3日連続で、ゆきたんくの母校、東京都立秋川高等学校がらみである。
同期生、同時に在学した2年先輩、そして今回は異国の地で初めて会う5年上のT先輩。
昨年の夏にドイツに行った。
初日の夜、最後の夜と最終日には先輩に大変お世話になった。
前に書いたこともあるので、重複しない部分を書く。
初日は、友人のお見舞い。
そしてゆきたんく以外は女性というご一行様の予定を尊重した行動(笑)
という訳で、短い時間になってしまったが先輩とお会いしたのは、その日の夜。
ゆきたんくの泊まっているホテルまで、車で送迎していただいた。
そしてデュッセルドルフのアルトュタット(旧市街)を案内していただいた。
飲んベイの天国アルトシュタットの中をゆったりと歩き、「ビールのわんこそば」の話や週末の賑わいなどを教えていただいた。
詩人、ハインリッヒハイネの生家やシューマンが最後に過ごした家の前で記念撮影。
渡独する前にメッセンジャーでシューマンの最期の軌跡を調べようと思っていることも書いたら、なんと前調べをして下さっていた。
なんとも有り難いことではないか。
中3日空けてデュッセルドルフに戻ってきた。
ドイツ最後の夜にお会いする約束をしたのである。
ところが、デュッセルドルフ中央駅からホテルまでの400mの間に何者かにペンキを服やバッグにかけられ、その始末で1時間ほどロスしてしまった。
先輩に遅れる旨の連絡をすると、取られたものは無いか確認してのこと。
スリ集団の使う手口の一つのようだという話だった。
ゆきたんくは宿泊するホテルの目の前だったので、すぐにホテルに入ったのでそれ以上の被害には遭わずに済んだのかもしれない。
そして再びアルトシュタットの散策。
時間をかけて、シューマンの家からライン川までの道のり(シューマンは精神を病み、自宅からライン川まで走り身を投げたという)を先輩と一緒に確かめた。
ゆきたんくが小学校3年生の時に手に入れた原色図解百科の音楽編にあったシューマンのライナーノートがきっかけだった。
シューマンの家から、近くの市場まではまっすぐ。
市場から北へ行ったのか、すぐに川に行ったのか。
当時46歳だったから距離の長い方は選ばなかったとか。
シプスブリュッケ(船橋…シップスブリッジ)があったのはこの辺りだとか。
ライン川は流れが速いからシプスブリュッケの手前で飛び込まないと、助けられる人はいなかったとか・・・
まだまだたくさん話をしながらライン川沿いを歩いた。
ご飯をご馳走になって、ホテルまで送っていただいて・・・
一晩明けるとデュッセルドルフ空港から日本に向かう。
先輩が送って下さるという。
電車は苦手にゆきたんく。
甘えることにした。
そしてホテルから空港に向かうまでに小旅行をプレゼントしてくれた先輩である。
ケーニッヒスアレー 秋川高等学校のメタセコイア並木を思い出した。
秋川高等学校卒業生の心の支え、メタセコイア並木(東京都あきる野市)
大型ショッピングセンター「シャドウ・アルカーデン」
市電の走る郊外
今回、トランジットがあったので、成田を出てから最初にベッドに横になるまで33時間寝ていなかった。
ゆきたんく得意の朝の散歩ができず、デュッセルドルフの街中は歩いていなかったのである。
それを先輩は運転手兼ガイドで実現して下さったのである。
車に乗っているので移動範囲は歩くよりも広い。
初日の夜、最後の夜、最終日の朝。
初めて会った後輩にここまでして下さるなんて。
やはり秋川高等学校は素晴らしい。
ちなみにお世話になったT先輩は7期生である。
次の夢は、9期生のK先輩との3人でライン川に向かって秋川高等学校の寮歌を歌うことである。
k君とライン川での寮歌はちょっとハードルが高くなりました。
まず帰国されて疲れを癒して下さい。
T先輩と、K先輩と3人で寮歌をやりましょう。