インドで作家業

ベンガル湾と犀川をこよなく愛するプリー⇔金沢往還作家、李耶シャンカール(モハンティ三智江)の公式ブログ

スワップ婚2(中編小説)

2017-10-10 18:05:04 | E全集(受賞作ほかの全小説作品、2017~)
 二アミールとディヤの再婚

 アミールはD市中心部に急きょ借りた2LDKの家具付きアパートメントの一室で、眠れぬ夜を過ごしていた。どうにか一日目が過ぎようとしていることにほっとする。新たに妻の座に納まったディヤの料理下手は救いようがなく、朝は焦げたトーストとぐちゃぐちゃのオムレツを食べさせられたし、ランチボックスの用意もできていなかった。仕方なしに昼は外食、夜もどうせろくでもないものを食わせられることは目に見えていたので、外で済ませてきたのだ。いまさらながら、第一妻フィザの家庭料理が恋しかった。
 この先三ヶ月も、この家事の滅法苦手らしい女と暮らせねばならぬと思うと、暗澹たる心地になった。
 まったく、契約上とのこととはいえ、とんでもない女を第二妻にしてしまったものだ。幾度も寝返りを打って舌打ちする。緊張を和らげるには酒が一番なのだが、フィザにディヤとの同居期間中の飲酒を固く禁じられていた手前、帰途行きつけの酒屋を誘惑をこらえて素通りしたのだ。
 こんなことなら、ウィスキーの小瓶を買ってくるんだったと、大いに悔やまれた。隣室にあのいまいましい女が眠っていると思うと、落ち着かない気持ちだった。
 それにしても、あの滅法気弱そうに見えるフェローズはいったい、この悪妻にどう対処していたものろう。どう見ても、水と油の似つかわしくないカップルだった。我慢を強いられていた第一夫が気の毒になり、三言離婚通告したのももっともとうなずかれるのだった。
 しかし、美人と言えば美人で、容貌だけは十人並みのフィザより、ずっと器量がよかった。やせっぽっちのフィザに比べると、服の上からも胸や腰の大きさは窺え、いかにも男の食指をそそる豊満な体つきをしていた。フェローズも大方、外見にめくらませられたものか。まあ、家事は出来なくても、あっちのご奉仕がすごくて、手放せなかったのだろうが、ある日大人しい夫もついに切れるような粗相をやってのけたにちがいない。
 良妻フィザの唯一の欠点はからきし色気がないことだった。体に関しては、結婚一年になるも、いまだ満足を得られていなかった。性欲の強い自分は毎晩でも抱きたいのに、片やのフィザは淡泊で、セックスを除いてはまこと申し分ない妻が、夜だけ落第点に堕すのだった。求めると、渋々ながら応じるが、人形のようで反応がなく、アミールは機械的に便器に処理するような味気ない事後感に見舞われるのだった。
 あの夜、酔っ払って帰った自分は妻を求め、拒否された腹いせに思わず三言通告を吐いてしまったのだ。悔やんでも後の祭りだった。しかし、フィザがもう少し性のことに成熟して、夫を快く迎えてくれたなら、完璧な妻なのにと口惜しく思う気持ちもないでもなかった。日頃の不満が浴びるほど飲んだことで、一度に噴き出したともいえる。
 自分だって完璧な亭主とはお世辞にも言えない手前、フィザに100%を要求するのはおこがましいとは承知していたが、性に対する不満は澱(おり)のように重なっていたものと見える。
 しかし、こういう予想外の顛末になって初めて、いかに自分が恵まれていたかを悟ったというわけだった。とにかくディヤと三ヶ月同居して三言通告する交換条件を満たさないことには、第一妻をこの手に戻せないのだから、ここはじっとこらえてやり過ごすしかなかった。可能なら、今すぐにだって三行半を突きつけたい気持ちで、最終的に三ヶ月という期間で同意したが、やはり三月はいくらなんでも長すぎたと悔いるのだった。だから、俺は一月で充分だと反論したのに、やけに慎重派のフェローズが三月を主張するもんで、渋々折れたのだ。
 あれこれ思い煩っているうちに夜が白んできた。アミールは物思いをやめて、強いて眠ろうと努めた。が、無理だった。

