秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

花しん。(山科)

2011年09月30日 14時47分09秒 | グルメなのか?

 店の常連だったT社長が仕事中にスレート屋根を踏み抜いて緊急入院
してから一月以上が経ちました。工場の屋根だからかなりの高さです。

すぐに見舞いに行っても、対応も出来ないだろうし、その後は大勢の人たちが
押しかけると思って、しばらくは遠慮していたんです。(店の事情もあったし)

落ちたのは右京区ですが、その区内の病院では対処できず、救急車で運ば
れたのは山科の音羽病院。(当初はかなり危険な状態だったんですナ)

三階位の高さから落下したそうで、着地した瞬間、体内で「ジュッワ」っという
音がしたそうです。これは血液が体内で噴出した音だとか・・。こ、怖いゾ!

受付で部屋を訊ねて3階に上がったところで、ちょうど車椅子に乗せられた
社長とばったり遭遇。昨日からようやくベッドから離れることができたとか。

ちょっとだけスリム(とはいえ、一般人よりは太いゾ)になったようです。

それはともかく。以前から相方が山科に気になる店がある、と言われて
いたので、ついでに昼食はその店でとることにあいなりました。

なんと、この店は営業時間が午前11時から午後3時までのみ。それだけ昼
に集客がある、ってことですナ。

確かに、2時半に入店したけど、店内は7割方の着席率。ということは昼食の
時間帯はかなり待たなくてはいけないと思えます。

人気の原因の一つは、このセットメニューの組み合わせにあるようです。これ
は一部ですが、まだ多種の組み合わせがあります。

私はシンプルにカレー蕎麦のセット、900円を選択。↓

相方はザルと鉄火巻きのセット、950円。↓

蕎麦は手打ちではありません。私たちにはもう少し硬めの茹で方がよいんです
けど、女性や年配者にはこれくらいが良いのかも知れませんナ。

そういえば、店内はほとんど女性客でしたね。これは男性は仕事の関係上、
昼食時間が限られているせいもあるでしょうけどね。

山科区「花しん

 


帰ってきたデジカメ。

2011年09月29日 08時19分50秒 | Weblog

 日常生活が急変したこともありますが、しばらく投稿していなかった理由の
一つにデジカメの紛失がございまして。

河原町に出かける用事があって、ついでに2,3箇所散策するつもりでバッグ
にカメラを入れておいたんですよね。

バスを降りてバッグの中身を確認したら、カメラがナイ。あ、入れたつもりが
部屋に忘れてきたんだ、とその時は思ったんです。

で、部屋に帰って探したけど見つからない。もしかしてバス停に向かうまでに
落としてしまったのか?いや、自慢じゃないけど我がデジカメはかなり旧式。

今時のタイプじゃありませんから、煙草の箱くらいの大きさです。いくらボケ
気味の私でもそんなのを落とした音を聞き逃すとは思えない・・・。

では、考えられるのはバスの車中しかない。で、交通局に連絡を入れたら、
ありましたね。どうやら文庫本を取り出したときに、落としたようです。

実は電話をする前に思ったんですけど。ずいぶん古い機種だし、性能も
かなり衰えてきているから、買い替え時かも?なんてね。

でもあのカメラ、長いこと一緒にアチコチ旅したよなぁ。このまま行方不明
ではなんだか申し訳ない。電話して届けがなかったらあきらめますか。

と、いうことで無事、手元に戻ってきたわけであります。

これからまだしばらくはコイツとお付き合いが続きそうです。(多分壊れるま
で使用しそうです)

それで、復帰して撮ったのがコレかい!昨夕、ガレージから部屋に戻る途中
の風景ですけど、道行く人は不思議に思ったでしょうナ。
       

なぁんでもない場所で、暗闇でカメラを構えているオヤジ・・。なんだかアブナイ
ヒトに見えたかも?

 


島左近の墓。

2011年09月24日 15時33分11秒 | 京都非観光迷所案内

 本日は次の仕事の打ち合わせのため、西陣の静宥寺境内で待ち合わせ。約束の
時間より30分以上早く到着したもんで、界隈を少し探索してみました。

小さな寺が散在している路地を歩いていて、フト目にとまったのが「島左近の墓」と
記された石塔。ん?左近さんは確か関が原で討ち死にしたはずでは?

