秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

長野日帰り。

2013年04月20日 10時38分48秒 | 旅ゆけば

 昨日の朝5:30分過ぎに京都を出発、伊那(長野県)に到着したのが8時
ころだったかな。それから打ち合わせを済ませて昼前に伊那から佐久へ。

長いわ、長野県・・。2時間も車で走ったら、京都なら大阪通り越して兵庫県
まで行ってしまいまっせ、ホンマ。

伊那市でからはA社のN社長も同行、N君(同じ名字でややこしい)と三人で
の道行きとなりました。

このN社長は以前(2012.9/29)に紹介した、蕎麦大好き人間です。N君も
私も舌は肥えてはいないけど、麺喰い人です。(貧舌は私だけか・・)

高速を降りて峠道を走りつつ、6ヶの目玉が捜し求める蕎麦屋の看板。

蕎麦喰いが今回の目的ではないので、何の情報も得ずに車を走らせて
いますから、とにかく最初に目にとまった店にしようと暗黙の了解。

一応、「うどん・蕎麦」の看板はパスして、一軒目に出会ったこのお店。

なんとなく「地元の人に愛されてます感」があっていいんじゃないっすか?

車もほぼ満車みたいだし。 しかし、いくらラインが引いてないからって、
もうちっとちゃんと駐車できんもんかえ?ま、おおらかでいいけどね。
 
店を外見から吟味しているN・Nコンビ。↑

メニューを見ていた社長がまず気がつきました。温かい蕎麦はだし汁が切れたら終了
となります。ムム、限定商売か、やりますナ。

  

そしてN君は営業時間を指さす。ほほぅ、一日たった4時間とは、ちょっと期待
してもいいかも知れない・・・・。
  

で、三人が選んだのは「ミニ掻き揚げ丼とざる蕎麦」 温かい汁蕎麦はドコいってん。
だって、お勧めって書いてあったんだモ~ン。(オヤジのブリッコは気持ち悪いワ)

しかし、いつも思うんですけど、長野県の蕎麦専門店って、他県に比べて割高
な気がするんですけど、私だけだろうか、そんなこと感じているのは。
  

このセットは1000円。まぁ価格的には私にとってギリギリの範疇内ですか。
京都なら昼食セットはもう少しリーズナブルな店を選ぶところですけど。

で、蕎麦です。味に関してはいつものように批評は差し控えさせてもらいます。
ただ、切り方が・・。細いのやら太いのやらが混じってます、つまりバラバラ。

当然、太さが違うと茹で上がったら、シコシコの部分やらモチットした箇所が
あって混然としてしまいます。も一つ言えば水切りが不十分で、盆が水浸し・・・。

残念様でした。あ、でも掻き揚げ丼は美味しゅうございました。カリっと揚がって
タレは若干甘めでしたが、掻き揚げとの相性はグッドでした。

店を出て車に乗り込んだワタクシ、「いっそ掻き揚げ丼の店で看板だせば
いいと思う・・・」と呟いてしまった。

ま、他府県に出かけるとそんなコトもあるから面白いんですけどね。

 
そしてお仕事。なんだか分かり難いと思いますケド、これはブルーベリー畑です。
収穫は夏だから、今はこんな状態です。

仕事の内容は今はまだ話せませんけど(聞いても面白くないと思うし)、今回
は依頼を受けての視察程度です。いつになったか儲かるねん・・・。

帰り道は社長が気を使ってくださり、別ルートで伊那を目指しました。

八ヶ岳公園で休憩。さ、寒い!ニュースでこの日は寒の戻りで非常に寒く
なるって言ってたけど、ここは標高1300メートル以上でございます、ご想像ください。
 

伊那で社長とお別れして帰途、飯田の「南信州うまいもの直販店」で買い物。
と言っても相方はこの日からまた出張。だから私の買い物はほとんどナシ。

相方が同行していたら、また「破産する~!」と叫びつつ買い物しているんだろナ。

 
私の買い物はコレだけ。「のびる」の葉は食べたことあるけど、根っこは初めてです。

味噌に付けて生で食す、とあったので、ついでに若とうがらし味噌(300円)を購入。

(のびる=辛い)×(若とうがらし=辛い)でカラさの二乗。すなわち焼酎ススム君。

この日は朝から晩まで車に乗っていた気がするけど、とにかく21時に無事帰宅。

一人でドアを開けて、一人で灯りつけて、一人で焼酎のんで終了!