 二日目は、ディヤはアミールが出勤する時刻に起きても来なかった。元より期待していなかったので、早めに出て途上の簡易食堂で朝食をとることに決めた。その夜、アミールがポケットにウィスキーの小瓶を忍ばせて戻ったことはいうまでもない。
 居間ではディヤがしどけない夜着姿で、メロドラマに耽溺していた。テーブルの上にはテイクアウトのピザの箱が開き、コーラの中瓶が半分ほど空になっていた。アミールが戻ってきたのに気づくと、
「あら、お帰りなさい。夕食はピザをとったの、あなたの分は冷蔵庫に入ってるから、勝手に温めて食べてね」
 とテレビの画面から目を逸らさずに、上の空で投げた。
「それには及びませんよ。済ませてきましたので」
 アミールは慇懃無礼に返し、自分の部屋に逃げようとした。一刻も早く独りになって、むしゃくしゃする気持ちを酒で紛らわしたかった。
「あら、そう」
 ディヤはいっこうに意に介さなかった。
 アミールはキッチンから氷をとってきたかったが、ディヤの目に触れることを憂慮し、あきらめて廊下の奥の角部屋に入った。
 小瓶はすぐに空いた。中瓶を買ってくるべきだったと悔やんだ。時計の針は十一時前を指していた。居間からはまだテレビの音が聞こえてくる。まだ間に合うかもしれない。帰途、アパートの近くに酒屋があることをめざとく見つけたアミールはそう思った。テレビに夢中になっているディヤの後ろをそっと擦り抜けて外に出た。酒屋は今まさに閉める直前だった。駆け込むと、迷ったが、中瓶を求めた。ポケットに入らないので、シャツの腹の部分に包むようにして戻り、何食わぬ顔で、ソファの背後を擦り抜けた。
 その拍子にディヤが振り向いた。アミールはぎくりとする。が、ディヤはただにんまり、意味深な笑いを洩らしただけだった。ほっとして、室内に駆け込む。瓶が三分の一ほど空いたとき、テレビの音が止んだため、これ幸いとばかり、氷を取りにキッチンに向かった。
そのとき、意表を衝くようにディヤが顔を覗かせた。
 製氷皿をもろに見られた。焦ったが、そ知らぬ振りで盆に乗せ横を素通りしようとした。その拍子に酔った体がぐらりとかしぎ、盆が手から滑り落ちそうになった。すかさず、女の手が伸びて押しとどめていた。
「飲んでるんでしょう」
 ディヤは共犯めいた笑みをうっすらと口の端に湛えると、狼狽しているアミールの顔をいたずらっぽい目つきで覗き込むようにした。
「隠しても駄目よ、酒くさい息がここまでぷんぷん匂ってくるもの」
 アミールは酔いのにじんだ赤いまなじりでたてついた。
「ああ、飲んでいますよ。それがどうした、これが飲まずにいられるかってんだ」
「気持ちはわかるわ。私だって、男なら一杯やりたい気持ちだもの」
 身を擦り寄せるように近づいてくるディヤの薄いレモン色の、衿ぐりの深く開いたナイティ(夜着)から、白い胸元が露わに覗いていた。ディヤは下着を着けておらず、こぼれるように豊かな肉の谷間が目を射る。アミールはあわてて目を逸らした。
「ねえ、協定を結びましょう」
「協定? それは承知の上ですよ」
 少しもつれる舌で言い返した。
「そうじゃなくて、私とあなたの同居生活の協定」
 この女は一体、何を言おうとしているのだ、赤い目の縁で疑い深げに探る。
「どうせ三月いっしょに暮らさなきゃいけないなら、楽しくやりたくない」
 それは異論のないところだ。しかし、料理のりの字も知らぬ女とどうやって折り合っていくというのだ。
「あなたのファーストワイフが家事万端の良妻だったことは、外見からも想像できたわ。セカンドワイフの私にそれを期待するのは無駄よ。でも、ファーストワイフが与えられなかった別のものを私はご提供できると思うの」
 ほくそえみながら、故意に胸元を誇示するように反らせつつ、アミールの目許にちらちら提示する。さすがのアミールもあからさまな誘惑の姿態に、その手に乗るものかと、乱暴に振り払うと、キッチンを後にしようとした。フィザの哀しげな顔がとっさに網膜によぎったせいだ。裏切ることは断じてできなかった。
「ねえ、楽しくやろうと言っているだけなのに、なんでそんなに冷たいのお」
 翻した背をディヤの不満気な声が追いかけた。まったく、売女のような女だと毒突きながら、足音荒く立ち去った。