なぜに、このような場所に墓があるんだ?ご存知の方も多いと思いますが、西陣一帯
法華宗徒の街と言っても過言ではありません。(以前、ちょっとお話しましたね)

加藤清正も熱烈な法華宗徒でしたから、左近さんもその宗徒だったからこの寺に墓が
あるんだろうか?なんてコトを思いつつ墓所へ足を踏み入れてみました。
        

(資料を後で調べてみたら、左近さんは関が原から落ち延びて京の町に潜伏した後、この
地で没した、とあります。その真偽はともかく、アタシャこの墓は今まで知りませんでしたネ)

墓の存在を示す小さな石塔に導かれ、墓前にたどりつきました。実は入り口正面に見えた
古い石塔と間違えてしまったんですけどね、最初は・・。

何となく、コチラのほうが墓所全体を見渡すような位置にありましたから。↑

実際は途中で左に折れた奥に位置していたのですが、周りの墓とさして違いもないもんで、
見落としていたのです。

これがあの黒田家や、徳川家康を恐れさせた猛将の墓?ちょいと拍子抜けする気もしたけど、
関が原の戦いの後、隠棲者として暮らしていたという話ですから、うなずけるモノもありますナ。

なんだか、頭?に巻かれた針金が痛々しい気が・・・。↓
        

墓所で一匹の野良猫を見かけました。私がお参りを済ませると、そいつは「墓だけ参って本堂を
参詣しないのは片手落ちだニャ」とは言ってないけど、路地を挟んだ立本寺へ案内してくれました。

なるほど、立て札にも書かれていますナ。↓

 

この若干、荒れ果てた雰囲気、もしかしたらワタクシ好みかも?

 

        

↑鐘はナイけど、鐘ツキ堂。鳩の家になっていました。

猫?ですよね、コレ。猫の何に注意したらよいんだ?まさか野生の豹がうろついているとか・・?

        

もう少し近辺を散策したかったけど、約束の時間がきたもんで、本日はここまでで終了。西陣界隈
には多くの寺がありますが、ほとんど未公開の寺です。でも観光地化されていないホントの京の息
遣いを感じてみたければ、静かに散策してみるのも良いかも知れませんね。

    立本寺

 


台風も通過して。

2011年09月21日 16時02分07秒 | Weblog

 京都は昼すぎに台風が通りすぎていった様子です。というか今回は台風というより普段
より長めに大雨が降った感じですね、京都市内の場合。

大地震や風水害の被害も少ない京都はさすが王城の地、四神に守られた都、なんてこと
言う人もいるけど、そんなコト言ってると今に酷い目に会うんじゃないか、と心配してます。

とうぜん、長い歴史の中では大地震で大きな被害を受けたり、火災や戦災(二次大戦と違い
ますよ~)水害で壊滅状態に陥ったことは何度かあるんですけどね。

たとえば鴨川の近くで、法の名がつく寺が多いのは三水偏(水)が去るように願ったからだ、
というお話もあります。傲慢不遜の法皇ですら頭を悩ましたほどですからね。

しかし、、五重の塔を眺めつつ思うんですけど、よくまあ、アレだけ古い建造物が地震や台風
で倒れもせず残っているもんだ、と・・。(落雷による火災は別として)

それは五重の塔を構成する1000ほどの木造の各部材が、原則的に釘やボルトを使用せず、
ただ差し込んだりはめ込んだりする、柔構造であるからだ、と、ものの本には書かれております。

脳みそだけが柔構造のワタクシには分かったような分からんような話ですが、驚くのは設計書
もなしに、あの塔を造りあげた先人の技術です。

いわば、勘と経験で千年以上(現在の五重の塔は1644年建立)絶えられる建築物を造りあげ
たのは、棟梁の采配もありますが、それを組あげた大工の技術です。

そしてその職人の求める素材を丹念に造りだすことのできた職人のワザがあってこそ、です。

今は家も工場で組み立てられて、運ばれてくる時代です。これって本当に技術の進歩といえる
んでしょうかね。今にカンナの使えない大工、なんて出てくるのかも知れませんナ。


手打ち蕎麦「吉水庵」

2011年09月18日 08時56分13秒 | グルメなのか?