 


 

 

 

 


口丹波散策・その3.「出雲大神宮」

2013年04月11日 07時48分25秒 | 旅ゆけば

 出雲大社、といえば島根県。私も2度出雲には足を踏み入れ
ました。(でも仕事で行ったもんで、大社には詣でていない・・。)

9号線を丹後方面に向かって車を走らせていると、「出雲大神宮
の看板を目の端で捉えた方も大勢いらっしゃると思います。

私も何度か目にして、「ほ~、さすが日本の神さんの総元締めで
すな、こんな遠い場所にも案内板が建ってるし。」

ホント、物知らず、というのは怖い・・。(確かに9号線を真っ直ぐ行け
ば、鳥取県に入るし、その先は島根県だけど)

しかし、あえて自己弁護させていただきますと、京都の人間にとって
亀岡は近くて遠い街(市)なのであります。(もしくは通過地点)

しかも社寺仏閣は京都市内に余るほどあるから、隣県の神社まで
気がまわらない。

さすがにこの年になると、出雲大神宮と出雲大社の違いは分かり
ますけど、わざわざこの目で確かめにいくほど酔狂ではありません。

が、今回口丹波散策の機会を得、晴れて大神宮とご対面が叶い
ました。(なんだか結婚式のスピーチみたいでんナ)

  

前回の磨崖仏はたどり着くまで大変苦労したけど、コチラは案内板もしっかり
建ってますから、目を瞑っていても大丈夫。なワケはない。目は開いて運転。

建立のいきさつや、出雲族との関わりについては述べられた資料はぎょうさん
あると思います。で、ありますから、ここは写真と己の感想をば・・・・。

   

由緒正しい大社ですから、神聖さと神々しさはもちろん、ヒシ、と感じます。
が、私はそれ以上にアニミズム的な神秘性をビンビン感じました。

  

  

  

 

いわば、宗教の先祖帰り・・・。まだ仏教も渡来していないはるか昔、湧き出る泉や岩石に
知らず知らず手を合わせて伏し拝んでしまう・・・・。てな感じですか。

遠くから山を拝するのは「遥拝型」、 山に分け入り拝するのを「登拝型」とよぶそうです。
この聖地は当初は遥拝型で、時代が下るにしたがい登拝型に変化したのかも知れません。
あ、いつものごとく、なんの確証もありませんから・・・・・。

  

 

  


山、自体がご神体、カムナビですから、途中からは足を踏み込む
ことが許されません。

亀岡にはまだ散策したいところが何箇所かあるんですけど、なんせ
「山ひとつあなた」(あまり遠くでも近所でもない)ですからねぇ・・・・。 

       

 


口丹波散策・その2 「二十一尊磨崖仏」

2013年04月10日 09時12分20秒 | 旅ゆけば

 いきなり口丹波、なんていわれても京都人でも戸惑いますわナ。

口丹波とは亀岡、園部、船井郡地方をさす地名です。丹波の入り口
ってことですかな。丹波口、という地名もありますが、これは京都市内。

市内の丹波口は今はJRの駅で知られていますが、平安京のころは別
の場所にあったそうです。この話しだすと「京の七口」の説明からしなくては
なりません。今回は関係ないから、また後日。(多分忘れてしまうと思うけど)

相方の一番の目的であった筍購入も済ませて、お次は私の仕事と、社寺
散策ですが、仕事の話は今は置いておきます。

今回散策したかったのは、一つ目が「嶺松寺」の「二十一尊磨崖仏」です。
磨崖仏←「まがいぶつ」と読みます。ワタクシは「マガイモノ」、つまらん!

