アメノチハレ

都志見隆の果てしない日々の日常

大阪や

2009年05月28日 | Tsushimi Takashi
基本的に雨男の僕が晴れに見舞われるのは僕以外の晴れ男パワーが勝っているといつも思うわけである。

快晴の中、大阪行ってきましたで。
1970年の万博 そして1978年付近 そして近年では4年前くらいに駅とコンサート会場を往復しただけの大阪。

それだけの経験ではどこに何があるのか、懐かしさなどとはほど遠いまさに初体験と言っていい大阪であった。

「都志見さん、たまには気晴らしに大阪でも来て芝居見て美味いもん食うてリフレッシュしまへんか」と、あるお方に声をかけて頂いて、お言葉に甘えて行って来たわけでございまして。

丁度、難波の松竹座で「大阪恋情話」という舞台。
西郷輝彦さんと藤山直美さんの舞台だったわけだが、偶然このお二人には過去に曲を提供させていただいていたという事もあり、ほんなら是非是非見せていただきますいう事で。

幼少の頃の広島では、毎週末の昼くらいに松竹新喜劇や吉本新喜劇の舞台を放送していてな、まだ藤山寛美さんや岡八郎さんがお元気でバリバリの頃やった。

あの頃からの風情や様式美をそっくりそのまま現代に引き継いで、ほぼ毎日行われる舞台。すごい事やね。これぞまさに伝統や。

去年のレコーディングの時の直美さんはジーンズ姿で唄入れも初めてで、スタジオ入ってもなんか落ち着かん雰囲気でちっちゃい可愛い人やったが、さすが舞台では
貫禄の塊やった。聞けば1年のうち300日以上舞台やて。凄いのひとこと。

西郷さんの時代劇姿はテレビでしか見た事なかったが、実物も背筋が伸びて凛として、あんなハンサムな人が実際の江戸の街におったら、モテすぎて逆に不幸かもしれんと思うたわ。

とにかく笑いあり涙ありの、えー舞台でした。
丁度インフルエンザで神戸や大阪は大変やけど、それでも客席でマスクしている人は、聞いていたよりは減っていた感じやった。

観劇後は、本場のお好み焼きを是非食って帰ってやと、「味の家」いう店に連れてってもろた。さすがやね。ホンマに美味かった。
途中、西郷さんからもメールで伝言まで頂いて、ほんま気遣うてもろて、とても中身の濃い、えー夜でした。

温故知新ということわざがあるが、同じ事をずっと変わらずやり続けることの凄さ そしてそういう歴史の上に新しいもんが生まれてゆくエネルギー。
なんか大阪には感じたね。えーバランスで共存しとる。

ずっと守っていかなあかんもん、どんどん壊していかなあかんもん
自分の音楽も一緒やね。

まさに古きをたずね新しきを知る旅でした。

今回、お声をかけて頂いた大阪のおっちゃん、それから気のいいおねえちゃん達、
何から何まで世話してもろーてありがとうございました。
ほんまにほんまに 感謝です。

それから、最後においしいコーヒー入れてくれはったおにいちゃん
美味かったで。ありがと。

変な関西弁ですんまへん。





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大笑いで大入り

2009年05月23日 | Tsushimi Takashi
2003年に小林幸子さんに書いた一曲があって、「Ribbon」という曲。

今月の初旬に、今度の舞台でこの曲を歌うから是非見に来てとメールをいただいて
本日、青山劇場に観劇に行って来た。
もう最初から、笑いっぱなし。

喜劇「日本映画頂上決戦」-銀幕の掟をぶっとばせ!-

昔の映画界の五社協定。東映 日活 松竹 大映などの所属俳優やスター達が他の映画会社の作品に出れないという状況の中でのドタバタ喜劇。

しかし実に何度も思い何度も書くが、舞台ってなんて自由なんだろうと思う。
空っぽの箱をみんなで時間をかけてびっくり箱に仕立て上げてゆく苦労と快感そして感動は客席にいても実にうらやましく、伝わってくる。
役者個々の存在感とキャラクターが、うまく絡んでひとつになる瞬間は笑いも含めて感動のカタマリだね。

最近は途中のインターミッションの入り方、そして後半の部への入り方も工夫されていて、つまり劇場に入った時から物語が始まっているような構成も多い。

ただシンプルに前半の幕が終わり後半の幕が上がるのではなく、キャスト達が物語の中で15分の休憩を告げ、後半の導入もトークから始まってゆくというような
一種の流れが、先日見た舞台「僕たちの好きだった革命」にも同様にあった。

2時間半たっぷり笑って楽屋へ。
たまにテレビで見ているので当分逢わなかった感じはしなかったが、それでも
6年ぶりの幸ちゃんは相変わらず超元気。彼女のパワーはすごい。
っていうか、パワーのない人はこの舞台に立っとらんわな(笑)。
とても素敵なスタッフの方々も当時と一緒の笑顔でお変わりなく。
声をかけて頂いてありがとう。感謝です。

