アメノチハレ

都志見隆の果てしない日々の日常

ツックン

2012年11月11日 | Tsushimi Takashi
 富士の御山もすっぽりと白い雪帽子をかぶり
もう残すところ2012年もあと2ヶ月を切った。

先日仕事場の掃除がてら昔の音源や古い紙資料等の整理をしていたら
なつかしい写真がでてきた。
十数枚程の写真だったが、そのなつかしさに一瞬掃除の手が止まる。

広島時代に東京に送った写真の数々を、実は長年お世話になった事務所の会長が
ちゃんと保存しておいてくださり、それを数年前にまとめて自分の手元に
お返しくださった。ありがたい事だと思う。

その中には、東京に出たい想いを便せん数枚にびっしり書いた手紙などもあった。
よくもまあこんな田舎モンに興味を抱いていただいたと思う程
それは恥ずかしい程に真っすぐな内容だった。


これは上京後のおそらく19歳の頃の写真だと思うが、
よく見るとジャンバーの下にYAZAWAのTシャツを着ていたりもして
一人思わず笑ってしまった。
音楽番組の楽屋で、先日亡くなった桑名正博さんと最初にお会いしたのもこの時代。
チリチリパーマがよく似合っていて、優しい人だった。
好きだった「哀愁トゥナイト」という曲を生で聴いた時、本当にかっこ良い人だと思った。

いつになったらどうやったらそんな人になれるんだろうなんて
鼻息荒く上京したものの、実は色々落ち込んだりもしたもんだ。

そんな世代的な事も関係してか、周りの知人や青春時代に花を添えてくれた人や
多感なあの時代に手本になった方々の訃報も最近重なる。

キーボードの佐藤博氏が亡くなった時、友人の編曲家が「またひとつ俺の青春が消えてゆくような気持ちだよ」と
メールしてきたけれど、なんとなく自分のかつての写真を見ながら
色んな人を思い出していた。本当に色んな方々に支えて頂きながら。

 そういえば昨夜も、キーボーディストでアレンジャーの安部潤氏の20周年ライブが六本木STBであったのだが
そこで20数年振りに当時のジャニーズ関係の制作でよく一緒に仕事していたカマちゃん(鎌田俊哉氏)とバッタリ。
「おーツックン!」
あん時生まれた息子さん、年なんぼになった?と聞いたら、23歳だよと言うので
それじゃあやっぱりもう20年以上は会ってなかったねなんてね(笑)。
同い年で当時はまだ20才台 色んな話もしたもんだ。

同じような感性のもとに一つの作品を作り上げるという仕事は喜びも大きい。
本当はそこがミラクルを生む一番の要になるのだけれど、哀しいかな 
なんだか暖簾に腕押しな事も多くなった昨今。
誰と一緒に仕事をするかというのは本当に大事な事だが
これだけ音楽を取り巻く時代や環境が様変わりした中で、
満たされない現実を排除して、お互いの感性を交える事の出来る人と仕事がしたいと思うと
結局は一緒に仕事をできる人間は殆どいなくなるんだよと
知人のアレンジャーや制作者も苦笑する。

ともあれ、当時の戦友達の元気で頑張っている姿を見るのは嬉しい。
昨夜一緒に居た後輩が、都志見さんの事を「ツックン」と呼ぶ人は
鎌田さんで二人目です(笑)というので一人目は誰だったんだ?と聞くと
田原さん(田原俊彦)でしたというから
当時の仕事仲間からはほとんど「ツックン」って呼ばれていたんだよなんてね(笑)。
いや実は学生時代から「ツックン」でしたね。

 さて最近は自転車生活もだいぶ板についてきた感じ。というのも
運動不足を少し真面目に実感し、基礎体力アップに取り組もうと思い始め
必要以外はなるべくバイクや車に乗らない生活をと心がけている毎日。

なんせ上の写真の時代からざっと、10キロ以上体重が増えているもんで。。

国道246を走る自転車群のなかで女の子にもどんどん追い抜かれるけれど
自分のペースで走ります。
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