秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

望郷商店街。「西新道錦会」

2012年10月12日 20時34分00秒 | 京都商店街巡り

 京都商店街巡りのカテゴリー、ワタクシ自身が存在していたことを忘れていた、
ってワケじゃないんですけどね。

なんせ、行き当たりばったりでブログを投稿しているもんで・・。この西新道錦会商店街
も偶然迷い込んだ商店街です。

このテント張りのアーケードを目にした瞬間、「ああ、オレは今、昭和にタイムスリップしたの
か?」と望郷の念にかられてしまいましたね。
 

この商店街に足を踏み入れたのは初めてなんだけど、ナゼか懐かしい・・・。

↓このテントの破れ加減が「侘びサビ」ております。
     

←つけものと園芸?ま、いいか・・・。

肉屋さん。でもバッドにはレトルトカレーとかパン粉しか乗っておりません。


こんな写真ばかり投稿してたら、ウラ寂れた商店街だと思われますけど、頑張って
はるお店も数軒あります。場所柄、お年寄りの多い地区でもあり、大型駐車場のある
スーパーも無いから、その辺りに生き残りの道が残されているのかも知れません。

近所にあるワタクシ好みの古道具屋も最近閉店されたようすです。
 

  
空手道場の看板みたいですけど。     つげ義春的風景?↑

まだまだ市内には「嬉し懐かし」の商店街が残されていますが、ボチボチ探索していく
つもりです。(次がいつになるのかは分かりまヘンけど・・・・・・・。)

 


六条西洞院。

2012年05月14日 12時46分58秒 | 京都商店街巡り

 この通りを商店街と定義してよいものか、若干悩むトコですけどネ。でもこの近辺
で、この数百メートルだけが異界(とは大げさか)なんです。
 

路面もそうだし、街灯もこの通りだけ、こんなのです。↓
       

しかし不思議に思うのはナゼこの筋だけコジャレた通りに変身したんでしょうナ。町内
会費で購入したロト6が当選したんだろうか?

とはいえ、シャッターを閉じた店も数軒目につきました。これはしょうがないか・・・。

   
     やはり、京都の商店街にはなくてはならぬ、和菓子屋さん。

この店はなんだかよく分からない。カラオケも
あり、粉モンのデリバリーもアリの不思議な店舗。パチンコ屋ではないのは確かです。

突き当たりは銭湯。日曜は朝7時から営業しているようです。今度行ってみますか。
      

      

 


奇妙な果実。

2012年04月22日 09時16分26秒 | 京都商店街巡り

 山科三条商店街で、チラホラ目にする、この風船↓
       

こんなシナビタのも味があっていいではないか?と思うのは私くらいですかナ。
       

しかし、これだけの量がぶら下がっていると、かなりインパクトがあります。
このツリーを見て思い浮かんだのが「ストレンジ・フルーツ」(奇妙な果実)って曲です。
        

ビリー・ホリディが歌って話題になったんですけどね。最初はレコード会社も余りに過激
な歌詞であったため、レコーディングを拒否したそうです。

私は中学時代にその訳詩を読んで、慄き、怒りを感じたもんです。あの頃のボクは純
でしたなぁ。アメリカという国に疑問を感じた最初のきっかけだったかも知れません。

なんて、またエエカッコするでしょ、このオヤジは。ホントはアメリカ批判を刷り込まれそうに
なったのは私の小学生時代、京都における教育界の事情があったからなんですけどね。
(それがすべて間違っているとは思いませんケド)

おっと、私のブログに相応しからぬ方向に話が流れてしまった。それに茄子は果実
じゃないもんね。

このキャラは山科茄子の「もてなす」君だそうです。おもてなしとモテモテをかけている
のかどうかはともかく、KBS京都のキャラにもこんなのがいた気がするぞ。

ちょいと調べてみたら、KBSのほうは「カモンナス」(これは賀茂茄子にかけていますナ)
ですと。パクリじゃないはずだから、作者が同一なのかキャラ同士が兄弟なのか?
     

