アメノチハレ

都志見隆の果てしない日々の日常

温泉タオル

2006年09月24日 | Tsushimi Takashi
んま~、しかし絵に描いたような秋晴れの朝だなあ。
珍しく日曜に家にいるので午前中の更新だ。

基本的に俺の性分としては、とても気~使いである。
無意識だと思うが、人に会うと気を使いそれで疲れてる場合が多いかもな。
決して心地悪いのではなく、これは性分だから仕方がない。
それでも若い頃と違って大らかにはなった分、奥行きとしては繊細にもなった。

傍から見ると、そういう風に見えないと言われる事もあるが、態度とは裏腹に気は充分使っている。

音楽も、聞き手がどう感じるだろうかに神経がいく。気を使う。
褒められる事はありがたいが、それよりも必要なのは世の中に問う作品であるかどうかだ。
知恵と時間と経験を駆使して作る一曲だ。相手の安易な要望だけで簡単に直しや模様替えは出来ない。
自分の作品にも気~使ってやらないとバチがあたる。商業音楽にもプライドはあるのだ。

んで、俺は温泉タオルが好きだ。
ま、昔で言う”手ぬぐい”的なタオル。
温泉宿や健康ランドなどに行くと、最近は必ず持って帰る。
気を使わなくていいからだ(笑)。
洗面所の引き出しの中の数あるタオルの中で、俺はその手ぬぐいをいつも使う。

いただきものの厚手のタオルなんかだと、汚しちゃいけないと気を使う。
その点、温泉タオルは首にかけて汗を拭きこぼれた醤油の跡をタオルの端っこで拭き、頭にねじりハチマキをして気合いを入れ、バイクのシートなどのホコリを鞭のようにパンパンと払い、また汗を拭く(笑い)。
そんな使い方が続くと洗っても煮染めた色になってゆくが、それでも俺には人気者なのだ。

何しろ、気~使わなくていい。

でも、作家は温泉タオルじゃだめだ。
もっと大事にされないといけない。
今の無名の若手などはまさに温泉タオルのごとく、気も使われず扱われる。
しかしだ、作家も自身の実力をわきまえて、努力を重ねないとそう扱われても当然なんだ。
人生かけてやる覚悟がないとな。

ものを創って売るという事はそういう事だからね。





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ハズしの美学

2006年09月19日 | Tsushimi Takashi
雨上がりの街って昔から大好きである。
まさに今日の夕暮れは、声が出るほど綺麗だった。

そういえば先日、浅田次郎の「地下鉄(メトロ)に乗って」という本を読見終えたが、なかなかロマンチックで読み応えのある俺的にはタイプな作品だった。近々映画化されるのかな?是非映像も見てみたい。
地下鉄に降りると、あるポイントから自分が幼い少年時代の頃にタイムスリップしてしまいそこで今まで知らなかった親父の事や兄の事などが見えてくるという現在と過去を行き来するストーリーなのだがね。

最近TVドラマなんかも、当然だが脚本が面白くないと視聴率が悪い。
どこにでもある当たり前の設定で、フツーに恋愛物語ってやっぱドキドキしないんだよな。
人気女優や俳優の一年先のスケジュールだけおさえておいて、本はあとからっていう事も少なくない。
キャスティングだけで視聴率は取り難い時代になったね。
先日終わったマイボスマイヒーロー(だっけ?)などは断片的に見ていても面白かった。ヤクザが一年だけ高校生やるってストーリーで、あり得ない設定だけどそこに意外性があるから物語がどんどん展開してゆけるのだろう。コメディーとギリギリのラインだったけど、見ているとあり得なくなくなるから不思議だよな(笑)。

八十分しか記憶が持たない数学博士とのふれ合いを描いた「博士の愛した数式」も映画は見ていないが、とても面白い本だった。
一つ何かをハズしたら物語ってとても面白くなるのだなあって思う。

