では、初富-二和向台間の陸軍境界標柱の紹介をする。
ここでは、現在の新京成線のラインと全く違った軌道を持っていた。
太い白線が新京成線。ベロ状部分が演習線。
まずは鎌ヶ谷市富岡から中新山の私市(きさいち)醸造までについて書く。
ここで確認できている境界標柱は4本である。
富岡から中新山まで
まず新京成線から外れるところから地図上に500mと記載されている所までで境界標柱は3本見つけている。
そのうち2本は植え込み、1本は民家のプランターの台になっていた。
そして写真は1枚ある。
戦争遺跡を探し始めたばかりのころのずうずうしさがなかったゆきたんくの撮影であるからだ。
新京成からの分岐?部分。
プランター台標柱のあった鎌ケ谷市消防本部中央消防署近く。
地図上上から2番目の矢印地点にあった右京塚の境界標柱。 → Map
ここから中新山までの間では、まだ境界標柱を見つけていない。
では富岡から向かって中新山の私市醸造で見つけた1本目の境界標柱は現在はない。
工場周囲が新しくなって抜かれてしまった。2006.11.23撮影
実はこれ、再調査の時の写真である。
これより1年前に戦争遺跡仲間の紹介で撮った写真がある。
1枚上の写真左から2本目の電柱あたりにあった私市醸造のブロック塀のところにあった境界標柱だ。
この裏側に「陸軍」の文字が彫られていたのだが、敷地内なので撮影はできなかった。
右京塚から新中山までを結ぶ道路がかつての軌道敷だと考えられるだろう。