今回のインドネシアの旅で多く目にしたのが、物売りである。景勝地の入場口付近には売店が軒を連ねているが、その間を物を持って歩いている者がいる。
ボロブドゥール駐車場前の売店
黄色と緑のテントがあるところがボロブドゥールの入場口
両手にたくさんの現地みやげのようなものを持って近づいてくる。「安いよ、30万ね。」30万というのは30万ルフィアのことである。日本円にして2500円くらいである。「いらない」というとどんどん下げてくる。あっというまに半額になり、時には1/10くらいになる。(景勝地の入場料は外国人料金があって、地元の人の10倍の値段になる。)
目が合った瞬間に近づいてきた売り子
(黄色シャツとジーンズ)
買ってあげてもよいのだが相場をはっきりと知らなかったので無視することにした。でも商魂はすごい、いくらでもねばるし、ついてこれるところはどこまでもついてくる。不思議だったのは、一人がついている時には他の売人は来なかったのである。仁義のようなものがあるのかもしれない。
そして泡を食ったのがプランバナンの出口だ。すぐそこに出口があるはずなのになかなか出ることができないのである。なぜって?売店のラビリンス状態であったのだ。
売店のラビリンス(プランバナン)
どこを歩いても売店、ちょっと広いところに出てみるとその広場は売店で囲まれている。売店と売店の間の細い通路を抜けるとまた売店。そんなことをしているうちに売り子は近づいてくる。そして日本語は堪能なのである。「おにいさん、おにいさん、安いよ。この笛」と言いながら耳元で「ヒューヒューポーポー」と鳴らすのである。日本語だとやばいと思い「No thank you.」と言っても日本語で追いかけてくる。「これ見て、すごいよ。」「いい音するよ」「こっち、こっち」ほんとに流暢な日本語で、こちらがいくら英語だけを使っても発音が幼稚なのでばれてしまっているのだと思った。
ところが、実際には英語も分からないので、見た目が完全に日本人のゆきたんくは日本語で断っていると思われたらしいのだ。そりゃあついてくるよね。
最初の写真にあるのは帰りに駐車場近くで見た初老のおばさんである。申し訳なかったが、目が合わないうちに車に乗り込んだ。おばさんは売店の間を駐車場に戻ってくる観光客がお目当てらしい。ここに写真はないが、昼食をとっている時にも物売りや物乞いの人は来た。ボロブドゥールのストゥパを模った置物を1個だけ持って一一生懸命話しかけてくる10歳くらいの子、2人組の8歳くらいの子供たち、靴磨きをするという。そしてワカメのようにぼろぼろの着物をまとった老婆である。右手を差し出してウーウー言葉にならない声を出している。インドネシア人の義姉もいたが取り合わなかった。「かわいそうだと思うけれど、ここであげたらみんな来てしまうからね。」ところが喉に腫瘍の塊があるのだろう。おおきなこぶをつけた老婆が日用品を売りに来た時には、買ってあげたのである。ゆきたんくはホッとした。
トントン葺きの屋根
ボロブドゥール観光が終わり、車でホテルに向かう際ボロブドゥール出口近くの建物を見ると、第二次大戦終戦時の写真によく見られる掘っ立て小屋の屋根、俗にいうトントン葺きの屋根が見えた。インドネシアでは貧しい人はとことん貧しいという。ここは店舗なのか店舗兼住宅なのか、その実際は分からないけれど当たらずとも遠からじだと思う。乾季と雨季があるにせよ、1年中暖かい(暑い)ことがなによりの救いである。
物売りの少年
渋滞するジョクジャカルタ市内を縫うように走る物売りの少年である。クラクションのシャワーを浴びても動じることなく、慣れた走りで去っていった。打っているものは紙のラッパである。ニューイヤーイブが近いので、今が稼ぎ時なのだろう。顔つきは中学生のようであった。まあ、こうして稼いだ金は遊興費ではなく、生活費なんだろう。日本の携帯を親の金で自由にしている者たちに、一回ぐらいはこのような苦労を味わわせるといいと思ったゆきたんくであった。