無沙汰してしまった。
長年の経験も、ここぞの一曲を前にしては壁になったりして、いつまでたってもスッといかないし、ある意味それがモノを作る
上での厳しさでもあるな。音楽界全体を背負っているわけでもなんでもないが、個人としての使命感は充分ある。
結果的に鼻歌で唄える曲をつくるのに、体全体を使ってつくるまさに肉体労働なわけだ。
そりゃ、それなりの覚悟がないと難しい仕事だよな。
誰かに勝つというよりも、自分のイメージや吐き出したいものを形に出来た時が勝ちなわけだよな。
その裏には、自分を信じる気持ちがないと成立しない。クリエイティブっていう意味はそういう事。
あらためてこの仕事の難しさを認識したしまた、素晴らしさも再確認できた感じだ。
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2006年10月08日 | Tsushimi Takashi
今夜の月は驚くほど明るく真ん丸だ。
夜空を見上げると、白い雲と青い空がとても不思議な空間を創る。
夜こんなに綺麗な雲も珍しい。

週末くらい仕事の事は忘れて過ごしたいがどうもそういう性分ではないらしい。
だが、昨日までの大雨とは打って変わって、今日は何度も”気持ちいい~”と誰にでもなく発しながら
無理矢理仕事の事は忘れる事にした。

湿っ気た家の窓を全開にして、車の窓を全開にして、キャディーバッグの中にしまいっぱなしにしておいた
ゴルフ用のレインウェアを干して、久しくエンジンをかけてなかったバイクに火を入れてと、
取り立てて言うほど大した事のない事を無性にやりたくなった。

そうやって終える一日は、なんとなく生きるって事を営んでる感じがしてならない。
陽にあたりながら、腰に蚊取り線香をぶら下げて、風で飛んで来た枯れ葉を掃きハーレーのハンドルを交換し
倉庫にしまっておいた使わないものを捨てて、犬どもを車に乗せてドライブした帰りに
長い下り坂の正面の上のほうに見た本日最初の月は絵をみている様だった。

昔から、太陽には感謝を、そして月には願い事をしていいんだよって誰からともなく聞いて来た。

月に見えるうさぎは何も日本だけのお話ではなく海外にもいろんな話があるらしい。

魂の帰る場所っていう人もいる。

月のような惑星があと三つくらい夜空に浮かんでいたら、地球はもっと平和になるかも知れないと根拠なく思う。
人類みな兄弟ってもっと思うかも知れない。


昔、高校三年の頃、新聞配達で知り合った友達とよく実家の裏の土手にいった。
肉屋のバイトが終わった彼は、たまにコロッケなんかをお袋に届けてくれたので、そのままバイクの後ろに乗って
夜でも外出しやすかった。

そのまま裏の土手にいって、車の入れないエリアまで行き、大の字に寝そべって二人夜空をずっと見上げながら
色んな事を話した。
俺は音楽の道に進む事を決めていたが、そいつは警察官になるか、自衛隊に入るか、ヤクザもいいなあって言ってた。
何時間も寝そべって、星や月を仰ぎながら色んな話をした。飽きなかった。

俺の願いはきっと月に届いたかも知れない。
そいつは、噂では仁侠の世界へ行ったらしい。

月って不思議だな。



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ナイスショット!

2006年10月07日 | Tsushimi Takashi
ゴルフを始めてもう18年になる。
最初の目的は悪くなった自律神経を少しでも癒すために始めたが、途中から目的はナイスショットの快感、
それから初めてスコアにこだわり始めたらもう止まらなくなっていた。
毎日仕事が終わったら深夜だって練習場に行って打ち込まないと落ち着かない日々。
筋トレの様に一日でも欠かすと筋力がおちてしまうのではないかという恐怖感と同じような感覚で、
暇さえあればクラブを握り、家ではパターの練習を。

見えては見失い、一皮剥けてはまた被り、クラブを取っ替え引っ替え、多い時は月に最高8ラウンド、
年間で最高54ラウンドをした時代もあった。
もちろんラウンドが終わってから深夜まで曲書きして、少しの睡眠でも平気でラウンドした。
体力も今よりあったし、限られた時間の中では逆に集中力増して仕事もバリバリやってた。

