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東へ、山中へひたすら歩く

(鴇田峠)

お遍路13日目、11月13日、もっと手前で一泊するか、農祖峠を越えるか、鴇(ひわ)田峠を越えるかで、お大師さんに導かれたような選択をした話はすでに書き込んだ。

鴇田峠への遍路道はしばらく吉野川に沿った国道379号線を歩く。地域の産業であろうか、道路沿いに、年頭に使用する松飾りの松を製品化している作業場があった。作業場所が歩道にまではみ出し、沢山のおじさん、おばさんが作業していた。



(松飾りの生産)

「通行の邪魔で悪いねぇ」で会話が始まった。
「この松は種から育てているのですか」
「種を蒔いて育てている。ここまで育てるのに四年掛かる。収穫すれば終わりで、だから毎年種を蒔いて作っている。よくこれだけ枝を揃えられますねと聞かれるが、苗から作っているから揃えられるわけだ」
「関西の方に出荷するのですか」
「関西だけでなくて、北海道から九州まで全国に送っている。」
お正月までまだ一ヶ月半ある。出荷までは水に浸けておくようで、ビニールハウスの中にぎっしりと保管されていた。

三叉路になった薬師堂脇の滝ノ上橋休憩所で一休みした辺りから、谷を通り道に風が強くなった。道が一段細くなった県道を5kmほど登っていく。三嶋神社の角が、農祖峠遍路道と連絡している畑峠遍路道との三叉路となっていた。おそらくしばらくは自販機も無いだろうと思い、側の自販機でジュースを買って飲んだ。日が陰ってこの後の峠越えが不安になった。遍路道は車の道を外れていよいよ急な山道となる。標高差にして150mばかり、林の中の急坂を登り、再び県道に出たところが、標高570mの下坂場峠である。

しばらく広い道を歩き、標識に従って鴇田峠を越えて久万高原町に至る林道へ入る。そこにも集落があった。遍路道は林道から山道に分け入り、鴇田峠へと登っていく。標高790mの鴇田峠は林間にあった。

案内板によると、
この峠は標高約800mに位置し(久万町役場は約500m)、古くは二名地区と久万地区を結ぶ主街道として賑わった所で、昭和30年頃まではこの場所に茶屋があり、行き交う人々が一休みしたそうです。「鴇田峠」の名称は、一説には、弘法大師が八十八か所開基の折、大洲からずっと雨続きで、この峠でやっと晴れ、「日和りだ」と言われたのが訛って、「鴇田(ひわだ)」となったと伝えられています。

久万高原町への下りは急な下りではないが、雨もパラついて、想像以上に長かった。下りになったところですぐにでも国道に出ると思い込んでいたから、余計にそう感じたのであった。長い峠越えの間、お遍路姿に一人も逢わず、さびしいお遍路となった。

おもご旅館は古い旅館で二階の奥まった部屋に案内された。今日は歩いた距離が33.4km、しかも大きな峠を越えてきた。かなり足にダメージがあって、部屋への上り下りがつらかった。交通機関を利用しながら歩いているという老夫婦と同じ宿になった。
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