ま、これ以上調べる気はありませんけどネ。

この屋の主はよほど、「もてなす」クンがお気に入りのようです。(振興会関係者の家だと
は思いますが・・・。)
      


師走の七条商店街。

2010年12月20日 16時34分12秒 | 京都商店街巡り
本日のランチ営業は定休日。そこで先、先週行きそこねたスーパー銭湯へ。(中央市場で
仕入れる品もあったもんで。「やまとの湯」は市場のすぐそばです。)

その中央市場に隣接している七条商店街は、錦市場のように観光客が訪れる市場ではありま
せん。しかし市場から最近の商店街とあって新鮮な食材を求めて市内の料理人も仕入れに
訪れる市場です。
  
しかし蜜月関係にあった商店街と市場にも最近は少々軋轢も生まれているようですね。
まぁ、そのあたりの内部情報は別にいいか。
  
この商店街の魚屋で、ワタクシ、中学時代にアルバイトしていたことがあります。ちょうど
師走の今頃でした。毎日棒タラ(京都の正月にかかかせない魚です)を水に漬ける作業は
今思い出してもきつかったよなぁ・・。

この商店街の前に師走になるとテントが張り出されて、店内で補いきれない商品を並べたり、
屋台が商売をしていたけど、今はどうなんでしょうね。

夜にはテキヤの人たちがチョークの付いた棒でショバ割りをしてたっけ。自店の前にテント
を出す店の人たちが、テキヤのアンちゃんたちに一升瓶を渡していた光景を覚えています。

今は警察もうるさくなったし、そんな師走の風景も昔話になったのかも知れませんナ。

「やまとの湯」は平日にもかかわらず、そこそこの入湯客がありましたね。ほとんど団塊の世代
のオジサンたちですけど。(リタイヤって言葉はどうも好きになれません、私。)

しかし、彼らは自宅風呂でなれているのかマナーの悪いのが実に多いですナ。特にシャワーの
使い方。後ろに人がいようがお構いなし。

いちど、背中にいっぱいお絵かきしている人たちが大勢来てる銭湯に連れていってあげた
くなりますネ。

ところで、話はまた迷走しますけど、今朝、また携帯が故障。今日帰宅予定の相方にメール
打ってる途中に突然フリーズしちまった。

きっと相方は何のコトか分からんメール見て首傾げてるんでしょうね。

原因は分かっています。2日ほど前にトイレでメール見ようとしたんです。酔っ払いながら
も、これはトイレに落とすとマズイぞ、と思いつつ、結果は・・・・。

ハハハ・・・。保険には入ってますけど、水濡れの場合は修理費がかかるんですよね。
まぁ、ポイントが溜まってたから一応無料でしたけど。

最近釣りにも行かなくなったから防水タイプでなくてもいいかぁ、と思ってたら、落とし穴
は間近にあったんダ。つうか酔っ払ってトイレで携帯取り出すのが間違ってるんですけどネ。


大映商店街

2009年10月20日 16時04分06秒 | 京都商店街巡り
かつて深作がメガホンをとり、川谷拓三や室田日出男が走り回りっていた通り、
といえば、この大映通り。(仁義なき戦いシリーズ)

今もキネマストリートとして映画ファンには馴染みの商店街です。
街灯はキャメラ、舗装はフィルム模様。↓
 
とはいえ、ところどころに見られる「キネマストリート」の幟も「それで?何?」
って感じですね。

最近では「妖怪ストリート」など街興し企画も開催されていますが、なんだか一過性
で、継続感が感じられないのはワタクシだけでしょうか?

しかし考えてみれば、撮影所が賑わっていた頃は別に街興しの必要性も無かったし
観光客の誘致も必要なかったでしょうしね。

ナニが言いたいのか、というとですな。キャメラの街灯や舗装、幟もみんなお金
がかかっているんですよね。

本気で観光客を呼び込みたいのであれば、継続性のある企画やイベント、店舗が
必要なのでは?

どうせ観光客は「映画村」に行ってしまうんだし、無理すること無いやね、
って事なら別ですけど・・・。

別にワタクシがどうこう言う筋合いではないけど、もったいない気がするんだよなぁ。

まぁいいか。今回は京福太秦駅から帷子ノ辻駅まで、ちょっこし歩いてみました。

この通りに足を踏み入れるのは10年ぶりくらいかな。あの時一緒に飲んだ須藤さん
や園田さんたちは今ではどうしているんだろう?