南北朝時代に彫られたものと推測されているそうですが、確かな時代は不明。
説明版には昭和3○←(消されています)と書かれていますが、もしかしたら昭和
35年の水害かも知れません。八木では8名が死亡しています。


その水害の祭、裏山にあった磨崖仏が10メートルほどずり下がって、この場所に鎮座
されたそうです。それまでは秘仏されていたとか。(私の読んだ文献では昭和48年発見
となっています)

   

今でも近辺には、この磨崖仏に関する表示看板は一切見当たりません。やはり
秘仏に近い存在なのでしょうね。

  

こんな結界のような注連縄も張られています。
      

9号線を千代川から西へ、府道を右折、なんですけど、この府道が
細くて見落としてしまった。チラッと寺が見てたけど、新しく建て直され
ていたので、南北朝時代のイメージと結びつかなかった・・・。

 
というか、曲がり角にこんな看板があったもんで、コレに気を取られてしまった。↑



この風景は磨崖仏が彫られた時代からあまり変化していない気もします。

 

 

 

 


口丹波散策。

2013年04月09日 18時07分32秒 | 旅ゆけば

 ときどき相方の思考回路がどうなっているのか考え込んでしまう私・・。

一昨日、スーパーで「山椒の葉」をワンパック購入した彼女が突然、

「筍、煮るべし!丹波マーケスの朝市に買いにいきましょう!」
なんてコト口走るのでありました。

いや、その~、別にスーパーでも出回ってるんですけど、筍・・・・・。

しかし、こうなっては彼女にはナニか降りて?きてますから、逆らえません。
私の仕事に関する調査と、行ってみたかった社寺散策を兼ねて出発。

朝食は途中でとることにして、とりあえず7時過ぎに部屋をあとにしました。

時間もあることだし、縦貫道は利用せず、地道で丹波方面を目指したんです
が、やはりこの時間帯は交通量がやや多いもんで、停滞気味です。

亀岡を過ぎたあたりで、「遅い!このままだと朝市じゃなくて昼市になる!
縦貫道に乗りなさい!」と相方からのご指示がございました。
(なんせ朝食抜いてますから、怒りが沸点に到達する前に素直に進路変更)

無事、マーケスに到着したのが、8時過ぎでした。平日ですから、そんなに
賑わいはしないだろう、と思ってたけど、やはり想像通りでした。
  

でも朝掘りの筍はちゃんと販売されていましたから、OKです。彼女が手にした筍の価格
は一本千円・・・。ちょっと高いんでないかい?隣に二本で五百円のもあるけど・・・。

と、思ったけど、口には出しません。確かに値の安いのはスーパーでも販売してますし。

支払いのときレジのオバサンに聞いたら、まだ今年は早いので、少し割高なのだとか。
(確かに帰り道に洛西の販売所を覘いたけど、ほとんど出ていませんでした。)

まだ時間が早いもんだから、近所で食事する店も見当たらないし、京都方面に向けて
ハンドルをきります。で、たどり着いたのが亀岡の道の駅「新光悦村」。

  
                             超ビッグサイズの椎茸↑(200円)

さぁ、やっと朝食。私は卵かけご飯セットです。味噌汁と佃煮をつけないと300円ですが、
これは500円。
  
米は園部のコシヒカリ(新米)、卵は美山の地飼い鶏卵。美味です。

  
この上に乗っけている茸のワサビ煮が、ヒジョーに食欲をそそります。

  
相方は特製うどんセット。600円。実は相方は蕎麦で注文したけど、お店の
ミスでうどんできちゃいました。すいません、お取替えします、って言われた
けど、お腹もすいてることだし、じゃぁ、それでいいです、ってコトにしたんです。

結果オーライでしたね。このうどん、中太ですが、口当たりは柔らかいのに、
コシはしっかりしています。太くてコシの強いのは私たちはちょいと苦手です。

相方も「コレ、美味しいやん、買ってかえろ。」・・・もしかして間違えたのは確信犯?


