秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

今に繋がる

2006年05月31日 08時14分23秒 | Weblog
以前少し触れた、祖母の話です。

祖母の母(実の母ではなく、養母)は島原で芸鼓さんに踊りを教えて
糧を得ていたそうです。

祖母を跡継ぎにしようと目論んでいたかどうかはともかく
(多分、祖父と結婚した当初、家事がほとんど出来なかったということは、そのつもりだったかもしれませんな。)

ところが、祖母の家に下宿していた三人の男性の一人(即ち祖父)と
一緒になってしまったワケ。

祖母に言わすと一番カスをひいてしまった、とのこと。

その「カス」の血を引くのが、このワタクシ。・・・。

それはともかく、幕末から維新にかけての島原遊郭は、新選組
ご贔屓の遊里、養母がまだ現役で座敷にでていたかは不明ですが、近藤や土方とも
面識はあったかも?

余談ですが友人の祖母(か、その母かは忘れたけど)坂本竜馬が襲撃された直後、現場で、叫び声を聞いたそうです。小説などでは暗殺者はほとんど声をあげることも無く、迅速に現場を立ち去ったらしいけど、事実は不明です。

話戻って、そんな祖母ですから、ワタクシも幼少の頃、みやこ踊りなどに
よく連れていかれたもんです。

はっきりいって幼稚園のガキが見て楽しいもんではありません。(女の子なら
いざ知らず)

帰りになにか食べさせて貰えるのを楽しみに、じっと我慢のコでした。

祖母がもし生きていたら、「ほれ見なさい、今のあんたの仕事に役だったでしょうが」なんてこという言うかもしれませんが、はっきりいって何一つ覚えておりません。帰り道、レストラン(食堂みたいな店ですが)で生まれてはじめて生卵入り
カレーをみて、感動したことは覚えているのですが。

新選組といえば我らの世代は大河では無く、「燃えよ剣」です。

土方歳三役の栗塚旭さん、渋くて良かったですね。(沖田役の島田さん、史実では
ちょっとヒラメ似、というコトらしく、適役だったかも。今は刑事ドラマでちょっと気弱な課長さん役で出演されてますね。)

学生時代、友人が栗塚さん経営の若王子、という喫茶店へ(哲学の道に今でも
あるのかな)でかけた折は大変親切にしていただいたそうです。(若い男だけ
に親切なワケではありません・・・。)

そのあたりのコトはまぁ良しとしておきましょう。(先日NHKの映画紹介のとき、それらしい発言はしておられましたが、久びさに見た栗塚さん、ようやく
土方から離れて、アクの抜けた役者さんになっておられました。)

エラソウナこと言ってすんません。でも今の栗塚さんも素敵です、ほんま。

しかし不思議に思うのはあの当時すでにお店をしておられたハズなのに
ナゼ川原町今出川の喫茶店によく来られていたんでしょう。ま、いいけどね。

映画と歴史の話はまた折々していきたいですな。(酒と温泉も)

とにかく、歴史にしろ、着物にしろ、先人から引き継がれ、語り継がれていくもんですが、後世に恥ぬ、なんて肩肘はらず、楽しく生きましょう。(無理やりな終わりかたもするが・・・・。)




海毛虫

2006年05月30日 20時28分46秒 | Weblog
このあいだ若狭に釣行した折、釣り上げた海毛虫の写真アップしようと
思いましたが、あまりのオゾマシサに断念いたしました。

十年程前には余り見かけなかった生き物ですが、近年よく釣り針にかかります。

海の生態系が変化してきているのか、若狭だけの現象なのかは分かりません。

正式な学名は知りませんが、形体は地上の毛虫を大きめに平たくした
形と思っていただければ・・・・・。

アップしなかった理由をお分かりいただけるかと。

地球上には、まだまだ不思議な生き物が生息しておりますね。

海の不思議な生物といえば、あの「クラゲ」も変なヤツですな。

時々「あんたは何を考えながらその海を漂っておられるのですか?」
と、問いかけてみたくなります。

ミュージシャンのゴンチチ(ゴンの方かチチの方か忘れたけど)、クラゲ
を部屋で飼育しようと、ずいぶん苦労したそうです。

確かに照明を消した部屋で、ゆらゆら漂うクラゲを見ていたい気もしますが、
やはり水槽では長生きしないそうです。(クラゲの平均寿命ってどの位なんだ?)

