ことのは

2020年06月28日 | 日記
歌は言葉と音楽のマリッジだと言われます。メロディが心の底から湧き上がってくる時、言葉が媒介になる時とそうでない時があるとは思いますが、私は子供の頃、詩を読むと自然とメロディが浮かんできたものでした。
昨日、T先生のお宅に弔問に行きました。T先生に誘われて俳句を始めてから優に10年以上経ちますが、無手勝流なのであまり上達はしていません。それでも、自分の人生に俳句が加わったことにとても感謝しています。
毎日を小春のような人と居て
愛妻家だったT先生の句です。先生の戒名に「小春」が入っていました。ご一緒した嘗てのゼミ仲間も私も、この句のことをよく覚えていました。奥様としみじみと語らう中に、T先生の幼少期のご苦労、その苦労に磨かれた先生の人格の高潔さ、そして、長じてよき伴侶に恵まれ、公私ともに頗る充実していた先生の人生が改めて惻々と胸に迫ってきました。

先月亡くなられた旧師A先生も、卓越した声楽家である一方、文筆を能くされました。先日、新聞に掲載された追悼記事の末尾に、先生が詠まれた短歌が紹介されていました。
秋をうたいうたいこぼれて萩まろびまろび散るなり音符のごとく
この美しい抒情的写生に触れ、こみ上げる涙を抑えきれませんでした。中村草田男の「葡萄食ふ一語一語の如くにて」という含蓄深い句も連想され、人間らしい生を支える詩心というものの貴さを改めて思いました。

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