秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

チカゴロ気に入りの発泡酒。

2011年12月29日 08時26分51秒 | グルメなのか?

 「アタシャ、断然ビールより発泡酒が好き」、って人は少ないでしょうね。

今年も発泡酒の売り上げがダントツに伸びたそうです。これは経済的に
みてもヨロコバシイことではないと思いますけどね。

かくゆうワタクシも家飲みの一杯目は発泡酒です。相方がルスの場合は
いきなり焼酎のパターンも多いんですけどね。

以前なら「とりビー」なんて言葉もあったけど、今じゃ「とりハー」ってことに
なるんですかネ。なんだかブラックマヨネーズのギャグみたいですナ。

これだけ多種の発泡酒が発売されていると、やはりそれぞれ好みがでて
きますよね。私の場合はサントリーの「麦とホップ」が気に入りです。

今、限定で黒が発売されていますが、これもナカナカ好もしい。

ところが、最近コリャいけるんじゃないかえ?と思える発泡酒と出会いま
したョ。一般的に流通しているのかどうかは分からないんですけどね。
  
 
リカーマウンテンでみつけた「麦選り」。原産国は韓国で販売者は「セント
ハミエルワインアンドスピリッツ株式会社」(長い社名ですナァ・・・。)

色、味的には「ハーフ&ハーフ」って感じですかナ。発泡酒の欠点は渋味
というか苦味に欠ける点だと私は思えるんですが、この「麦選り」はその
マイナス面を補ったスグレモノ。(と、私個人は思えます。)

とりあえず、年末年始の「とりビー」、いや違った「とりハー」はこれでいきま
すか。(正月くらいはキリンラガーでもいいけど・・・。)

 


思い出のすき焼き。

2011年12月25日 09時57分12秒 | グルメなのか?

 ワタクシたちと同年代の男女に、子供のころの一番のご馳走(贅沢)は?と訊ねた場合
「すき焼き」と答える人はけっこう多い気がします。(地方差もあると思いますが)

今みたいにステーキや、寿司なんてのは手軽に口にできなかったし、外食の機会も少な
なかったから、家で食べるご馳走も選択肢はそんなになかったと思いますね。

経済的にも典型的公務員の家庭だったウチも月に一度(今思うと給料日だったんでしょうな)
程度すき焼きの日がありました。

とはいっても、今みたいに輸入肉も無かったから、国産牛の切り落としみたいな肉でしたけ
どね。スジっぽくて固い肉だったけど、それでもすき焼きは、すき焼きです。

その肉もおなか一杯食べられるほどの量はなかったよなぁ。まぁ食べ盛りのことですから、
当然ですけど。それでも両親は子供二人に肉を優先してくれていたと思います。

今でも裕福ではないけど、安い輸入肉が手に入るようになって、自宅で食べるすき焼きで
肉が足りないよ~ぅてことはなくなったけど、そうなったら今度は体が大量の肉を受付ない。

それなら上等のブランド牛を少量購入すりゃいいんですけどね。骨のズイからビンボー症だ
もんで・・・・。ま、焼き方だけ三嶋亭の雰囲気でまずはザラメと醤油のみで肉を頂きます。

そういえば、私たち兄弟が独立して、経済的にも余裕ができた母親は正月は必ず三嶋亭
の牛肉ですき焼きかしゃぶしゃぶと決めていましたな。

毎年大晦日にはワタクシが三嶋亭の肉を購入する役目で、寒空のなか、行列に並ばされて
いました。別にドコの肉でもええやん、と思いつつ・・・。

肉より糸蒟蒻や、麩のほうが好もしく思える今日この頃です。(でも少しは肉も必要ですけど)

そしてシメはオジヤ。ウドンってのもありますが、コテコテに汁をからめた飯がなんといっても
サイコーであります。

子供の頃はこれが翌日の朝食でしたから、眠りにつく前から翌朝の至福が約束されていた
んです。ああ、つくずくビンボーでシアワセでした・・・・・・。

 

 


六所神社

2011年12月23日 09時26分24秒 | 京都非観光迷所案内



山科区北花山にある六所神社。日本各地にあるそうですが、六所の意味は
諸説あるようですナ。(六の宮・録所・墓所)

神社の形態としては産土型がもっとも古く、次が勧進型、御霊型がそれに次ぐ
そうです。

この社は六神を奉祀していますが、日本の神社数ベストテンのうちの二社が祀られて
います。(八幡、春日。日吉は11位)


山科市内が一望できます。

     



現在では産土神社として地元の人たちに親しまれている様子です。とはいえ人影を
みることはほとんどありませんケド。



この社が最初から六柱を奉じていたのか、あとから合祀されて数が増えていったのかは
、ワタクシは分かりません。

時代により、その地の権力者が地域の神社と異なる神を中央の貴族や大寺社の荘園とさ
れた自領の守りとした例も多いようです。(知っておきたい日本の神様 角川ソフィア文庫)

もしかしたら御師(おし。伊勢の場合はおんし。)や先達たちが今の営業マンのように各地の
社を訪れて拡張されていった、と考えてみるのも面白いですナ。

「え~、まいど!御宅さんで今、祀ってはる春日さんもヨロシおますけど、ウチも霊験あらたか
でっせぇ。子孫繁栄、武運長久にもバッチリでんがな。一つ、考えてみてくれまへんか~?」

なんてことはないか。でも一神教と違い、一つの神を祀ることによって他神を排除する例が
少ないのは日本らしくてワタクシは好もしいコトだと思いますね。


餃子三人前

2011年12月22日 07時48分01秒 | グルメなのか?