でもさ、メロディーとかも、この一つハズす事って大事なんだよな。うまく言えないから伝わりにくい話だけどさあ、パーツそれぞれは王道なんだけど一曲を王道パーツでまとめると意外に地味なんだよな。なんかね~、決まりきったデートコースみたいで、雑誌に乗ってる女の悦ばせ方みたいで(笑)たぶんきっと次はこう来るって思うとその通りになってしまう意外性のなさ?。食事もお酒も甘い言葉も、んでテクもいいんだけど、な~んかバランス良すぎて物足りない感じ。幸せすぎて怖い感じ。
二回目のデートどうするんだろうって感じ?(笑)。
きっと多少デコボコしてひとつくらいハズれてるほうがふくよかなんだよな。曲も人間もね。
精進 精進~。
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祭りのあと

2006年09月18日 | Tsushimi Takashi
土曜、日曜とわが街等々力は秋祭りであった。

自宅から歩いて30秒の玉川神社境内を中心に毎年同じ顔ぶれの屋台のにいちゃん、ね~ちゃんである。
おれは仕事で今年は仕事場。雨の中バイクを走らせ帰宅したが、祭りの後片付けも終わり普段と変わりないご近所の風景である。

今ふと窓を開けたら鈴虫が鳴いてる。あっと言う間の夏が過ぎ空気も風も雲も女の服装も当たり前のように秋になった。

使い古した色んなもの、たとえばコードやリフ、キメやフィル、そしてAメロ Bメロ サビなどを模様替えのごとく、せっせと入れ替えたり繕ったりして新しい響きはないかと模索する。
コードは手癖、リフやキメは耳癖 フィルも手癖 メロは泣き癖 ”タバコやめなさい”は親の口癖と、どうにか癖から抜け出すために一曲書くのにとても時間をかける。しかし難しく聞こえないように、しかも新しく聞こえるように、そして少し懐かしさを残しつつも、決してオールドファッションにならないようにと、一口に作曲と言っても大変なのである。
何もチェックリストを作って確認するわけではない。
頭の中でとても自然にそういう観念が作用している。。。。職業作家の本能だな。

シンプルなコード進行で野太いメロが理想であるが、アーティストによっては中々そうはいかないことが多い。

そういえば先日、友人と飲んでる時に店の有線から聞こえて来た曲があった。
初めて聞いた曲だけど、妙に知ってる曲のような気がする。つまり初めて会った女なのに以前どこかで出会った事のあるあの感じと似てる(べつに男でもいいが。。)
店の高い位置にあるモノラルのスピーからだから、客の話し声の隙間から時々かすかに聞こえる程度だし、曲のコード感など全くわからない。
結局その曲は宇多田ヒカルの曲だったのだがね、何故わかったかと言うと、それは「声質と唄い方」なのだ。
やっぱ、歌い手が世の中に認知されるってまずは声質とそして唄い方だよな。
まさに親からもらった天性の声と、自分で培養した唄い方なのだよ。大事なんだよな..歌のニュアンスって。

んで、俺の作曲って実はこの唄い方と非常に深い関係があってね、俺のメロの泣き癖は俺の艶のない声が原因なのだよ。
つまり艶のない声を唄い方でなんとか形にしてるっつ~事かな。
本当は小田和正や杉山清隆みたいにスッコーンとサラッ-と唄いたいんだ(まあしかし小田さんはネバイけどな)。自分がそういう声質だったとしたら当然書く曲も変わって来たはずだよな。憧れるよね、あ~いう透明感のある声質。

でも神様はあえて俺にそういう声を与えなかった事が、俺の人生の味噌と醤油かもな。
癖の固まりの俺だけど、まだまだ泣ける曲書き足りないからね(笑い)。

やっぱ理想は、ネバい歌をサラッと聞かせられる曲。。。これに尽きる。
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PCとお好み焼きと私

2006年09月12日 | Tsushimi Takashi
ついに仕事用のメインPCが壊れた。
幸いにして今までの作品やデータなどは別のハードディスクにいれてあったのだが、殆どのアプリケーションはまた最初からやり直すはめになりそうだ。それにしても、この事だけでこんなに動揺してしまう自分も情けない。
つまりコンピューターなしではもはや俺の仕事はどうにもならない。