以前は時々時代劇でみかけたけど、最近TVドラマって観ないしなぁ・・・。

↑日本映画の父「牧野省三氏」の碑が建つ「三吉稲荷神社」

マーケットファンの私には嬉しい光景↓


↓勝新太郎さんがお気に入りだったオムライスが食べられる「つたや」
   

企画がどうのなんて偉そうなこといってスンマセン。まだシャッターを閉めたままの店
をそれほど見かけなかった、という事はさほど危機が迫っていない、ってことなのかも知れませんね。 














朝の京都中央市場。

2009年06月23日 09時32分00秒 | 京都商店街巡り
大学時代の友人が中央市場で電気店を経営してます。

「大型冷蔵庫(家庭用)の中古があるんやけど、いるか~?」と電話がありまして。

そういえばウチの冷蔵庫って何年使用してたっけ?10?いや20年以上は経つナ。

市場に仕入れの用事もあったのでついでに検分。ん~確かに今の冷蔵庫より使いで
はよさそうだ。

彼の案内で市場内を少し見学。小学校時代のクラスメートが市場内の食材店にいる
と聞いたので、ご挨拶にいっときました。

高校時代に2,3度出あったきりだから、30数年ぶりの再会でしたね。

多分道ですれ違ってもお互い気がつかんかったやろなぁ・・・・。

話は変わりますけど、昔「太陽」という月刊誌に「市場の朝ごはん」というコラム
がありました。1年ほど続いたかなぁ。

今度、電気屋の彼から聞いた美味い定食屋のレポートでもしてみますか。

商店の無い商店街

2009年05月02日 08時52分58秒 | 京都商店街巡り
いや、商店がまったく無いってわけじゃないんですけどね。

地方の駅前で見かける「シャッター街」でもなくて、最初からほとんど商店が
存在しない・・・。

この桂商店街(と、一応呼ばせてもらいます)、阪急桂駅東口から真っ直ぐ東西
へ伸びる道路と東につきあたった南北の通りをさすようです。

南北の通りには商店が飛び飛びに存在しますが、東西の通りはほとんど住宅街。
でも商店街の表示。よく分かりませんけど、表示疑惑にはならないし、まぁいいか。

疑惑、といえば「漢字検定」で問題になった「○ーク」のビルが、確か西口に
あったはず。このビルの屋上ビアガーデンで高校生の頃バイトしてました。


昨日の「鶏ちゃん」は11時ころまで満席(と、いっても10人強で満席なんですけどね)
久しぶりに再会した旧友ともゆっくり話しが出来ず、申し訳ないことでした。
今度また、もう一人の旧友と連れ立ってくるわ、と言いながら栗東まで帰って
いきました。

来店の皆様に感謝です。

円丸市場。

2009年02月22日 06時12分41秒 | 京都商店街巡り
マーケットの意味は単純に訳すと市場なんですけど、私のイメージでは小さな
商店が寄せ集まった商業スペース。

東京あたりでは、終戦後、焼け跡に出現した露天商の集合地帯といった所でしょうか。
(闇市と呼ばれ、映画や小説の舞台となったりしていますね。)

京都にはほとんど空襲がなかったので、関東(以外にも)のマーケットの定義
(そんなモンがあるのかは知らねども)とは少しニュアンスが違うかも知れません。

ワタクシの勝手な解釈ですが、京都のマーケットは路地に集まった
商店。その商店の間に屋根を渡したのが原型ではなかろうか?と考察しとります。

路地は「ろじ」と発音するけど、京都人は「ろうじ」または「ろおじ」といいます。

そんな「ろおじ」商店の匂いを残したマーケットもほとんど見かけなくなりました。

この円丸(円町丸太町という意味)市場は数少ないマーケットの一つ。

花屋と饅頭屋の間に数件の乾物屋、八百屋が営業されていますが、半分くらいは
廃業。隣の卓球場とともに永久保存して欲しい・・・・・。

今日から25日まで仙台にて催事。寒いやろなぁ・・・・。

伏見大手筋商店街。

2009年02月10日 06時09分52秒 | 京都商店街巡り
この商店街、以前紹介したと思うんですけど、内容は忘れてしまった。(またかい!)

