のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

さよなら続きの如月

2014年02月27日 00時32分05秒 | 日常生活
90歳を超えてなお、ジーンズをすっきり着こなす若々しい祖父でした。
80過ぎまで自転車を颯爽と乗りこなしていました。
腰も一切曲がることなく、かくしゃくとした姿で過ごしていました。

7人の子供と、8人の孫、13人のひ孫に囲まれて、
私にとっては「おじいちゃん」と言うよりも「一族の長」という存在でした。
いつもみんなに囲まれていたから、「祖父と二人きり」の思い出はありません。
親族の中心にいて、親族をまとめている人、親族に囲まれている人。それが祖父でした。
みんなに囲まれて、一族の中央にいて、盆と正月の一族の集いは、祖父の「第一声」で開始される。
その姿がとてもかっこよく、自慢の祖父でした。

ここ1、2年、徐々に弱っていた祖父は
少しずつ、少しずつ、表情が乏しくなっていて、会話もままならなくなっていました。
それなのに、1か月前、新年の挨拶に訪れた際、
いたずら盛りでこれっぽっちもじっとしていない甥っ子を穏やかに眺めながら
「この子はお母さんが大好きやけん、大丈夫。
 『ありがとう』がちゃんと言えるけん、大丈夫。」
と言ってくれました。

そして、その直後、感情を絞り出すように
「たった今、起きたことも後から後から忘れていく。なんでやろか。」
と顔を歪め、声を震わせていました。

その日が、私にとっては、意識のある祖父に出会えた最期の日でした。

95歳と長寿を全うした祖父。
最後の入院はわずか1か月で、穏やかにそのときを迎えました。
最期の顔も寝顔のように穏やかで、まるで微笑んでいるような顔でした。
2歳の甥っ子は「ひいじいじ、ねんねしとるね。」と言いながら、
恐がりもせず、祖父の顔を覗き込んでいました。

すごくすごくよい最期だったなぁ、と思うのに。
祖父はいつも「もうそろそろ、ばあさんのところに行ってもいいんやけど。」と望んでいたのに。
けれど、やっぱり寂しくて寂しくてたまりません。

さよなら続きの2月です。