アメノチハレ

都志見隆の果てしない日々の日常

夏の終わり

2006年08月31日 | Tsushimi Takashi
ふむ、八月もいよいよ終わりか。何となく今日の昼下がりからグッと涼しくなってTシャツでは少し肌寒いくらいの、ひんやりとした風が吹いてた。
子供の頃、夏って夏休みの事だったから何をしようかとか今年も親戚の家行って川で泳げるとか、ラジオ体操のスタンプは欲しいけど毎日は面倒くさいとか、自由研究は何にしようかとか、まあ色々と盛り上がってた記憶があるのだけど、
つい先日友人と話をしてて、高校の頃の夏休みって何してたっけという話になって案外思い出せなかった。
俺も彼もバンドやってたから、たぶん練習はしてたろうけど、あの女と何処行ったとか、殆ど記憶にない。
子供の頃を思い出す鮮明な感触ではなく、たぶんあれこれやってたんだろうなっていう曖昧な話で終わった(笑)。

本当はこの季節が待ち遠しくてたまらなかったのに、いざ夏になると”もう暑いのはえ~加減ええわ~”ってな気分になる。
”こんな暑いんじゃ~ゴルフどころじゃないわい”となる。
クーラーは必要だが冷えすぎると”クーラーは苦手”という人種が増えてくる。
今年は特に梅雨が長く、どこからが夏の入り口だったのかが微妙だった。
そんな時は必ず”おいおい、梅雨はもうえ~わ”となる。
”本来なら梅雨が明けると夏休みがはじまるんだけどなあ,,,これじゃあ夏が短くて損した気分だよなあ”なんて、いい大人が夏を前に子供の頃の心の物差しで夏の計量をする。
それもこれも歳のせいかなとも思うが、それだけ夏は世代を問わず待ち遠しいのは昔も今も変わらない。

そして結局、描いていた夏の予想図とは裏腹に、海にも行かずリゾートゴルフもせず、
渋滞と人混みを夏休みのせいにして、
夏休みの渋滞と人混み嫌いをどこにも行かない言い訳にして、
ちょっと涼しくちょっと日が短くなった事を感じると
”夏の終わり”などという歌のタイトルみたいなタイトルで夏を振り返る。

来年の夏こそは.......サーファーな俺になる! ぞっ!


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カラオケ

2006年08月26日 | Tsushimi Takashi
数ヶ月前からカラオケの添削審査を頼まれてやっていたりする。
これはどういうシステムかって言うと、カラオケボックスなどでエントリー出来てその場で唄ったものが
第一興商に音楽ファイルとして転送され、そこで取りまとめたものが俺たち審査員に振り分けられてそれを
審査して送り返すという、まあ簡単に言えばそういうことだ。
不特定多数のカラオケ愛好者を対象にしているので
演歌から歌謡曲、ポップスまで基本的にはすべてのジャンルに対応しているわけだが、
特に俺のような作曲家のところには演歌系よりもポップス系の歌が多く割り当てられてくる。
他にも著名な作曲家の方々が審査されているので
ジャンルに応じてうまく振り分けられているのだろう。
そこで届いた楽曲達を見てみると、おもしろい事に気づく。
全体的に、唄われている楽曲ってそんなにバライティーに富んではなく結構同じアーティストや同じ曲に固まっている。
女性では高橋真梨子 MISIA 倖田來未 EVERY LITTLE THING 中島みゆき 男性では 藤井ふみや 
森山直太郎 ケツメイシ などが目立って多い。
もちろん他のアーティストもランダムにいるのだが、思った以上にかたよっていたのには驚いた。
そして最近の曲よりもむしろ割合としてはかつて流行った曲のほうが圧倒的に多い。
日々これだけ新曲や新しいアーティスト作品がリリースされているにも関わらず、あまり唄われていないのが現状だ。
ジャニーズ系ではSMAP以外のアーティスト作品にはあまり出会わないし、アルバムの中からの曲も多く見る。
もちろん、これは添削審査にエントリーした方達の楽曲のチョイスなので、
普段なにも意識しないで楽しみながら唄われている楽曲達はもっと幅広いアーティストのジャンルによるものだろうとは思うが。

あくまで審査の対象として選曲しているわけだから、アーティストの個性の強いたとえばサザンとかユーミンなどはオリジナルの唄い方や声のトーンにどうしても引きずられてしまうケースもあるので感覚的に避けているのだとも思う。

まあこの結果だけでは何ともいえないが、昨今の楽曲達は売れた枚数ほど世の中に浸透していない気がするな。そしてまたあらためて感じる事はやはりヒットする事の意味、歌い継がれる事の素晴らしさだよね。
人々の心の中にちゃんと残ってゆく歌や曲にならなくちゃね。

これで高得点をあげて選ばれた人達が11月に中野サンプラザの大会で唄って最終審査を受けるというわけなのです。
興味のある方は 是非!


