アメノチハレ

都志見隆の果てしない日々の日常

一期一会

2016年07月29日 | Tsushimi Takashi
音楽の世界で仕事を始めてから、これまで色んな出会いがあった。

中村雅俊さんとの出会いは1988年初発売のアルバム
「アクロス.ザ.ユニバース」の中の
「永遠にJust a pain」という曲が最初だった。


-多摩ヒルズゴルフコースにて-

その曲から始まったひとつのStory
多少の時間の前後はあるにしろ、
ほぼその時からのスタッフとそしてご本人と共に
今まで来れた。
四捨五入して約30年
途中で誰かが抜けたり入れ替わったりしても
なんら不思議ではない長い時間を経て
今回初めて撮った集合写真
変わらぬ笑顔が愛おしい

僕はフリーの作曲屋だから、
曲を書いた時だけこのチームの一員になる。
僕の何がいいのか、
今でも懲りずに曲を発注していただくことは
喜びでもあり 
ある意味苦痛でもある。

自分が書いてきたものと
アーティストご本人がこれまで重ねて来た作品達
その2つの壁を壊しながら飛び越えて
またゆるぎない新たな壁をそそり立てなければ
通用しない世界があるからだ。

これまでに何曲書こうが、何度レコーディングしようが
次に新しく書く作品がまさに一期一会そのものだから。

いつも これが最初で最後 と思ってやっている。
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甲斐ゆたかさん

2016年07月26日 | Tsushimi Takashi
「都志見さんの書く歌が好きで
是非曲をお願いしてほしいと言ってる歌手がいるんですよ。」

2012年 レコード会社の方から打ち合わせでそう言われた。

歌を聴かせてもらった。
その特徴のあるハイトーンがとても好きになった。

名古屋を拠点にして時間の許す限り全国をくまなく廻って歌っている
歌手がいる


甲斐ゆたかさん

僕が携わってから三枚のCDが出た。

特に今年の2月にリリースされた3作目の「騙し舟」という楽曲については
その作品の決定に至るまで何度も書き換え煮詰めながらやり取りをした。
やり取りというよりは少し意識的に意地悪もした。

第一稿は慣れた手癖で書かれたような過去の作品にも似た歌詞だった。
こんなんじゃ前の2作を超せないよって一度は曲の提供を断った。
折角少しずつ認知度も上がってきてるんだから
もっといいもの出さなきゃってハードルを上げた。

基本的には演歌というジャンルだが
いわゆる誰が歌っても同じ様な響きのする演歌作品は作りたくないから、
そしてこの詞ならもっと上手な演歌の作曲家ほうがきっと
完成度が上がるからと2度目もご辞退した。
何度も食い下がっていただいて
最終的にいい歌詞が上がった。

今年の1月に上京されてボーカルレコーディングを行った。


2016.1

リリース後は前作品を超えるような手応えもあり
地元のチャートの上位に何度もランクインしたりと
いい反響が続いているというのを甲斐さん自身のブログで知った。

6月の中旬以降 ずっとブログの更新もなくスタッフの報告もなく
発売以降とても忙しいスケジュールだったので体調を崩されたのかなと
少し心配していた。

久しぶりにブログがスタッフによって更新されていた。

ブログ更新が途絶えて約ひと月 7月20日 
たかが61歳で帰らぬ人となっていた。

悲し過ぎるよ 甲斐さん!
来年はこんな曲にしようなんて考えていたのに。

あなたの歌声なら全国区のテレビの歌番組で歌っている姿を
いつかきっと観れると信じてたよ。

今年の唄入れの時はもう抗がん剤の治療やってたんですね。
こうして今振り返れば、思い当たる事もある。
それくらい気丈に、
唄い終わったあなたはいつもの笑顔で
地元に帰っていったもんな。

2012年に出会ってから全部で5曲 
あなたの声を殺さないように
どうしたら曲の中でその特徴あるハイトーンの見せ場を作れるかなんて
考えながら作るのが実は楽しくてね。

甲斐さん 頑張ったんだね。
本当に悔しいです。
そしてありきたりだけど
あなたの歌に出会い あなたの人柄に触れ
あなたとのご縁に心から感謝しています。


どうか 安らかに。
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Share & Collaboration

2016年07月19日 | Tsushimi Takashi

2014年に公開されたジョン・カーニー監督の映画「はじまりのうた」は
そのストーリー、そして映像を含め 
後日サントラを買う程に、いい音楽が溢れてた。

コンピューターグラッフィックを駆使した派手さがメインのハリウッド系もいいが
こういった静かに心が揺さぶられてゆく映画のほうが
どちらかというと好みかもしれない。

同監督の最新作「シングストリート」を先日観てきた。


シングストリート〜未来へのうた〜

それぞれ家庭に問題を抱えた学生達がバンドを組んで
自分たちでプロモーションビデオを作り と
音楽に救われた若者が希望をもって未来を目指す内容には
気がつけば映画の始まりから終わるまで、
かつての自分を重ね合わせながら観ていた。

