アメノチハレ

都志見隆の果てしない日々の日常

Ganbarou

2012年03月28日 | Tsushimi Takashi
久方ぶりに髪を切りに行った。

本当はあまり自分に装飾を施さずに生きて行きたいのだが
ごま塩白髪が程よく形になるにはまだ少し人生経験が足りないようで、
当分は白髪を隠す方向性である。

朝一番乗りの美容室が好きで、いつも午前10時から予約する。
終わって自分の息子程の歳の若い証券マンと会った。
知り合いの息子さんだが、愛嬌があってイジラレキャラなところが
彼が身を置く世界には有利に働いていると思う。
相手にとってツッコミ易い性格のほうが可愛がられる。

勤める支店では彼が今のところ売り上げトップらしい。
勉強はそんな出来ないのですがと謙遜するが、
頭を働かせずして成り立つ商売ではない。
クライアントとの信頼関係がまさに
売り上げを上げる一番大きな武器だと思う。

年に一度くらいは昼飯を一緒する。

目指すは、まずは東京の本店勤務。
彼の営業成績向上にさして力添えや後押しも出来ないが
是非とも勝ち上がっていただきたい。
先で儲かる情報をこっそり耳打ちしてもらうために
今のうちに酒や肉をたくさん与えておこう。




久しぶりに衝動買いをした。

靴磨き道具一式。
お値段は少々高めだったが
細部まで丁寧に作られた木箱に
いとも簡単に昭和の男のロマンをくすぐられてしまった。
早く靴を磨きたくなるような気持ちにさせる風格すらあって
下駄箱にしまうのは勿体ない程だ。

革靴を履く機会はそれほど多いわけではないが
それでもくたびれかけた皮の汚れを落とし
徐々に輝きを取り戻してゆくあの感じが
靴の顔としては下ろしたての時よりずっといい。
靴にできた所々の皺はまるで人の笑い皺のように
それなりの経てきた時間の証のようだ。

そういえば今日会った息子のような証券マン君の履く靴も
程よく輝いて、やさぐれた表情ではなかった。
程よく手入れされた靴はその人を感じる上での安心材料になる。

日本の夜の11時にニューヨークの証券取引がスタートするので
帰宅後もある意味仕事の延長時間が続くんですと
春野菜のあんかけ焼きそばを美味そうに食う。
どんな仕事も外には見えない大変さがあるんだね。

そう思うと、自分がやらせていただいている音楽という仕事が、
そのキツさも含めて自分にとっては一番楽な仕事かもしれないと
改めて思う。

それゆえに、その好きな仕事に甘んじては罰があたる。
よくよく肝に命じよう。


先日、ある歌手の方のキー合わせに立ち会った。
出来た楽曲をレコーディングするために、
その人の声で一番響くレンジを確認する作業だ。

懐かしくお話しさせてもらった中で
その方に最初に曲を書いたのが何と20年前だった。
そしてその時も同じようにピアノでキー合わせをした事など
よく覚えていてくださっていた事がとても嬉しい。

ピアノの側で歌われた20年振りの2曲目
とてもいい作品になる予感。

そうやって丁寧に制作を進めてゆく人に触れると
とても 救われた気持ちになる。

Ganbarou












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暑さ寒さも彼岸まで

2012年03月21日 | Tsushimi Takashi
雨が多いのは
春の訪れの前ぶれですね。

それにしても今年の冬は寒さが長引いたせいか
近所に咲く梅もようやく出番を迎えたようです。

そんな寒さも今週の彼岸を過ぎると不思議な程に
風が暖かくなるのですね。

街ゆく人の着る服も樹々が咲かせる花も
少しずつ鮮やかさを身につけながら
空の青さと共に季節を一段と引き立たせます。


何だか少し動きが鈍くなったように感じていた我が家の犬どもの
健康診断の結果は、やはり加齢による数値の上昇で
ミミは肝臓 チロに至っては尿石症一歩手前で
共に食事療法となった。

虫の知らせではないだろうが、何となくそろそろ
検査しておいた方がいいと思った矢先の結果だったので
見た目は元気な犬ども達も、あのまま月日が流れていたら
チロなどはおしっこが出なくなり厄介な手術になっていたかも知れない。

特にチロに至っては、ミネラルの摂取は禁物で
これからひと月の間、無味無臭の夢のカケラもないウェット食しか
与えることが出来ない。
これもお前の身体の為だと我々人間のほうも
過剰なまでに犬の気持ちになって
奴の不憫さをついつい憂い、いつもよりも強く抱きしめてしまう日々。

