秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

師走の七条商店街。

2010年12月20日 16時34分12秒 | 京都商店街巡り
本日のランチ営業は定休日。そこで先、先週行きそこねたスーパー銭湯へ。(中央市場で
仕入れる品もあったもんで。「やまとの湯」は市場のすぐそばです。)

その中央市場に隣接している七条商店街は、錦市場のように観光客が訪れる市場ではありま
せん。しかし市場から最近の商店街とあって新鮮な食材を求めて市内の料理人も仕入れに
訪れる市場です。
  
しかし蜜月関係にあった商店街と市場にも最近は少々軋轢も生まれているようですね。
まぁ、そのあたりの内部情報は別にいいか。
  
この商店街の魚屋で、ワタクシ、中学時代にアルバイトしていたことがあります。ちょうど
師走の今頃でした。毎日棒タラ(京都の正月にかかかせない魚です)を水に漬ける作業は
今思い出してもきつかったよなぁ・・。

この商店街の前に師走になるとテントが張り出されて、店内で補いきれない商品を並べたり、
屋台が商売をしていたけど、今はどうなんでしょうね。

夜にはテキヤの人たちがチョークの付いた棒でショバ割りをしてたっけ。自店の前にテント
を出す店の人たちが、テキヤのアンちゃんたちに一升瓶を渡していた光景を覚えています。

今は警察もうるさくなったし、そんな師走の風景も昔話になったのかも知れませんナ。

「やまとの湯」は平日にもかかわらず、そこそこの入湯客がありましたね。ほとんど団塊の世代
のオジサンたちですけど。(リタイヤって言葉はどうも好きになれません、私。)

しかし、彼らは自宅風呂でなれているのかマナーの悪いのが実に多いですナ。特にシャワーの
使い方。後ろに人がいようがお構いなし。

いちど、背中にいっぱいお絵かきしている人たちが大勢来てる銭湯に連れていってあげた
くなりますネ。

ところで、話はまた迷走しますけど、今朝、また携帯が故障。今日帰宅予定の相方にメール
打ってる途中に突然フリーズしちまった。

きっと相方は何のコトか分からんメール見て首傾げてるんでしょうね。

原因は分かっています。2日ほど前にトイレでメール見ようとしたんです。酔っ払いながら
も、これはトイレに落とすとマズイぞ、と思いつつ、結果は・・・・。

ハハハ・・・。保険には入ってますけど、水濡れの場合は修理費がかかるんですよね。
まぁ、ポイントが溜まってたから一応無料でしたけど。

最近釣りにも行かなくなったから防水タイプでなくてもいいかぁ、と思ってたら、落とし穴
は間近にあったんダ。つうか酔っ払ってトイレで携帯取り出すのが間違ってるんですけどネ。


亀の冬眠。

2010年12月19日 16時23分41秒 | Weblog
ここしばらくはランチ終了後は自宅に一度帰宅しています。で、相方も出張中だもんで、
亀スタイル(掛け布団を首からすっぽり被った状態)でPCに向かっています。

だんだん冷え込みが厳しくなって桂川が夕闇に包まれるころには橋上は北風が吹き渡って
寒いったらありゃしない・・・。これはまだ夕焼けの時間帯です。↓
  
五時前には布団から抜け出さないといけないけど、これから自転車で出かけると思うと、
ちょいと辛くて呟いてしまう。

「私は亀になりたい・・・。」それは「私は貝になりたい」でしょ!

そういや亀って冬眠したっけ?普段から起きてんだか寝てんだか分からない生命体だけど。
で、調べてみたらいっちょまえに冬眠するようですね。

思い出したけど、高校時代の担任のあだ名は「寝起きの亀」でした。アタシが付けたんです
けどね。その亀さん?もずい分前に冬眠、いや違った永眠されました・・・。

さて、完全防備で出かけっとするか、寒いケド・・・・。

オネショ地蔵。

2010年12月18日 10時37分40秒 | 京都非観光迷所案内
オネショ地蔵といっても、夜尿症のお地蔵さんが安置されている訳ではありません。小児の
疾患に効くといわれるお地蔵さんです。大人の泌尿器系に悩む人にも効果があるそうです。