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残暑お見舞い申し上げます。。

2006年08月24日 | Tsushimi Takashi
先日事務所に行ったら一冊の本が届いていた。
作詞家の岩里祐穂女氏からで、新刊の”おそうじ、料理がニガテでも家事がもっと好きになる”であった。そういえば昨年の”いいかげんにかたづけて美しく暮らす”以来の二冊目だ。
最近本屋を覗いてみると、かたづけ上手になる方とか、風水からみるお掃除の仕方みたいなノウハウ本をよく見かける。パラパラとめくっては見るが、読み物としてはあまり興味をそそられないため購入までには至らない。
して、この岩里女氏の本であるが、本人をよく知っているせいもありまた、彼女なりに見つけ出したアイデアももちろん参考になるが、やはりノウハウとしてではなく彼女が日々生活する中での葛藤や不満などとても沢山の想いの中で、一つ一つのアイデアや行動に行き着いた事柄が書かれていてとても面白い。そしてまとめ上がった文章はやはり言葉を仕事にしている人だけあって、奇麗な言葉と色んな目線でとても優しく、エッセイを読んでいる感覚で一時間で読めてしまう。
部分的にはまるで歌詞を読んでいるかのようなシンプルで奥深い耳に残る言い回しがあったりと
、なるほどど頷きながらサラッと読んでしまった。
普段はB型のサッパリとした人という印象だが、それはあくまで印象であり、やはり考えの奥行きは
俺様なんぞが太刀打ちできる相手ではないなと(笑)。是非読んでみて頂きたい。

余談ではあるが、ディズニーランドの”イッツア スモールワールド”というあの人形だらけの世界をアジア アフリカ ヨーロッパとボートに乗って一周するという単純なアトラクションがある。
もう十年以上行った事はないので、その時の印象しか頭にないが、俺は好きだと思う。
そして男は好きという奴も多いが、こと女に至っては、好き!とか いいよね~!とかの感想を聞いた事がない。まああれ系の評価はおそらく賛否両論に分かれると思うが、基本的に議論するまでの熱烈な好き!と絶対嫌い!ほどの感覚ではなく、いいなあ~、とか そうでもないよ くらいの
至って中途半端な印象なんだろうな。
あの”世界はひとつ”という歌の存在はでかいと思うのだがね。まあまさに平和だな~と思ってしまうアトラクションで、一瞬こんな世界になったら戦争なんて起こりっこないよな~と思って、俺もボートにのって360°キョロキョロしていたが。
して、先日友人の女性と話していて、彼女は例によって今イチな反応だった。
もちろん先述のように議論に至るまでの頑固なポリシーを俺も持っているわけではないので
黙って聞いていたが、彼女曰く、すごく幸せな世界だが、あまりにも単純でピュアだけに淋しさを覚えるらしい。この世界がいつまで続くのだろうと考えてしまった時、逆に怖くなるという。
ふむふむ。。なんとなく解る気もしたが。やはりどんな時も女というやつはちゃんと現実という世界を意識しながら夢という舟を漕いでいるのかも知れないな。
幸せすぎて怖いというのは女性の感情か。
野口五郎の”美しすぎて~君がこ~わい”とは男のそれか。

まあ幸せも美しさも、そしてお掃除も 『程々』が実はいちばん幸せになれそうな事のようだな(笑)あはは~!
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母親

2006年08月15日 | Tsushimi Takashi
8月14日の夜、オニオンの部長の深井の母上が他界された。
この数ヶ月は入院されていたのだが、残念であるが安らかに永眠された。
まあ娘にとっても息子にとっても母親というのは特別な存在なんだろうな。
男親って苦虫つぶして生きていりゃ、何となく無骨な感情も繊細な感情として、
繊細すぎる部分も男らしく周囲の計らいによって表現出来てるような気になるが
母親ってそういう部分では子供の感情の起伏に寄り添って生きているようなもんだから
表情や言葉や行動が想いと直結してるよね。

俺の母親も世の親と変わらず心配性でそして不眠症だ。
心配しても考えても今夜は寝るしか方法のない夜も、いらぬ心配をしながら
眠れないと言っている。よく生きてると思えるほど、本人曰く”寝られなかった”という。
しかしまだ生きている。よく”眠れる人がうらやましい”と言う。
どこにでも寝てしまえる人の事を昔と違って最近は心底”いいね~”という。
たぶん昔は”呑気でいいね~”だったのだろう。

