アメノチハレ

都志見隆の果てしない日々の日常

歌は世につれ世は歌につれ

2016年08月31日 | Tsushimi Takashi
先日、三波豊和さんのライブにお邪魔してきた。

豊和さんといえば三波春夫さんの息子さん。
そして三波春夫さんといえば
忘れもしない1970年 僕が小学校六年生の時の大阪万国博覧会
そのテーマ曲「世界の国からこんにちは(1967)」を唄われた。

余談であるが1970年の万博会場で食べたカレーが500円。

豊和さんとは約2年前であるが
参加したあるゴルフコンペではじめてお会いした。
遠くから駆け寄って来こられて
「いやあ、都志見さんの書いた曲好きでいつも唄ってますよ!」と
声をかけて頂いたのが最初だった。



それ以来ゴルフやお芝居の案内など何度か頂いたのだが
あいにく都合がつかずあれ以来お目にかかれずにいた。
今回のライブ それから御自身がパーソナリティーをやられている
ラジオ番組へのゲスト出演の件も含めて
ありがたいことに今年もご連絡を頂いた。
特に今回はライブの中で
中西保志の「最後の雨」という曲を唄いますからとあったので
こちらとしても少々緊張しながら聴いた。

ライブで唄われた豊和さん自身のデビュー曲「青春よ翔べ(1975)」や
特に御父上の代表曲でもある歌謡浪曲『俵星玄蕃(たわらぼしげんば)』
この作品は多くの歌手に唄われている作品だが
あの糸をピンと張った様な声質を遺伝子としても引き継いだ
豊和さんのその歌声と表現力に圧倒されてしまった。
その「俵星玄蕃」を聴きながら
たとえば歌手がこれを唄える事って
それだけで一芸に価すると思えたほど。

そんな歌たちが求められ楽しまれた時代を
僕は本当にいい時代だったと心から思う。

歌は世につれ そしてまさに世は歌につれ

Rioの五輪も終わり、さて4年後の東京五輪2020
少なくともこれから4年はこの新しい東京オリンピックに向かって
あらゆることが渦をまくように加速してゆくのだろう。

豊和さんがライブの終盤で唄った東京五輪音頭(1963)。

「オリンピックの顔と顔 ソレ トトント トトント 顔と顔〜♫」
まるで御父上の歌を聴いているようではじめてフルコーラスを聴いた。

四年後 なんだかまたこういう歌が響く日本であればいいなと思った。
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16才

2016年08月29日 | Tsushimi Takashi
愛犬ミミが、8月28日で16才になった。

小型犬ながら16才はよく頑張ったと思う。
お陰さまでという表現の方が相応しいかもしれない。
ヘルニアやメニエルに似た病気にもなり
先日は夜中に自宅の階段から転げ落ちたりと
思い返せばこれまでに夜間の救急病院へも何度となく連れて行った。
それでもなんとかお陰さまで元気でいてくれている。
誕生日のセレモニーなど特に何もやらないが
普段とは何だか違うなというくらいは思ったかもしれない。

久々に美味い肉なんぞと与えたら、その夜すぐに下痢ピーになった。


Chiro(12) and Mimi(16)

ミミとはよく旅もした。
チロがうちに来るまでの3年間は
新幹線や飛行機で何度か広島にも一緒に帰省した。
さすがに飛行機に乗る時は嫌がった。
驚くほどの強い力で僕の腕から離れようとせず
手と足を思い切り突っ張って
ケージに入るのを拒んだ。

車に乗せて山中湖へもよく行った。
最長距離では与論島へ旅したこともある。
帰京の際に島の小さな空港で
多くの荷物と一緒に滑走路の向こうの小型飛行機に
運ばれていくミミの震える姿を見て
女房と二人で泣いては顔を見合わせて笑った。

その時一緒に旅したルナという同じく友人が飼う同い年のダックスは
偶然にもミミと同じ岩手の出身で相性もよく何だか顔も似ていた。
自転車の前カゴに一匹ずつ乗せて濡らしたタオルを頭にかぶせ
海沿いの道を必至でペダルを踏んで風を切った。

昨年だった ルナは本当のお月さまになりましたと知らせが来た。

与論島で過ごした色んな思い出が
スーッと遠くに消えいくようで
何ともさびしかった。

暑さのせいもあり、年老いたせいもあり 
最近はあまり散歩も喜ばなくなった。
一日の大半を寝ているせいか
明け方に決まってムクッとおきて少々徘徊する。
玄関の段差も上がれずジッと待つようになった。

いつも来ている宅配便の人が
最近ワンちゃん達 大人しいですね というくらい
今では両犬ともにかなり耳が遠くなり
玄関のチャイムにも反応しなくなった。
特にミミはチロの動きを見て
誰か来たとか食事の時間だとかを認識しているようだ。

垂れ下がった片方の耳を持ち上げて
「ミミ、パパと一緒にずっと居てくれよ」なんて言ってみた。
声が大きすぎたのか、
少し鬱陶しそうな顔をして反対を向いてまた寝てしまった。


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ファーストキス

2016年08月21日 | Tsushimi Takashi
春に船釣りを始めてからかれこれ10回くらいアジを釣りに出た。
船酔いにはだいぶ慣れたが、それでも北や北東5〜6mでも吹こうものなら
どうしようかなあと考える。
基本的にチッキンハートは変わらない