先日、友人と話していて、ゴルフの話題になりあらためて18年やって来た事を振り返った。

やればやるだけ上手くなれば、今頃は宮里藍ちゃんなんか敵ではないだろう(笑)。
クラブだって毎年ニューモデルが発売され、そのうたい文句通りに10ヤードづつ飛距離がのびていたら
今頃はタイガーウッズなんかチョチョイのチョイだ。

しかし現実は逆だ。
やればやるほど難しくなるのがゴルフだ。
ひとつでもいいスコアでまわりたいという欲。
ドライバーで何ヤード飛ばすという美学。
ショートアイアンでピタっとピンに絡めたい願望。
同伴者にいいスウィングですねと言われたい自惚れ。
一度はクラブチャンピオンになりたいという夢。

やり始めの頃には考えもしなかった色んな事を考えてボールを打ち始めるからだ。

して....作曲も同じだ。
やればやるほど難しくなる。
色んな事を知り、余計な事を考え始めるからだ。
なまじっか知識がないほうが勢いがあっていい時もある。
疑わないからだ。
経験だって、時と場合によっては邪魔になる。
余計な事を考えず、とにかくグリーンの真ん中狙って無心に打つほうがボールは真っすぐ飛んでゆくもんだ。
頭より先に身体や感覚が反応するようになればゴルフは上手くなる。

作曲も、頭で考えているうちは行き場がありすぎて結局まとまらない事が多い。
視界がいい真っすぐなコースでボールを曲げて打つ必要はないが、そんな時ほど曲がる。
グリーンに乗せたいという欲と真っすぐに距離ピタでという美学でなかなか練習場のようにはいかない。

作曲で煮詰まる事など、この仕事を始めてからまるで守護霊のように絶えずいつも俺の側にくっついていて離れない。
それもこれも、いい曲を世の中に送り出したいという美学であり俺の最大の欲望が邪魔をするわけさ。
俺もあと20年くらい経験積めば、楽になるかな。。

いや、おそらくこの仕事を続けてる限りは楽にはなるまいな。。たぶん。

やればやるほど難しくなる。。。。だけどやめれないから不思議だ。




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吉野家

2006年10月06日 | Tsushimi Takashi
昔、30年前に上京した頃、安いな~と思って食べてた牛丼。300円だった。
当時、同郷の上野義雄と(ドラム、CM作家)、今日は金が入ったから豪勢にいこう!と
吉野家でビールに漬け物、みそ汁つけて牛丼食ったのを思い出す。
ささやかではあったが、好きな音楽への夢を肴に盛り上がったもんだ。

今でこそ、米牛の問題で値段も少し上がったが、それにしても時代と物価の関係からしても現在タバコを買う値段で
一杯のどんぶり飯が食べられるのはある意味不思議だ。

今日、昼間髪を切りに恵比寿に行ったのだが、美容室の目と鼻の先に見つけた吉野家。
覗いてみるとお客の出入りは激しいが空席を見つけたので、今日までと聞いていたのもあって何年か振りの吉牛を味わった。
何故か警備員が居て、空いてますよ、どうぞ~!って言ってた。
並と頼んだらマジ10秒で出て来た。あまりに早すぎて ”ん...” と声が出た。

ひさびさの米牛はジューシーで、俺は以前の印象よりよかったように思う。
場所がらか女性も若いのもおばちゃんも、たくさんの人種が一生懸命食べてた。う~ん、女性の一人客も多く
早い、安い、ウマいのコピーの全く外側にいる、生粋の吉牛ファンなのだろう。

昔赤坂に住んでいた頃、もとのTBSの玄関の前あたりに確か同じ名前の吉野家という牛丼屋があったように思う。
店の装いもすこしだけ高級感があり肉も上品で確か500円だったと思う。
何回か行ったが、結局オレンジ色の吉野家に戻った。

そういえば、何年か前に地下鉄のキヨスクに吉野家というオレンジの表紙の文庫があり買って読んだ。
吉野家の歴史やおもしろ話が一杯で、一気に読んだ覚えがある。
一号店は確か築地で、その頃の常連の話、つゆダクの歴史、ネギ抜きやネギダクとかバリエーションがいっぱい。
それもこれも常連の好みに合わせていたそうだ。

牛丼って聞くとやはり吉野家が浮かぶ。
ラーメン同様日本の食文化の一端を担う食べ物だろうか。
NYにも、DOSANKOとBeef Boulという名でラーメンと牛丼があったがやはりアメリカ仕様で個人的には
日本のそれとは違う印象であった。

何故か忘れた頃に食べたくなる逸品だ。

さてさて、次は来月かな?