自分に置き換えれば、心より楽しみにしている毎晩の酒や
肉や魚を断たれるに等しいのですが。

  <mimi & chiro>

どんな場面でもちょっとくらいはいいだろと思う系の我が人生のこれまで。
そんでもって、チロにおやつ、ちょとくらいはいいですか?
と先生に訪ねてみたが..答えはもちろんNOだ。

ダメです!心を徹してお願いしますと言われ、
こういう時はつまり我々人間のほうが
シャンとしっかりせねばならんのです。

今までとは明らかに変わった食生活と習慣に文句も言えず
必至に慣れようとしている犬どもに心底脱帽だよ。
私も好きなウイスキーを君と一緒に断つかね。 ね、チロ。



先日知り合いに頼まれて曲集めのお手伝いをした。
つまり曲のコンペ情報を流し、10数曲程作品を集めさせていただいた。
わけなのですが...

もうすでに100曲以上集まっているという話だったのだが
正直その中にすら、いいモノがないのかねえと驚きます。

それにしても届いた作品の大半はアマチュアにお毛毛の生えた程のお粗末なもの。
これはおそらく集める方も曲出しする方も、
実はそこまで真剣にお互いを求めていないのではないでしょうか。

曲集めする方の大きな目標はまず数。
曲出しする方も、その曲を誰が聴いて誰がジャッジしてるか
いや、それどころか良かったのかそうでもないのかボツったのならご返却願えるのか、
そんな事を曲出しした側が恐る恐るお伺いを立てなきゃ
結果さえも分からないのだから、皆さんそんなコンペに疲れ果てて
まあどうなるかわからんがとりあえず、という様な気持ちなんでしょうね、きっと。

結局集まった大半は廻り回っても貰い手がない売れ残り作品だし
聴いていて明らかに曲の鮮度が違うんですよ。
そんな感じで、どれかが決まればいいやというような
そこにはほとんど意志もないやりとりがただあるだけで。

コンペなんて参加するしないは自由なのだから
新たに書く時間がないなら、とりあえずストック曲でもというのは
至って健全な考え方なのでしょうが、
そこにミラクルがおきないのは、単に作品がつまらないからなんですね。

ボツっても輝きのある作品や作家さんはちゃんと印象に残り
次のチャンスにも必ず声をかけようと思いますし、
何百曲集めるコンペだろうと、決め打ちの一曲だろうと、
それが書き下ろしだろうとストックだろうと
結局は誰かの耳に止まらないとダメなんですがね。

私の耳に残ったクオリティーの高い2作品の行方はどうなるかは分かりませんが
選ばれし曲を聴いて、少なくともコンペに参加した作家達が
「なるほど、この作品なら負けても仕方ありません」と感服するような音楽を是非
リリースしていただきたいものです。


さてと、そういえば少し前に提出したグレイト(自称)な作品について
気がつけばもうひと月程なんの連絡も頂いてないですな。
世の中がこんな時にまだそういう感じの不正直なノリで仕事をしている人って
どうなんでしょうね。

私のウイスキーの量も増えるわけです。

チロよ、今夜もちょっとくらいは...いいだろ?

ワン!!

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2012年03月11日 | Tsushimi Takashi
宮城県女川町を訪れた。

あれから一年 まだまだ復興なんて言える光景ではなかった。
そんな町で生まれ育った子供達が通う女川第一中学校にお邪魔した。

10年ちょっと前に広島から東京に出てきて
武者修行を始めた山元淑稀という、当時はまだひよっこの
プロデューサーがいた。

昨年の大震災からひと月たった頃、
彼は何度か被災地に足を運び
自ら色んな支援活動をしていた。
そこで出会った色んな人たちの中に
女川第一中学の先生が居た。

昨年の暮れ頃に、彼から連絡をもらい曲の発注を受けた。
彼が以前から手がけている”おもてなし武将隊”が歌う曲。

決めごとは二つ 一つは売り上げは義援金として支援する 
もう一つは女川第一中学校の生徒さん達も歌に参加する。

全国に居る武将隊の中から生え抜かれた12人を”おもてなし武将隊JAPAN"と銘打って
被災地に歌を届けようというのだ。

熱意ある趣旨に賛同し、快くお引き受けした。

さらに自分に決め事を課した。
注意点は二つ  一つはチャリティーソングにしない もうひとつは何者にも近寄らない。

つまり僕自身が思う”届けたい曲”を書こうと決めた。
それでいいかと訊ねたら、それでいいと言う。
それだけに、方向を間違えば容赦なく突っ込まれるが
実は、こういうプロデューサーが一番いい。

細かすぎる事を言われるお方もいらっしゃるが
そこまでほしいものが分かっておられるのなら、ご自身でお書きになればいい。
作家の創作意欲を掻き立て、作家自身も知らぬ光を引き出したいなら、
是非、アーティスト名と写真とそして、大事な”ひとこと”だけ置いて行って頂きたい。
それで充分。