なぜか、丹波黒豆パンも一緒に購入。 「あかん、道の駅寄るたびに買い物
してたら、破産してしまう・・・」と彼女は申しておりました。

ところで、丹波黒豆で思いだしたんですけどね。以前、丹波ICの近くの
ドライブインに二人して立ち寄ったことがありました。

そこに「丹波黒豆コロッケ」なるモノが販売されていたんですけどね。なんでも
物珍しい食物を見つけると、とりあえず口にしてみるイヤシンボの二人・・・。

二人でイッケ購入して半分ずつ食べてみました。「ほぉ~、コレが丹波の黒豆
の味ですか・・」 「そういえば、何となくコクがあるみたいやなぁ・・・・・」

と、二人して頬張りつつ、感想を述べあってたら、

「すいませ~ん!間違えました、ソレ、普通のコロッケのほうでした~!」
と店員はおっしゃいましたね。

顔見合わせて大笑い。だから、ワタクシの食べ物に関するブログは信用
しないほうが良いですよ、ここだけの話・・・・・。

茹で上がりました。「あとは煮るなり、焼くなり好きにして」状態。半分以上
は相方の実家へおすそ分けしたけど、二人で食べるにはまだ多いぞ。
  

 

 

 

 

 


柏原散策。

2013年03月28日 11時49分00秒 | 旅ゆけば

 相方の仕事が兵庫県の氷上ってトコでありまして。最終日、たまさかワタクシ、
体が空いていたもんで、「なんだったら、迎えにいきまひょか?」ってな話になりました。

「しんどかったらエエよ~」と相方はのたまいましたが、ここ数ヶ月、ほとんど京都を
離れることが無かったワタクシ、気分転換をかねてハンドルを握ることと、なりやした。

と、いっても高速を利用すれば1時間ちょっとの距離なんですけどね。しかし私の場合
時間があるときはなるべく地道を走りたい人間であります。

そこで9号線から亀岡へ、そこからは「デカンショ街道」を経て176号線を北上、「柏原」
に到着。催事会場のある近辺は典型的郊外型都市(というか村に近いか)で、コレと
いって興味をそそるモノがなかったので、手前の「柏原」を催事終了の5時過ぎまで
ブラブラ歩き。

ところで、「柏原」の読み方ですが、一般的には「かっしわばら・よっしえでぇ~す」(こりゃ
また古い話であいすいません)の「かしわばら」だと思うんですけど、実は違います。
(もしくは「かしわら」)

「かいばら」、と読むんですわ。どうしてこんな読み方をするのかは、分かりません。興味
があまりナイから調べる気もない。


これがJR福知山線「柏原駅」。なんとなく「道の駅」風ですナ。いや、もともと鉄道の駅があって
「道の駅」は後からできたんだから本末転倒か。(日本語の使用方法、間違ってたら先に謝っと
きます)

いつものごとく、いきあたりばったりで決めたもんで、下調べもなんもなし。こんなときは、まず
駅中の観光案内所で情報収集。

で、待合室に足を踏み込んだ・・・。「案内所」、アリマヘン・・・・・・・・・・・。

慌てない慌てない。別に土産物買うために訪れたんじゃないし。こんなときは近辺を見回して、
マップを見つけりゃいいんです。

「観光マップ」ありましぇん・・・。置いてあるのは「有馬」や「城之崎」のチラシばかり。

そこで最後の手段、窓口の駅員さんに「あの~、この辺りの観光地図ってないですか?」
と尋ねたら一瞬怪訝な顔をされたけど、引き出しをアチコチ開けて、やっと一枚の地図を
手渡してくれました。もしかして最後の一枚かも?