 15日に店を閉めてから、ワタクシ浪人状態であります。浪人などとカッコつけてる
場合ではないんですけどね。生活保護受給者の一歩手前のプータロオヤジです。

一応、次の仕事の目処は付けたんですけど、ハタシテどうなることやら・・。友人知人
もいろいろ心配してくれて、ホント、ありがたいことです。

その友人の一人、N君と昨日、次の仕事に関する打ち合わせで面談。その話はとも
かく、彼の事務所は嵯峨野にあります。

新丸太町を西へと車を走らせていた途中、目についたのが、この手打ち蕎麦の看板。
アレ、こんなトコに蕎麦屋があったっけ?と思ったけど、約束の時間が迫っていたから
とりあえず通過して、彼の事務所でシバシ打ち合わせを済ませたのが午後2時過ぎ。

詳しい話はまた後日、ということで遅めの昼食となりました。で、彼いわく「ナニ食べ
ます?麺類で良かったら蕎麦なんかどうです?」

と、案内されたのが先ほどのお店でした。この「吉水庵」という名はどこかで記憶の
片隅にひっかかるモノがあったんですよね。

あとで調べたら、山形県にある蕎麦屋の有名店でした。昨日はそこまで分からなかった
から、繋がりは聞きそびれたんですけど・・・。

しかし、書きなぐったような看板といい、天井はダクト丸出しのコンクリート打ちっぱなし
、壁は金属スレート。手打ち蕎麦屋の概念からは逸脱してます。

蕎麦は手打ちと、定食用の既成蕎麦があるようです。当然、ワタクシは手打ち蕎麦を
注文。オーダーしたのは「おろしぶっかけ蕎麦」800円。

N君はザル、800円。値段がなんで同じなんだろう?と思ったら、ザルはトロロ付き
でした。

ぶっかけの大根はかなり辛くて、ワタクシ好みでしたネ。蕎麦に関してはウンチクを
語れるほどの舌ではないけど、おいしゅうございました。

店主と奥さん(多分)の年齢は、おそらくワタクシと同年代だと思えます。私は飲食関係
からは当分遠のきますけど、頑張って継続できるよう祈ってます。 


京友禅。

2011年09月17日 20時04分19秒 | グルメなのか?

 相方は昨日から着物仕事で出張中です。一昨日に「ハマちゃん」のファイナル
パーティを済ませて、その翌日からの催事、苦労をかけます、ゴメリンコ・・・・。

それはさておき、今までならワタクシの夕食は店の賄い的食材で済ませていた
けど、昨日からはそうもいきません。

昨夜はスーパーの惣菜を3品ほど購入して済ませたけど、爺化した胃にはその
一品の量が重い!(残りは朝食になりましたけどね。)

で、今宵はどうするべ?と、シバシ思案橋ブルース。(ここは若い人はサラッと流し
といてください。)

そこでフト思いだしたのが西京極にある「京友禅」。と、いっても染物屋ではありません。
テイクアウトの総菜屋です。オープンしてからまだ一年も経たないお店です。

なんで総菜屋が京友禅という名であるか?これは元が「友禅弁当」の仕出屋なの
です。これでは答えになっていませんナ。

かつて(と、言うのはなんだか悲しいけど)京都には染色関係の工場や工房が数多く
ありました。昼食は小さな工場などは各自の弁当や工場の賄いで済ませていました。

しかし、ある程度の規模を持った工場などは、職人さんの生活援助の意味もあって
仕出弁当屋さんに依頼する必要性が生まれてきたのです。

そこで染色組合が母体となって生まれたのが「友禅弁当」なる仕出弁当屋です。

かくゆうワタクシも何年間か昼食は「友禅弁当」のお世話になっておりました。

その味(ほとんど覚えてないけど)と再会したくて夕刻西京極へ足を運びました。

これは和風詰合わせ「もくれん」。600円。十種類以上の惣菜が詰め合わされて
います。(450円~800円の詰め合わせがあります。ご飯は別)

こちらは煮込み高野豆腐。228円。

そして揚げだし豆腐生姜庵(そのまま)かけ100円。

スーパーや惣菜店で時折このテの商材を購入する機会がありますが、相対的
に私には甘味が強すぎて食べきれないんですよね。

左京区に住んでいたとき、何度か購入していた惣菜屋で、カレー肉ジャカを
買って食べたけど、頭痛が起きるほど甘くて閉口したことがありましたね。

しかし、この「京友禅」の惣菜、薄すぎず、甘すぎず・・・。馴染んだ味という事
もあるけど、ワタクシ好みであります。

それは京都の職人さんから「こんな甘いモン食えるかい!」とか、「こんな薄味
では体がもたへんでぇ」など言われて出来上がった味かも知れませんナ。

料理人からすると「食いもん」と「料理」は別物だそうです。食いもんは、たとえば
ハンバーガーのような空腹を満たすための食物。

コンビニの和風弁当なども、手が掛かっているように見えても、「食いもん」

この「京友禅」の惣菜はどちらかといえば、「料理」に近いのかも知れませんね。

余談ですけど、今宵の晩餐、5時を過ぎてから購入したもんで、すべて半額!
ワンコインでお釣りがきました・・・・。

 

