アメノチハレ

都志見隆の果てしない日々の日常

近隣のものより

2006年06月27日 | Tsushimi Takashi
先日だが、ひさびさの出張をしてきた。大阪と名古屋でのナナムジカのライブに付き添って来た。
大阪も名古屋も、新幹線では毎年必ず二回は素通りするものの、駅に降り立ったのは何十年ぶりだろうか。仕事先と駅の間の風景しか覚えのなかった何十年前と、さほど景色が変わった印象もない。とっても大幅に都市(まち)自体は動いてるのだろうが。
アルバム購入者特典としての招待ライブだったにもかかわらず、予想を反して大勢の人が駆けつけてくれた。
ライブって本当に生き物だと思う。
そして、アーティストが生まれた時から近隣に居る俺は、たぶん本番がそのようになるであろうという空気が本人達のリハーサルでわかる。
今回は大阪、名古屋、そして東京と同じパッケージで3都市だったが、これがたとえば全国七カ所や12カ所になると、もっと具体的にわかるようになるであろう。
いわゆる初日は緊張感のあるリハだった。やはり初日で初の土地という構えがいい緊張感をもたらして、本番はトータルバランスとしての出来はとてもよかった。
二日目のリハを見て、少し不安になった。とてもリラックスしているのである。
誤解しないで欲しいのだが、リラックスできる事はとてもいい事である。がしかし、
一度やっているメニューで前日、本番をちゃんと乗り切ったという安堵感がとても見えて
流れの確認を含め、リハから歌がとてもよかった(笑)。いわゆる肩の力が妙に抜けているのだ。
いざ、本番だが、歌は3夜のなかで一番よかったように思うが、ライブを一つのショウケースとして見たら、やはり運びやトークに緊迫感がなくすこしまとまりがないように見えてしまった。
予想通りだ(笑)。しかし、近隣としては回を重ねるごとに評価も厳しくなる。それは愛ある故の
ダメ出しである。さて3夜目だが、リハの時から、どうも歌が早い。タイミングの話だが
どうも落ち着いて聞けない。地に足は着いてるものの、気が腹の下に収まっていない感じだった。
案の定、本番も軸というか芯のない感じに仕上がった。120点のパフォーマンスを知るが故の
辛口なダメ出しである。微妙に変化し違いが出てくる毎回のライブ。些細な事が、ドカーンと幕が開いたとき大きな原因となって、ライブを左右する。だから些細な事を大事にしなければならない。手の動きから声の伸ばす箇所まで、そんな事わかってますと何度思われようが、わかっていようが、近隣としては念を押すんだ(笑)。つまり、俺はそのために出張した。
名古屋の昼など、繁華街を一人散歩し冷コーを飲み、リハに立ち会い本番を客席で見ただけだ(笑)。そして、3年かけてようやく、何となく様になってきたアーティストや楽曲達にとても愛情を感じながら、奴等が本当に一世風靡する姿を夢見るわけである。

アメリカっていう国は、この些細な、たぶんわかり切っている事柄をとても大事にしてしまう。
つまり、こんな事言わなくてもわかるだろうって暗黙にしてしまう日本人とは違い、そんなこと言われなくてもわかってるよっていう事柄を何度も大げさに当たり前のように助言されることが度々あった。
本当は人間って、わかっているようでも人に改めて言われたり念を押されたりすると、その記憶が
蓄積され、はじめて本当にわかる時がいつかくるんだろうな。
健康が一番よ!健康な身体さえあればら何でも出来るからって今でも母親が言うけど、その意味
わかったのって、実はつい最近よ(笑)。
仕事としてプロデュースっていう捉え方をしてるけど、さもすれば”これはアーティストの仕事とかやるべき事”って決めてしまいがちでしょ。でも、やっぱプロデュースって、口すっぱくて
俗に言う”うざい”くらいのほうが良いかもな(笑)。俺も奴等に”ウザい”って思われたら、大したもんだと思うよ(笑)。やっぱピアノ&ボーカルのオンリーワンになってほしいし、その可能性は見え隠れしてるからな。
そう言えば、先日、奴等がパーソナリティーやってるラジオにゲストで出してもらったけど、結構嬉しかったよ。あいつ等に時間見ながらトークを先導されるって、”お前等成長したな~”って思ったよ。どんどんどんどん自分の中に色んな景色が出来て、人として深く大きくなってるんだなって思ったよ。まあな、こうやって書いてる俺の話も東西南北に広がりつくして主旨からえらい遠く離れたが、とにかく
頑張ろうや。素敵な音楽を届けられるようにね!。近隣の者より。


コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

役目

2006年06月07日 | Tsushimi Takashi
実に、何かが変わろうとしている雰囲気なんだよな。
先日、とてもなつかしい人に出会って食事をした際に、俺の見えないでいるものがその人には
見えているらしくとても興味深い話を聞いた。
つまりは、俺の前世の一部の人であったり、俺を守ってくれてる人だったり、今風に言えばスピリチュアルな世界の事。
その人からのメッセージを聞いたりと、まるで暗闇のなかでパン!と手を叩いたかのように、ドキッとしたり
何故か涙が出たりと、まあ色々と驚いたわ。
そんな中で、その...一般的には見えない方達同士が話をしたり相談をしたりして現世の俺らみたいな人間を導いてるって
話は面白かった。それから人間同様、守護霊の世界でもその人の役目が終われば、次に必要な守護霊と入れ替わって
生きてる人間を次のステップへ導いていくとか、言われてみればなるほどねと妙に納得してしまった。

以前にも書いたが、役目という事についてはとても強く感じる時や事がある。
一時期とっても仲良くしていた友人も今では年賀状で沙汰を知る。特に喧嘩別れもしてなければ、どこか遠くへ行ったわけでもないので会おうと思えばいつでも会えるのだが。そんな時、もうお互いが必要とする役目や時間は終わったのかなって思う。
また会う時は、つまり相手や自分にとって新しいお役目が出来たのかとも。

男と女だって出会って何も起こらない相手もいれば、どこかなつかしく思える初対面だってある。
やはり出会いには何らかの意味があるのだろう。恋ならそれがもし砕けてしまっても、それはそれで何らかの出会う意味や、一方的にでもどちらかが役目を背負って立ちふさがってたのかも知れない。
それが終われば自然に相手を必要としなくても生きてゆける、少しだけ成長した自分に出会えるかも知れない。
そんな自分をまた誰かが迎え入れ、やがて恋や友達にへと、心が新しい経験を重ねてゆくのだろうな。

俺たちが仕事としている音楽だって同様に、ちゃんと目的があり、世に出る理由があるからこそ、ヒットし
色んな人や気持ちや次へのドアを開いてゆく。たぶんそうだろう。
上京して30年....何故まだ俺は悩みを増し続け、音楽に執着し、そして音楽という世界で生きてられるんだろう。
きっと、俺の役目は終わってないんだな。そしてきっと、俺には見えない世界の複数の人が俺を導いてゆくお役目もな。

三年ぶりくらいに、ある無名のアーティストに電話をした。
色んな出来事があって、関わりがなくなっていたのだが、気になる作品の件で連絡を入れた。
1年前ならそんな気さえ起こらなかったのだが、ふと電話をしてみたくなった。
電話に出た相手はとても礼儀正しい口調で、言葉使いからも三年の時間の流れを感じた。
そして彼女は『この作品の件で、きっと連絡がいただけるような予感がしていました』って言っていた。
果たしてこれも、俺らに見えない人達の仕業なのかな。う~~ん、不思議だ。








コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加