アメノチハレ

都志見隆の果てしない日々の日常

「少年T」

2013年08月26日 | Tsushimi Takashi

この猛暑にも、今年はわりと良く眠れている。
というのも、今年はクーラー全開で
実家の父もさすがに今年は暑いからと就寝前からクーラーで自分の寝床を冷やす有り様だ。
約半年振りに帰省した広島は東京が涼しく思える程に
それはそれは暑かった。

久しぶりに会った大学受験を来年に控えた甥っ子は
身体は見上げる大木のようだが
坊主頭に黒光りしたあどけない顔立ちがいかにも昭和の野球部の体で
この懐かしさあふれるジャガイモの感じだけは平成の今もおんなじ。

こいつらが次の日本を背負ってゆくんやね~。
本を買うて読めよ 余ったら好きなマクドでも食えやと
小遣いやったら、そりゃ喜んだ。
大きな笑顔でスマイルや。たのむで~日本男児!

先日観た映画「少年H」の中で
「新聞の言うとる事がすべて正しいとは限らんのやで。」というセリフがあったが
色々勉強して自分なりの見解を持って世の中を見る目を養わないと
本当の事は中々見えてこん言うこっちゃね。
人間も情報も上っ面からだけでは本質は見えて来んいうこっちゃ。
政治家の発言をわざと間違った解釈に仕立て上げ世論をあおりたてるような
「?」なメディアも多いぞ。気ぃーつけなはれ。

ともあれ『少年H』とっても好きな映画でした。

野球選手が夢なら、二度とやり直せないその時間を悔いのないよう
死に物狂いで己の魂をそれにぶつけてほしいわね。
マラソンや富士登山だって
完走したり登頂したその本人にしかわからない答えがあるんや。
その答えをいっぱい持ってる方が
もしかしたら人よりちょっとだけ強く生きれるかも知れんで。

チカラを出しつくして負けたんなら正々堂々と次いける。
やらずと残す悔いほど、悔やまれるもんはないで。
がんばりや!

 <ところであんた~、いつから大阪のおっちゃんになったんや?>

 先月国際フォーラムで観たQuincy Jones。
80才の彼は、自分の想像よりもずっと歳をとっていた。
紹介されなければ恐らくわからなかった。
仕方がないんだ。色々な時代の彼の素晴らしい音楽とその強烈なシーンで
ボクらはあそこにずっと釘付けだったのだから。
だからそんなに時間が経ったなんて想像もしなかった。

それでもステージからあまり遠くない座席で
生の彼の声を聴く事が出来ただけでもラッキーだった。

第一部では日本のアーティストもたくさん出て
クインシー作品を唄っていたけれど、
プロンプターの歌詞見ながらカラオケ唄う感じの
中途半端な歌手も居たりと、全てではないけれど
アーティストとしてのレベル、つまり意識の低さを目の当たりにした感じもあり
少々残念な気持ちにもなった。
5000人の前で唄うチャンスなどそんなにないはずなのに、
あーもったいない いう感覚やね。

もちろん、素晴らしいアーティストも多くおられた。
色んな人達の心の中にそれぞれの想いや時代とともに
音楽というものは生きているんだな。
オーディエンスの年齢層も高め。
でも考えてみれば、たとえばあのUSA for Africaの「We Are The World」だって
1985年ですからね。もう28年も経っているんですね。
当時のクインシーは現在の私よりも年下だったんですから
月日は想像よりもはるかに早く流れるということなんですね。
そして思い出はつい昨日のことのようにです。

そういえば『少年H』も、その日は特にかも知れませんが
客席を見渡す限り50過ぎの私がおそらくあの日の映画館の最年少の客でした。
ほぼ60代から上の方達がほとんど。
終戦から68年たちましたが、戦火の中を生き抜いて来た人達にとってみれば
決して遠い昔のできごとではなく戦後も終わっていないのです。

話は少し逸れますが、私も小学校の頃「はだしのゲン」は何度も読みました。
全巻読んだかどうかはわかりませんが
とにかく恐かったことだけは覚えてます。
広島だったからかどうかわかりませんが
自宅に何巻かあったような気がしてる。
戦争は二度としちゃあいけんいうことよと
母が女学生だった頃の戦争体験を話してくれたのを
今でも思い出します。
その体験談はあの「はだしのゲン」に描かれているそのものの事柄も多くありました。
年々、戦争体験者やその語り部の人達が減少してゆくなか、
閲覧制限撤回は当然の結果ですね。

さて、来日したクインシーバンドには
昔(約20年以上前)、L.Aでのレコーディングでプレイしてもらったミュージシャンも
数人居て大変なつかしく、当時の事なども思い出しながら聴いていた。
サウンドはさすがに素晴らしかったが
新旧アーティスト含めて4時間は構成的にも少し長かった。

でも まあいいさ。

我々も色んな意見を言われながら、次に進めるんだから。

それはそうと、このブログ書いてる途中から ずっと気になってることあるんだけど
小学校の頃 母は編み物が得意で 鉤針(かぎばり)での手編みもあったが
実際にブラザーの編み機で内職もしていたんだ。
そして、赤地に白糸で私の名前のイニシャル「T」を織り込んでセーターを編んでくれたような
そんな事を思い出してた。
 
いや...そんな気になってしもうただけかも知れんな。

コメント (1)
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