随分昔に読んだ本に「毎日が日曜日」という本があった。今年の正月早々TBSで「そうか、もう君はいないのか」という田村正和さん主演のドラマをたまたま見て、また城山三郎氏の作品を読んでみたくなった。顔といい文体といい僕の大好きな作家だ。
今読んでいる「無所属の時間で生きる」。とても面白い随筆集だ。どこにも属さない一人の人間としての時間はより人間を大きく育てるというテーマで色々な出来事が書かれている。
今日はレコーディングの日程が外れて、誘われていたミュージカルを見て来た。
最近は青山辺りまでだと歩く。仕事場の池尻大橋からは渋谷を斜めに横切れば30分歩くか歩かないくらいでたどり着ける。渋谷の雑踏を闊歩しながらipodで聞くHYの「366日」は妙に心に染みて来た。
昔から知り合いの女性で現在はダンスの振り付けをやっている友人からの誘いであったが、振り付けで毎度驚くのはやはり多彩なフォーメーションをどうやって頭の中で整理しても俺には絶対出来ないと思う事だ。机の上に留まっている画用紙に絵は描けても、人間を動かしながらシーンを作っていくなんぞは頭の構造が違うに違いないと、いつもそれに驚いてしまうばかり。それに音楽 台詞 芝居 衣装 セットなどと一つの出し物にするにはそれぞれと深い関係性がないと結果的に大きな拍手は得れないとなるとやはり過酷だとそこにまず関心してしまう。だから結果的にその出し物がオフでもオフオフブロードウェーでも最後のカーテンコールには胸が熱くなってしまうのだ。
終演後、楽屋に行って友人に挨拶し、また仕事場のある池尻大橋へ。
しかし何故か今日は大勢の人の気配がある劇場から、全く人の気配のない仕事場へダイレクトに戻る気持ちになれなくて、途中にある喫茶店に入りコーヒーをゆっくり飲みながら一服カマした。月曜の締め切りの事も頭にあり、かつてならタクシー拾ってそのまま仕事場へ直行していたのだろうが、あえてゆっくりと歩いてそんなゆったりとした時間が逆に、仕事とそうでない時間との切り替えを上手く果たしてくれて、実際ここ最近はとてもいいリズムなのだ。時間や気持ちに余裕を持つというのは大事だなあとつくづく感じる。
さて、気持ちも切り替わったところで、そろそろ作曲の時間に身を置くとするか。
今読んでいる「無所属の時間で生きる」。とても面白い随筆集だ。どこにも属さない一人の人間としての時間はより人間を大きく育てるというテーマで色々な出来事が書かれている。
今日はレコーディングの日程が外れて、誘われていたミュージカルを見て来た。
最近は青山辺りまでだと歩く。仕事場の池尻大橋からは渋谷を斜めに横切れば30分歩くか歩かないくらいでたどり着ける。渋谷の雑踏を闊歩しながらipodで聞くHYの「366日」は妙に心に染みて来た。
昔から知り合いの女性で現在はダンスの振り付けをやっている友人からの誘いであったが、振り付けで毎度驚くのはやはり多彩なフォーメーションをどうやって頭の中で整理しても俺には絶対出来ないと思う事だ。机の上に留まっている画用紙に絵は描けても、人間を動かしながらシーンを作っていくなんぞは頭の構造が違うに違いないと、いつもそれに驚いてしまうばかり。それに音楽 台詞 芝居 衣装 セットなどと一つの出し物にするにはそれぞれと深い関係性がないと結果的に大きな拍手は得れないとなるとやはり過酷だとそこにまず関心してしまう。だから結果的にその出し物がオフでもオフオフブロードウェーでも最後のカーテンコールには胸が熱くなってしまうのだ。
終演後、楽屋に行って友人に挨拶し、また仕事場のある池尻大橋へ。
しかし何故か今日は大勢の人の気配がある劇場から、全く人の気配のない仕事場へダイレクトに戻る気持ちになれなくて、途中にある喫茶店に入りコーヒーをゆっくり飲みながら一服カマした。月曜の締め切りの事も頭にあり、かつてならタクシー拾ってそのまま仕事場へ直行していたのだろうが、あえてゆっくりと歩いてそんなゆったりとした時間が逆に、仕事とそうでない時間との切り替えを上手く果たしてくれて、実際ここ最近はとてもいいリズムなのだ。時間や気持ちに余裕を持つというのは大事だなあとつくづく感じる。
さて、気持ちも切り替わったところで、そろそろ作曲の時間に身を置くとするか。