その貴重な地図を手にまずは駅近辺を見渡してみます。
 
ダレも憩ってない。↑
 
おっ、ちゃんと観光案内の看板もあるではないですか。しかし旧式のポストまでスポットに
してしまうとは・・・。ま、珍しいっちゃ珍しいけど。↓
         

一応城下町(いや、失礼)なんだそうで、まずは町並み拝見。
  

  
  
これは近年作られたモニュメントですが、もとのモデルはコチラ↓
  

織田信長の次男信雄の子孫が柏原藩の藩主ですが、この「太鼓やぐら」はそれ以前の前任地
であった宇陀時代の墨書銘も確認されているそうです。

織田家廟所や柏原藩陣屋跡、新井(にい)神社なども散策したかったけど、この日は精力的に
観光する気もなかったので、とりあえず近場で間に合わせときます。


これはチョッチ感動モンでした。「木の根橋」といって樹齢1000年の大けやきの根が橋の
ように川を渡っています。丹波攻めの折、明智光秀がこの辺りに本陣を構えたとか。

 
その近所の観光案内所。当然閉ってます、観光客なんて一人も見かけなかったもんね。

ここからすぐの八幡神社がちょいと気になったもんで、足をそちらに向けます。ちょうど小中学校
の下校時間でありました。すれ違う子供たちがみんな「こんにちわ~」、と声かけてくれます。 

ん~!いいではないか、別に観光客なんて来なくっても!「お買い物マップ」(後で豆腐店で
入手)に記載されている店が数件消滅していたって、それがどうした。
 

八幡神社なんて別に珍しくもないや、てな理由があったのかどうかは知らないけど、この社は
マップではとりあげあげていません。
    
この石段を見て、ちょいと怯みましたけど・・。丘の高さからしてコレはほんの序の口
であろうことは間違いナイ。

ま、ここまで来たからにゃ、なりゆきじょう仕方ないやね。途中の山門で一休み。
  

 

 

    
やはり、社は一人静かに参拝するもんだ、と再確認。常日頃、神殿に向かって
手を合わすこともないヤカラが、なぁにがパワースポットで力を貰うダ。

おっと、いけません、ヒネクレ爺にまた変身しちまうトコでした。(もう手遅れかも)





   
だ、そうです

   

サテ、ボチボチ相方の催事も終わるころだけでど、もう一箇所どうしても
観ておきたい場所があります。

それが「おさんの森」。近松や浄瑠璃に興味のないヒトなら、「ナニ、お産の森?
産婆(これも死語ですナ)が住んでいる森のこと?」なんて思ってしまうかも。

ここで話をすると長くなってしまうから今回は簡単に済ませますけど、京の大経師
の妻「おさん」と手代の茂兵衛の不倫疑惑を主題にしたお話です。

      

 

「おさんの森遺跡」には真新しい鳥居も建ってますけど、ワタクシ的には、このような鬱蒼とした藪の
ほうが「道ゆき」の花道にふさわしい気もするんですけどね。
     

おまけ。
  

  
なんだか伏見人形と相通ずるものを感じます。丹波地方は土師師の暮した土地ですから、その
辺りに共通点が見出せるかも知れません。

なんてまたいい加減なコト言ってますけど、いいんです、個人的ブログですから・・・・・。

 

 


 

 

  

 


20数年ぶりです。(伊那)

2012年09月29日 07時39分03秒 | 旅ゆけば

 ボチボチ投稿するつもりだったのに、ずい分間が空いてしまいましたナ。しばらく
京都に引き篭もってたけど、一昨日と昨日は久々に京都を離れて長野県へ。

長野といっても伊那市ですから、京都からすれば岐阜のちょいと先ほどの距離
ですけどね。この伊那には若かりし頃、何度か足を踏み入れたことがあります。

当時の勤め先の社長がこの地に別荘(山荘)を所有しておりました。社員たち
は年に何度か宴会用に利用していたのですが、私にすれば宝の持ち腐れ。

若手の男子社員を渓流釣教に入信させて、近辺の山河を釣り廻った思い出の
地であります。

      