帰省のおり、たまに小遣いやると恐縮してあっちも俺に小遣いくれる。
新幹線での弁当代だが、そんな額でも子供に何かしてやった気持ちになれるのならと
俺はいつも二回遠慮して三回目に受け取る。
広島の地でいつまでも元気でいてくれるだけでいいのにと思うが、恥ずかしくて言えない。
数年前に脱腸の手術で、麻酔で眠った母親を手術室に見送る時は、このまま目が覚めなかったらと色んな事を考えた。あっと言う間の手術だったが、麻酔がきれて目を覚ますまでの時間は
俺にとってはとても長く色んな事を考えた。亡くなってもいないのに”後悔先にたたず”と沢山の後悔してた。
麻酔で眠った母親を乗っけたストレッチャーを遠くで見送るだけの親父と何も変わりのない、
腑抜けな男だったな。

まあ、遅かれ早かれ人は個々に自分だけの寿命と戦いながらこの世を去る。
だからこそ生きてる事に価値があるのだろう。
今いる自分の存在にもっと感謝しなきゃいけないのかも知れないな。
俺がもう少ししっかりするまで生きててくれよな。
なんかそんな事を考えた日だったな。

深井の母上様...本当におつかれさまでした。安らかに眠ってくださいね。


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帰省

2006年08月15日 | Tsushimi Takashi
以前からの日記やこのブログに至る中で何度と書いたお盆の事。
まあ、例によって今年も広島へ帰省してきたわけだ。
今年の西の地方は例年にない猛暑であった。東京の暑さと言えば、ム~ンと湿り気のある
室外機から放り出されるあの得体の知れない空気の匂いとモワッとした重たい紫外線のイメージなのだが
今回の広島は太陽が痛くこの俺でさえ熱中症を心配したほどの暑さ。何度かの夕立による厚い雲の下では
そよ風が吹き、しかし雲の隙間から太陽が覗こうものならまた皮膚を焦がすほどの紫外線のシャワーであった。
さすがに実家の15年前のクーラーも役に立たず、新調したエアコンは狭い部屋を冷蔵庫のように冷やしていた。
”おふくろ、こんなに冷やしちゃあ、身体に毒よ”と言いながら、普段の温度設定の感覚より明らかによく冷えてる
最新のエアコンのリモコンの温度を少しずつ何度も上げた。
今回は外気と、家に限らずどこへ行っても冷え冷えの室温との差で少々疲れの残る旅だったなあ。

毎年思うのだが、お墓に行くと不思議な事がよく起こる..ような気がする。
先祖代々の墓が五つ並んでいるのだが、その一カ所だけ線香が異常に早く燃えたり
手を合わせた途端に誰かがふと俺の右腕をそっとなででくれたり
二カ所の墓参りの直後に一瞬雨がザーッと降ったりと...あくまで俺が考える俺にとっての不思議な事だけど、
何故かそんな事がここ近年多い。

実家の前の公園で夜一人でタバコ吸いながら色々思いだした。
俺が生まれてからもう今年で48年目だ。二十歳の俺をニューヨークに送り出した時の両親は
今の俺の歳より若い。俺が18歳で上京したときの実家は場所も形もほぼ一緒だ。
この公園は昔は畑だった。雪が降ると近所の友達と雪合戦をしながら共働きの母親の帰りを待った。
動かなくなった小さい車が捨てられていて雨の日はその車のなかで運転ごっこをよくやった。
畑が公園になってから、そこの砂場で恋のダイヤル6700を聞いた。
やがて高校生になってずっと学校行かずバンドやり始めたころ、あの弦楽部のバヨリン(ヴァイオリン)の先輩が
家に訪ねて来て”都志見くん、どうして学校来んの?”というので、夕方から陽が暮れるまで
公園のベンチで色々話していたら、家の中からお袋が”もうそろそろいい加減にしなさいよ”と
意味不明に叫んだ。後で聞いたら、どうもつき合ってると思ったらしい。
高校生が薄暗い公園のベンチでと。。。んな馬鹿な。。
まるであの映画(三丁目の夕日)のような時代背景に生まれてもう半分過ぎたのか、いや半分以上の時間が
あっという間だったな。

