ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



私は、子供をこれだけ愛してるのに。だんなさんを、これだけ世話してるのに。彼氏を、友だちを、これだけ愛してるのに。会社の部下を、こんなにおごってあげたりして大事にしてるのに。なんで、みんな同じように私を愛してくれないの? なーんて、疑問というか不満もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福の原点』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 「他人の心をがんじがらめにするための、トリモチのような愛は、与える愛とは言わない」という観点を忘れないでいただきたいのです。
 これは、子に対する親の愛によくあります。「自分は子供にこれだけしてやったのに、子供が親孝行しない」「成人している子供が親の面倒を見ない」と憤慨する親がいます。親が、「子供にあれだけのことをした。食事の世話をした。子育てをした。学費を出した。それなのに、大人になったら、親のことを見向きもしない」などと言うことがよくあります。しかし、その与える愛が本物かどうかをよく考えていただきたいのです。
 見返りを求めたときに、愛は死んでいきます。「相手を自分のとりこにするために、かごのなかの鳥にえさを与えるようなつもりで愛を与えていたのではないか」ということを考えていただきたいのです。ここに誤解があることがよくあります。
 お返しをもらうためにするのを愛とは言わないのです。そういう観点から愛を考えてはいけません。それはギブ・アンド・テイクであり、商売と同じです。
 やはり、愛というものは、見返りを求めないで、ただ与えていき、そこに喜びを感じていくのでなければ、本物とは言えないのです。
 「与える愛」という観点から考えるならば、逆に、相手を縛る愛を発揮している人が数多いのも現代の特徴です。縛る愛は、ほんとうは相手を愛しているのではなくて、相手を自分のとりこにし、自分の自由にしようとする自我我欲であることが多いのです。しかも、これに気づいていない人は数多いのです。どうか、この辺に気づいてください。
 「子供をとりこにしようとしていないか」「妻や夫をとりこにしようとしているのではないか」「恋人を縛ろうとしているのではないか」「会社の部下を、かわいがっているつもりで、実は自分の意のままにしようとしているだけではないのか」、こういう反省点を考えていただきたいと思います。
(85~87ページ)

相手を縛るような愛は、「自我我欲」にすぎない。

「与える愛」は、見返りを求めないでただ与えていき、そこに喜びを感じていくものなのだ──。

はじめはとってもむずかしい。

でも、大川隆法先生に教えられたとおり、実際に与えきりの喜びを実体験してみることです。

その幸福感は忘れられなくなるものではないかと私は思っているのです。

 

『幸福の原点』

大川隆法著



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