アメノチハレ

都志見隆の果てしない日々の日常

便利だけど

2006年04月30日 | Tsushimi Takashi
いままでのゴールデンウィークではじめて、旅行する(笑)。
伊豆の修善寺温泉に親つれて行ってくら~。
母親が70歳の記念に富士山を真近で見たいっていうんで、まあドライブがてらな。
それにしても、最近の車(レンタカー)っていうかカーナビっていうのか、とっても優れモンだな。バックするとき、後ろの様子と車幅のラインが映像に現れるのにゃ~おったまげた。
んまあ~至れり尽くせりに出来てるんだな。いや~超便利だな。

んまあ、俺の車はナビもない、エアコンも手動、鍵も手動、二人しか乗れず、荷物もそこそこ、
燃費は最低、曲がれない、重たい...ん~、それでも買い替える気にはなれないんだよ(笑)。

なんかさ、いくらワープロや電子手帳やと言っても、やっぱペンでメモするほうが早いしね、その時に書いた活字って、その時の表情あるよな。漢字を自分で思い出しながら書けるしな(笑)。やっぱ、機械を便利に使い分ける人間でありたいとは思うけど、機械に頼りたくはね~よな。 いつまでたっても、天の邪鬼なのよ(笑)。んまあ、便利になったぶん、余計な事に時間かかってるようなきがする今日このゴロだな。

歌のピッチ直しなんて今じゃ常識みたいだけど、できるならやりたくね~な。
歌う方も、ディレクションする側も、後でどうにかなるっていう前提があるから、な~んか今ひとつ突っ込んで歌やれない。じゃあ直さなきゃ~いいじゃないって思うけど、バックするとき、画面があるとついつい見ちゃうのよ(笑)。テクノロジーの進化はグレイトだけど、利用する側はそれを必要最小限に留めるか、フル活用するか、それを生かしきるには結構ポリシーいるなあって思ったな。

結局、画面見ながらバックしても、完全に信用しきっていないんだな(笑)今までどおりの感覚で車庫入れしたほうが、断然早かったし、バックミラー見る回数も減らなかったな(笑)。


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ちょっとの差

2006年04月28日 | Tsushimi Takashi
以前見た映画や本など、二度目に見ても読んでもほとんど忘れている事が多く、歳とったのか、そういうもんなのか、
たまにまた読み返して妙に納得したり、以前のような感動を覚えなかったりさまざまだ。
ただそのなかでも漠然とだが、ほんのりとストーリーを覚えていたり、ある一瞬のシーンがパッと蘇ったり印象的なものも
ある。
本などは、ご丁寧にピンクのマーカーかなんかで、自分のためになるような事柄やフレーズに色をつけていたりする。
んで、読み返しても今の自分にも全く当てはまってしまって、結局あの頃から進歩していないのかなんてがっかりする(笑)。

曲など、どうしてこの曲が没るんだと思う曲が何曲もある。
そんな昔の曲も、時間があるときにせっせとリニューアルに励む。歌を誰かに頼んで歌ってもらって聞いてみたり
アレンジをかえたり。詩によっては二年もたてば当然古くなる。そんなのがゴロゴロしてる。
結局自分への聞こえ方が新鮮になるだけで、楽曲そのものの持つ響きは変わらないのだろうが、それでも
俺は自分の曲のあり方を信じてる部分があり、その可能性も含めてそれと戦うわけだ。

ずっと書いてると、曲の中の遊びがなくなってきて、図太くはなるんだろうが色気がなくなってくる。
無駄を削ぐ感じに陥ってくるとパターン化してくるから、詩にもアソビがなくなる。
だからたまに昔の楽曲など聞いて、曲のあり方を再確認するときがある。

ちょっとの差なんだろうな。感じる曲とそうでない曲。そのちょっとを今でも探してる。

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音楽室

2006年04月22日 | Tsushimi Takashi
中学の頃からかな、音楽を意識し始めたのって。
小学校の頃から同じ地区で育った同級生がいて、もちろん同じ中学に入った。
一緒に吹奏楽部に入ろうなっ!って約束していたにもかかわらず、そいつだけ先に入部した。
トランペット担当になった。
比較的人気の高いクラブだったためかすぐに定員一杯になった。

弦楽部という地味なクラブに入った。もともとサックスが吹きたかったから音楽部へと決めていたが
友達のへの意地もあり、このマイナーなクラブで、のし上がって見せたる!みたいな気持ちだった。それと三年生の先輩で部長だった人がとても奇麗な人だったから、この人が教えてくれるんならいいかなと。ショートカットで唇が少し厚めの美人だ。

