さて、宿泊地がデュッセルドルフからコブレンツに変わった。
ホテルの窓から景色を見ると、あら素敵。
選帝侯の城 現在は役所で内部見学はできないという。
ここコブレンツはライン川とモーゼル川が合流する場所でヨーロッパの水上交通の要衝でローマ人は2000年以上前に町を建設したという。そしてここをコンフルエンス(合流地点)と呼んだことがコブレンツの語源だという。
今日一番に行く場所は、ドイチェス・エックだ。
「ドイツの角」という意味があるこの場所はドイツ人をして「父なるライン川」 「母なるモーゼル川」の合流地点だ。
ドイチェス・エックの突端に立ててある旗はドイツ国旗。
ドイツ国旗を先頭左右に8本ずつ、ドイツ16州の旗が建てられている。
1枚前写真のドイツ国旗の支柱に隠れていたのがヴィルヘルム1世の騎馬像
この騎馬像は第2次世界大戦の爆撃で破壊されたが1993年に再建された。
近くには東西ドイツ統一のモニュメンととして「ベルリンの壁」の一部が保存されている。
ゆきたんくがベルリンの壁を始めて知ったのは、山崎豊子氏の小説「白い巨塔」で主人公の財前五郎が東ドイツを訪れた場面だ。
何人も人が東ドイツから、自由な西ドイツに行きたかったか。
もっともベルリンの壁は西ベルリンを飛び地のように囲むものが有名だが、実際には総延長155㎞ある。
様々な理由はあるが、東ドイツから西ドイツへの人民の流出を防ぐためのものだったのである。
東ベルリンと西ベルリンを分ける壁が一般的に知られる「ベルリンの壁」だ。
壁を越えようとして射殺された方は192人、壁越えに成功した数は5000人以上だという。
いずれ旧東ドイツには行きたいと思っていた。
ベルリンやドレスデンやポツダムなどだ。
ベルリンの壁の一部。弾痕が数多く残っている。
ここで「ベルリンの壁」にお目にかかるとは思わなかった。
さて、この界隈の歴史ある教会に立ち寄る。
写真撮影が憚れる雰囲気だ。
聖カトター聖堂
最初の聖堂は9世紀に出来上がり、現在のは19世紀に完成した建物だ。
1944年の空襲では、バロックオルガンが焼けたり、ステンドグラスが壊されたりしたが大部分が無傷のまま残ったという。
ドレスデンの爆撃で無残な姿になった聖母教会の例があるだけに、当時の姿を見れるのは嬉しいものだ。