自分の昔 広島時代のバンド
楽器屋のYAMAHAの掲示板で
メンバー募集の張り紙を見つけて
連絡した事がきっかけで参加した。

当時は自宅の二階でドラムを叩ける環境にいた友人がいて
他のメンバーと一緒に狭い部屋で結構大きな音出しながら
練習してた。
防音どころか、薄い壁の日本家屋で
近所にもさぞ迷惑をかけていたんだろうなあと
今の都会では絶対に考えられない環境があった。

今も活躍している友人のドラマーは
少年マガジンを2冊をガムテープでくくって
それを叩いて練習してた。

リーダーの家に泊まってアンプを通さずに
ビンビンシャカシャカ練習した。

同じ音楽をシェアするという感覚は、やはりバンドならではのもの。

最近の音楽は作家同士やアーティスト間のコラボ作品も大変多い。

前回書いたような作品のカバーの事にも繫がるが
ひとつの作品が多くの人にシェアされたり
バンドとかユニットなどの枠組みなしで
色んな才能とタッグを組んで
新しいものをどんどん生んでゆく
これからはそういう時代なのかもしれない。


「シングストリート」 お薦めです。
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オキナワのともだち

2016年07月13日 | Tsushimi Takashi
以前、あるアーティストに書いた作品を
今後のライブやCDでカバーしたいので
是非許諾を頂きたいという連絡を頂いた。

具体的になるまでは、まだ詳しい事は書けないが、
とっても嬉しい。

歌い繋いでもらえる道筋ができた。
枚数だけでは計れない、その歌たちのエネルギー。

作っている時からそんな可能性を信じて
作詞家の方と本当に綿密なやり取りをして完成した作品たち。



カバーの件を報告したら
「あの曲たち、そんなに気に入ってくれる人がいてうれしいです。
お互いがんばった日々を思いだすね〜。」
という返信をいただいた。

「自分の好きだった場所で
その歌が流れて気持ち良いかを判断基準としてつくってみます」
って、カバーしていただくアーティストからもメールをもらった。
素敵な言葉だなあって思った。

歌って誰のもんだろうねえ って
亡くなった作詞家の阿久悠さんがよく仰っていた。

いつも髪を切ってもらっている美容師さんが
毎週一回の休みに三線教室に通い始めてもう三年になる。
本場の唄三線や地元の伝統的なお祭りなどに触れるため
毎年二回 沖縄に行っている。

ゆくゆくはいい男(ひと)みつけて
沖縄のどこかの島で美容師をやりながら暮らしたいという夢がある。
その腕があれば、どこ行ったって暮らしてゆけるよ って
僕はいつも彼女にそう言う。
僕の髪の切り手がいなくなるのは実際大きな痛手ではあるが。

美容室から目と鼻の先にある沖縄居酒屋に
泡盛のボトル置いてありますから
よかったら飲んでくださいね なんて言ってくれたりする。

髪を切りに行くたびに、音楽や文化や生活や
オキナワの島全体が浮上する。

都志見さん、釣りやられるなら
是非オキナワのともだち紹介しますよ なんて
美容師さん、もう気持ちは向こうで暮らしてる。

       
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2016年07月08日 | Tsushimi Takashi
普段はあまり言われる事もないが、たまに

いい声してるね って言われると妙に嬉しい。

歌うまいですね〜って言われるよりも嬉しい。

歌を唄う事をメインにする活動をやめた理由として、
やはり自分には裏方作業が向いてるという事を
留学中に再確認出来たこともそうだが、
自分の声に対して将来性を感じなくなったというのが
大きな理由かもしれない。
唄い方と声質のバランスそして 究極の声の艶 などが
作品を導いてくるとすれば 
周りには自分より優れてると感じる人ばかりだった。
実際にこの世界に入ってみるとVoice & Vocalに関しては
雲泥の差を突きつけられた。



当時の声質といえば今より細くトーンも高く
押さえの効かないものだった。
特徴的には声を潰してガナる唄い方だったので
喉も響くわけがなかった。
そんな声では聴き手も数曲でお腹いっぱいになる。

最近はというと、
自分の声に対して少し違う感覚を持つようになった。

以前にもこのブログで書いたように、
自分がずっと唄っていきたいと思う作品に出会えたら
唄ってみようかなと近年思うようになった。
その作品に心当たりがないわけでもない。