ふむ、しかし世の中そ~うまくはいかんね。
バヨリン(ヴァイオリン)は人気もんでもう居場所がないらしく、都志見くん、男じゃし、
チェロにしんさい!とか言われて、あっけなく意思もなく次の日からチェロになった。
弦楽部では、男は俺一人。それもチェロの先輩ときたら髪の毛が天然アフロで、いつも部室にいくとチョコパンを口にくわえてチェロ弾いていた。部長は他のバヨリン達と、俺はチョコパンと(笑)。

昼休みにはよく音楽室にいった。早めに弁当食べて、あと三十分くらいあると、音楽室のピアノを弾いてた。ピアノを習った事はないが、知ってる曲のコードくらいはすぐ引けた。

たま~に大人しそうな女子が数人、音楽室で弁当食ってた日にゃ~、それこそ最初は控えめにポロンポロンと、それからビートルズのレットイットビーとかやった。
途中から話声が消えて、女子の視線がこっちに向きを変えたのがわかった。
その頃から、ブループサウンズなんかのコピーバンドを始めた。いや~懐かしい。
ギターを始めたのもその頃だ。

音楽の成績は全科目のなかでたぶん一番悪かった。赤点ばっかだった。
理論なんか知らなくても、歌はクラスで一番声出してうまかったし、アコーディオンなんかも
知ってる曲バンバン弾いて、そういう部分では先生によく褒められた。

最近ね、な~んていうんだろう、あの音楽室で習った事をもう一回勉強してみたいと思うようになった。理論もある程度は知ってるけど、ある程度じゃなく本腰入れて奥深くまで学びたいってね。
今の知識をもった上で、もう一度じっくり理論や音楽史や楽器のことやね。
ある意味、人間だってルーツを感じて生きるって大事でしょ。自分の先祖があってここまでつながっているわけで。
だから、音楽もそういう意味ではまあ、古代から始まって何かの形で俺なんかもその枝葉から
影響をうけ、導かれて音楽を引き継いでるとしたら、こりゃすごい話だよな(笑)。
つまり、二百年も前にかかれたクラシックの曲から学ぶ事って最近多くってさ。
ポップスの場合なら、どうやるこうやるじゃなくって、音楽というもっと大きな世界で色んな事をやりたいと思うわけよ。

だから今までの経験や知識を持った上で、あの音楽室からもう一度学びたい感じなんだよな。

ところで、あのチョコパンとバヨリンの先輩、どうしてんだろうな~。


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日高正人さん

2006年04月17日 | Tsushimi Takashi
なんとも言えない味がある歌だなあ。
日高正人の”やじろべえ”。5/10に発売になるが、待ち遠しい。
おそらくすぐには浸透しないと思うし、オリコンの順位がどうのこうのということにもならないかも知れない。
そしてもしかしたら、それこそ息の長~い歌になる可能性だってある。
宣伝にお金をかけれるわけではなく、余計なタイアップもない(今のところ)。
いや、いらないって思ったりする。
何十年か前、彼は武道館を満杯にした。
アリーナの真ん中にステージを組んで360°のお客さんに包まれて。

顔だけは知っていた程度だが、発注が来た。
たきのえいじ氏の詩先で作った。
そよ風のように心を触ってくれる詩だった。
だから俺も、そよ風に吹かれながら書いた。
こんな作品を待っていたといってくれた。
はっきり言って、今まで曲書いて来て、面と向かってあんなに感謝されたのは初めてだった。
それも心の奥から聞こえて来た。

年齢なんて関係ない。ビッグネームである必要もない。
心から歌いたいっていう気持ちがあれば、そんな人にはどんどん書きたい。
大事に歌ってくれると思う。
長く歌ってくれると思う。
アリのように小さい力かも知れないし、亀のようにのろいかもしれないが
ひょっとしたら、日本の隅々まで届くかもしれない。それが歌ってもんだ。

