さくら横ちょう

2012年03月01日 | 日記
ご存じ加藤周一の詩に作曲された「さくら横ちょう」。中田喜直と別宮貞雄が曲をつけています。どちらも日本情緒あふれる名歌曲ですが、中田喜直の曲がどちらかと言えばセンチメンタルなのに対して、別宮貞雄の方は抑制の効いた表現の隅々からせつなさがにじみ出ていて、私はこちらの方が好きです。
4月のリサイタルでこの曲を歌おうと思い、今日はゴスペルのレッスンだったので、その後でM先生に伴奏合わせをお願いしました。リサイタルではこの曲の他に平井康三郎の「甲斐の峡」、橋本国彦の「お菓子と娘」、岡本敏明の「風に乗る」、小林秀雄の「すてきな春に」の5曲の日本歌曲を歌う予定です。春の歌に特化して選曲しましたが、さすがに春の歌だけあって「さくら横ちょう」以外はどれも能天気なぐらい明るい曲です。それだけに「さくら横ちょう」の哀切さが際立ちます。
冒頭にアダージョというテンポ指示がありますが、M先生は私のイメージよりもかなり速いテンポで前奏を弾き始められました。ここは淡々と写生的に歌う方がよいのでしょう。最初の「春の宵 桜が咲くと 花ばかり さくら横ちょう」という部分はレチタティーヴォ(叙唱)のような音の動きです。このフレーズは最初と真ん中と最後の合計3回出てくるのですが、満開の桜の花が過去の記憶を呼び覚ますのでしょうか、最初の叙景的な「春の宵~」と真ん中の「春の宵~」の間には、「思い出す 恋の昨日 君はもうここにいないと ああいつも花の女王 微笑んだ夢のふるさと」という歌詞が歌われます。この部分を経て、メゾフォルテで歌われる2度目の「春の宵~」は抑え難い感情が溢れ出す感じがします。そして、今度は本当に「レチタティーヴォ」と指示されて「相見るの時はなかろう その後どう しばらくねえ と言ったって始まらないと心得て 花でも見よう」。楽譜の表示では「しばらくねえ と」の「と」にフェルマータがかかり、「言ったって始まらないと...」というところからアレグレット・カンタンドとなっています。我に返る感じでしょうか。そしてまた「春の宵~」。時の流れに身を任せ(こんな歌詞の歌がありましたね)、恋の記憶もいつしか忘却の彼方へと...
こうしてアナリーゼしてみると、改めて「これは大人の歌だな」と思いますね。音大時代、宗教と哲学の授業を担当しておられたO先生が、ある日の授業で「君たち、失恋を是非とも経験しなさい。失恋は人を真に目覚めさせる経験です」とおっしゃいました。失恋すると自分の立ち位置が根底から崩れるのだそうです。恋愛も失恋も、そのために破滅に向かう人もいるほど人間の全人格、全存在を賭けた命がけの経験であって(オペラ「カルメン」を彷彿とさせる見解ですね)、人間にはそういう実存の根底に関わるような経験が必要なのだ、と。
人は恋を知り、恋を失って大人になる、と言いますよね。ところが私には恥ずかしながら恋愛経験がありません(若い頃は恋愛を蛇蝎視していました)。私はなぜか倫理学の講師もしているのですが、「愛の倫理」の授業で「愛には3種類あって、一つはエロース(男女の愛)、2つにはフィリア(友愛)、そして3つにはアガペー(博愛)...」などと講釈しながら、エロースにほとんど価値を置いていない自分に気づいたりします。しかし普通は思春期になれば異性に対する興味が湧いてくるものでしょうし、子どもには「人を好きになるのは素敵なこと」だと教えるべきでしょうね。そして、失恋という「死と再生」の経験は人間の魂の成長にとって不可欠なものだ、と。あの恋多き文豪ゲーテも「死して成れ(Stirb und Werde!)」と言っているほどですから。
M先生から「内面から湧きあがってくるものに形を与えるのが表現であって、テクニックはそのためにあるのよ」と言われ、「私に恋愛経験がないこと、わかります?」と伺うと頷かれました(やっぱり!)。「すてきな春に」の合わせもやりましたが、「あなた、いくつ?今は48歳じゃなくて18歳にならなきゃ!」と言われました(笑)。この曲など、そのものズバリ「愛することの喜びを 春が教えてくれました」という歌詞もあったりして、いつもカレやカノジョの話で盛り上がっている中学生の甥姪を少し見習わないといけませんね。

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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2012-03-02 09:45:42
中田喜直作曲の「さくら横ちょう」は好きな歌ですが・・・私にはあの揺れる感情は歌えないなァ~~っと、なぜか昔からあきらめています。
別宮貞雄作曲のは聴いたことがありません。(多分?)
楽しみです。

愛だの恋だのも・・・時代とともに質が変わってきているように思いますが~~??
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Unknown (吉田)
2012-03-02 13:18:44
恋愛の質の変化ですか...そうかもしれませんね。私には好きな相手とすぐにくっつきたがる感覚がどうにも理解できません。遠くから相手を思って一人でときめいている方がよっぽど素敵な気がするなあ。そういう意味で、昔見た映画「ローマの休日」の淡い儚い愛にはとても共感できましたね。
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