 

 

 


カウントダウンやね~。

2011年09月10日 14時30分11秒 | ハマチャンネル

 いよいよ閉店まで5日となりました。8日は以前在職していた工房のメンバー
が集合。年に数度顔を会わす人もいますが、10年ぶり、なんて人もいましたね。
(正確には10年以上ですけど。音信不明だったI さんも奇跡的に参加してくれました。)

ん~、せめて毎日これくらい来店があったらなぁ・・・・。(グチッてもしょうがないやね。)
 

現在でも着物に関わっているのは図案家のGAZIさんひとり。これが現在の着物業界
の現状です。まぁ、早めに見切りをつけて正解だったかも知れませんけどね。
 

しかし、みんなあの頃と変ってないよなぁ。今度はいつ会えるか分からないけど、また
再会を果たしたいもんダ・・・・。

 

 


玉子巻き寿司。

2011年09月08日 13時19分57秒 | グルメなのか?

 

 常連客のS君が昨夕お土産に持ってきてくれた巻き寿司。具は卵焼きだけ
という珍しいシロモノです。それもそのはず正式なメニューには無い一品。

彼の経営している広告&設計事務所は大阪にあります。仕事が終わると近所
で一杯ひっかけた後、自宅に戻る前に店に顔をだしてくれます。

その大阪にいつも行く立ち食い寿司屋があるそうで、これは彼の我がまま
オリジナルメニューの一つだそうです。

しかし、さすが大阪ですナ。京都で立ち食い寿司ってのはあったっけ?少なくとも
ワタクシの知る範囲にはありません。

今みたいに回転寿司屋の無かった時代は、安い寿司、といえば裏寺でしたね。
とはいえ、私が成人するずっと前のお話です。20円寿司とか言ってたそうです。

店も数軒あったそうですが、そのうちの一軒を父親の兄、私からすると伯父夫婦
が任されていたことがあったそうです。

そういえば、めったにナイことだけど、一度だけ一家で新京極に映画を観に行った
帰りに立ち寄ったことがありましたナ。

でもあの頃は偏食家だったから、生魚なんて食べる気がしなかったから「カッパ巻き」
ばかり食べていた記憶があります。(なんて経済的なお子様だったんでしょう・・・。)

でも面白い伯父でしたなぁ。酒好き、というより酒癖が悪いもんで、酔っ払って客と喧嘩
ざたは、しょっちゅうだったそうです。

一度は包丁を持った客に追いかけまわされて、電柱に登って難を逃れたこともあった
そうです。寿司屋をやめたあとはナゼか地方銀行の案内係りを定年まで勤めていた
けど、鬼籍に入って、もう一昔以上たつんだ。(あの世では電柱に登ってないだろナ)

 

 


台湾坊主

2011年09月03日 12時24分30秒 | ハマチャンネル

店のほうは話が二転三転しましたが、一応今月の15日に閉店が決定。

それはともかく、本日の夕方に10名弱の予約が入っているんですよね。ところが
問題は「牛歩台風」。ちょうどそのあたりの時間に京都を通過しそうな気配・・・・。

一時に最終確認の連絡が入る予定なんですけど、サテ、どうなることやら。

そんなわけで、テレビの天気予報を見るとはなしにボンヤリながめていて、フト、
思い浮かんだ言葉が「台湾坊主」・・・・・・。

なんだか子供のころ耳にした気がしたんですが、確か台風か気象に関係した
言葉だったよなぁ。  で、相方に訪ねてみました。

「台湾坊主って知ってる?」

「えっ?ナニそれ?妖怪?台湾人の坊さん?」

そうか・・・。やはり私のアルチュハイマー的頭脳が生み出した妄想語だったのか。

いや、そんなことは無いハズ、と調べてみたら、ありましたョ「台湾坊主」

晩秋から初春にかけて、東シナ海や四国沖などで発生する南岸低気圧のことでした。

しかし、「台湾坊主」って言葉をすっかり忘れていた、ってことは最近の気象情報界では
死語になってしまったんでしょうか?

ところで、これも子供のころの話なんですけどね、我が家というか住んでいた区画が
「台風の目」に入ったことがあったんです。

今思うと、単に台風が過ぎ去ったあとの静寂さを勘違いしただけかも知れないんですけど・・。

でも吹き荒れていた風が急にシンっと静まって、空気、いや時間まで静止したような不思議
な世界でしたね、アレは・・・。