正式名は薬師寺ですが、「梯子地蔵」とよばれるほうが多いようですね。とはいえ、京都人
でもほとんど知らないと思いますけど。私も何度か前を通過していますが気がつかなかった。

松尾神社を北へ山沿いにそって歩いていると、小さな石塔が建っていますが、車だと絶対
見逃しますね。だってコレみて地蔵堂があるなんて誰も思わないでしょう。
  
ナンだかアトリエの表札みたいだし・・・。

開山は平安時代末期といわれていますが、正確な年は不明のようです。比叡山のエライお坊
さんが泌尿器系の病気(ナンだったんだろう)にかかり山をおりて自ら願をかけ全快。
  
そこで比叡山を望むこの地に小堂を結び、世俗万人の病を救う修法をなしたのが始まりだと
いわれています。梯子地蔵の由来は石仏が巌上にあったため参詣のため梯子で登ったから。

願をかけるときに年の数だけ段をつけたミニ梯子を奉納する習わしです。↓

ワタクシ、今のところ夜尿症でもないし、泌尿器系の病にもおかされていませんけど、将来
紙おむつの世話にならないようお賽銭をあげてお祈りしときました。

途中で見つけた隠れ家的カフェと、ちょいと過保護状態かな?って感じの庭木。
    

帰り道、松尾神社を通ったら、もうお正月の準備がなされていました。ああ、今年もあと
ワズカなんだ・・・・。
 

梯子地蔵の場所は松尾神社境内から北へ、小さな小川に沿って徒歩約5分左側です。(山手)
ま、ダレもいかないと思うケド・・・・。(阪急嵐山線、松尾駅下車)

参考文献 京の民間医療信仰 思文閣出版

柿の心配をしている場合ではナイ。

2010年12月17日 09時27分57秒 | Weblog
毎日桂大橋を渡りつつ、たわわに実った柿の木を横目で眺めながら、あの柿の実はどうする
んだろ?と余計な心配をしていたら一昨日からオジサンが収穫を始めたようです。

でも木が高く育ちすぎたもんで、高枝バサミで収穫してはるけど、いっこうにはかどって
いない様子ですね。昨日は木に登って頑張ってはりましたけど、落ちないよう祈ってます。
    
柿の枝は折れやすいから、首吊りには適していないって話も聞いたことがあります。山本
素石さんの随筆でも、北山の農家の庭の木に登って柿の実を食べていた熊が枝がポッキリ
折れておっこちた、という話がありましたナ。

昔は柿泥棒もいたけど、最近ではほとんど聞かなくなりましたね。漫画でも柿を盗もうと
する子供と、それを捕まえようとする頑固親父の話がよくあったけど、今は昔の話になりました。

それだけ食生活が豊かになったってことですかね。今じゃ農作物が盗まれる話といえば、
換金率の高い作物くらいですもんね。

ところで相方は今日から今年最後の出張で仙台へ。また4日ほど独居生活です。店も忘年会
シーズンで、皆、街中へ繰り出しているのかヒマだし、のんびりさせてもらいますか。

なんて、ヨソの柿の実の心配をしている場合ではないんですけどね。ま、年末にかけて何件
か予約が入っているから、なんとかなるっしょ。

手緒里庵「山菜きのこそば」

2010年12月16日 09時20分00秒 | グルメなのか?
これは相方が店の近所で購入したカップ麺なんですけどね。今まで食べたインスタント蕎麦
のなかでは一等賞かも?(それほど多種のカップ蕎麦は食べてはいないんですけど)
  
製造元は茨城県結城郡のヤマダイ(株)。大きな声では言えないけど、郡上八幡の出前で
とっていた蕎麦より確実に美味い。(郡上の蕎麦がすべて不味いわけではありませんョ)

しかし、よくまぁ毎日麺ばかり食べているもんだと我ながら感心しております。ところで、
先日突発的に「尾道ラーメン」が食べたくなったんですよね。
   
そこで思い出したのが、このお店。以前はスポーツ用品店だったと思うんですけど、いつの
間にか「尾道市場」に変わっていました。開店間なしにのぞいたときはイマイチでした。