ワタクシもクラゲの容姿は好み(頬ずりしたいほどでは無いケド)
なもんで、クラゲ柄の着物でも創ってみようかな。

だれも買わんわな・・・・。


温泉に入る

2006年05月29日 07時59分00秒 | 湯ったり温泉話。
昨日は久しぶりに壬生の「やまとの湯」に行ってきました。

このあたりは染め関係の工場が割合多くある所で、ここも以前はそうだったハズ。

温泉と言っても、沸し湯ですけどね。

全国津々浦々でかけて、時間がゆるせば必ず入浴せねば気がすまぬ性癖です。

あまり「掛け流し」がどうのとか、といったこだわりはありません。
こだわるのは、外で風呂に入るときは、手ぬぐい一本、バスタオルは持たない
、つうくらいですな。(別に深い意味は無いのですが)

それぞれ各地にいろんな思い出がありますが、今日は熊本は人吉のお話。

仕事で役一週間ほど滞在しまして、毎日周辺を散歩しながら、銭湯(温泉)巡り
をいたしておりました。

温泉地とはいえ、観光地ではなく、湯治場といった感じです。

時の流れと、季節的なこともあり、遠方からの客は見当たらず、ご近所
の方ばかりが入湯客でしたが、排他的な雰囲気はありません。

頭を洗うシャワーすら無いシンプルでコジンマリした良い銭湯でした。
湯船につかり、開け放った窓から見える緑は心も癒してくれました。

癒されたのはそれだけではありません。

銭湯の生き帰りに出会う中高生が皆、「こんにちわ~」と挨拶していきます。
最初は人違いしているのか、と思いましたが、そういう習慣なんですな。

彼らにすれば当たり前のことなんですが、ワタクシ感動いたしました。

渋谷あたりにタムロしているガキどもを三年ほど強制疎開させたい・・・。
まあ、アホな親に十年以上飼育されたお子様には効き目は無いでしょうけど。

いかん、こういうコトいってるから爺化がますます進行していくのだ。

タワゴトはこれくらいにして、体にしっかり「湯のし」もかけたし、
一週間頑張らなくては・・・・。

着物のちから

2006年05月28日 06時57分54秒 | 着物話
ジャワ島でM6.3の地震が報じられています。

地震で思い出すのがやはり阪神淡路大震災。

先日の催事でADさんとの会話でもその話が出ましてな。

震災後、半年ほどして、神戸で着物の展示会があったそうです。

まだ建物も復興していない時期に、はたしてお客様がみえるのか?とADさん
たちも心配していたそうですが、フタを開けると大盛況。

そんな時期に着物なんて、と考えてしまうようではまだ甘い!(ワタクシもそうですが・・・・)

用意していた成人式の振袖や、大切に保管していた着物がすべてダメになり、
新たに購入された方が大勢いらしたそうな。

口では着物は日本の伝統文化です、心のよりどころです。と、言っている
ワタクシでさえ、いくらなんでも、あの時期に展示会は????

そのことの是非はともかくとして、一人のお客さんがおっしゃた言葉(ADさんから聞いたんですけどね)が印象的でした。

「家もなぁんもかんも全部無くして仮設住まい。せめて黒留でも部屋に飾っと
かんと元気でんわ」

ちょうど、震災の直後のダメージから少しだけ立ち直りかけていた時でも
あるでしょうが、(保障の件でも先行きが見えてきたこともあったかも)
きものが持つ力って、あるんだと再認識いたしました。

ワタクシも催事の現場で、何度もお客さんから似た話を聞かされました。

「あなたのきものを着ることで、何だか元気が貰えた気がする・・・・。」

涙がでそうな一言ですが、そんな時「その一言で自分も元気が貰えました、
今日は元気のやり取りができて、ほんま、嬉しいです」とお答えしていますが、
正直な気持ちでもあり、もっともっと良い作品を創らねばと、気も引き締めて
います。

ジャワの被害者は三千人を越えそうです。迅速な救助活動で一人でも多くの
人が救済される事を祈って、本日のブログは終了です。

朝からホラーもなんですが・・・。

2006年05月27日 10時16分05秒 | 秀明百話
昨日ちょっと書きかけたお話、「この世のモノで無い」ものの続きです。

前もって言っておきますが別にワタクシ、オカルトマニアでは無いし、変な宗教にもはまっていません。

あれはワタクシが中学生の頃の話です。

当時市内から郊外のN市に越して2年ほど経た頃でした・・・。

我が家で頻繁に不思議な現象が現れるようになったのです。

たとえば、夜中に誰も居ない炊事場で水道の水を流す音が聞こえる。
(これは母親が何度も聞いております。)