がんばれ!日高さん!。

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ヒット曲

2006年04月16日 | Tsushimi Takashi

”アーティストっていいですね。もし自分が死んでも作品だけは永遠に残るから”って
よく言われる。
うんまさにその通りかもしれない。特に俺たちは作品がヒットすることによって
世の中の出会った事のない人達から訪れた事のない場所まで作品が届く。
そうやって改めて自分の所に作品が帰ってくる気がする。
しかしヒット曲って誰のものだろうって思う時がある。もちろんそれを書いた作詞家や作曲家、
歌う歌手のものには間違いないが、違った見方をすれば、世の中に出た作品はもはやもう
俺たちのものではなく聞く人それぞれのものかなって思ったりもする。
特に昭和の流行った歌とかを聞くと、時代が必要とした歌なんだな~ってしみじみ思う。
現在は流通システムも多様化し製作環境もあの頃に比べると全く変わった。
コンピューターベースでの製作が主流になりインターネットでの流通網が網の目のように、
どこにいても大体のものなら手に入る時代になった。
枚数売れたからといっても、次の時代に残る可能性のない曲も多い中、
どうせ書くなら時代に残せる作品でありたいと願う。
それにはいいアーティストやクリエーターとの出会いがいる。
そしてそれにはやはりヒット曲があるっていうプロフィールが
そういった出会いを導いてくれる事も少なくない。
そして最終的には時代のなかの一曲になり得たら、それが作家としての
仕事の完結かも知れないよな。
やはりヒット曲は時代のもの。聞く人のものなのかな。

んで、”アーティストっていいですね。もし自分が死んでも作品だけは永遠に残るから”って
昨日も言われたが、横に居たある人がいい事言った。
”ううん、ものが作れない人は、人の記憶に残る人間になればいいんだよ””同じことだよ”って。

まさにその通りだと思ったな。
自分が死ぬまでに出会える人って限りあるけど、やっぱ人を大事にして心を大事にしてっていう
、な~んか超ベーシックなところで俺らも曲書かなくてはね。
そんな些細な積み重ねが、いい出会いや、いい時代との関わり方をさせてくれるんだろうな、きっと。
そして人の記憶にいつまでも残り続ける一曲が書けたらいいな。
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作家魂

2006年04月13日 | Tsushimi Takashi
先日、沢田美紀ちゃんの新曲発表のコンベンションで荒木とよひさ氏とご一緒した。
ご存知の通り、荒木氏は四季の歌からテレサテンまで日本を代表する作詞家の一人であり、
昨年の秋には文化勲章のひとつである紫綬褒章を頂いた方。

荒木氏とは、それこそどのくらい前だろうか、石井明美という歌手のアルバムで初めて御一緒した。それから、一緒に何かやろうよという話になり前川清さんなど、それこそ当時ニューアダルトミュージック(日本の音楽界だけに通用したよくわからないジャンル)といわれた分野の歌手を
結構書いた。

当時はポップス系もガンガン書いていたので、周りから”どうやって頭切り替えてんの?”ってよく言われた。
つまりTOKIOやトシちゃんやHIROMI GOやりながら、前川さんや藤あやこ、大川栄作、う~んキングトーンズやもろもろ演歌系と言われる人達も含めて、つまり”幅広いね~”って
褒め言葉なのか、何でもやるの?っていう皮肉めいたものかわからないが、とにかくよく言われた。

でもさ、俺よく思うんだけど、ジャンルって俺まったくカンケーないのよね。
聞き手がわかりやすいようにレコード会社が分類してるだけで、感じるもんには創作意欲バリバリわくし、奇麗ごとじゃなく、俺の中にそういう浪花節的なもんや、とってもドロドロした感情表現や、都会の朝焼けからそれこそ新宿のゴールデン街や惚れたはれたの世界って大好きなのよ。
んで、それをどうジャンル分けしてるかって言えば、それは詩、つまり言葉の世界と、それを表現する歌、そしてまあ音楽的にはオケであって、結構メロって裸にしてみれば、ポップもなんもかんも、感じる部分は一緒なのよね。
だから作る時も特にメロを技術的に使い分けてるなんて全くなくて、その世界で感じるものを
ただ表現してるだけなんだよな。形や形式ではなく、その詩ならこうだ とか あの声ならやっぱこのメロだとかね。

俺は作家としては、だから、その時代的にも結構いろんな曲書いてきたほうだと思うよ。

んで、話は戻るけど、その荒木さんがしきりに言うのは
”都志見くんさあ~、いい曲って作れるじゃない。でも売れるにはいい曲だけじゃ駄目なんだよね”
っていう事。

俺さ、俺も同じように思ってるけど、やっぱ彼を見ててすごいなって思うのはね、
それをいつも考えてるって事。
だから、なにか不思議な、いわゆる紙一重な線っていうの?そういう事をいつも考えてるって思うわけ。

なんかさ、たま~に、俺等って結構作品つくって落とし込む時って意外と常識的なところで評価してない?
格好良さとか時代感とかも、たとえば”今だったら、これはないよね、やっぱこれだよね!”って落とし込む事ってよくあるけど、それってつまりは、とても常識的な事なのよね。
誰が見ても、AではなくBよ!みたいなね。

