アメノチハレ

都志見隆の果てしない日々の日常

いつだってこれから

2013年11月10日 | Tsushimi Takashi
先月のある晴れた日、初めて女子プロゴルファーの方とゴルフをランドする機会をいただいた。
スタートして3ホール目くらいで球が曲がり始め、一つのアドバイスを受けた。

「都志見さん、ずっと左手の親指を立てているイメージでクラブを振ってみてください」

そのアドバイスを頂いてから、途端に球が当たらなくなった。

当日は女子プロのメジャートーナメントよりも長い距離のセッティングということだったが
その名の通り、プロフェッショナルというのはどんな条件下でもその片鱗をしっかり残したプレーで
18ホール終わってみれば我々男どもを寄せ付けないスコアで上がってくる。

大したものである。

たった一つのアドバイスで、もしかしたら今までの癖と垢が染み付いた独学スウィングが
見違えるようになるかも知れないと欲張ってしまうのは昔も今も変わらぬアマチュアの性だろうが、
ちょちょいと練習したくらいで、そう簡単にあの厳しく美しいプロの世界に到達できる筈もない。

ましてやその時のアドバイスで一発は打てても、実はどう打ったかもわからないレベルなのだ。
そのメカニズムを出来るだけ多く正確に繰り返せるかどうかがプロとの違いだろう。

あれだけ毎日ゴルフ漬けのプロであってもミスショットをする。
ゴルフというのはナイスショットをどれだけ打てるかよりも
出てしまったミスショットに対してどれだけの引き出しを持って
それをリカバー出来るかの勝負だとそのプロは言ってまた、静かに歩き始めた。



 小学生の頃に日本中に流れていた「夜明けのスキャット」(1969)。
以前このブログでも書いた事があるが、父がある日、トヨタパブリカを買ってきた。
我が家に始めてマイカーが来た。その日からその中古の車で岡山や島根の親戚の家によく出かけた。
あの生き生きとした時代に流れてた歌の殆どが昭和の名作として今も長く歌い継がれている。

音楽の仕事をしていると幸運にもかつての時代によく聴いていた歌手の方などとの出会いも多い。
そしてもちろん由紀さおりさんもその一人。

『くじけないで』という映画の主題歌という事で、
松井五郎氏の詩先で出来上がった「わたしのうた」という作品。
都合でレコーディングには同席できずとても残念だったが、
ご本人とは当日に電話でお話する事が出来た。
大変に気さくな方で作品をとても喜んで頂いた。

出来上がった歌のところどころに
かつて聴いた事のある由紀さんの特徴的な節回しが聞こえてきて
何だか嬉しくなった。

ところで先月末から母親がちょっとした手術のため入院していた。
病院に来ると血圧が上がるタイプでとてもナーバスになりやすい性格だが、
そんな事には容赦なく、手術に向かって時は一歩一歩近づいてゆく。
が、心の準備だけは一向に進まないようだった。

手術に関する色々な話を担当医が話し始めると
どんどん母の背中が小さく丸くなる。
付き添っている男の自分でさえも、出来るなら今すぐに帰りたいと思うほどに
年老いた身体には検査も含め負担もさぞ大きかったに違いない。
結局は案じるしか能のない息子と
その隣で口を閉じて話を聞く事しかできない父との無力な二人で
母の背中を見守る事しか出来なかった。

90歳を過ぎてから詩を書き始めた、映画「くじけないで」のモデルの柴田トヨさんの話をすると
「うちは90までなんかは よう生きんじゃろうね」と頼りない声で返す。
まあ、長い先の目標より、今はとにかく術前の身体に戻す事じゃねと
励ますことしか術がない。




そして先日 母より二つ若くして天国に旅立たれた島倉千代子さん。
90年代半ばに アルバムの一曲だが岡田冨美子さんの作詞で
「銀の舟」という作品を書いた。
どういう経緯で、曲の発注を頂いたかは忘れてしまったが
初めてお会いした島倉さんは自分に大変厳しく
そして、人にはとっても優しい方という第一印象だった。
マイクの前で一生懸命に唄われている姿は
今も忘れずこの目に焼き付いている。


柴田トヨさんの言葉のように、
歳を取っても、色んな事があっても「人生はいつだってこれから」って思えたら
少しだけ勇気が湧いてくるかも知れない。
幾度の大きな荒波を乗り越えるために人は
嘘でもいいからそう思いながら生きていたい。
人生はゴルフのようにもう一度元に戻ってやり直せない一度きりの旅だ。

最近の色んな出来事に接し、改めて
悔いなき一生を送る難しさと、そしてその尊さを
実感する秋この頃。

島倉さん ありがとうございました。

安らかに。

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