アメノチハレ

都志見隆の果てしない日々の日常

おめでとう!

2016年09月27日 | Tsushimi Takashi
この年齢になるとそれなりに予期せぬ訃報も少なからず届く。
一方では、結婚や出産といった吉報も多い。
もちろん同世代の友人達のその息子や娘達の話だが。

相手の応えを急がない時 そして急がせたくない時は
ほとんどがメールやメッセージなどのSNSを使ってやり取りしているので
そんな相手からたまに夜遅く電話が鳴ると一瞬ビクッと構えてしまう。

最初に頭に過るのは、やはり誰かに不幸があったとかそういう事だが
おそるおそる電話に出て相手の第一声のトーンを確認
ホッと胸をなでおろした。

広島時代から一緒に歩んで来た友人の息子が結婚するので
是非ビデオレターを撮ってほしいという内容だった。

もちろん My Presserよ!

と快く引き受けたのはいいのだが
いざとなってみれば
やれ、髪型はどうしよう 着るものはどうしよう どこで撮影しよう
BGMは何がいい 下書きをしようか など
一本のコメント録りの前に やらなければならない事が多すぎである。
というか 物事をそういう風に感じて捉えてしまう言わば性分なのだろう。

だから疲れる。

サッとiPhoneをセットして、お祝いの言葉を述べて それっを送ればいいだけなのに。

何度も台詞を噛みながら七転八倒したあげく、何度目かでとりあえず完了。

あれほどメッセージはコンパクトにと言われていたのに
終わってみればまだ長い。

案の定長くなったから、適当なところで切って使ってくれとメッセージを添え
ええい!と送信ボタンを押した。

朝起きたら、友人からメッセージが入っていた。

長いのではないか、内容的にどうか、だいぶ年取ったねと言われるのではないか
ニヤケていたのではないか という僕自身の懸念材料は吹っ飛んだ。

「ありがとう。昔の事もいろいろ思い出して涙が出そうになった。
息子もきっと喜ぶと思うよ。落ち着いたら飲みに行こう」と あった。

彼も僕も18歳 広島から音楽やるためにお互いに東京を目指してから40年が経った。
自分達自身のために選んだ音楽という職業で
いつしか人に喜んでもらえることに心から喜びを感じれるそんな歳になった。

息子が生まれた!と友人の下丸子のアパートに会いにいってから30年
のちに娘さんも授かって彼女ももう20代半ば。

あの時志した音楽の道で二人の子供を立派に育てて来た。

凄い事じゃないか。息子の結婚はもちろんだが
そんな親になった君をもっと讃えたい。

本当に本当に おめでとう!                





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京都へ その壱

2016年09月15日 | Tsushimi Takashi
京都といえば、何年か前に訪れたきりで 
過去にも数回しか駅に降りた事がない。
人の喉の骨が仏様に似ている事からそれを喉仏というが
母方の祖母の喉仏が京都の西本願寺に納骨してあるということで
はじめてお参りしてからもう10数年は経つ。
ちなみに僕は分骨や散骨に関しては反対論者である。

さて 
これまでそんなに多くはないが色んな歌を書いてきて、
もちろんまだその途上ではあるが
そんな作品達が繋いでくれたご縁が少なからずある。

自分の知らないところで知らない人が
その歌をとても愛していてくれているんだとイメージする事ができれば
次の作品へのすごい力になる。

先日、ある方からお手紙いただいて 
その後何度かメールでもやりとりするうちに
その方に実際に会いたくなった。

そうこうしているうちに、大阪に出向く用が舞い込んで来た。
ならば京都のその方にも会ってこよう。

ついでで悪いが広島にも足を伸ばして
両親に不意打ちを食らわすか。
びっくりして心臓が止まらぬように
やはり京都から一本電話を入れて
今からちょこっと帰ると言ってからにするか。

何ごともイメージする事がとても大切。

書きたい曲 食べたいもの 釣りたい魚  なんでもかんでも。
ありたい自分 そして 会いたい人

イメージすれば叶うと錯覚し妄想する事。

それも大事。            

                 
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Want you 俺の肩を抱きしめてくれ

2016年09月07日 | Tsushimi Takashi
「お前、丸井というデパート知ってるか?
金がないなら取りあえずそこで月賦で必要なもの買っとけ。
そのあと別な買い物してもすべて月々の支払いは定額でいいんだから」
今でいうリボ払いである。