と、いうのは品揃えがほとんど一般スーパーと変わらない。一部尾道から運ばれた食品も
あったけど、なんだかなぁ・・って感じでした。

でも、尾道市場と銘うっているからには「尾道ラーメン」は置いてあるハズ。と思ったけど
販売されていない。ダレが何の目的でこんな場所に尾道物産店を開いたのか謎は深まるばかりです。


石を買う話。

2010年12月15日 09時40分53秒 | ハマチャンネル
昨日、店で「鑑定団」を見ていたんですけどね。カウンターで飲んでたJちゃんとT社長に
相方が「お二人の家には何か鑑定して貰うようなお宝ってあります?」って訊ねたら・・。

T社長「ん~、お宝かぁ。そういえば桐箱に入った岩みたいなのがあったなぁ。」

え、ただの岩?と、皆が聞いたら、「いや、なんか知らんけど、隕石みたいなモンやと聞い
ているけどなぁ」とおっしゃる。

ソレを聞いたJちゃんが、「あ、そういえばお爺ちゃんの家にも桐箱入りの石があったわ」

「それがな、お爺ちゃんは月の石やて言うてたわ。」

ちょっと待ってよ、そのころはまだアポロも月に行ってまへんで!

そんなウソ八百ならべて石を売ってたヤカラが暗躍した時代があって、またそんな石を収集
するブームがあったのでしょうか?もしかしたら古いお家にはそんな怪しげな石が一つくら
いは残されているのかも知れませんナ。

宇宙の石はともかく、石の収集家は昔からいたようで、山紫水明で有名な頼山陽も自宅の庭
に数多くの石を並べて悦にいってたそうです。

また、それより昔には石の収集家で有名な公家が、「何日に石を買うぞ~」という噂を流し
たところ、街中から大勢の人々が買い上げてもらおうと石を持ちこんだそうです。

ところが、今日は日がヨロシクないでおじゃる、なんて言って買い上げ拒否。人々はガッカリ
して「あ~、重たいめぇしてあほくさ、こんなもん持って帰るのも業腹じゃ」と言ってその
屋敷の前に捨てて帰ったそうです。

皆が帰ってしまったあと、その屋敷の主は門前に捨てられた石の中から値打ちのありそうな
石だけ選んでコレクションのなかに加えたとか。

怪しげな石を売って儲ける連中もいれば、その上をいくツワモノもいるから世の中面白いですナ。

同じ石でもこんなふうに石灯篭として人々の役にたってたのもあります。闇の深かった昔は
辻に灯されたほのかな明かりでも心強い「ともし火」だったのでしょうね。

この「愛宕の石灯籠」は街中でときおり見かけますけど、実際に火が灯されているのは
珍しいことです。(私は初めて見ました、昨夕。)

水薬師寺と平清盛。

2010年12月14日 16時16分10秒 | 京都非観光迷所案内
この水薬師寺は私が卒業した小学校区にあります。幼稚園も経営されているので、クラス
メートはほとんどこの幼稚園の卒園生です。だから水薬師といえば寺というより幼稚園。
(正式名は七条幼稚園ですが、ほとんど水薬師と呼んでいましたね。)
 
ワタクシんちはブルジョアだったから、平民用の幼稚園には通わせてもらえませんでしたけど。

たまに大嘘こかないとストレスが溜まっちまう。なんで他の幼稚園に行ってたのかは関係者
(ようするに両親)が彼岸へ行ってしまっているので理由はわかりません。

ま、私のことはどうでもいいやね。昔、この地に大池があったそうです。理源大師がその池
から霊像をみつけだして、寺号を賜ったと寺伝にあります。(創建は延喜年間901~23)
 
この寺の水は万病に効果アリ、といわれ平清盛が高熱に侵されたとき、この水を汲んで癒し
たと伝えられています。(この水薬師の西方に清盛の邸宅があったそうです。)