他の役者さん達も、とてもいい顔。

歳を重ねるって素晴らしいね。



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マスク姿が増えました。

2009年05月21日 | Tsushimi Takashi
いや、暑い。先日は7月の気温で夏日。
しかし風はまだまだ爽やかで朝晩がとても心地よい。
日本の夏も是非、いや 東京の真夏も是非こんな気候であってほしい。

故郷の広島も暑いが、もっと陽の照る暑さで空気は乾いている様に思う。
東京は室内の冷えすぎるオフィスビルの吐き出した空気の残骸と多すぎる車の熱、
熱しすぎたフライパンのようなアスファルトと、熱を逃がす場所がない。

昭和30年代 40年代の夏は、扇風機だけでしのげた記憶がある。
クーラーなどなかった記憶だが、それは都志見家だけだったのかもしれない。
昼寝の後のかき氷が実に美味く、汗をダラダラ流しながら焼けた鉄板を囲んで食べる近くのお好みや焼きは絶品。

フウフウ言いながら食べてる時の、首を振る扇風機の風が
定期的に自分の方へ吹く瞬間は、なんとも言いがたい至福の時である。

「Always三丁目の夕日」は丁度僕が生まれた年の昭和のグレイトな時代。
「20世紀少年」の時代背景などはまさにタイムリーで、一瞬でタイムスリップしてしまう。

テレビが白黒の時アポロが月に降り立ち、今から見ればベニア板とと4つの椅子だけの質素なダイニングテーブルが、当時はそれまでの日本人の生活様式を変え、
椅子に座って食事をするという西洋風な文化へ急激に変わっていった時代でもあった。

東京芸術劇場で始まった舞台「僕たちの好きだった革命」。
とても面白かった。
1960年代の学生運動を背景に、現代の生き方との違いや未来への希望などを面白ろ可笑しく表現されたとてもいい舞台だった。

昔、子供の頃、僕の実家の前にはどぶ川が流れており、その前は土の道 その前に
畑があって 肥だめの大きな穴があった。
弟は自転車のブレーキが間に合わず、よくそのどぶ川へ落ちた。
道の脇に生えている雑草に弟と二人でいつも小便をかけていたら、いつのまにか
うちの前だけが雑草でボウボウになってよく怒られた。

現在は、どぶ川は埋められ道が以前の倍になり、畑は公園になっている。

あの昭和という時代、なつかしいやら酸っぱいやら。

そんな昭和に生まれ生きて来た素晴らしい音楽家達のお陰で、僕も音楽を目指そうと思った一人である事は間違いない。

さて明日からまた作曲。

(写真は、舞台のホームページからお借り致しました)
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我動かずしてモノ届く

2009年05月16日 | Tsushimi Takashi
先日、クリントイーストウッド主演のグラントリノ見て来た。グレイト!
色々言いたいが、まだ見ぬ人達の為に色々言うのは控えよう。
全米No.1とか興行成績がどうのといった類いの映画ではないだろうが、とてもお薦めの映画ですよ。

約半年前から作業していた作品のトラックダウンが先日やっと終わった。
作業内容からするとアルバム半分くらい作れたかも知れない時間と労力だったかも知れないけど、いろんな事を教えられたと思う。
今まで自分が見落としていた事等を多く突きつけられて実際はけっこう苦しい時間だったが、前に進んでる時の壁や内観は、逆に次の作品への大きな自信になった事は間違いない。リリース時期が来たら改めて紹介する。

今月は何故か舞台観劇のお誘いが多く計4本。
そのうちの一本は大阪。
若い頃は仕事で何度も行ったことのある大阪だが、殆ど記憶がない。
今回は舞台と美味しい食事と逢いたい人と、と、とても楽しみ。
また後日書きますね。

数日前、夜も更けたレコーディングの帰り、車のラジオをつけたらとても好みのクラシックが聞こえて来た。
絶対に聞き逃すまいと必死に耳を広げて聞いていたが、結局作者と作品名がわからず翌日ネットで調べてみた。
TBSのインターネットラジオでOTTAVA(オッターバ)という番組。
プログラムで作家と作品名がわかったので早速Amazonでクリック。
便利な世の中ですねえ、本当に。
映画や舞台のチケットも今や殆どの物が我動かずしてモノ届く。

ディーリアスというイギリスの作家。恥ずかしながら知らなかった。
残念ながらまだ届いていないので感想はこれまた後日。
個人的にメロディックなものが好きなのだが、好みにピッタしだったのだ。
クラシックの良さはやはり語り継がれて現代にも甦る音楽的な力だろう。
僕はマニアではないが、音楽的ヒントや旋律の美しさには感服せざるを得ない。