どうせなら写真のような凪の海に漂いたい。



10回も重ねるとそろそろ鰺の釣り方やその味にも慣れて
釣り立ての新鮮なアジを食する事が当たり前になってくると
たまには違った魚も釣ってみたいと思い始める。

で、タイトルの「ファーストキス」である。

先週はじめて鱚(きす)釣りに行って来た。

しかし長い人生の中で、
もしかしたら東京湾のこんな景色を
実際に一度も見る事なく終わったかも知れないのだが
知るか知らないでいるかは大違いだ。

アジ釣りの最初も、船酔いしながら船上で
おそらくもう二度と釣りをやる事はないだろうと思ったが
その後の食事会も終盤の頃には、次いつ行きます?と
自分からお誘いしていたほど。

さて、ファーストキスだが 甘酸っぱいどころか
釣りを終える頃には、なんだかなあ
色々雑誌で勉強して万全で備えたつもりだったが
実際やってみるとまだまだぎこちなくて
ドキドキワクワク感じる前に
終わってしまったという印象だった。

同行した友人もレンタル竿で初体験だったせいか
「次はないかな。。」なんて疲れた顔してた。

船宿の駐車場で車を采配しているオッチャン

「今日は釣れたかい?」
「みんな最初はね、
鱚なんて簡単でだれでも釣れるだろうと半分なめてかかるんだがね
実はとっても奥深い魚なんだよ」 
なんて言う。

そうですねえなんて半分相づち打ちながら
帰宅して10数匹をさばいて食べた。

天ぷら 昆布締め 湯引き ムニエル 南蛮漬け 塩焼き

数日すると友人たちからメッセージが入る。
「セカンドキス いつにします?」

釣った魚を美味しく頂くまでが釣り。

その夜 
きっとみんなも
その美味さにのけぞったに違いない。




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秋日傘 -2016-

2016年08月15日 | Tsushimi Takashi
昨年の暮れの時期にNHKラジオ深夜便のうたで3ヶ月間オンエアされたこの歌。
以前にもこのブログ内で紹介した事がある。「秋日傘」

とにかく作り始めてから最終的に歌い手として中西保志にたどり着くまで
そして、この歌が世に出てから現在に至るまで
いろんな時間が過ぎた。



中西保志がずっと継続してライブで唄ってくれているおかげで
本当に少しずつではあるが、この曲を理解していただける人が増えて来た。
歌い続けてくれる事ってどんな事より嬉しい。

今年の初頭 ある友人に聴かせたら、
彼の想いなりにそれをまた人から人へと聴かせてくれていた。

NHK合唱コンクールの東北ブロック宮城県コンクール(8月20日(土)多賀城市民会館)において
石巻市立荻浜中学校の生徒さん16名がこの「秋日傘」を唄ってくれると言うのだ。

いきさつを話せば長くなるのだが、ともかくも私の友人が
震災以降この学校の生徒さん達と音楽を通じての交流を持ち
直接この作品をみんなに聴かせてくれたことがキッカケで
生徒さん達も心からこの歌を大勢の人の前で披露したい
という気持ちになってくれたと訊いている。

本当に嬉しい。

1年経ってまたこの作品の出番がある事
生徒さん達が自発的にこの作品に心を寄せてくれた事
もしその合唱を聴いて誰かがいい歌だなあなんて思ってくれたら
いつかどこかでまたこの歌の出番が与えられるかも知れない。

この歌の舞台となった東北の地元の皆さんに知ってもらい
そして唄ってほしいというのが
作詞家の康珍化氏と共にこの歌に執着し続けた理由でもあり
中学生の生徒さん達が唄ってくれるって報告を耳にしたとたん
「嬉し〜い!」って
ボクら作家の気持ちは、いとも簡単に舞い上がった。


まだまだ猛暑の夏 とはいえ 夕暮れに吹く風は気のせいか
少しずつ次の季節を連れて来ているようです。




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花火

2016年08月14日 | Tsushimi Takashi
2016年 広島の夏は自分の歴史始まって以来の酷暑であった。

37℃?嘘だろ?自分の体温より高いじゃないか。
広島駅に降りた途端、汗が噴き出す。


-同窓生が撮影して送ってくれた宮島花火大会 2016.8.11-

息苦しい程の暑さの中、今年も両親と無事に墓参りを終えた。
毎度の事ながら車で一日をかけて、ご先祖様に手を合わせる。
今年も母が「いつまでお墓参りができるかねえ」という。

母だが、春先から少し体調を崩していたせいか、
猛暑のせいもあって普段よりも少し痩せ気味で心配した。
食欲も少し戻ったというので取りあえずは安堵したが。

いつも墓参りの途中に島根県の介護施設にいる父の叔母に会いに行く。
今年で94歳になる。
3月の彼岸には体調も悪そうで夏には会えるかなあなんて話していた。
父の事はたまに思い出すが、僕には「はじめましてどうも」なんて言ったかと思えば
「大きくなったねえ」とか言う。

ホームの受付で名前を書いて少ししたら付き添われて歩いて出てきた。
「一度は死にかけたが、また生き返った」と第一声。 
「早う死ぬりゃあええんじゃが、まだ生きとる」春先より顔色もいい。
「ここは年寄りばっかりで話が合わんで困るわ」
人はいつまでも自分を客観視できない。

人間ってのは不思議だ。

どんなにボロボロになっても、生かされる理由があるのか。
人としてまだ終えていない役割があるというのだろうか。
ただ単に内臓が達者で心臓が強いからなのか。

ゆっくり立って杖をつきながら「さよなら」と手を振ってくれた。
次は母の両親が眠る墓へとまた一時間半かけて移動する。
今回はじめて20才の甥っ子に片道だけ運転を任せてみた。
時の経つのは早いものだ。この間生まれた彼がもう車を運転している。

そうやって少しずつ次の世代へ舞台を譲りながら
現役は裏方へと交代してゆく。

あの日、心配そうな父と母を乗せ、
はじめて僕が運転して親戚の家まで往復したように。

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