夢七雑録

散歩、旅、紀行文、歴史 雑文 その他

武蔵の三十三観音めぐり・その8

2021-06-05 11:20:01 | 寺社巡拝

【入間市駅から元加治駅・19番~22番札所】

<コース>

入間市駅―高倉寺―19番東光寺―20番龍円寺―21番高正寺―22番円照寺―元加治駅:7km。

 

(1)第19番 東光寺(埼玉県入間市小谷田1437)

入間市駅の南口から高倉寺経由で19番札所の東光寺に向かう。平成9年に歩いた時は、線路沿いの道を西に進み、ふるさと歩道の道標を見て国道を渡り、その先の細い道を通って霞川に架かる人道橋を渡り、天候次第では水没しそうな道で国道の下を通り抜け、右手にある線路沿いの階段を上がり、登り切ってから道なりに歩き、道標をたよりに高倉寺に出たが、少々分かりにくく、現在も歩けるかどうか分からないので、いま歩くとすれば、別の経路(例えば新霞橋を通るルート)をたどることになるだろう。

高倉寺は眺めの良い寺であり、国指定重要文化財の観音堂もある。この観音堂は室町時代初期の建立と推定され、延享元年(1744)に第29番札所の長念寺から移されたと伝えられている。小休止したあと、寺の西側の道に出て南に向かい、公民館の近くで道標により右に入って道なりに進むと、やがて茶畑の間を歩く道となる。その先で、国道沿いに左へ行き、次の信号を渡って圏央道の上を橋で渡り、中野原稲荷の角を右に入る。その先の交差点で南西方向に進み、右手前方に分かれる道で19番札所の東光寺に行く。

東光寺の本尊は不動尊で、札所の本尊は聖観世音になっている。東光寺の創建は明らかではないが、中興の開山は印融(永正16年(1519)寂)で、開基には地元の4人が名を連ねている。東光寺が現在地に建てられたのは元禄15年(1702)のことで、それ以前は南側の西ノ台にあったという。

新編武蔵風土記稿では、入間郡小谷田村の項で東光寺を取り上げているが、その中に旗本五味豊旨の家臣が先代の五味豊直の遺徳を偲んで寄贈した梵鐘の銘についての記事がある。この梵鐘は現在も東光寺にあり、入間市の文化財になっている。五味豊直は京都郡代であり入間郡小谷田村を所領とし東光寺が菩提寺であった。五味氏の屋敷は小谷田村内の西側にあったという。

 

(2)第20番 龍円寺(埼玉県入間市新久717)

東光寺からもとの道に戻って右に行き、いちょう通りに出る。交差点を左に折れその先を右に入ると龍円寺に出る。寺の本尊は虚空蔵菩薩で札所の本尊は千手観音になっている。新編武蔵風土記稿では入間郡新久村の項に龍円寺を取り上げており、開山開基は不詳ながら中興の開山は俊誉(宝永6年(1709)寂)で、寺領は15石が観音堂領として与えられているとする。観音は金の小像で此の地を所領としていた市川氏の屋敷地内にあった古井戸から出たという。

 

(3)第21番 高正寺(埼玉県入間市仏子1511)

龍円寺を出て次の札所に向かう。北に向かって坂を上がったあと、金子坂を下るのが分かりやすいルートだが、平成9年に歩いた時は、八津池から山道を歩いて国民宿舎・入間グリーンロッジに出て、車道を下って金子坂に合流する道を歩いた。この国民宿舎は西洋の城に似た外観を持ち、眺めの良い場所にあったが、後に閉館となり、今は廃墟のようになっているらしい。金子坂から前堀川を過ぎ県道に出て左に行くと、左側に高正寺の入口があるので、ここを入り大沢川を渡って高正寺に行く。本尊は虚空蔵菩薩で、札所本尊は聖観音である。

新編武蔵風土記稿では高麗郡仏子村のうちに高正寺を取り上げ、開基は金子親範とする。当初の高正寺は別の場所にあったらしく、高正寺が現在地に移った時の開山、菊陰瑞潭(大永4年(1524)寂)が中興の開山に相当する。また、高正寺は寺領4石のご朱印ありと記す。寺には承久2年(1220)の金子親範の位牌のほかか金子氏の位牌が多く残されている。金子氏は武蔵の武士団のうち村山党に属しており、仏子村はその所領に当たる。高正寺には寛文4年(1246)など5基の板碑があり、入間市の文化財に指定されている。

 

(4)第22番 円照寺(埼玉県入間市大字野田158)

高正寺から県道に戻って西に向かい、次の信号の先を右に入って道なりに進み、突き当りを左に行くと、右手に入間川に架かる上橋が見えてくる。この橋を渡って先に進むと左側に円照寺がある。本尊は阿弥陀如来。三十三観音の札所本尊は如意輪観音。そして、武蔵野七福神の弁才天の寺でもある。

新編武蔵風土記稿では、高麗郡野田村に円照寺を取り上げ、寺領15石の御朱印を賜うと記すが、古刹で古文書もあったが燃やしてしまったとし、開基開山は詳らかではないとする。また、本堂の後に加治氏の墳墓と伝えられる青石の古碑が8基あり、その銘文を載せている。加治氏は武蔵の武士団のうち丹党に属し丹治と名乗っており、円照寺はその菩提寺であったのだろう。古碑(板碑)のうち、康元元年と長享3年のものを除く6基は現存し、そのうち元弘3年のものは鎌倉幕府滅亡の日付になっており、国の重要文化財に指定され、残りの建長6年、文永7年、嘉元3年、文和3年、応安元年の板碑は附指定になっている。円照寺を出て西武池袋線を渡り、元加治駅の北口に出る。

 


コメント    この記事についてブログを書く
« 武蔵野三十三観音めぐり・その7 | トップ | 武蔵野三十三観音めぐり・その9 »

寺社巡拝」カテゴリの最新記事