 それはまぁ、おいといて。以来、高速で通過することはあったけど、すっかり縁の
切れた伊那市でしたが・・・・。

今回、新たな(この年でもまだ足掻いてマス)企画に向けて、協力いただく会社がこの
伊那市にあるのです。

20数年ぶりに訪れた伊那市です。とはいえ、駅前などの繁華街には行ったことなかった
んですけどね。だからどのような変化をとげていたのかは不明であります。

高遠方面は別として、コレといった観光スポットは駅周辺には見当たらないけど、出張
恒例の朝の散歩です。
    

   朝食ヌキの宿泊だったもんで、とりあえずコンビニを探したけど、駅周辺には
見当たらず・・・。確かにこの人通りでは採算とれんわナ・・・・・。
    

「本当に」って、強調するってことはウソもあるんだろうか?


    やっぱり何事も原点が大事ですよね。
   
この店も「ホント」を強調してますけど・・・・。

伊那では現在「ローメン」と「ソースカツ丼」に力を入れているようですが、爺にはいささか
重いものがあります。

昼食は相手先の社長さんが手打ち蕎麦屋に案内してくれたので、良かった・・・。しかも
蕎麦好きの社長ご推薦の店だったので、大満足。→「こやぶ 竹聾店

これは若者じゃなくても、ちょっこし惹かれるモンがあったけど。

打ち合わせも一応満足な結果で終了。途中で立ち寄った店で購入した「青唐生姜
味噌」。酒のアテとしては私にすれば若干甘い気もするけど、ご飯には合いますナ。
  

昨夜は「お揚げの焼いたん」に乗っけていただきましたが、オツなものでしたョ。

相方は相変わらず着物仕事で出張中。(行き先は聞いたけど忘れてしまったい。確か
中国地方だったと思うけど)。予定は日曜までだったけど、一日短くなったそうです。

台風のため、集客できないってことかも知れませんね。かなり強力なヤツらしいんで、
下手すりゃ帰れなくなるから、まぁ良かったのかも。

サテ、次の投稿はいつになるやら・・。ネタにしたいトコはあるんですけど、毎日の暮らし
に追われているのと、次の企画が重なりまして、思うようにまいりません。

ま、あと少し頑張れば先が見えてくるでしょう。  本当に?(笑

 


滋賀県 堅田

2012年02月11日 08時13分33秒 | 旅ゆけば

 ここしばらく、堅田で仕事中。堅田といっても滋賀近辺の人以外には馴染みの無い
地名ですよね。琵琶湖大橋の西側です。(これも近畿圏以外の人には分からないか)

私も琵琶湖大橋を渡るときに通過するだけで、じっくり散策をしたことは無かったんで
すけどね。この浮御堂も写真で見たことはあったけど、実物を目にしたのは初めてです。
  

かつては漁港や物流の要の港として栄えた町ですが、大橋ができて以来、忘れられた
かのように、ひそやかな趣の町となった、って感があります。
 

急速に人口が増え、そして減少していった町は「衰退」、という言葉が当てはまりますが、数百年
(いや、もっと昔か)かけて、歴史とともに寂れゆく町は「枯れた町」という感じがします。

こんなコトいうと住んでる人に怒られるか。でも、アタシャ好きなんですよね。人通りの少ない街角
に佇んで、目を瞑れば、かつて大勢の人たちが行きかった気配を感じるんですよね。

         

  

        

↓生首の実物が展示されているのではありません。(当たり前ですけど)
  

浮御堂以外にも歴史的な建造物もけっこう残されています。
  

  

しかし、私が惹かれるのはこのテの町並みです。
  
いったい何時の時代から展示されているのだろう?↑ 

↑呉服店だけど、着物はもう商っていない様子です。今でも営業を続けられているのは
学校関係の体操服などを納入しているから、なんでしょうか?