 かろうじてディヤの誘惑を逃れた三日目から、ディヤは次第に本性を露にし始めた。せっかくの週末だったが、四六時中顔を合わせるのが気まずくて、アミールは日中外出した。仲良くしようだって、まったくとんでもない娼婦だ。体の関係を持つことは契約違反を百も承知の上で三日とたたないうちに誘ってくるとは、大した玉だった。フェローズはこの女の本性を知っていたにちがいない。なのに、なんで復縁したがるのだ。つまり、体がよっぽどいいということか。あんな堅物の顔をしてるけど、妻の肉体に溺れているのだ。だから、つい悪妻ぶりに耐え兼ねて三言通告してしまったものの、なんとしてでも取り戻したいにちがいない。それから、アミールはディヤのあそこはそんなにいいのかと、卑しい想像をつと馳せた。フィザでは求めて得られないものが、奇しき因縁で第二妻に祀り上げられたディヤからは与えられるかもしれないと思うと、下半身がむずがゆいような感触を覚えた。いつしか勃起していた。
 性欲に駆られるまま、アパートに戻ると、ディヤはいなかった。拍子抜けする思いだった。そんなに俺と遊びたいなら今ここで押し倒してやると、意気込んで帰ったのに、肩すかしを食わされたようだった。膨れ上がった海綿体が急速に萎んでいった。あの女は一体、俺を弄んでいるのか。あんなスケの誘惑に乗っては駄目だ、気を取り直して、自分に幾度となく言い聞かせる。
 フィザのような貞淑な良妻は二人といない。セックスのことだって、まだ未熟なだけだ。これから、俺が少しずつ教え込んでいけば、そのうち開花するだろう。女の悦びを知るのも、今後の亭主の教育次第だ。
 アミールはディヤが不在だった顛末に、天の配剤と感謝していた。
 
 そうして一週間が過ぎていった。最初誘惑してきたディヤも、アミールが予想以上に慎重なことを目の当りにさせられ、下手に誘いかけることは得策でないと警戒したものか、こちらの出方を窺うように中断していた。互いの動向を横目で探りあうような、居心地の悪い七日間だった。
 二週間めもそれは変わらなかった。そして、打ち解けないままのひと月近くがたったある日、バスタオルを巻きつけただけの露わな姿で、ディヤが自室から出てくるところにばったり鉢合わせした。アミールは目のやり場に困り、あわてて自室に取って返した。
 なんという奔放な女だろうと、あきれた。それとも、故意にだろうか。誘惑は頓挫したはずが、再挑戦か。その手に乗るものか、気を引き締めなければとアミールは新たに思い直した。触らぬ神に祟りなし、と警戒を強める。しかし、その夜の酒で脳裏にちらつくディヤの豊満な肢体を追い払うことができなかった。酔いに霞んだ網膜のスクリーンでディヤは露わなバスタオル姿で悩ましげなポーズをとり、はっと息を呑んでいる自分にこれ見よがしにそろそろと、タオルを剥ぐ真似をするのだ。
 ちらりと、乳首の黒い部分が過った。目玉をぎょろつかせている自分に、ディヤはさっとまたタオルで隠してしまうと、今度は腿の部分をそうっと持ち上げる。黒い縮れ毛が束の間目前をよぎり、アミールはごくりと唾を飲む。そうして散々気を持たせた挙げ句、ついにタオルを剥いで、まぶしい全裸でストリップティーズを繰り広げるのだ。
 アミールの鼻先に、開脚したあそこの淫らな部分が突きつけられる。その瞬間、こらえ切れずに射精していた。
 下着を着替えた後、アミールは少なくとも現実の性行為は行なわれていない、あくまでも想像上の行為だから、裏切りのうちには入らないと、自らの暴走を正当化した。想像上だったら、第二妻と何度でも交わっていいのだ。口にできないようなサディスティックな陵辱し放題だっていい、あの女はマゾッけがありそうだから、嬉々と応えるだろう。現実のディヤではない、仮想上の魔娼だ。