でもさ、一度それを疑ってみる必要もあるかもな。なんて最近思うわけよ。

昔から、一歩先じゃなくて、半歩でいいんだ。とかよくいうけど、二歩先もありかなって。
二歩新しいものをっていうと、よくわからないけど、時代の突破口って、実は過半数ではなく
ごく少数の、強力なチカラだったりするでしょ。

皆がグッドって感じるもの以外にも、きっとグレイトって感じさせれるもんあるんじゃないかって
作品つくりたいよね。

誰もが認めるグンバツな女もいいけど、それは実は意外と平均点を超えてなくって、
それよりも、バランスはわりいけど、あいつのあの言葉、ガツンと来たぜ!って思える女のほうが妙に心に残ったり魅かれたりするようにね、な~んかそんな曲って、最終的には”売れて残る”んじゃないかってね(笑)。

だから、死ぬほど作品書いてる荒木さんが言う”いい曲だけじゃだめなんだ”って言葉、
改めて身にしみたね。
プロほどいろんな事考えてるよな。書いても書いても...考えてるんだよな。
コンベンションで歌聞いてる途中、手帳出してなんか書いてたよ。
何かいい言葉あったんだろうな。   すごいよね。 さすがだよ。!
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あの日に帰りたい

2006年04月07日 | Tsushimi Takashi
そろそろ真面目に絶煙を考えとる。
この所、少し自分をとりまく流れを変えてみたくなった。
曲の書き方やストリングスのカマし方、朝の起き方 休みの過ごし方 時間の使い方,
外での飯の食い方など いろいろもろもろ。

その数ある変えたいの中に、もう何年来願い続けているかしれない事に 絶煙が。。。

そういえば後輩とその絶煙について色々と話していたら、あるときこんなメールをくれた。
彼はMANZOというアーティスト。
http://www.realand.jp/artist/manzo/index.html

『しかしそこまでタバコの存在を断ち切ったとは大したもんじゃね』の問いに、

彼曰く、
『考え方を変えたんです。
 やめる のではなく 戻る んだと。
 タバコを吸わなくても楽しかった自分に。
 脳に暗示をかけたりしましたよ。必要ない 必要ないって。』 だと。

そうかっ!戻るのかっ!

あの寝起きが素晴らしかった日々に!
あの漬け物に醤油をかけ過ぎなかった日々に!
あの声がA(ラ)とかB(シ)まで出ていた日々に!
あのヤニ臭くない部屋に!そして身体に!
あの、はつらつとしてたオチンチンに!
そしてまたあの艶のあった皮膚に!
そして最後に、少々の事では息切れしなかった自分に!

しかしMANZOよ、また戻りたくないか?

あの焼き鳥食ってビール流し込んだ後の一服に。
ギターダビングしてる時の合間の一服に。
なんとなくカウンターの隅で飲んでる時の一服に。
イライラしてる時の一服に。
コーヒー飲みながらの一服に。
スタジオでダベってる時の一服に。

んで、ナニが終わったあとの一服に。

俺はちょうど高校一年の夏休み(王道)に新聞配達のおじさんに勧められて始めたタバコだが
かれこれ30年以上たった。

そろそろかなあって思ってる。今までの最長禁煙期間 一ヶ月。
なぜまた吸い始めたか。。。

『これならいつでもやめれるなと思ったから』



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自分探し

2006年04月04日 | Tsushimi Takashi
ふむ、桜の季節だが今日などはほとんど名残り桜とでも言おうか。もう少し散るまでの寿命が長いといいなと思う。
実際にはないのだが、どうも頭か心かが記憶している事柄があって、この間突然思い出した。
車をバックさせる時にいつもブレーキが甘くて強く踏んでも強く止まらなく、ブレーキを踏んでから止まるまでの時間差が
ありすぎる。何度となく壁にぶつかり人に当てた。バックする時だけである。いや~な感じで目が覚める。
つまり夢だった。朝起きた時は思い出せないのだが、昨日車をバックさせてる時に嫌~な気持ちになって
ずっと考えてたら、そうだ..夢で何度も見た景色だった。

これってどういう意味を持つんだろうね。興味津々だ。

あと何度か見た夢では、窓からとにかくどんどん裸の女が入ってくる夢や、崖やビルから落ちる夢。
背の高い柱が材木屋の脇に並んでいて、それが端からドミノ倒しのように倒れてくる中を逃げてる夢とかね、
まああんましいい感じじゃない種類の夢が多いな。

子供の頃は枕の下に、チョコレートと書いた紙を入れて寝た事もある。果たしてチョコレートの夢を見れたかどうかは
忘れたが、小さい頃童話で、お菓子で出来た家の話を読んだ時マジ羨ましいと思ったもんな。
一生住みたいと思ったもん。
やっぱ子供って甘いもんに飢えてるんだな(笑)。

