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第六十六番 雲辺寺~第六十九番 観音寺

(雲辺寺の五百羅漢)

お遍路23日目、11月23日、民宿岡田出立の時、逆打ちの人が歩き始め、何も考えずにその後を追おうとして、見送りの御主人に反対だよと注意された。2時間半かかって第六十六番巨鼇山雲辺寺まで登った。さすがに標高910メートルの尾根にあるお寺である。四国八十八ヶ所の札所の中で標高が最も高いのみならず、遍路道の中でもこれより高いところはない。見晴らす下界は雲海に覆われていた。本堂は一昨日の11月21日に落慶法要が営まれたばかりだと係の女性から聞いた。幕に落慶の日付が染めこまれている。



(雲辺寺本堂・大師堂)

雲辺寺を打ち終えて下山路に向かう。ロープウェイ駅の表示があった。雲辺寺にはロープウェイがあって、それを利用して登ってくる人も多い。参道脇に五百羅漢の石像がびっしりと並んでいた。中国の兵馬俑のように並んでいる。最近のものであるが、作者に力が入っているのが解った。

雲辺寺を打ち終えて、気持に余裕が出たため、下山への分岐に向かう前に雲辺寺山(標高927メートル)まで登ってみた。近くに電波塔が立ち、それを迂回して立った山頂には、三角点があったけれども、見晴らしはほとんど利かなかった。下山路は落葉が降り敷く快適な道もあったが、うんざりするほど下りが続き、標高172mまで一気に降りて車道に出た。

大興寺までの里道歩きはけっこう応えた。足もそうだが、腰にも来て、休憩を取る場所もなくて、道端に荷を下ろして腰を回してみたりした。



(大興寺本堂・大師堂)

第六十七番小松尾山大興寺は石段で登った森の中にあった。石段沿いにカヤやクスノキの巨木があった。

高松自動車道のガードをくぐる手前に大喜多うどんの店がある。民宿岡田の御主人にも勧められ、多くのお遍路さんが立寄るうどん屋だという。入ると千葉のKさんと、唯一50代の男性の、民宿岡田で同宿だった二人がいた。千葉のKさんとはうどん屋を出てから少し後方を歩き、迷って遅れた観音寺では打ち終えて来るのに出会った。今夜の泊りは自分より1コマ進んで、70番の本山寺のそばだという。



(神恵院本堂・大師堂)



(観音寺本堂・大師堂)

少し迷った次第は書き込んだが、最後には少々あせった。第六十八番七宝山神恵院、第六十九番七宝山観音寺、一つの敷地に二つのお寺があり、納経を終えれば、一ヶ所の納経所で同時に二つのお寺分の納経印をいただける。この仕組をやっと理解した。見ていると一人の人が納経帳に二つのお寺の印を押すのだが、間違えてしまうことは無いのだろうかと余分な心配をする。二ヶ寺を同時に打ち終えて、財田川の琴弾公園方面に沈む夕陽を見ながら、今夜の宿の若松屋別館に向かった。

若松屋別館の宿泊は自分一人であった。女将さんは山好きで、山の話題に話が弾んで、食事が終ってからもずいぶん長くお話をした。自分はもっぱら夏山の一般登山道で、小屋泊まりの山行をしてきたが、女将さんは冬山もやれば、沢登りや岩登りにもチャレンジしているという。自分よりも随分レベルが上の登山をしていると思った。それでも話題に出てくる山のほとんどを自分も登っているので、話がよく合った。

冬山では、西穂でホワイトアウトを経験し、もう少しで遭難しかけた話を聞いた。たまたま、西穂山荘に冬山登山のエキスパートがいて、仲間の一人が持っていたGPSと携帯電話を活用して、自分たちの居場所を突き止めてくれ、救助してもらったという。女将さんの穏やかな印象からは、そんな過酷な登山をしていることが想像出来なかった。

観音寺への道に迷い、遠回りした話をすると、民宿岡田で地図をもらったでしょう?その通りに来ればよかったのにという。あの地図は岡田さんに頼まれて自分が書いた地図である。間違えた角は、大平正芳記念館の方に来れば正解だった。確かに大平正芳記念館の標識は見ていて、大平元総理はこちらが地元であったかと意外に思った。なぜか東北の方の人だと思いこんでいた。そんなことを思いながら、道なりに右手の広い道を進んでしまった。
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