ラジカセとギターがあれば曲は書ける。
五線紙とペンがあれば譜面も書ける。
しかし、頭の中身を映し出すには、まだまだPCが必要なのだ。

モーツアルトのような宇宙に似た空間が頭の中にあるならまだしも
俺の頭の中は地球の周りをひたすら廻っている月みたいに、同じ景色の再現の繰り返しである。
広がらない頭を少なからず広がったように見せるために音楽ソフトを使ってアレンジする。
今やレコーディングには必要不可欠である。

今も色々PC回復に全力を注ぎつつ、待ってる時間にこうして書いてる。

ところで小学生の頃 土曜の昼というとおふくろに100円もらってお好み焼きを食べにいったもんだ。
おばちゃん一人でやっている小さな店だった。
当時は今のようにトッピングやら色んなバリエーションはなかったように思う。
そばかうどんかを言って、ダブルがあるだけだったような気がする。
お好み焼きが70円 ファンタグレープが30円だった。
広島のお好み焼きは鉄板のうえで食べるのがうまい。
皿に移して食べるのとまったく美味さが違う。
そして必ずと言っていい程、どこの店にも夏はかき氷、冬はおでんが大きな鉄板のすみにあった。
たまにおふくろと行く時は、お好み焼きの後かき氷か、お好み焼きの前におでんが食べれた。
”はいできたよ!”とおばちゃんが二枚のお好み焼きを俺と弟の前に移動すると、若干弟のほうが大きく見えたりした。
ちなみに、広島お好み焼きにマヨネーズはタブーだ(と思っている)。
そして多すぎるネギのトッピングも嫌である。
ちょっと前友人のヨッちゃん(Drum)と広島風のお好み焼き屋(知り合い)に言って一杯飲んで、じゃあ最後に”肉玉そばにいか天”というと、そこの大将が、”ほんま、広島のもんらしい注文よの~”とけっこうウケてた。(武蔵新田にある”元”という店。ジャズドラマーの石松さんの店)
つまり、海老やらホタテやら何だかんだとデラックスこかないのが、広島だったりする(笑)。
あ~食いたくなった。

っと、PCを見るが依然修復作業がまだ進まず。。。チックショ~~~~(小梅太夫風)

マジヤバである。。


ヨッちゃん(Drum)
ジャズドラマー石松元
ひろしまお好み焼き ”元”
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土曜の午後のオーケストラ

2006年09月10日 | Tsushimi Takashi
色んな週末の過ごし方があるよな。先日の土曜の午後に東京シティーフィルの定期演奏会に行って来た。
ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番が目当てであとはチャイコフスキーのシンフォニー四番と武満徹の弦楽のためのレクイエムというプログラムであった。

久々のクラシックホールでのコンサートだったがとても新鮮で一種優雅な気持ちになった。
優雅というのは、音楽がクラシックという意味ではなく、週末の過ごし方としてである。

場所は”ティアラこうとう”という江東区住吉にあるホールで、自宅からは遠いが本格的なクラシックのホールでなかなかいい。
場所柄もあるだろうし、公演が昼だったせいもあるのだろうが、殆どの人が着の身着のままなカジュアルな服装で中には釣りにいくような格好でキャップをかぶっているおっさんや白髪のおばあちゃんなど様々な生活観も見えて昔程気取ったイメージもなく、逆に”ちょっとオーケストラでも聞いてそれから一杯やろうや!”みたいな雰囲気がとてもいい。
海外のオーケストラや指揮者の公演と違い、チケットも3500円と安く値段的にも幅広い層が来れるいいコンサートだ。

今どき、どっかのライブハウスのアマチュアバンドだってチャージ2000円は珍しくない。
大ホールでやるJ-popのアーティスト達だってもっとチケット代は高い。
それと比べても、やはり優雅な気分になる。

ある意味クラシックを聞くという事がそんなふうに身近な習慣として肩肘張らないで参加出来るって素敵なことだ。
以前にベルリンフィルの海外の野外コンサートのビデオを見たときには驚いた。
それこそ芝生に寝そべって聞いてる人もいれば、家族でお弁当を囲みながらの人も。アンコールでは無礼講でみんな手拍子などしながら、ワイワイ盛り上がりながら、オーケストラと一体になってそれこそ観客の映像だけ見ればロックコンサートに近いノリで楽しんでいる。正直いいな~と思った。

規模も環境も違うが先日はとてもリラックスしてコンサートを聞けた。
終わって、午後四時過ぎ。。これからどこかでディナーでもしながら過ごすにはたっぷりと時間がある。
これから、晩飯の買い物にスーパー寄って帰っても充分に間に合う。なんか優雅だとは思わないか?