ワタクシは二階の部屋ですが、寝ていると階段を上ってくる足音が
枕元まできて、ぱったり止まる。もちろん誰もおりません。

ある夜などは、ワタクシの部屋と兄の部屋を仕切る壁をドンドン叩く
音がして、てっきり兄の悪戯だと思い、隣の部屋に怒鳴りこむと、誰も居ない。

極めつけは、ある夜、兄が夜中に金縛りに会い、掛けていた布団を何者かに
足元まで、ズボット引き下げられたのです。

目だけは開くことができ、天井を見ると、なんとそこに見知らぬ男が張り付く
ように寝ていたそうです。

必死の思いで金縛りを解き(解けたのか)、今見た現象は、きっと夢なんだ
と自身に言い聞かせ、階下のトイレに入ると、トイレの窓にその男の顔が・・・。

日ごろ、弟の前では決して弱みを見せぬ彼が、真っ青な顔で唇を震わせ
母親とワタクシを起こして、語っていたものでした。

そしていよいよワタクシの番がやってまいりました。

昔から働きモノ?のワタクシ、当時新聞少年でありました。

夕刊だけのコズカイ稼ぎでしたが、一日も休まず懸命に働いていたものです。

あれは金木犀の香りがしていた頃、朝からの雨が止まず鬱陶しい日でした。

家から販売所に向かおうと、靴の紐を結びますが、何故か旨くいきません。
なんだか事故にでもあうんじゃないか、と嫌な予感がしましたが、
まさか気分が優れないくらいで配達を休む訳にいきません。(当時は、いや、今
もです?が仕事に対して責任感を持っておりました。)

しのつく雨の中、カッパ着用でその日の配達が始まりました・・。

まず、最初にオカシイと思ったのは、ワタクシに吼えつくのが唯一の楽しみ
ではないか、と思うほどのバカ犬がいたのですが、そいつがナゼか怯えたように犬小屋の奥に引きこもっています。

これはホントにヤバイぞ、と慎重に自転車で配達を続けていましたが・・・。

場所は隣街のM市、競輪場に繋がるその道は、さほど広くない割りには
交通量の多い道路です。

ところが夕方というのに車どころか人っ子一人みあたりません。
まるでエアポケットに入ったようでした。

その道を渡ろうとして道路の向こう側に目をやった時、”それ”がおりました。

年の頃は分かりません。若くはなかったと思いますが、
一人の女性が道路を挟んだ向かいを歩いています。赤い傘が印象に強く残って
います。しかし、歩いている、というより、水平に移動しているようにしか見え
なかったのが、今でも不思議に思われます。

しかも、前に進んでいるのに、首は90度こちらに向けています。
見たくは無いけど、目はその女性の顔を捉えてしまったのです。彼女の目は

両目とも「真っ白」でした・・・・。そう、魚の死んだ目です。

一瞬放心状態で固まっていたかもしれません。時間にすれば数十秒のことでしょう。そいつは、ほんとうにゆっくりカドをまがって視線から消えました。

恐怖というより、何か理不尽な怒りがこみ上げ、すぐにそいつが消えた脇道を
自転車で追いかけましたが、当然のように煙のように消えておりました。

家で起こっていた現象とは直接関わりは無いと、今でも思いますが、不思議なこと
が続いた年でした。

食物によっておこる集団ヒステリ-的幻覚では無いハズです。
(山に生えていたキノコを家族で食べたこともありません)

今なら新建材による幻覚なども考えられますが、新築とはいえ、3年ほどは
経過しており、まして母親の弟の大工に建ててもらった建造物、変な資材は
使用しておりません。

それからも、ときおり怪奇現象は現れましたが、母親は男勝りの看護婦長、
あとはもと海軍士官の親父、図体のでかい息子二人の家族では脅かしガイが
ないと諦めたのか、自然消滅いたしました。

自分で経験したからいえるのですが、科学で実証されないものは頭から
信じないといったり、逆に大騒ぎしたりせず、そんなコトもあるかもね?
というスタンスで良いと思うのですが。

勝手に個人情報が飛び回っている世界のほうが怖いですよね。

今日はきものの話から脱線したけど、何事にも余裕をもって生きたいもんです。
(余裕持ちすぎじゃ~、とっとと仕事にかからんかい、てな声が聞こえてきそう)

今思い出した。

二年ほど前、昨日と同じく夜中の三時すぎに久多を超えた山中で、オカシな
ものを見たぞ。

廻りはな~んにもない真っ暗な道路脇にビーチパラソルを立てて座りこんでいる
アッベック(に、見えたが二人連れは確か)を見かけたな。

近くに車も無かったし、第一なんで人気の無い山中でビーチパラソルだ?