オーラの泉って番組で、一番最初にいくつかの質問があって、その中で
”あなたは今とっても居心地がいい場所にいます。それはどこですか?”みたいな質問があったと思うんだけど
俺ならどう答えるかなって考えてみた。
俺、昔っから海が好きだとばっか思ってたし、広島時代からこっちに来て住む場所の近くに水や川がある場所が多い事に気がついた。広島も太田川のすぐ脇だしNYのアパートもイーストリバーのすぐそば。帰国してから住んだ月島はもろ勝どき橋のふもと。まあ今の住まいも多摩川に近いっちゃー近い。だけどよ~く考えてみるとけっこう水怖いしね、
果たして俺の答えはっていうと、これが『山』。広ーい丘陵とかゴルフ場みたいに緑がいっぱいで木がある場所。
木陰や木漏れ日 そばに湖があってもいい。なんかそういう場所だなあって思う。うん..花や木が意外と好きだな。
木の雫とか緑の匂いとかな。静か~な場所がいい。

まあこういう事も前世なんかと関係あるのか、うちの母親も花とかが好きだから、ただそうなのか どっちかは知らないけど
俺自身けっこう自分探ししてみたいなと思うよ。

もしかしたら、こうやって音楽やらせてもらってるその意味も、自分探しかもな。いつかどっかでその意味がわかるんだろうな。

さ~て、仕事しょっ!
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冬杜花代子さんへ

2006年04月01日 | Tsushimi Takashi
昔のデモテープやたまっていたCDを整理していたら、ケースから中身だけが落ちたMDが一枚。
それには、『クイーンエメラルダス挿入歌 “A sence of Revenge(作詞:冬社花代子、作曲:都志見隆、編曲:京田誠一)
Final Mix』って書いてある。
とてもなつかしくて、すぐに聞いてみた。なんか当時、俺の頭の中の、どのあたりのパーツや気持ちを使って書いたんだろうと
思えるほどしっとりとして、しかも強さがあるバラードだった。時間がたっているだけに(たぶん6~7年?)とても新鮮に聞けた。アレンジもグッドで、うまく言えないけどとてもいい。
作詞の冬杜さんと出会ったのは、17~8年前だろうか。最初の共同作品は中森明菜ちゃんの”Tango Noir"。
多分俺より少しだけ年上で、とっても品があって情熱的な方だった。笑顔が素敵で優しさに溢れてて。
二度目の仕事、忍者戦隊カクレンジャーの主題歌、挿入歌でお会いしたときは軽いソバージュ風な髪型で来られて
曲をとっても気に入ってくださったな。
んで、先述の曲 クイーンエメラルダスの挿入歌が 結局彼女とご一緒した最後の作品になってしまった。

実は一昨年のいつだったか突然、レコード会社から一通の葉書が届いて驚いた。
冬杜花代子さんを送る会....
その三ヶ月前に病気で亡くなっていた。関係者などの大半はその事を知らなかったらしい。
当日は彼女がいつも仕事をしていたコロンビアのスタジオで沢山の人と花と、生前好きだったワインで故人を忍んだ。
俺はその時に初めて彼女が俺より少し上ではなく、年齢的には大先輩だった事を知った。
近しい人たちにも病気を悟られまいと、長い髪を切って坊主頭をファッションにしていたらしい。
とても気丈で亡くなるつい数日前もミュージカルを一緒に見たと友人が話しておられた。

最後の送る言葉を松本零士氏が..
長年、冬杜さんが愛用していた万年筆のインクがまだ半分残っていて、”僕はまた君といつか会えるまでこのペンを大事にあずかっておくよ。きっと会える日までね””そしてまたどんどん作品を書けばいい””だからさようならは言わないね”って。

俺は彼女と仕事ができた事を心から感謝してる。
今、この曲を聞きながら ”つしみさん、がんばりなさい!” って言われてる感じもする。
歌のりりぃさんとのレコーディング風景がよみがえる。

作品っていいね。すべてがすべてじゃないけど、魂が宿ってるって感じれるものはそれこそ時代を超えても人の心に響いてくる。曲も詩も歌も、やっぱ 魂こめなくちゃね。

冬杜さんへ
おかげさまで俺は元気にやってます。そっちはどうですか?
あんまり沢山会って話したり飲んだり出来なかったけど、でもこうやって時間が経っても心に響く作品をあなたと残す事が
出来て幸せです。ありがとう。これからも書きますよ。またいつか会いましょうね。

注:写真は実際のサウンドトラックのものとは違います。



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