話が逸れた。

出来上がった曲を送ったらすぐに連絡を頂いた。
”爆音で5回聴きました!”
爆音でというのがいい。
つまらん曲は爆音で5回も聴けんからにぃ。
とても褒めていただいた。
電話の向こうで、私の作った曲の能書きまでを彼が解説してくれる。
その通りです。
こういうプロデューサーが一番いいのだ。

そこまで有頂天にさせてくれなくても、充分嬉しい。ありがとう。
電話を切ってから、一人で万歳をした。
五十路を越えても、ますますそんなもんである。

とても楽しみにしていた歌詞が数日後に上がってきた。
タイトルの”空”という文字を見ただけで、やってくれたと思った。
こういう作詞家が一番いい。参りました、Satomiさん。

出来上がった詩と曲を大事に抱えて、プロデューサーは各地を回り
武将隊の唄入れをした。そして最後にまた女川まで行った。
女川第一中学の放送室を借り、生徒さんたちのパートを録音してきた。

その女川から、彼が連絡をくれた。
3月に卒業生を送る会があり、その時に是非唄いたいので
合唱用の譜面がほしいと。そしてその時、是非女川まで来てほしいと
先生方も仰っていただいてるというメッセージだった。
彼の熱意と興奮のボリュームに私の繊細な鼓膜は今にも破れそうだった。

最終仕上げのトラックダウン(色んな音のバランスをとってCDにするための作業)で
初めて武将隊のみんなの歌声 そして中盤から後半にかけて突入してくる
女川第一中学校の一年の生徒さん達の唄声を聴いた。
イントロが終わり唄の出だしからグッと気持ちが持っていかれた。
曲を書く際にまず一番悩んだ場所だ。それから山を越え、谷をすべりそして
全員で歌う最後のサビは鳥肌ものだった。
エンジニアは森元浩二殿 さすがです、参りました。

彼らの歌にテクニカルな巧さはないが、
その代わりの魅力というのだろうか、
暖かさや優しさやそんなものを充分過ぎる程に感じてしまうナニかがある。
魅力というのはナニかに変わるものが強烈にあれば、ナニはなくてもいいのだ。


そして皆さんの思いがいっぱい詰まった作品が3月7日に発売になりました



一昨日の夜、仙台に前乗りして、翌朝早く一人で車を走らせました。
もちろん目指すは女川第一中学校。

石巻で高速を降り、数十分でガラッと視界が開けた町を見て唖然となる。
どこが復興ですか。。
東京で見る被災地の様子などとは質感が違う。
報道がどうのではなく、己の肉眼に飛び込む現実は
いくら写真に撮っても収まりきらないだけなのです。

まだまだ後片付けさえ終わっていない町をナビが容赦なく
右や左に走らせる。
何度も両端に瓦礫の積まれた道に追い込もうとするナビを無視して、
(あるべき道が消滅していたり通行止めになっていたりするので)
小高い山に見える校舎のような建物を目指した。
障害物がないので見える方向をナビなしで目指せる。

東京からは前日の夜池袋のサンシャインシティーでイベントを大盛況で終えた武将隊ご一行が
大型バスをチャーターし予定を少し過ぎて到着された。
誰がサポートするでもなくプロデューサーを頭に自分たちでやりくりして来られた。
初めてお会いする武将隊JAPANの面々。とても礼儀正しい奴らである。


三年生を送る会を無事終えた後の、今回レコーディングに参加してくれた一年生と武将隊JAPAN

プロデューサーが女川に何度も通い、学校の先生達と仕組んだ武将隊乱入のサプライズは
予想以上に生徒さん達の笑顔をいっぱい引き出すことが出来た。
先生やそしてこの作品に携わったみんなが一番欲しかったものだった。
みんなの喜ぶ顔が見たいというのが、10年前のひよっこの時からのプロデューサーの口癖。
いや、もはや彼の生きるテーマかも知れない。
10年言い続ければ、ホンモノ。

三年生の前で武将隊達と一緒に唄った一年生の歌う”空”。
武将隊の乱入に興奮気味だった三年生にも曲の途中から
言葉が届き始めた。

”生まれてきたこと
巡りあえたこと
泣き明かしたこと
笑いあえたこと
見つめられること
愛しあえたこと
いま生きてること
すべてにありがとう

哀しみに触れあうとき
いつも蘇るのは
重ねあって
生命(いのち)にそっと綴られた故郷

両手で作った双眼鏡で
空を切り取った時
こみあげてくる 優しさに
穏やかな日々を願う

離れても遠くの青い空を
ずっと忘れやしない
愛しいひとよ 人生を
共にいまを歩いてこう
共にいまを歩いてこう”