まあ、福井に抜ける国道で事故も多いトコだから、そんなコトもありか・・・。







トンビが海老フライを・・・・・・。

2006年05月26日 20時44分36秒 | 旅ゆけば
今日は大阪で催事の予定でしたが、集客の関係でキャンセル・・・。

仕事は沢山あるけど、これ幸いと三時前に起き出して日本海へ。

我が家から、大原三千院まで夜中なら約15分、そこから日本海まで一時間も
あれば辿り着くもので、つい鯖街道をひた走り。

さすがに夜中の三時過ぎ、対向車もほとんどありません。

野生の鹿に出会えるのは早起きの特権。(今日は三頭見かけました)

だだし、ヘッドライト以外は明かりはな~んにも無いから、気の小さい人や
変なものが見える人はおよしになったほうがよろしいかと・・・。

ワタクシは近頃変なものを見るコトも無いので楽勝ですが。
変なモノというのは当然「この世に居るはずの無い」ものです。

自分自身の経験があるので、変なモノを否定はいたしません。
この話は長くなるので明日のブログに書き込みますが、(余り夜にはしたく無い)
苦手な人は明日のブログは見ないでください。

それはともかく、日本海は若狭大島に到着したのは4時30分。
一日ボンヤリ太公望でした。(釣果は聞かないでくだされ)

お昼の弁当、エビフライの尻尾を何時ものように海猫にあげようと、ポイと
捨てると、トンビが浚っていきました。

海にボンヤリ浮かんで(ウミネコからすると別にボンヤリしている訳では無い
と思うけど)いるのと、常に動体視力をフルに活用しているトンビとは
勝負にならないのは当たり前かも。

トンビに油揚げ(エビフライだけど)を目のあたりに致しました。



初夏ですな。

2006年05月25日 13時33分03秒 | 着物話
こんなええ天気の日は南の島で、ぼ~っとしていたいもんです。

一昨年、去年と奄美に出向きましてな。

以前から訪ねてみたかった「一村美術館」、たった一人の貸切状態
で贅沢な鑑賞ができました。

夜の居酒屋で子供の頃、峠を歩いている一村を見かけた、
というママの話も聞けました。

当時は余り知られていない画家のはずでしたが、父親にあの人が
そうだと教えられたそうです。別の意味で有名だったのでしょうか?

仕事を終えて、レンタカーで大浜海岸へ行き、東シナ海に沈む夕日
を見たときは息を呑む思いでした。

そのとき思ったのは、まだまだ「一村」は描きのこしたモチーフが、この島には
たくさん残っていたんだろうな、というコト。

一村風の柄の大島も展示会場でみかけたことはあるけど、自分には
何も伝わってこなかったのは当然といえば当然。

命を削って一筆一筆描かれた作品にはとてもかないまへん。

自分にはとてもマネできない生き様ですが、老後は南の島で暮らすのも
良いかも、と思う今日この頃です。

南の島といえばハブを思い出しますが、この前大島出身の担当者に
話を聞きましたが、近頃では血清が完備されており、亡くなる人はマレとか。

ちなみに「ハブとマングースの対決ショー」は動物愛護協会か何かの
抗議により禁止されたそうです。

老後に、といっても仕事がないでしょうな。

やたらパチンコ屋が多いのも、大島紬の需要が減り、機織りのおばちゃん
たちが通うようになったから、らしいです。

ほんまに、このまま行くと伝統産業は滅びてしまうで。

そうはさせじと、ささやかながら頑張っていきますんで、皆様もきものを
着てくだされ~!