いつも東京に戻る日は親のほうが名残惜しさを決して口に出さないぶん寂しそうだ。
”また来年なっ”って言いながら、お袋とは玄関先で別れる。
親父とは車で送ってもらって広島駅で。
親子なのに、一瞬礼儀正しくとても威勢のいい笑顔で照れながら別れる。
”ありがとね””気をつけての”くらいである。
そんな帰省を年に二回。

今年も墓参りを終えてホッとする反面、すこし寂しい気もした。
歳とったな..親父。

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先日

2006年08月02日 | Tsushimi Takashi
先日だが、夏川りみのレコーディングに行って来た。
かれこれ6年振りの再会であろうか。しかし懐かしいとか随分前の事のような気がしない。
彼女はどう思ったか知らないが、少なくとも俺はあれからテレビで事ある毎に彼女を拝見していた
からであろうかな。
さて、もうだいぶ前に書いていた曲の歌入れだったのだが、作詞は上田知華で編曲は京田誠一というプロダクションでの作品だった。
りみとは何かと縁があるように思う。石垣島と俺の出身の広島の距離はあまり意味を成さないが(笑)。
彼女が星美里という名でキャニオンからデビューした時の確か二作目が阿久悠氏とやった”夢色めまい”という曲。あのころ彼女はまだ17歳だったように記憶するが、実は数日前そのCDを探し出して、とってもぶりに聞いてみたよ。とてもいい作品だった。
確かあの時は曲先で、キャニオンのディレクターと一緒に阿久さんの事務所のある六本木にいって
打ち合わせしたのをよく覚えている。その時が阿久さんとの初対面で俺はめちゃくちゃ緊張してた。広島で見ていたスター誕生という番組の審査員だったし、沢田研二の勝手にしやがれという曲
(もちろん他多数)が大好きで、その人が今こうして俺の目の前にいて、俺の曲を聞きながら
流行歌って誰のモンなのかねえ~などと、まるで彼の著書を読んでいるような錯覚にとらわれるほど奇麗でそして独り言のような言葉で今までの自分の経験や出来事についてとても奥深い話を聞きながら、俺は昼飯に出された特上天重を箸はつけたものの、結局海老ひとかじりと米ひとすくいしただけで吐き気がくるくらい喉はカラカラのまま、その天重の横のまるで砂漠で見つけたオアシスのような上品な麦茶を何杯もお変わりした記憶は鮮明だ。
そして一番驚いた事はと言えば、それまで阿久さんとやった楽曲をすべて(すべてと言えど当時はまだ二曲だった)覚えていてくれて、その曲への想いまで告げられた日にゃあ、心の底までヤラれたし心の底から”参りました”だったよ。シブガキ隊の”恋するような友情を”と和田アキ子の”抱擁”という歌だけどね。特にシブガキ隊のその曲が解散の前あたりの曲でね、阿久さん自身もえらい気に入っていて、だから幸いにも初対面な感じはなおさらしなかったんだよな。
やっぱ、お前誰?みたいな感覚より、あ~あん時のお前ね!って感じのほうが距離感全然違うもんな。お前出身どこ?..へ~、わりゃ広島かあ!ってのがひとつの共通項であるように、あの曲の出身はあなたと僕ですよねみたいなところで、もう馴染みの寿司屋みたいな感覚になれる事は確かなんだよな。話はそれたけど、んで夏川りみはそれから何年かして一度歌をやめて故郷に帰ったんだよね。しかしさ~、当時キャニオンでりみを担当していた宣伝の人(現事務所社長)が、その歌声に惚れ抜いていて、それこそ何度も石垣島の実家に行って、俺はお前の歌にもう一回賭けてみたいという情熱のもとに、現ビクターで再デビューを果たしたわけだ。
んで、ビクターでのデビュ-曲がこれまた何かの縁だろうが、俺の曲だった。
そして二曲目に書いたシングルの”花になる”って曲で少し路線変更して3作目がいよいよあの”涙そうそう”となった。ちなみに涙そうそうのカップリングには二作目の”花になる”が吉川忠英氏のリアレンジによって蘇った。
まさに当時のデモに近いアコースティックなアレンジでシングルより断然いい。

それから6年。。おそらくメールで一度やりとりした覚えがあるものの、また再再度、曲を書く機会があり先日会った。
シングルとかアルバム曲とかは関係なく、また一緒に仕事が出来たねっていう想いと、お互い当時と変わらぬ姿勢でひとつの楽曲に到達したという想いと、この仕事ってそんな事がいいんだと思った。
6年振りに会う彼女は相変わらず酒好きで、ちょっとだけネバくてとてもいい歌だった。
いやネバさは俺の方が一枚も二枚もウワテではあるが。。。(笑)。

がんばれ!りみちゃん。

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