まぁあの頃は「商店街巡り」のコーナーもなかったし・・・。

今回は「弁天さん」を訪ねた帰りにちょっと通ってみただけですが。しかし、いつ
来ても賑ってます、この商店街。

おそらく京都の街中に出なくても、この商店街だけで用は足りるでしょうね、
地元の人たちにとっては。

それもそのはず、今では京都市伏見区となっていますが、昭和6年までは伏見市
だったんですね。一つの市として機能していたわけです。

もっとも、この商店街ができたのは、そんなに古いわけではないでしょうけど。

かつてはこの地に銀座(銀貨を鋳造。江戸の通貨は金が主体ですが関西は銀。)
が置かれ、奉行も京都に西町東町、そしてこの街には伏見奉行が配されていました。

京の奉行は旗本でも勤めることは可能でしたが、伏見は一万石以上の大名しか
勤めることはできなかったそうです。(※西国大名の監視役のため。)

銀座はその後京の中京区に移され、最終的には江戸へ。ですから銀座、といえば
東京ではなくて、この伏見が本家だったんですな。

どうして京の銀座を閉鎖したかといえば、※改鋳するたびに「混ぜ物」を入れては
銀のチョロマカシをやってたそうです。で、何度か取り締まったけど、ラチが
アカンってことで将軍の膝元へ移転。

先日尾形光琳の話でとりあげた中村内蔵助もこのクチで、しこたま儲けたようで
すね。庶民や町衆からは(庶民と町衆は同義みたいですけど、持ち家か貸家住まい
かの差)かなり嫌われていたようで、内蔵助が何度茶会に誘っても断り続けた
町衆もいたようです。

これは妬みやプライドの高さだけではなくて、常に権力の移り変わりを肌で感じ
ていた町衆の「危うさ」に対する予感もあったと思います。

あ、また商店街から迷走。この商店街の入り口(出?)に銀座発祥の地の石碑が
立てられています。

今のアーケードはソーラーシステム完備のエコな商店街、生活用品以外にも楽しげ
なお店もぎょうさんあるみたいですよ。

※大名が参勤交代で西から東へ行く時は、伏見を通って山科村へ抜ける。大名
が武装した兵を率いて京に入ることは禁じられていた。

※銀座が設けられた慶長では銀の純度は80%、元禄の改鋳では64%。


七条商店街。

2009年02月08日 20時33分54秒 | 京都商店街巡り
ずっと以前に七条商店街の話取り上げた気もするけど、誰も覚えてないだろし、
(私も内容は覚えてない・・。)新カテゴリーも出来たことだから再訪。

先日父の葬儀に来てくれた従兄弟たちと夜伽しながら、昔話をしていたんですが、
私が七条マーケットはもう無くなったなぁ、と言ったら叔母が、まだあるんちゃう?
なんて言うもんだから、それも確認したくて。(やはり消滅してました。)

日本で一番最初に開設された京都中央市場に隣接するため、料理屋さんなどの
プロから近所のおばあちゃんまで幅広い購買客が訪れる商店街です。

商店街の道路前がコインパーキングになっているので、歳末などはけっこう混雑します。
(コイン投入している人はほとんどいませんけどね。)

料理屋の仕込み、といえば錦市場が有名ですが、近頃観光化しすぎて何軒かは
店を移転しているという話を聞きましたね。

それはさておき・・・。

七条市場の昔話。時代は平安時代。西大路七条あたりに西の市という官設の市場
があったそうです。(東は西本願寺付近)

月の前半は東市、後半は西市で毎日正午に始まって日没前に太鼓が鳴って閉じられ
たとか。

ときには貴族たちまで買い物にやって来るほどの賑わいをみせたそうです。

それ以来現代まで市民の食生活を支えてきた、と、いいたいトコですが、
最初に西の市が寂れ、やがて東の市も廃市となったそうです。

今のところシャッターの閉まったままのお店はみかけません。私の子供じぶん
から変わらず(代変わりはしていると思いますが)営業している店も沢山残っていました。

商店街の中にあったお菓子屋の息子、あだ名は「アーモンロしんじ」。
舌が回らなくて「アーモンドチョコレート」と言えず「アーモンロ」・・・。

ズイブン早くに逝ってしまいました・・・・。

ところで、「七条」は「ななじょう」、と読むのか「しちじょう」と読むのか、
と聞かれたことがあります。

正式なところは分かりません(調べる気がない、というか興味ない)が、私たち
は「ななじょう」とよんでましたね。

ときどき「しっちょ」(しちじょうを短くよむ)なんて言ってた気もするけど。

追記 今日京阪電車に乗ったら、アナウンスは「しちじょう」って言ってました
ね。ちがうんやけどなぁ・・・・・。