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エアチェック

2006年10月04日 | Tsushimi Takashi
昔はよくエアチェックしたもんだ。
新聞のラジオ番組表でFMの番組を調べて、気に入った曲をカセットに録音した。
大げさなチューナーの針が振れてstereoという文字が光ると興奮したもんだ。

AMではオールナイトニッポンをよく聞いた。
あの時間帯は周りも静かで、一人の世界に没頭できたなあ。
小坂明子の”あなた”って曲が流行っていたような気がする。

もっと小さい頃は二段ベッドの上で江戸川乱歩の作品を毎日少しずつ朗読する数分間の番組を布団をかぶって聞いていた。
とても怖かったが、布団をかぶってるので安心だった。番組が始まる前にはちゃんと小便を済ましておいた。

親戚のおじさんのアパートには、家具のようなステレオがあり
遊びにいくと、いつも橋幸夫のレコードをクリーナーでホコリをとってから静かにターンテーブルにのせ、
そっとそっと針を落としていた。その光景が妙にかっこよくて早く大人になって俺もステレオがほしいって思ったもんだ。

しかし最近は便利になったな。
アップルのiTuneはiPodと共に仕事でも活躍してるが、この中のラジオはとてもいい。
いろんなジャンルによって音楽番組がまとめられていて、最近気づいたのだけど曲名が出る(遅)。
主にクラシック系をかけっぱなしにしている事も多いが、いい曲だなって思って画面をみたら作曲家と曲名が出ているではないかっ!これはとてもいい。曲を聞きながらその作曲家をネットで調べる事も容易だ。あらためてコンピューターテクノロジーの
進化に脱帽である。

余談だが、日本製の唯一の飛行機YS-11がとうとう日本での任務を終えたらしいね。
約40年かな。沖永良部→鹿児島を最後に。俺らが子供の頃はよく広島空港に見にいったもんだ。
国内では自衛隊 あとは海外ではまだ飛んでいるらしいがね。
それもこれも進化や発展を支えて来た人や物の力のおかげだね。

さてさて、今日はこの辺で。。
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25年ぶりの手紙

2006年10月01日 | Tsushimi Takashi
いや~感動して涙が出たわ。
今日午後フジテレビでたまたま見た"ザ.ノンフィクション”っていう番組だけど、クーペさんという元落語家の物語でね、実は一緒にやっているshifoというピアノ&ボーカルはよく知っていて、実際にこの話も昔からよく知っていた。
え~と、少し興奮していて何から話していいのか混乱してるんだけど.....

ある日クーペさんのもとに一通の手紙が届いた。
25年前に別れた娘さんからだった。
彼女は興信所などを調べて彼のもとに後にも先にも一通だけ手紙を出した。
一言”生んでくれてありがとう”って言うために。
そしてこれから先2度と手紙は出さない。私の事も捜さないで下さい。母には内緒なので...」
とも書かれていました.
クーペさんは泣き、返事を書いたが返事を出したくても住所もわからない。
んでshifoがそれに曲をつけて出来上がったのが
”25年ぶりの手紙”

そこでその歌を娘さんに届けるためにshifo&クーペはそれを自費制作でCDにした。
いつかどこかで彼女に届くように...そして必ず届くと信じて。

もう三年以上前になるかな....南青山の曼荼羅でのライブを見に行った。
当時shifoはまだ俺の事務所にちょくちょく出入りしていたのだけど、自身がシンガーソングライターであるにもかかわらず
クーペさんのその想いを形にするためにず~っとがんばってたよな。

んで、届いたのよ! そして娘さんにも会えた!

少しずつだけど、色んな人がこの事を耳にして、少しずつ少しずつ広がっていって 協力者も増え メジャーも動き
そしてそして娘さんの住む街で娘さんの見ている前でコンサートも出来た。

すごいと思わない!? ほんで今年の春...国際フォーラム満杯ですよ!

すごいよ、ほんま!やったねshifo!
それからクーペさんおめでとう!

伝わるんだな..想いって。 叶うんだね..夢って。 そして 届くんだね...音楽。
素敵な素敵な話だよ。

shifoとクーペさんのいる店
shifoのホームページ
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