クラシックってCDだけ聞いてるとよくわからないので、好きな曲は譜面を買う。だけど一番よく理解する方法は、コンサートだってわかった(笑)。とても解りやすい。演奏者の動きと音の固まりがドーンとくる。
CDだけではとうてい好きにならない曲も、コンサートでは聞ける。15分のインターミッションでワインでもいただこうものならその後のメインの楽曲はスヤスヤと眠れてしまう。あらゆる意味で素敵です(笑)。

ちょっと時間ができたので立ち寄って当日券買って聞ける感じで、いい音楽に接する事が出来れば、本当に優雅だと思う。
なんかそんな事を思いながら帰った。

指揮:金 聖響
Piano:タン シヤオタン
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クニャクニャ

2006年09月06日 | Tsushimi Takashi
う~~ん、九月だね。ちょっと前は正月だった気がするが。。。

楽曲制作や特にレコーディングまで携わる場合、結構な時間その曲と寝食ともにするわけなのでCDが出来上がって来ても一度聞くか封も開けない事も多い。完成した時点でおつかれさまでした状態っていうか、いっぱい会いすぎて疲れちゃった男女の仲みたいに少しだけ時間を置こう的な感覚で当分作品を聞かない。

先日、そのアルバムに関わってくれたエンジニアとアレンジャーと今年初めて飲んだ。
仕事ではよく会うので、ひさしぶりという感覚はしないのだが、”この前飲んだのいつだっけ?”に
”去年だよ”とまあここでも時間の早さに驚いた。
きっと歳とるとすべてが最近の出来事のように思えてきて、断片的な遠い記憶とごちゃまぜになってやがてボケていくのだろうか(笑)。

して、そのエンジニアもつい最近、封印を解いてアルバムを聞き直してみたらしいのだが、なかなかの評価でまあ俺としてはとても嬉しかったわけだ(笑)。あーでもないこーでもないと当時の力を出しきった結果なので色々苦労はあったが、”やっぱいいアルバムだよな”と思える事で最終的な俺にとっての”完”かも知れない。

個々の色んな話に笑い怒り飲み食いの一日だったが、
ひさびさの朝まで生焼酎で自由が丘でみんな溶けてた。
”どこでもドア”がほしいくらいに酔っぱらってたはいいが、タクシー乗り場にタクシーが一台もいなくて、三人は仕方なく東横線の始発を待った。ホームで蛸のようにクニャクニャに揺れながら、タバコをやめるやめないでケタケタ笑いながら何回も握手した。
始発電車の人混みの中に埋もれてクニャクニャしてる俺たちが何者かなんて誰も想像しないだろうな。
逆に、背広着て目をつむってるオッサンが実は大会社の社長や重役ってこともあり得る。
キャップを目深にかぶってiPod聞いてる兄ちゃんが実は築地に仕入れにいく老舗の寿司屋の若旦那かも知れんし、立派な出で立ちで今から出社しているかに見える紳士が、実は不倫のあとの朝帰りかも知れない。
色んな人種に埋もれて揺られる何年か振りの始発で、気持ちがとてもフラットになった。

時には、自分は特別な人間なんだと思う事でそのプライドと戦う強さが、
いい仕事をさせてくれる事がある。
そして時には、クニャクニャになりながら色んな人達に埋もれて、そんな瞬間も幸せだと思える事でバランスを取るんだろう。

人はみんなクニャクニャなんだ。飲み過ぎてクニャクニャになるのではなくて本来元来クニャクニャなんだ。
人ってクニャクニャしてたほうが面白いんだ。 だから、シャキッと出来るんだよな。

な~んか、そんな事を思った。そしてクニャクニャになれる仲間ってとても大切だね。
お互いにいい仕事してまた来年会おう!



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