この清盛って人は小説やドラマでは悪役っぽいあつかいが多いんですよね。清盛というか平家
自体が良いイメージでえがかれていません。平氏であらずば人にあらず、なんてホントに言って
たんでしょうかね?これは平家物語にその一因があるともいわれています。

その平家物語は奈良の興福寺関係者が創作したんだけど、その興福寺を平氏が焼き討ちした
から悪意をもって書き残された、と、なにかの本で読んだ記憶があります。

実はここだけの話、ワタクシ、ちゃんと平家物語を読んでないからエラソーなことは言えない
んですけど・・。でもワタクシは頼朝や義経より清盛ヒイキなんですョ。

それは私がヒネクレモノだから?それはいなめませんナ。娘の徳子が待望の男子を産んで、
清盛は大喜び。目に入れても痛くないほどの可愛がりようだったそうです。

天皇家と血縁ができたということもあるけど、理由はそれだけではなかったと思います。

その皇子が清盛の屋敷で指を突きたてて、障子を次々と穴を開けていったそうです。清盛は
叱るどころか、ホレ、ここがまだ破れてないぞよ、と指差しながらニコニコ笑っていたとか。

そのうえ、その障子は捨てずに残しておくよう命じたんですと。典型的なジジバカですな。

また、清盛はヨモギが好きで、庭一面にそれを植えさせ、ボンヤリとそれを眺めていたとも
いわれています。最高権力者となった氏はどんな思いでヨモギの葉をみつめていたんだろう・・。

そんな一面があったから、好色で権力の権化のように言われた清盛さんが私には憎めないの
かも知れませんナ。

水薬師寺↓(1月8日以外は公開されていません。)
http://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=1000423

ぽんぽん山。

2010年12月13日 09時14分01秒 | 京都非観光迷所案内
二年ほど前に暮らしていた白川は、三階の部屋のドアを開けると目の前は比叡山でした。

今は愛宕山を眺めつつ、桂川を渡る毎日。山頂部は雲のベールに包まれています。


昔、比叡山と愛宕山が背比べをしたそうです。

どちらも「ワシがいっとう高いんや!」と言い張って、頭にきた比叡山が愛宕山をポカリ
と殴ってしまいました。で、愛宕山にコブができてその分愛宕山が高くなったとか。

どこかでも似たような話を聞いた気もするけど、まぁボーリョクはイケマセンって事です。
(特にお酒を飲んで殴った、殴られた、なんてのはいただけません)

この愛宕山から南方向へ目をやると見えるのが「ぽんぽん山」です。へんナ名前でしょ。
        
小学生の頃、昼休みにボーと周辺の山を眺めていたら、隣に友人のG君がやってきて言うことにゃ、

「あの山なぁ、ぽんぽん山っていうんやで。なんでそんな名前がついたかというとな、昔、
あの辺りは古戦場やってんて。ほんで鎧を着けたままの武者がいっぱい埋められているから
頂上のへんに空洞ができて、足で踏むとぽんぽんって音がするんやて。」

「ほぇ~、なんやオソロシげな山やなぁ」と、ワタクシ感心したもんです。

あのころ、もう帰化してたから、彼の名字はM君に変わってたけど、ずっとG君って呼んで
たから今でも多分出合ったらG君ってよぶんだろうな。

教室の窓辺で二人ならんで、ぼんやりぽんぽん山のある西山連邦を眺めていたあの日から
数十年の時が流れてしまったんやなぁ・・・・。
            
販売者 丸正高木商店  生産者 松尾剛志  コシヒカリ100% お試し価格 3kg1200円

その「ぽんぽん山」山ろくで収穫された新米を相方が買ってきました。G君は今頃ナニを
しているんだろう。なんて思い出に浸りつつ味わってみますか・・・・。

※「ポンポン山」標高678,7メートル。古くは加茂背山と呼ばれていました。ポンポンと音
がするのは山頂近くの石灰岩の切り出し場所の影響、地下に鍾乳洞がある、山の地層の一部
に空洞があるため、と諸説あります。「武者埋め説」はG君以外からは聞いたことはアリマセン。


