アメノチハレ

都志見隆の果てしない日々の日常

空と樹

2013年02月25日 | Tsushimi Takashi
あれこれと書き溜めておいたブログのテーマも
何だか旬なネタというものがあるようなのだが
その感覚は仕事の締め切りにも似ていて
相手に聴かせるまではどこで終わりの線引きをするかは自由なので
公にする場がなしでは永遠に決定稿が出来上がらない。

つまりこれは読んでいただく為に書いている以外の何ものでもないわけだから
ブログにアップした時点で作品なわけである。。
な~んて大げさ過ぎる言い方だが、そんなこんなで
一度アップしたものを下げる事だけはしたくないので
書いては捨て、捨てては書きで、中々の時間が過ぎた。

このひと月の間に小さな旅へ二ヶ所程。

三年振りに伊勢神宮へお伊勢参りに。
今年は遷宮年(遷宮(せんぐう)とは神社の神殿を改築しご神体を移す事。
つい先日発表があったようだが、今年の10月2日.5日に決まったという事。)にあたり
その建築工事も大詰めを迎えているようだった。

お参りしたのは約3年振りだったが、平日もあってかスムーズに各所を参拝できた。
今年の秋口から一年は、おそらく人、人、人だらけでしょうなと
タクシーの運転手さんが笑っていたが、本当にシーズン中は車も動かないほどの
大渋滞だ。

古い神殿を解体した材で新しく鳥居を組んだりと
その歴史、その中身はとても興味深い。
何故か不思議に本当に気持ちのいい場所なのである。
訪れるたびにそう思う。


<空と樹>

 さて、もう一つは仕事を兼ねた沖縄への旅。
沖縄は5年振りであろうか。

沖縄在住のあるアーティストのプロモーションビデオの撮影が行われている時期に
メーカーのご好意もあって、ちょいと顔出し。

何度か訪れている沖縄だが、いつもイメージがいい。

ゆったりとした時間の流れの中に身を置くと
先ではこんな場所で生活したいという想いと、
果たしてこの場所で生活出来るだろうかという寂しさと
交互に自問自答している自分が居た。

生まれ育った場所から離れたくない想いと
仕事のために上京して仮にでも住処を構えなければならない現実との狭間で
想い揺れるアーティストと種類は違えど
なんだか胸の内は一緒な気がした。

現実的にも、ここ数年の自分の流れを観察してみると
レコーディング等の時だけ東京の街に居れば
仕事面ではほとんどの事において事足りる。

あとは広島に居ようが伊勢に居ようが沖縄であろうが
なんら不自由はなさそうだ。

問題はその場所で仕事以外の生活の充実や
心の安定や刺激が得られるかどうかかな。
(特に飲み仲間やゴルフ仲間と頻繁に集えないのは寂しい限りだが。。)

このまま東京の住人として一生過ごすつもりはないけれど
この先どんな場所でどういう風に人生が歩んで行くかは
Who Knows 神のみぞ知るのだろうか。

そういえば沖縄滞在中に連れて行って頂いたフランス料理店のシェフが
なんと私の弟(同じく料理人)の事もよく存じていて頂いていてびっくり。

もしかしたらそんな些細な事だって、
実はそこに住む大きな理由になるかも知れないのである。
色んな出会いや何かの出来事は、どんな小さな事でも
何かのメッセージな気がするね。昨今 特に。

さて、もう春。

少し明るい色の洋服を着て、街を歩きたくなる季節。

ではまた。
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2013年02月11日 | Tsushimi Takashi
一週間くらい、Aメロについて考える。
え~と、いわゆる歌の始まりの序章とでも言いましょうか。

出口は入り口次第。これ、私の口癖。
曲は入り口。
この「つかみ」が上手くゆけば曲はほぼ出来たも同然。

人によっては、一曲にそんなに時間をかけてられないよっていう意見もあるし、
ただまあ、それが自分の楽曲と向き合うスタンスなので、とりあえずも人は人。
グチュグチュと考えながら一曲の完成に延べひと月なんて費やすのもザラなんです。

何と言うのか、
それはそれは苦しい日々も続く。

<Chiro>

その代わりに、まさしく天(そら)と繫がったと錯覚を起こす程に
泣きながら笑いながら曲を歌いながら何故涙がでるのだろうかという瞬間も最近多い。

歳をとったんだろうか。それゆえ、涙もろくなったんだろうか。
本当のところはわからないけれど、それはおそらく違うと思う。

ある一人の敬愛する先輩の作詞家が
「都志見くん、お互い長年やってきたけれど
この歳でまだ越えたい壁があるなんて幸せだよね」って
電話の向こうで微笑ってくれた。

形のない光り輝くイメージをどうしたら音符として歌として表現出来るんかね。
そのたびに、壁。壁。壁。

だけど、当然だよな。だってもしかしたらそのアーティストの一生の財産になるかもしれない歌を
作らせてもらう そんな素敵な事を仕事にしているのだからね。

曲を書いてると越えなきゃならない壁がどの瞬間だってある。

そして、その壁を壊せた時 どうしてだか涙が出るんだ。

歳をとったんだろうか。それゆえ、涙もろくなったんだろうか。
本当のところはわからないけれど、
どんなに悲しいメロだって、泣けないものもあるのです。

背中の裏がジンとするような曲にしたい。

それもおそらくそうだと思う。

そんな事くらいしかまだまだわかっていないけれど。

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宇宙人

2013年02月01日 | Tsushimi Takashi
数日前の夜 レコーディングを終え 西麻布から池尻のWork Roomに寄り
少しだけ作業して さあ電源を落とし帰り支度を始めたそのころ
わけもなく身体がブルブルブルブル震え始めた。
風邪にしてはいつも通りの喉のイガイガからくる順番が違う。
とにかく寒くて 車のシートヒーターを最高温度、暖房を最強にして帰宅。
女房が「具合悪いんじゃない?顔、青白いよ」というので
鏡を見たらホンマに生気がない。