声に艶がない歌手は一発はあるかも知れないが、
その後が続かないんだよ。
遠い昔の10代に、そう言われた覚えがある。

さて、その「一発」であるが幸運にもまだ出した覚えがない。

そういう意味ではまだ 可能性 ある かも 。
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飯支度

2016年07月05日 | Tsushimi Takashi
広島に住む両親と話していると
会話の節々にだいぶ老いを感じてしまう事も増えた。
母親がこのところ腰痛が酷く熱もあるという事で
午後から新幹線に飛び乗る準備をしていた。

地方都市にも大変立派な医者もおられる事は間違いないが、
しかしその数以上に適当に薬を出すだけのヤブ医者も多く存在する。
母が問診を受けた医者の応対等を訊いていると、
実名で公表したい程に憤慨してしまう。

高度医療に限らず、日常レベルの疾患においても
高い技術、そしてこころざし高く
気持ちの温かい医者に出会う事は
本当に難しい。
悲しいながら現実である。

母親の様子によっては帰広も考え待機していたが
どうやら、息子が帰ると飯支度などせにゃならんからと
少し元気が戻ってからにしてくれと言う。

弱った母親に飯支度などやらせるわけもないのに
いつまでたっても母と子の関係は変わらない。

「親父も出来合いの惣菜など嫌がるから、
一度帰って美味い飯でも食わせて、
色々と作り置きして帰ろうと思っていたが」と話すと

「あら、あんた 飯支度なんか出来るんね?」という。

そういえば親父も料理と言えば
豆腐に醤油をかけて食べるくらいの事しか出来ないし
いつも帰省の際には僕や女房は手伝う程度で
殆どの料理を母親がやってしまう。
またそれを皆が楽しみにしている事もあり
なかなか母の前で料理をするなんて機会もない。



友人が時化の中 39匹の鰺を釣って来た。
少しお裾分けしていただけるというから自宅に待機してた。
         
「吐きながら釣りました」とまだ身体が揺れているようである。
「都志見さんが今日の東京湾出てたら死んでますよ」
というくらいの大揺れだったらしい。
頂いた8匹をすぐに処理して丁寧に冷蔵庫に入れた。

刺身にしたり開きにしたり
僕のそんな包丁さばきを見たら
母親はきっと驚くに違いない。

お袋が寝込んだらどうするんだ?
親父も飯の世話くらい少しは自分で出来なきゃダメだぞなんて
少し発破をかけようと電話口で言いかけてやめる。

何はなくても母親のする飯支度が一番好きなのは
親父なんだからな。

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私の履歴書

2016年07月04日 | Tsushimi Takashi
しかし近年、まわりの甥っ子達もいつの間にか大きくなって
ついに今年来年は就活だ卒業だと嘘のような話だ。
一方、正月のお年玉を渡す人数が毎年減ってくれるのも嬉しい限りだ。

義妹の息子が、すでにサプライズ内定をもらったらしく
今まで苦労しながら母子で頑張ってきたのを知っているだけに
我が事のように嬉しく思った。
桁違いの数の会社の面接を受けている同級生も多い中
数社しか受けていない事に驚かれもしたらしいが、
本人曰く熱意が通じたのだと思うと喜んでいた。

数打つより溜めて打て!とはよく言ったもんだ。




東京に来るきかっけになったデモテープと写真と手紙。
40年前に「これで最後だ」と、
ある事務所に送った事が幸運にも僕の音楽生活を現在にまで導いてくれた。
そして実は履歴書もそれに同封してあったという記憶はとうの昔に忘れていた。
時間をかけて録ったデモテープと
便せん11枚分の手紙に託した音楽への想い。
それだけが「これで最後」の切り札だったからだろう。

履歴書を書いたのは後にも先にもその一通だけだ。
単なるあこがれや興味本位の好奇心からだけではなく
誰に何と言われようが音楽という職業へ就活するという
まさに履歴書はその毅然とした意志の証明書みたいなものだった。

当時送ったそれらの書類一式が何十年もずっと保管されており
数年前その事務所が自社ビルに移転する際の引っ越しで見つかり
その一部は僕の手元に帰ってきた。
そしてたまたまその中身を知る当時の事務所スタッフと先日会った。

「都志見さん、ところで当時手紙の他に履歴書も書いたの覚えてます?」

「何笑ってんだ?」

「そこのスポーツという欄に、なんて書いたか覚えてます?」

「覚えてはいないが、なんて書いてあった?」 「ボート?」

「いえ」

「柔道か?」......「なんだよ!?」


「万能!」 (大爆笑)

「スポーツという欄に{万能}って書いてありました!」

          

やはり、履歴書としては、さほど役に立ってはいなかったようである。
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