 昨日の夕刻、相方から入ったメール「風邪ひいたのか体調がすぐれないので、
帰りに何か買ってきてちょ。できれば王将のカニ玉!」

ハイハイ、オッケーです。で、帰り道に王将に電話を入れてカニ玉&餃子を注文。
約20分後店に到着、お金を支払って帰宅。さぁ食べますか、と袋を開けたら・・・。

中身は餃子三人前・・・。お~いカニ玉はいずこへ。ま、これでもいいか?とも思った
けど、口が「カニ玉」になっているしなぁ・・・。

メンドーだけど西大路店に再ダイアル。「すいません~!ほかのお客さんの分でした、
すぐ作り直します!」。つうことでチャリンコに乗って再び王将へ。

二人前とカニ玉を交換しようとしたら、それはお詫びとしてお持ち帰り下さいとのコト。

写真は一人前(イッケ食べてますけど)、あとの二人前は翌日分。他にもオカズがあったし。

ワタクシ、20代の始めに「餃子十人前を食べきると無料」に挑戦して破れ去った男です。
(7人前でダウン。我がグループで成功したのは一人だけ)

今回は結果として二人前が無料になったわけですから、数十年後にリベンジを果たした、
ってことになりますか・・・。ならんか・・・。


元慶寺

2011年12月18日 18時52分52秒 | 京都非観光迷所案内

 渋谷街道で目にとまった元慶寺の案内看板。


寛和の変」で花山法皇が出家した寺です。

近辺は住宅が入り組んで建設されていますが、この先は別世界です。

花山法皇は藤原兼家の策略で出家してしまったり、藤原伊周・隆家たちから女性問題
の誤解によって矢をいかけられたりしています。

なんだか、気の毒、というか憎めないキャラだと思うワタクシであります。

 


讃岐の地ビール「さぬき」

2011年12月14日 07時50分20秒 | グルメなのか?

 地ビールブームってのも、ありましたナ。でも各地の地ビールを飲んでみたけど、大手メーカー
を超えるビールに出会ったことはありません。 

           

個人差があると思うんですけど、私的には酸味が強すぎる気がするんですよね。それと
透明感。ビールの色と泡で連想されるのはオ○シッコです。(ビロウな話ですんません)

地ビールのほとんどは、この透明感がナイ。味には関係ないと思うんですけど、見た目が
健康体のオ○ッコに見えまへん。

「なんだか、糖尿病患者のオシ○ッコ」みたいやなぁ」なんて言ったら相方に殴打されちまった。
(糖尿病患者のオ○ッコがどんな色なのかは知らないんですけどネ)

左は讃岐では珍しい素麺です。(まだ未食)


長~い石段「天神宮」

2011年12月13日 07時47分56秒 | 京都非観光迷所案内

 この伏見区小栗栖にある天神宮は地元の人でも参拝する人はマレでしょうね。
と、いうのはこの石段。観光神社以外で社に足を向けるのはお年寄りがほとんど。

これを登りきるにはかなりの体力が必要です。と、いうか足を滑らすと下りの石段
が冥土へのエスカレーターになっちゃいますからね。

  

由緒由縁はコチラ↓。なんだか分かったようでワカラナイ・・・。

口伝によると、なんて言われてもなぁ。いったい誰から誰へ伝わったものなのか?

天神宮、というのもなんだか安易すぎる命名だと思うんですけどネ。

鳥瞰図的に見ると古墳(円墳)のようにも見えますが、こんなに高い古墳はありえ
ないか・・。

 

 


寺?大乗寺。

2011年12月12日 07時12分11秒 | 京都非観光迷所案内

 
山科の大石街道を走行中、目にとまった大乗寺の案内板。迷所案内人でなければ見逃すところです。住宅街の中に
ある密やかな参道。これは案内板がないと気がつきません。



この門が無ければ、普通の住宅と思ってしまいますけど、寺なんですよね。その辺の
事情は→大乗寺


住職さんが、みずから手がけた「手造り寺」です。↑

昔からあるお寺でも、檀家の少ない寺などは維持するのに大変苦労されていると
思いますが、こんな形で再興されるのも相当しんどいことだと思えます。

大伽藍や由緒ある仏像のある寺ばかりが仏教ではないってコトです。権力者に
おもねなかった僧たちは、このような寺から信徒を得てきたのかも知れませんナ。