翌朝、病院に行ってそれから3日間程たっぷり寝させていただいた。
街の空気は乾燥し、今年はまた特にインフルエンザとノロは流行しているらしいので
皆さんもお気をつけて。

 さて、昨年からお誘いを受けて心待ちにしていた能楽を初体験するため
渋谷の松涛にある「観世能楽堂」に出向いてきた。
眠くなったら眠ればいいし長丁場だから楽な服装でねと心温まる御伝言頂き
とても気が楽になったが、やはり本番始まると眠る雰囲気ではなかった。
しかし始まって数十分で周りを見わたすと、首を横にうなだれて眠る人 コクコクと
揺れながら眠る人 隣に座る今回お誘い頂いた先輩もそのうち「ング~」と
音まで立て始めたので、一度座り直すふりをして肘でそれとなく刺激を与えたほどだ。
そのうちあの何とも言えない笛や鼓の囃子の周波数と
ピッタシ合って、自分もユラユラとした世界へ。。


能楽とは能と狂言を併せていう用語だそうで
言葉や節回しは室町時代の様式を残しているらしく。

能では観世流 松木千俊/松木崇俊氏 
狂言では野村萬斎氏の出し物だったが
どの作品も実際に目の前で見ると迫力があり
狂言は特に笑いもありで13時から18時までたっぷりと拝見させていただいた。
毎年観劇している人もおられ、何となくだが 
疲れた身体や心をリセットするために聴くには
とても心地よい伝統芸能かも知れないですね。
お薦めです。

 最近読む本のテーマは不思議に宇宙の事に関するものや死に関するものが何故か多い。
意識してこだわって読み集めてるわけではないのだが
そんなタイミングの時なのかも知れない。

動物との事などについても興味深くてね、
二つの瞳をずっと深く見つめ合うだけでより深く愛せるってあるんだ。
人間も同じだけど、性別に関係なくそんなに長く見つめ合うって苦痛だから
すぐに目を逸らしてしまうらしいんだけど
長く見つめ合えば実はお互いの事をとても好きになってしまうのらしい。
それが恐くて目をそらすんだって。

本題に戻るけど
側に居なくても想いは届くという事ってあるでしょ。
やはりあれって本当な気がしているんだよな、最近。
テレパシー?を送る事って出来る気がするんよね。
我々は、特に自分なんぞはオギャーと生まれて50年以上生きてるんで
もう鈍感すぎて何かを受け取っても自覚はないかも知れないけれど
動物なんかはその能力って実はもの凄いモノを持ってると思う。

話し始めると長くなるんで、またにするけど
そう言えば、私がその高熱と悪寒で体調崩したちょうどその日
広島の両親が「最近ちょっと電話がないけど、病気でもしとらんにゃえ~がね」と
晩飯の時に私の事が話題になったというのだ。
「虫の知らせだったんかね~」と笑っていたが。

何気なく使っていた[虫の知らせ」という言葉の意味だが
改めて調べてみると自分のこれまでの認識が間違っていた気がする。
長くなりついでに虫の知らせの語源について書くと

※虫の知らせの(虫)は、古く、人間の体内に棲み、意識や感情に
様々な影響を与えると考えられていたもので、潜在意識や感情の動きを表す。
「虫がいい」「腹の虫が治まらない」などの[虫」も
この考え方から生じた語である。
これら[虫」のつく言葉の多くが悪い事柄に用いられるのは
生まれた時から人体に棲み、人が眠っている間に体内から抜け出して
その人の罪悪を天帝に知らせるという道教の「三虫」に由来すると
考えられる。 

とある。

だけど、悪い事も、そしていい事も含めて 想いは届くのだと思えてきた。
そりゃ「想いを届けたい」なんて下手な歌の歌詞の中ではやたら使われるフレーズだけど
今本当に遠くにいる大切な人の事を想えばその想いは必ず届くと思えて来た。
「想いは届くよ、きっと。」ではなく「想いは届くんだ。」と思えて来た。
僕らが地球人である前に大きな宇宙の一員であると思えば
テレパシーだって自由自在に使えるかも知れない。
広島まで肉体が移動しようとすると800km以上あるが
「想い」に時間は存在しないのかも知れない。

最近の寝床に入っての数分間の読書の時間は
んな事ばっかり考えてしっかり宇宙人になってました(笑)。

ところでこれを書きはじめた頃、今夜はカレーライスが食べたいなと
テレパシーを送り続けていましたところ、1時間程して
「晩ゴハンは何がいい?」とメールがありました。

アーメン。

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