ロシア民謡

2012年01月27日 | 日記
今日は音楽療法士をしている友人がカフェレストラン「みなみのかぜ」の月例コンサートで歌うので、聴きに行ってきました。オールロシア民謡のコンサートで、プログラムには懐かしいロシア民謡の題名がずらっと並んでいます。このレストランは障がい者福祉サービス事業所で、私も定期的に利用者さんのヴォイトレに伺っていますが、ここの本部長がロシア民謡好きなので、今日は本部長も「ポーリュシカシカポーレ」と「山のロザリア」を歌うことになっているとのこと、楽しみに待ちました。
コンサートはロシア語と日本語による「黒い瞳の」で幕開けしました。「ともしび」、「トロイカ」と続きます。憂いを帯びた短調の調べが郷愁を誘います。ここで本部長が登場して「ポーリュシカポーレ」を披露。本部長も私のヴォイトレに参加していらっしゃるので、しっかり声が出ています。続いて「バイカル湖のほとり」、「小さいぐみの木」、「カチューシャ」と続きました。
休憩後は副施設長がロシア民謡について少しレクチャーをするとのこと。登場した副施設長の話で面白かったのは、有名な「一週間」という歌の歌詞の内容についてでした。子どもの頃、「月曜日にお風呂をたいて 火曜日はお風呂にはいり...」という歌詞を読んで「月曜日に焚いたお風呂に火曜日に入るのでは、何度も追い焚きしないと冷めてしまうんじゃないかと心配した」とおっしゃるのです。私も同じ疑問を抱いた記憶があるので笑ってしまいました。そして「主人公は結局一週間のうち何日仕事をしたのでしょうか?」と問いかけられました。答えは「0日」です。日曜日は糸と麻を買ってきただけ。月曜日はお風呂をわかしただけ。火曜日はお風呂に入っただけ。水曜日は友達が来た。木曜日は友達を送って行った。金曜日は「糸巻きもせず」、土曜日は「おしゃべりばかり」。ロシア人っておおらかな人たちなんだなと思いました、というコメントに一同失笑。確かに、歌の歌詞には時々「?」と思うものがありますよね。
さて、後半は「赤いサラファン」、「コサックの子守歌」、そして再び本部長が登場して「山のロザリア」。伴奏者のソロで「アンダンテ・カンタービレ」の美しいメロディが奏でられた後、「モスクワ郊外の夕べ」、「カリンカ」と続いて終わりました。この後、「ともしび」、「トロイカ」、「一週間」、「泉のほとり」、「カチューシャ」を会場の全員で歌いました。歌詞はプログラムに載せてあります。皆さんしっかり声を出して歌っておられます。鈴が配られ、皆で鈴を鳴らしながらの熱唱です。
本部長が「アンコールに何か歌ってほしい曲は?」と水を向けると、「ステンカ・ラージンをお願いします!」との声。なぜかたまたま「ステンカ・ラージン」の歌詞を大きく書いた模造紙があったので、それを見ながら皆で声を合わせて歌いました。すると次に、小学生ぐらいの女の子が「カリンカを歌って下さい!」と声をあげました。演奏者が身振り手振りで皆を誘導し、これも一緒に歌いました。リクエストした女の子が「この歌、面白くて好き!」と喜んでいました。
ロシア民謡は「うたごえ喫茶」全盛期に日本中に拡がり、歌われました。私が子どもの頃にはもうブームは去っていましたが、大人たちがこれらの歌をよく歌っていたので、特に習った記憶はありませんが大体の曲は歌えます。中でも私は「ステンカ・ラージン」と「赤いサラファン」がとても好きでした。また「カリンカ」は、高校生の頃ロシアの(サーカスか何か、忘れてしまいましたが)有名な団体が何かの催しで熊本に来て、交流会のようなことが高校の体育館で行われた時、私が所属していた合唱部が歓迎の意をこめて歌ったことがあります。もちろん日本語で歌ったのですが、ロシア人たちがとても喜んで手拍子をしてくれました。「カリンカ」はテンポが緩急自在に変化するので手拍子を打つのは結構難しいのですが、さすがに本家本元だけあって見事にピタリと歌に合わせてくれました。後で指揮者の先生が「裏打ちであんなに上手に手拍子してくれるなんて、すごいリズム感だね」とおっしゃっていたのを印象深く覚えています。
戦後シベリアに抑留されていた方たちや、満州から引き揚げてきた方たちによって日本に伝えられたと言われるロシア民謡ですが、今の若い人たちにはもうなじみの薄いものになってしまっているでしょうね。残念な気がします。私は母方の祖父母が満州からの引揚者だったことが何か影響しているのか、小学校5年生の時に校内器楽合奏コンクールで「満州の丘に立ちて」という曲を聴いて非常に強烈な印象を受け、それから1年間、翌年のコンクールの時期まで「あの曲を演奏したい」と思い続けていた記憶があります(残念ながら多数決により夢は叶いませんでした)。また、高校の頃、国語の教科書に掲載されていた、シベリア抑留体験に基づいて書かれたエッセイ風の短編に強く心を奪われ、学校の休み時間や通学のバスの中で繰り返し読みました。梅崎春生の『赤帯の話』という短編でした。寒さに極端に弱い私が極寒の地の話になぜこれほどまでに惹きつけられるのか、自分でも不思議でした。
あの頃から30年もの月日が過ぎ去りました。満州から引き揚げてきて明治、大正、昭和、平成の4つの時代を生きた祖母もとうに鬼籍に入り、満州やシベリアという言葉も久しく聞いていません。しかし、流れゆく時の中で、歌は生の証であるとともに記憶と伝承のツールでもあります。ロシア民謡によって、すっかり忘れていた様々なことを久し振りに思い出した一夕でした。

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2 コメント

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友人のこと。 (ドレミファそら豆)
2012-01-30 10:57:41
私の友人にロシアのことが大好きな人がいます。
ロシア語を10年近く習っていて、片言で会話もできますが・・・彼女が色々な情報をくれます。(音楽関係は特に好きです。)
ロシアの歌は独特の哀愁を帯びていて・・・琴線に触れるって言う感じでしょうか??
バリトン歌手の勝部さんが、堪能なロシア語で歌われるロシアの歌は・・・また素晴らしいです。
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Unknown (吉田)
2012-01-31 00:26:13
勝部さんのロシア歌曲は素敵ですね。やはり言葉がわかって歌っている人の歌は違います。そういえば音大時代、ロシア音楽が大好きな年下の友人がいて、ロシア語を一生懸命勉強していました。なぜか彼女はその後アラビア音楽の研究家になりましたが...
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