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第三十一番 竹林寺 ~ 第三十三番 雪蹊寺

(竹林寺の五重塔)

秋編のお遍路で毎日ブログを書きながらお遍路をしてきたが、書き残したことがかなりある。一つにはお寺の話は一切書き込んでいない。宿の話も書き残したことが多い。記憶はどんどん薄れてゆくが、消えないうちに書き留めておきたい。しばらくそんな落穂拾いにお付き合い願いたい。

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秋編で最初に打ったのは第31番札所五台山竹林寺である。高知駅前のビジネスホテルから30番から31番に至る遍路道へ戻るのにけっこう苦労した。五台山は見えているのだが、遍路道へは東へ回りこまねばならない。途中で道を聞くと西から登る車の道を教えてくれた。それは論外として、ようやく懐かしい遍路道を示す赤い矢印を見つけてほっとした。矢印に沿って里道を進むと判り難い登り口に、遍路道を教えるために待っていてくれたように、おばあさんがいて遍路道はここだと細い遍路道を指差してくれた。後で聞くと多くのお遍路が登り口を見逃してうろうろしたという。



(竹林寺本堂・大師堂)

お遍路さんだけに通ることを許された牧野富太郎記念植物園の中の道を登っていく。記念館の脇を抜けて道標に沿って進むと竹林寺に至った。少し手前から竹林寺の五重塔が見えてきて、その場所はすぐに分かった。竹林寺を打ったあとで、その五重塔を写真に納めた。昭和32年に台風で倒壊した三重塔に替えて昭和55年に再建されたもので鎌倉時代初期の様式で、総高31.2m、間口4.8m、総檜造りだと案内板にあった。

五台山を南へ下って、第32番札所八葉山禅師峰寺に向かう途中で雨が降り出し、合羽とザックカバーで雨じまいをして歩くことになった。考えてみれば春編も1日目、雨で始まった。角のお遍路さんを当て込んだお店で、あれが禅師峰寺かと聞いた建物は天理教の建物で、そこから1キロほど行った池の向こうの山の上にあると返答があった。早くお寺で雨宿りと思う気持が先走る。禅師峰寺は標高82メートルの山にある。雨ですべりやすい参道を登った。

禅師峰寺の南側はすぐに太平洋であった。雨に気を取られそれより太平洋が見えるのかどうか確認してみなかったが、縁起によれば弘法大師が海上安全を祈願して建てたのが始まりという。藩主が浦戸港より出帆の際は必ずここに詣で海上安全を祈ったといわれている。



(禅師峰寺本堂・大師堂)

禅師峰寺を打ち終えても雨は止む気配がなかった。注意しながら山を下り、雨の中を歩いていると、タクシーが止まって、安くするから乗らないかという。そういうわけにはいかないから断わる。

第33番札所高幅山雪蹊寺は長浜渡船場を降りて1.5kmほど歩いた先にあった。種崎渡船場の待合室で予約した高知屋は雪蹊寺の山門の目の前にあった。自分の想像していたよりもはるかに近かった。



(雪蹊寺本堂・大師堂)

雪蹊寺は弘法大師が延暦年間に開基され、高幅寺と呼ばれていた。その後、長曾我部元親の菩提寺となり、元親の法号にちなんで雪蹊寺と改称された。明治の廃仏毀釈で一度は廃寺となったが、その後再興された。
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