作曲家の三木たかしさんが亡くなられた。
作品でひとつの時代を作るって大変な事。
三木さんの作品も時代を表現し時代を引き継いでゆくだろうと僕は感じる。

死というものがあればこそ,人間はどう生きるかにこだわれるのかも知れない。
どう死ぬかという事はつまり、どう生きるかという事だと誰かが言っていた。
僕もそう思う。


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ゴールデンあれこれ

2009年05月05日 | Tsushimi Takashi
毎年やってくるゴールデンウイークだが、世の中のお父さん達には心身共に疲れがたまるひと時かも知れない。

今朝のニュースでワンボックスカーに7人の家族が神戸から東京ディズニーランドへの車の旅の途中のインタビューをやっていた。
途中の海老名パーキングで車中で仮眠をとり二日間のディズニーランドも夜は車中泊だそうだ。ホテルも満杯らしく、昨今のワンボックスがいくら広くなったとは言え、そこで七人が寝るとなるとやはり手足を伸ばして寝る事は困難である。
そのうえ半端じゃない渋滞で、ディズニーランド以外の時間はほとんど車中。お父さん本当にご苦労さんである。
えらいなあってつくづく思いながら、しかし僕には考えただけで気が遠くなるような作業だ。
普通に働いている人達はいくら混もうともこのゴールデンウイークに照準を合わせないと家族の楽しみに報えないのだろうから、やはり立派だと思うしかない。

先日、後輩に数年ぶりに会って酒を飲んだ。
曲を書き始めた頃と比べて現在では数段レベルが上がっていて嬉しかった。
レベルが上がるというのは作曲技術だけの事ではなく、人の心として相手の事を考えるレベルが上がったのだろうと思った。
基本的に、独りよがりな考えを力ずくで押し進めていくタイプの人間だったが、それは勢いの象徴として大事な時期もある。
だけど作品というのはきっと自分に嘘の付けないものなんだろうと思う。
子供が色んな言葉を覚えて使いながら自分を主張出来る様になるように、つまりは自分をもっと表現する為の試行錯誤がとてもうかがえて、逆に僕の方が勉強させられた気持ちだった。

僕の若い時期のほうが数段生意気でツッパりまくっていたからな。
どうしてこの曲の良さがわからんの?って意気がっていた。
しかし聞き手にしてみりゃ、わからんものはわからんのよね(笑)。
つまらないものはつまらない。そんな簡単な事がわからない時代だってあった。
自分の力をかえり見ずそんな入り口でゴネたって、どうしようもないんだと言う事が、その時はわからんかったなあ。
いっぱい力をつけて最後に勝てばいい。そんな気がする。

自律神経にいいと思ってゴルフを始めてから約20年。
僕の周りでも、もしゴルフをやっていなかったら家が一軒建ったよと笑う人が沢山いる。
金額に換算するとそうかも知れないが、しかし病気になって健康を奪われるよりは
余程いい。
いっぱい保険かけたけど、事故もなく結局保険は掛け捨てだったよって言えど、事故って相手に怪我なんぞさせたら、保険の掛け金なんて大した事ない。
事故も怪我も病気もなくが一番いいのだ。

ゴールデンウイークに一度だけゴルフに行って来た。
仲間の采配で場所はアクアラインを使って千葉方面。5月2日の土曜日。
殆どの高速道路が数珠つなぎの大渋滞のなか、行きも帰りも1時間という超グレイトな1日だった。
不思議だけれど、都会から距離が離れるごとに自律神経もグレイトなんだな。おまけにその夜は反省会でたっぷり飲んで食って爆睡なので本当に自分には欠かせない対処法なのだ。

昨日はオンエアーウエストでライブを見て来た。
久々にライブハウスに行った気がした。
そう言えば僕自身もインディーズのレーベルとアーティストを抱えていた時期があり、
その頃の事を断片的に思い出しながら聞いていた。
CD一枚を売る事の大変さ、そして喜び、そして落胆 孤独 そしてまた勇気。
色んな事を学んだと思う。
インディーズと自律神経の大変さは、やった奴しかわからないと思うのだ(笑)。
縁あって、そこの社長さんと知り合い去年ソロライブを見させてもらった。
ミューアという女性アーティストでたまたま昨日はピアノ&ボーカルだったのだけれど、いい詩だなあと思いながら聞いていた。
小さな事をコツコツコツコツ積み重ねながら出来る事をコツコツコツコツ広げながらの5年。頑張る誰もが報われる世界ではないが、頑張っていない人に運もチャンスもない。才能を信じてくれている人がいるからこそ可能性が見えてくる。
僕はいつもその可能性の一片になれるような楽曲を書けたら本望だと感じている。


最近見たい映画は「グラン.トリノ」。ゴールデンウイーク明けたら見よう。









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