 そうして、毎晩、まぶたの裏の第二妻を犯し続け、二ヶ月が過ぎていった。
 その頃には、あまりにも頻繁に空想で交わったため、ディヤの肉の隅々まで精通しているかのような気にすらなっていた。
 卑しい想像のせいで、現実のディヤを見る目も、もろ男のものになっていた。虚々実々の境で、アミールは毎晩酒を食らって、想像の女を穢し続けた。相変わらず、架空上の行為が背徳になるとは露だに思っていなかった。
 アミールはこのまま三ヶ月が過ぎていき、三言通告の日が来ることをひたすら待ち望んでいた。場合によっては、少し早めでもかまわない。現実に法律上は第二妻にちがいない女と同居しながら、肉体的交渉は持てず、想像でしか交われない拷問のような日々に一刻も早く終止符を告げたかったのだ。
 
 そのため、八十日を過ぎたとき、だらしない胸元をはだけた寝間着姿でソファにのさばってテレビを見て馬鹿笑いしているディヤに、
「離婚、離婚、離婚!」
 と意表を衝かれている先方に委細かまわず、一気に三言通告してのけたのだった。酒は既に入っていた。気付け薬として生(き)で一杯あおったのだ。
 ディヤは一言も発せず、まじまじと呆気にとられたように、すでに離婚通告した元第二夫の顔を見やるばかりだった。
 アミールはすっと溜飲をさげる心地だった。これで、晴れてフィザのもとに戻れると、喜びがじわじわ胸内を押し上げる感動とともに込み上げてきた。
 体勢を立て直したディヤが胸の前で大仰に両手をパンパン打ち合わせるしぐさをした。拍手は、テレビの音を掻き消すように大きく鳴った。
「これでめでたく夫婦関係は解消ってわけね。この日を待ちわびていたのよ。とにかく、乾杯しましょう」
 今度はアミールが呆気にとられる番だった。ディヤはキッチンに引っ込むと、シャンパンとグラスを二つ持って戻ってきた。いつのまに買い置きしたものだろう。透明な金色の液体の納まった瓶は一面に霧が噴いていた。ディヤは慣れた手つきで瓶を傾けてよく振ると、スクリューのネジ巻をくるくる解いた。その拍子に小気味いい音を立ててコルク栓がぽんと弾け、瓶の口からしゅっと泡が湧き上げたてきた。吹きこぼれる白い液体がディヤの手を汚す。ディヤは濡れた手のまま、グラスに等分に注いでアミールに差し出した。
「チアーズ!」
 いたずらっぽい目つきでウィンクし、グラスをかち合わせる。一気に飲み乾し、まだ呆気にとられているアミールに空けるよう促した。
「長ーい二ヶ月半だったわねえ」
 感慨深げにディヤが振り返る。
「どうやら、私の悪妻作戦は成功したようね。ほんとはもうちょっと早いかと期待してたんだけど」
 アミールはぽかんとして第二妻を見守る。瓶が半分空いた頃合を見計らったように、ディヤがまたキッチンに引っ込んで、皿がいくつも載った盆を運んできた。豪勢な料理がテーブルの上に披露された。
「召し上がって。全部私の手作りよ。二ヶ月半に突入した頃から、この日を待ちわびて毎晩準備してたのよ。結局目論見より五日遅れたこともあって、独りでは食べ切れず、野良犬の餌になったけど、今日はせっかくの晩餐を無駄にせずに済んで幸いだったわ」
 こぼれるような笑みで明かす。アミールは狐につままれたような面持ちで、混ぜご飯のひと匙を口に持っていった。フィザが得意とする料理でアミールの好物だった。
味はフィザの腕前に勝るとも劣らぬくらい、天下一品だった。
「本当に君がこれを?」
 アミールは半信半疑で問い質していた。
「もちろんよ。私、ほんとはお料理が大好きなの」
 それでは、あれは全部芝居だったというわけか。売女のような悪妻の振りをして、こちらの貞節を試していたというわけか。なんという大胆な女だ。
「もし、俺が本気であなたの誘惑に乗ったら、どうするつもりだったんだい」
 アミールは半ば呆然と訊いた。