歌詞全文

豆のあま皮のような薄い経験値しかない自分だが、必死に涙をこらえた。

あとでプロデューサーから聞いた。
歌詞の最後のサビの”離れても遠くの青い空を”というフレーズは
メロディーに乗せると”離れても東北の青い空をずっと忘れやしない”と
聞こえるように書いたと作詞のSatomiさんが言っていたと。
参りました。

その夜にも武将隊Japanの面々はそれぞれの地に帰っての仕事が待っているというので
滞在時間約三時間程で、同じバスに乗ってまた東京への復路につかれた。

彼らを見送り自分はプロデューサと二人で牡鹿半島を海岸線沿いに車を走らせ
少し遠回りをして石巻まで向かった。
せっかくだから色んな光景を私に見てほしいというプロデューサーの配慮がありがたかった。

今月の11日で一年が経つという事で、テレビでもそれまでの日常にも増して
報道される震災関連のニュースに、逆に軽いPTSDにも似たような感覚にもなるとも伺った。

ある先生が、生徒の書いた句を読んでくださった。

”夢だけは壊せなかった大震災” 

なんとも言いようがない気持ちになった。

石巻のホテルで少し身体を休めた後、
お世話になった先生方と食事をさせていただいた。
途中から校長先生も顔を出してくださった。

女川町といえば偶然にも、これまでに多くの楽曲を提供させていただいてる
中村雅俊さんの出身地でありまた、女川第一中学校は出身校だと知る。

”私はみんなで歌う合唱が大好きです。みんながその歌で心を一つにでき、
そしてその歌は、みんなが帰って来れる場所そのものなんです。”と仰っていた。
そんな校長と、そして現場の熱い先生達に出会えた事の喜びは大きい。

この震災で身内の方や知人を亡くされた生徒達も先生方もいらっしゃるとうかがった。

心に傷がないわけがない。
被災していない我々だって相当のダメージがあるのに。
校長や先生方と話しているとまるで自分が生徒になったような感覚になる。
我々とは違う方向性の強さをそこに感じたからだろう。
なんだったってどうしたって乗り越えて先へ進まねばならないんだ。

自分がもし被災した立場の身ならどうだろうかと考えながら、
あの最初に目にした女川の町と、そこに住む生徒さん達が大きな声で唄う姿を想い、
そんな生徒の姿に瞳を潤ませて、よかったよかったと言ってうなずく先生達を前に、
それでは都志見さん何か一言と言葉を求められ、多少の酒は入っていたとしても
小さな心臓を覆うまるで豆のあま皮のような薄い忍耐力は役に立つはずもなく
ものの見事に感情に突き破られて、
結局は涙をこらえきれずに最後にはピーピーピーピーとヒヨコの様に
泣いてしまうしかなかった。

まあ...いいか。。 そんな事をも教えられにこの女川まで来たんだろう...きっと。


女川第一中学校の校長先生や先生方達と

メロディーに言葉がついて自分で呼吸をし始めた作品は、もう自分のものと言う感覚ではピンと来ない。
悩み書き上げた時の感覚はとうの昔に忘れており、武将隊や生徒さんの歌になり
聴いた誰かのものでいいし、それが町の歌になればいいしそして願わくば
一瞬でも世の中の一部にもなればもっといい。

作曲は、そんなきっかけの第一歩に過ぎないと思ってる。

そしてここから先がまさにプロデューサーの腕力だろうと思う。

10年前のひよっこプロデューサーが、
10年をかけて繋いできた人々の数は一体どれだけになるんだろう。
きっと凄い数だと思う。大したもんである。

そんな事をエラそうに言いながら理不尽な社会の前線にも出ずに、
温々と業界の先輩ズラしている自分の方が、実は
本当に一から性根を入れ直さなきゃならないヒヨコちゃんである。
事あるごとにピーピー泣いてツラの皮も一向に厚くならない。
全く示しがつきません。

今回、本当にプロデューサーのおかげで無事に第一走者の役割を果たせました。
そんな気持ちなんです。

おもてなし武将隊JAPANの面々 女川第一中学校の生徒さん そして校長はじめ先生方
各々スタッフの皆様方 ベルウッドレコード様 最後に山元淑稀殿 

心の底より感謝いたします。ありがとうございました。

さて、時計を見るともう既に日付も変わっていた。
一年前の今日、大地があんなに揺れるなんて誰が想像できただろう。

この歌が生まれたきっかけはあの震災だったけれど
決して復興のためだけに作られた作品ではない。

この震災を決して忘れてしまわないように、
そしていつでも自分の愛する人や故郷の空を想えるように
この歌がずっと誰かの心に残ってゆけるといいな。


2012.3.11




























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