ハマチャンネル。

2010年12月12日 15時38分31秒 | ハマチャンネル
店名変更してから二月たちました。変名のおかげで店は毎日超満員状態↓
          
だったらいいのになぁ・・・。昨日は大学時代の連中の忘年会でした。相変わらずビフォー
アフタァの匠、Fの声はでかいし、Mはバカだし、奇跡の銀行員Oはワケわかんない状態。

奇跡ってのは、どうしてコイツが今まで懲戒免職にならないのかってくらい酒クセが悪いん
ですよね。別に同級生たちにからむワケではないんですけど・・・。

昨日もウチの店に来る前に四条大宮で飲んでたみたいなんですけどね。店に来るなり携帯を
取り出し番号案内で阪急桂駅の電話番号を調べだしたんです。

大宮駅から乗車したけど、切符を紛失。で、桂駅で200円支払ったけど、大宮からだと料金
は180円。20円のお釣りを渡されなかったと、彼は怒ってクレームの電話をかけていました。

なんでお釣りを渡さなかってん、今から「ハマチャン」に20円持ってこい!なんて電話で
がなっているんですョこのおバカさんは。頼むからウチの店の名前を出さんでくれぃ!

と、いうか二回も番号案内にかけたら、それだけで200円かかっとる、ちゅうねん。

なんとか定年まで無事に勤めてくれるコトをセツに願います、ワタクシ・・・・。

このO君とKは美術高校時代からの付き合いがあるんですけどね。彼は京都(日本だっけ)
に3台しかないスーパーカブに突然乗りたくなって、この年でバイクの大型免許を摂取。

相変わらずマイペースで生きとるなぁ、コヤツも。(私もだけど)

そんなこんなで、いろんな人生が交差する「ハマチャン」の日々を記録するため新しい
カテゴリーを加えてみました。なんだか反省材料がいっぱいのカテゴリーになりそうな気が・・。

本文とは関係ないんですけど、今日は12月12日。この日付けを書いた紙を室内に貼っておく
と泥棒除けになるそうです。ナゼかというと、この日に石川五右衛門が処刑されたから。

ま、ウチの場合盗られるモノもないから必要ないんですけどネ。

勝裕の持ち帰り弁当。

2010年12月11日 09時05分01秒 | グルメなのか?
定休日以外の昼食はテキトーに「まかない」で済ませています。(ほとんど麺類ですけど)

今回は店の仕込みのついでに相方が「勝裕」の弁当を買ってきたくれました。このお店も以前
紹介しています。(下京区春日東入る南側。木曜日定休)

さすがに「かつ重」と「日替わり持ち帰りランチ」を食べるとお腹いっぱい、ってウソです、
相方と二人分です。かつ重などは出来立てが美味いのに決まっているけど、少し時間が経って
汁がご飯にしみ込んだのも、コレはコレで美味し。

チカゴロでは豚カツ専門店があちこちに出来てますけど、私の子供時分は豚カツは家で揚げる
か、肉屋で買って帰る食物でした。(レストランで、というのもあるけど機会はほとんど無かったし)

今思うと、あのころ肉屋で販売していた豚カツは、よくまぁそこまで薄く肉をカットした
もんだってくらい薄かったよなぁ。しかも脂身だらけ。

え、ウチの近所の肉屋だけ?いや、あのころはドコでもそんなモンでした。(と、思います。)

それでもいつも食べてるコロッケに比べりゃ贅沢に思えましたネ。前にも言ったと思います
けど、皆それぞれ、ここのコロッケが一番って店があるけど、ほとんど自分ちの近所。

つまり、揚げたてであればさほど大差が無いってことなのかも知れません。ただ、冷えたの
は味の違いがはっきり分かりますね。

温かい食物ってのはそれだけで味の採点は甘くなるような気がします。味覚というか、人類が初め
て火で調理した食物を口にしたときの驚きとヨロコビがDNAにインプットされているからでしょうか。

なにが言いたいというとですな、この「勝裕」の持ち帰り弁当&丼は冷めても美味いって
ことであります。(これはメニューの約半分です。)


勝裕↓
http://r.tabelog.com/kyoto/A2606/A260604/26005725/