「そのリスクはあったわ。でも、私、そうしたら、うまくかわす術を心得ていたの。つまり、じらしてあげない戦法だったのよ、ウフフ」
「何も色仕掛けでこなくても、家事全般不得手の芝居だけで、俺には充分だったと思わないかい」
「そうねえ、ちょっと試してみたかったところはあるかもね。あなたがほんとにファーストワイフへの操を立てられるか、女として気をそそられたの。それというのも、あなたがとても魅力的だったからよ。芝居が本気にならないように自分を抑えるのに苦労したわ」
 アミールは、俺が毎晩想像上のあなたを穢していたことを知ってるかいと告白しそうになる誘惑をかろうじてこらえた。
「君の仕組んだ作戦は大成功だったというわけだ。ようし、今夜は酒盛りだ。めでたくぼくたち夫婦の再婚の解消を祝って!」
 空虚勢を張って投げたが、アミールは大きな魚を逸したようなしくじりを自分がしでかしてしまったことの悔いすら感じていた。ディヤは結局のところ、フィザ以上に完璧な妻だったということだ。体を味わったわけではないが、きっとあそこも名器、フィザと違って自分を満足させてくれたことだろう。しまったと、再度苦い悔いが湧き上げてきた。せめて、なぜ最初に誘惑されたとき、欲情のままに突っ走ってしまわなかったのだろう。一度体験しとけば、名器や否やもわかって、思ったほどでなければ、一長一短と妥協できたのに、ついにその肉体を知りえなかったことで、想像はいいほうにばかり走り、据え膳食わなかった男の恥を悔いていた。
 アミールはじっとり血走った目つきで、元セカンドワイフの体を嘗め回した。透けるように薄い夜着をまとったのみの体は扇情的で、見ているだけでくらくらした。
「今、あなたが何を考えているか、言い当てましょうか」
 ディヤが大胆に挑戦するような言葉を投げた。アミールが提供したウィスキーの中瓶もほとんど底を尽きかけ、酔いの回った女の舌は怪しげにもつれていた。
「私が欲しい、でしょう」
 図星だった。アミールはごくりと唾を飲み込む。
「でも、だめ、私はもうあなたのセカンドワイフじゃないから、あなたは抱ける当然の権利を既 に放棄したのよ」
 ディヤはうっすらからかうような笑みを湛え、今にも襲いかからんばかりの体勢でいる、狼か らするりと身をかわす。
「頼むから。俺はまだ三言通告していないよ。二言吐いただけだ。君の耳が間
違って、三言目を 聞いたんだ。だから、離婚は無効だよ。ディヤはまだ俺の妻
で、俺には妻の体を我がものにする当然の権利がある。なあ、そうだろう、君は二言しか聞いていないよな」
「そうねえ、聞いたような気もするんだけど、私、ぼんやりしているから、よく覚えてないわ。 でも、つまるところ、私があなたの妻であってもなくても、それはどうでもいいことなんじゃない。大事なのは、男と女が求めあっているとき、正直になることじゃない。
私はあなたを知りたいと思ってるし、あなたも結局は、そうなんでしょう。魅惑的な男女が肉体 的に惹かれあうのはしょうがないわ、自然の摂理よ」
「そう、その自然の摂理にしたがって、今こそ俺は心の底から、君が欲しいと
思っている」
「うれしいわ。アミール、あなたときたら、なんてアトラクティヴなのかしら。なんの面白味もない堅物のフェローズとは比べものにならないくらい欲情をそそるわ。フェローズは私の肉欲を満足させることができないのよ。ほら、私たちって、もしかして、あの性の不一致というやつかも しれないわ」
「それは俺だって同じだ、フィザは不感症だ」
「と思ったわ。私たちは不幸な同じ穴のむじななのよ。お互いの欲求不満を解消するために肉体 交渉を持つのは正当じゃなくて。私もとっても、あなたが欲しいのよ」
 アミールはその一言で箍が切れたように、ソファのディヤに挑みかかっていた。