広島から上京したての1977年
その後の住まいの中心となった四谷三丁目の交差点が
僕には渋谷のハチ公の交差点並みの大きさに感じた。
夜の新宿裏通り〜と唄い始まる八代亜紀のうた(なみだ恋)の舞台はここか〜と
西口の高層ビル そして歌舞伎町あたりの小アジアなエリアが
漠然と同居する巨大な街を見上げては
この大きな都会で今から新しく始まる自分の人生に
いささかビビっていた。



まだ右も左もよくわからない時に
「どうだ、少しは東京に慣れたか?」「風呂に入りに来いよ」
なんていつも声をかけてくれていた方がいた。
お世話になった事務所のスタッフの方で
自分より3つくらい年上だった。


独身時代の彼の狭い部屋にも何度か泊めてもらった。
シングルベッドがくっついた壁には
アランドロンのDURBANのポスターが貼ってあった。
いつもスーツをビシッと決めていた方だったが、
そのルーツが理解出来た。

4年弱の海外留学から帰国した際にも、最初に声をかけてもらった。
「元気そうだな」「お前、もっと垢抜けて帰ってくるかと思ったけど
広島から出て来た頃とそう変わらないなあ。それがまたお前らしいけどな」

結婚してからも夫婦で一緒にゴルフもした。
「あらら、また自分の世界入っちゃった。まあクリエーターだから仕方がないよな。
奥さんも大変でしょう?こんな喜怒哀楽がはっきりわかりすぎるのも(笑)。」
思うようにいかないとすぐに寡黙に一人旅する僕をみて
よくそう言って場を和ませてくれていた。

近年は、長年勤め上げた事務所を退社して今度は自身で事務所を立ち上げ
俳優をマネージメントしておられたらしい。

今朝、知り合いの方から手紙を頂いた。

「そういえばもうすでにご存知とは思いますが、
赤坂の事務所時代に一緒だった吉澤豊彦が肺がんで亡くなったと....」


もう少し憎まれっ子でいれば もっと長生きできたかもしれないのに。

酒に酔うと南佳孝の曲が好きでよく唄っていた。

もう一度お目にかかりたかった。

吉澤さん ありがとうございました。

安らかに

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爆釣

2016年09月06日 | Tsushimi Takashi
「釣れたじゃなく、釣ったという感覚がほしいんです。
悔しいので明日も練習がてら釣り行って来ます!」とは
同じ業界に身を置く友人である。

「都志見さん、釣りなんかやるの?さかな臭くなるよ」と去年の今頃。
食べることには興味はあっても
釣り自体には全く興味がなかった人間の変わり様である。



物事に凝ったり拘ったり
時間をかけて突き詰めて来たからこそ
失敗の数以上に喜びを味わえる。

我々の住む音楽の世界などは言ってしまえば
そんなこだわりを持たなくなったら
奇跡どころか寝た子も起こせない。
人に感動を与えるなんて夢のまた夢。

昔と違ってそんなに多くの種類の人間と
関わりを持たなくなったせいもあるが
どうも自分の周りには、ことごとくそういった
凝り性の人種ばかりが目立つようになった。

思い通りにいかない悔しさも
楽しみのうちである。
さかなと真剣に向き合う程に
釣りは面白味を増してゆく。

趣味で始めた音楽だって
やればやるほどのめり込んだ。
そんなに好きなことを職業にしたいと思うのは
今考えれば自分にとって当然の成り行きだった。

昔からよく訊かれる事に
今まで書いた曲で予想に反して売れたり
予想もしなかった反響があった作品は
あったりしたかという質問がある。
先日ゲストに呼んでいただいたラジオでも話したのだが
自分にはそんな強烈で想定外な経験はないかもしれない。
毎回全力であるが、
そのことと出せる結果は別である

自分の意識に反して売れたためしがないのは
案外幸せな事なのだ。

友人の釣行と同じく
僕自身も日々悔しい思いと戦いながら
ひとつでも多く作品をヒットさせたいと踏ん張っている。

釣れたじゃなく 釣りたいのである
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