初めて訪れた町なんですけど、ミョーに懐かしさを感じられる地でした。


福知山城

2012年01月17日 21時46分50秒 | 旅ゆけば

 母親が入院、死去するまで数十年間、毎年墓参りに訪れていた福知山ですが、福知山城
には一度も登城したことはなかったんですよね。なんせ福知山の端っこでしたから、私市は。 


なんてリッパな太鼓橋・・・。息がきれます。

訪れなかった理由の一つに昭和に再建された、というのもあるんですけどね。



↓いきなり武将と遭遇。人形だと思ったら生身の人間でした。

この井戸は日本一の深さを誇るそうです。由良川まで通じているそうで深さは50メートル
もあるとか。↓

これは人形です。↓

天守閣から眺める由良川。↑

母方の先祖はこの城の家老だったそうですが、その子孫の私はこのアリサマ、申し訳ないでゴザル。


「わかば」の思い出。

2011年06月06日 08時45分20秒 | 旅ゆけば

高校一年の夏休みに鹿児島県の与論島に旅行したんですけどね。
まだホテルなんて施設もなくて、民宿泊まりの素朴な時代でした。

その話はさておき、バイトで貯めた小遣いも使い果たし、帰りの列車
ではポケットの中にあったのは数十円の小銭だけ・・・・。

まさしく、煙草銭もナシ。(高校一年生で煙草銭もあったもんじゃない
けど)。で、当時はまだ国鉄(JR)は禁煙じゃなかったんですよ。

向かいの席に座ったおっちゃんが、美味そうに煙草を吹かすんですわ。
別に物ほしそうな顔はしてなかったとは思うんですけどね・・・・。

まさか、ワタクシが高校生とは思わなかったんでしょうね、見た目は
ちょっと怖そうなおっちゃんが、「にいさん、一本吸うかい」と差出て
くれたのが「わかば」でした。

その「わかば」の味が忘れられず、しばらくはそればかり吸ってた時期
がありましたねぇ。(まだ高一だったけど)

今回の震災で、マイ煙草が入手できなかったおかげ(ってのも変です
けど)で、いろんな懐かしい煙草と再会することができました。

こんなときでもなけりゃ、すっかり忘れさってた思い出です。

 


されど足利。

2010年12月06日 21時56分39秒 | 旅ゆけば
もう京都に帰っていることだし、今さら足利でもないんですけどね。足利市はかつて養蚕や
織物で繁栄した街です。路地にたたずむ建物たちも往時をしのばせているんですね。

               これは繁栄とは関係ないけど、織姫カラクリ時計。↓
 
↑なんと瓦屋根葺きのパチンコ屋。当然?営業はされていません。

       
↑店で使いたいグラスもあったけど、持ち帰るのが大変だし、今回は断念。

織姫神社。時間があったら参拝したかったんですけど。歴史は古いけど拝殿は近年修復されたそうです。↓
 
↑「路地と廃屋」のカテゴリーに登録したい物件。蔦が大木化しつつあります。

↓まず、この窓枠をリフォームしなさい!かなり赤サビがきてます。
      
街中には多くの土蔵が残されています。これなんかは土蔵本来の使用法、質屋の土蔵↑
↓こちらは居酒屋に再利用。 中華料理屋には見えない中華屋。ワタクシ好みのファサードです。↓
 

歴史のある街にもいろんな表情があります。街が興った時代や、成長の過程によって様々
なんですけど、また、その街が衰退していく退化のスピードにも差異があります。

イッキに工業化が進み、そして急激にゴーストタウン化した街もあれば、静かに風化していく
街も。この足利市駅周辺は後者にあたるようです。こんなコトいうと叱られるかも知れない
けど、私にはそう感じられましたね。好きな街がまた一つ増えました、今回の足利旅行?