 それからの十日間は酒池肉林の生活となった。週末ともなると、朝から晩までベッドに入り浸 りで、互いの肉を貪りあった。時間がないために、二人の交わりはいっそう烈しく、燃焼極まったといえるかもしれない。どうもディヤの罠にまんまと陥ったように思えてならなかったが、体のことが予想以上にすばらしかったため、あの夜の料理が結局のところ高名なレストランから 取り寄せたものだった真実が割れても、怒りの気持ちも起きなかった。女の本性なんて、わからぬものだ。わずか三ヶ月の同居で、ディヤが悪妻か良妻かは決められなかった。体のことだけとれば、ベストワイフともいえた。もし、罠なら、あえて嵌まってよかったとすら思った。この 名器を知らずして別れてしまうとは男として、なんというとんまな過ちをしでかすところだったのだろう。フェローズがこの女を手放したくな いのも当然だと、納得するのだった。
 お互い、ファーストマリッジが解消されるにいたった顛末も違反だったが、残らず分かち合っ てしまった。やはり、フェローズは家事のできないディヤにほとほと往生していたようだ。自分のほうは泥酔の挙げ句の失態だが、それも元はといえば、フィザが性的欲求を満たしてくれなかったところに根本の原因があったことを、ディヤは即座に悟った。
 最終日、アミールはよっぽど、このままディヤととんずらしてしまおうかとの誘惑をかろうじて持ちこたえた。三言通告はなされていたし、結局、第一妻の元に戻る選択しか残されていなかった。ディヤは二言しか聞いていないと何度も泣いてしがみつきながら、このまま再婚生活を続けようとすがったのだが、さすがに神を偽る行為はできなかった。土台契約スワップ婚というだけで、大変な冒涜罪だ。フィザにしろ、ディヤにしろ、一長一短で、すべてを満たしてくれる完璧な妻などいない現実に妥協したのだ。娼婦 の役目だけのディヤには最初はよくても、いずれうんざりする顛末も見えていた。長い目で見ると、いずれ性のことは衰えていくし、家事万端に手抜かりのないフィザのほうがいいような気がした。
 とりあえず、ディヤの肉体を最後の十日間、思う存分満喫できた。その甘美な想い出だけで、 フィザとの元の生活に戻っていけそうな気がした。向こうの
カップルも予定通り、三言通告ですでに再婚を解消していることだろう。
 海辺の町での再会が目前に迫っていた。

につづく)

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« スワップ婚1(中編小説) | トップ | スワップ婚3(中編小説) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

E全集(受賞作ほかの全小説作品、2017~)」カテゴリの最新記事