昨夜の店

2006年05月24日 07時57分04秒 | グルメなのか?
昨夕は久しぶりに梅小路の「ん」で夕食。

この店、オープンの頃は結構込んでいましたが、近頃は穴場的な店になってます。

と、いうのも立地条件が営利を無視して選んだのではないか、と思う
くらい分かりにくい・・・・。

その分、店内の広い空間や、周辺の雰囲気は贅沢そのもの。

たとえば築山風の庭園など、ちょっと市内とはおもえぬ風情です。
料理も他の「ん」とは違い、すこし洋風ですが、値はさほど高くないです。

場所はJR丹波口駅の近く、SL館を目印にすれば良いでしょう。

このあたり、昔は蒸気機関車用の石炭が山積みされておりました。
幼稚園のころ、石炭山に登り、職員によく叱られたもんです。
(家に帰ると靴下が真っ黒で、さらにもう一度母に叱られます。)

近頃京都でも町屋を再利用した店が流行っています。それも良しですが、
たまにはゆったり、緑を眺めて食事もいいかも。

因みに店内は友人の藤村君がデザインしたものです。

新選組ゆかりの島原遊郭も近いので、観光の折にでもいかがでしょう。

昼もたしか営業していたと思うけど、私は夜しか行きませんので
詳しくは分かりませんが・・・・。

あまり人には教えたくない店だけど、このブログはそんなに見ている
人いないし、ま、いいか。

昨日のお奨めの一品、タラバの出し巻き美味でございました・・・。

こんなんもできました。

2006年05月23日 09時39分58秒 | 着物話
雨ですな・・・・。

気分転換に新作のTシャツでもごらんください。

手描きとプリントの違いは、風合いはもちろんですが、
肩口から背中にかけて柄が続くことです。

コストの関係で「あいくち」で柄合わせは手描きでないと無理なのです。

ほんとは6月から発表する、きものの柄もお見せしたいけど、
6月1日のプレゼンが済むまでは辛抱です。

しかし他の作家やADさんの話を聞くと、今年の業界はかなり厳しくなってます。

景気は復活しているなんて話ほんまかいな?

やはり愛染蔵の悪い噂が影響しているのかも。

たぶん、祇園祭の催事あたりで答えがでるんでしょうな。

しかし、後ろばかり見ていては前には進めまへん。アンテナをしっかり立てて、
頑張っていかないとね。

たまの休み、釣りでも行きたいトコだけど、今日は柄の資料集めの
日にいたします。

無事帰還

2006年05月22日 08時43分42秒 | 着物話
新快速で約1時間半の道のりでは、出張というほどでは無いのですが。

ま、ともかく帰ってまいりました。

呉服業界も年々厳しさを増してきて、近距離の場合通い(通勤)
で、というパターンも増えてまいりました。

今回は交通費と宿泊費がほぼ同じ位(大きな販売店はホテルと年間契約して
います)のおかげで通勤は免れましたが。

着付けの先生など、ラッシュ時にきもの姿で車両に乗ると
アホなサラリーマンから「こんな時間にきものでのるな!」と
怒鳴られたこともあるそうな。

きもので仕事、という思考回路が奴らには無いようです。

たぶん岩下志麻みたいな女性が着物姿で乗りこんできたら
そんな言葉は吐けないくせに・・・・。
(岩下志麻がそんな時間に電車に乗るワケないけどね)

ADさんの中には自腹でホテルに泊まる人もいるらしいけど、
そうなるとほとんど稼ぎにはなりません。

AD(着付け師)の人達は職業として割り切って仕事をこなして
いる方もいますが、ほとんどきものすきが高じてADになった人が多いようです。

さがに女性だけの(しかも旧態依然)の世界、まるで大奥を見るよう・・・・。

これ以上書くと業務に差し障りが出ますので、控えさせていただきます。

販売の現場でも前に出るADさんと、作家をたてて控える方と別れます。
時として軋轢を生む場合もあります。

自分はクラゲのような性格(どんな?)ですから、ときに応じて
適当に合わさせていただいておりますが。

ADも作家もプロですから、お互い気が合わなくても現場ではそんな
そぶりはお客様には、けどられるコトは無いのですが、
長い催事だとお互い疲労は倍増するみたいですな。

接客、販売店の方への気使い、などなど、本来きもの創りに必要の
無かったものですが、これも時代です。

そしてまた、次の時代がやってくるのでしょう。

枠場(きものを彩色するトコ)にじっと座って仕事をしていたら、
いつのまにかおいてけぼり。

厳しいけど、面白い時だと自分は思ってます。
でも催事中に通風だけはカンベンしてください。(ソラマメ食べよ。)