大川隆法先生は、「国師」って名のってるでしょ。でも、それって、誰が命名したの? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『宗教立国の精神』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
釈迦の時代は、今から二千五、六百年前です。当時のインドには、釈迦以外にも「六師外道」をはじめとする有名な宗教家が数多くいて、競争をしているような状態でした。また、政治的には、「十六大国」といわれる諸国が覇を競っていました。(中略)
釈迦は、「その国の国民が、非常に民主主義的で、平和を愛する国民であるときには、その国を攻めても勝つことはできない」というような教えを、マガダ国王に説いています。(中略)
マガダ国は、当時、インド十六大国のなかの最強国であり、全インドの支配を目指していた国です。当時はマガダ国とコーサラ国が二大強国でした。(中略)両国は何度も戦い、戦争を延々と続けていました。
このような状況下にあって、釈迦は国師として、「政治において何が正しいか」ということをアドバイスしていたのです。
当時においては、いろいろな宗教家が、政治的な見解を国王などに進言したり、宗教的な意見を自由に発言したりしていました。「それぞれの意見をどう見たらよいか」「この宗教家は、こう言っているが、正しいか、正しくないか」などということを発言する、言論の自由があったわけです。
そして、釈迦のところにも、国王や大臣クラスの人が直接やってきて、教えを乞うていました。釈迦が、マガダ国にいるときには、マガダ国王が霊鷲山に車を進め、途中から石段を上がり、教えを聴きに来ていました。また、コーサラ国にいるときには、コーサラ国王が有名な祇園精舎に来て、釈迦から政治指南をいろいろと受けていました。
今、私は、「国師」を名乗って本を書いたり宣伝したりしていますが、「誰が国師に任命したのか」と思うような人もいるかもしれません。
しかし、私は、過去の転生においては、そういう仕事もしていたので、決して、おかしいことではないのです。
国の政治のあり方について、「こういう方針をとるべきだ」「未来は、こちらの方向に行くべきだ」などということをアドバイスするのが国師の仕事であり、「政教分離」という考えに立つのではなくて、やはり、それは、見識のある者が言うべきことであると思うのです。
また、当時の国王たちは偉かったと言えます。
彼らは、もちろん軍隊を持っていたので、僧侶を皆殺しにするぐらいの権力は当然持っていましたが、宗教家をきちんと尊敬し、「戦争をしてよいか」というような、国政の重大な局面においては、高名な宗教家のところへ相談に行っていました。そういう意味で、宗教心は非常に篤かったわけです。
それが、本来のあるべき姿であると私は思うのです。
したがって、国の政治が乱れ、国難に陥っているようなときには、その時代を代表するような宗教家は、やはり、政治に対してもきちんと意見を述べなければいけません。
(46~52ページ)
国の政治のあり方について、こういう方針をとるべきだ、未来はこちらの方向に行くべきだということをアドバイスするのが国師であり、それは見識のある者の仕事である。
大川隆法先生は、過去の転生である釈迦(釈尊)の時代に、この国師としての仕事もしていた。
国の政治が乱れ、国難に陥っているようなときには、その時代を代表するような宗教家は、政治に対してきちんと意見を述べなければならない──。
そして、大川隆法先生は、悟りを開かれた「仏陀」として、つまりは現代を代表する宗教家の一人として、目覚めておられるわけです。
そうである以上、まさに「国難」に陥っているこの日本という国の政治のあり方について必要な意見を述べることで、国師として、なすべき仕事を淡々としておられる。
そう私は確信しているです。
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『宗教立国の精神』
大川隆法著 |
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