秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

新宮だより おまけ

2006年08月29日 09時50分19秒 | 旅ゆけば
散歩の途中仲之町商店街で見つけた喫茶店。

いびつなバンビがミョーに愛おしくシャッターをきりました。

キャラクターの無断使用には小うるさいディズニーですが、
これは見逃してあげてください。

事実、以前京都の保育園で使用していた、キャラクターの使用禁止が
適用されたことがありました。

恐るべし、ディズニーエージェント・・・・。

新宮だより その5 今朝も散歩(28日)

2006年08月29日 09時37分41秒 | 旅ゆけば
街中のホテルの場合、散策は夜?となりますが、何しろ歴史
と伝説の町ですから、この日も朝6時から徘徊いたします。

新宮といえば、中上健二しか思い浮かばぬワタクシですが、
佐藤春夫や東くめ(はとぽっぽなどの童謡の作詞者)といった人達の
生地であることを今回知りました。

もしかして徐福さんが連れてきた、童男童女3000人の末裔かも
しれませんね。

近代史はさておき、この日まず訊ねたのは「浮島の森」。

住宅地の中央にあるこの浮島は、島全体が沼に浮いていて、
寒暖両性の植物混生群落は珍しく、国の天然記念物に指定されています。

鬱蒼と茂る羊歯類の下を歩いていると(くもの巣に何度引っかかったことか)
ナニやらこの世に生息せぬモノと出会ってしまう気がします。

その証拠に源平の頃、「おいの」という娘が大蛇に引きずり込まれて
亡くなった、といわれる蛇の穴も残されていました。

(実はこの時間、正式な入り口はまだ閉門していて、脇から浸入。
すいませんでした・・・・。)

その後、熊野速玉大社に参詣してホテルに戻り朝食。

催事終了後は、駅前の「やすあがり」という居酒屋で一人杯をカタムケました。
(ごんどう鯨の焼いたモノは少し癖があって残してしまった・・・。)

写真は冥界の入り口、ではなくて浮島への入り口ですが、筏のように
浮いているので足元は非常に不安定。


新宮だより その4 仕事もしたョ。

2006年08月29日 08時55分25秒 | 着物話
今回の催事は寝具メーカー主催。

寝具メーカーといっても今では寝具より、宝飾や呉服の売り上げ
がメインになっていますが。

昔は「着物」といえば近所の呉服屋、と相場は決まっていたけど、
今では、通販会社やJAも参戦して入り乱れ状態です。

当然価格もそれぞれ違ってくるワケで・・・・。

近頃では二重価格の是正等、かなり改革はされてきましたが・・・・。

この話題はまたいずれ、ゆっくりいたしましょう。

通常の呉服店と違い、いささか販売方法も異なって戸惑うコト
もありましたが、6時前に無事終了。

夜はスタッフ一同でホテル近くの居酒屋「まんまる」へ。

鯨の刺身、鰹、貝盛り合わせ、いずれも美味しゅうございました。
(近頃鯨も種類によっては品余り状態と聞きましたが、この味覚は
一度食習慣から離れてしまうと復帰は難しいだろうな。)

新宮だより その3 朝の散歩

2006年08月29日 08時23分56秒 | 旅ゆけば
前夜、ホテルの窓を震わすほどの雷雨があったせいか、気温は
さほど上がらず、散歩日和です。
(一度寝入ったら朝まで爆睡のワタクシが目覚めた位、激しい雷雨でした。
落雷のたび、部屋の電気系統が異常をきたして、女性スタッフの何人かは
ベッドで震えていたそうです。)

昨日見た地図を思い出しつつ、海に向かって歩いていると土地の
古老らしきヒトが、朝の挨拶をしてくれました。

返礼をしたついでに上陸記念碑の場所を尋ねましたが、
良く分りませんでした。

案外そんなものかも知れませんな。京都でも観光客のほうが名所に
詳しかったりするもんね。

そのかわり、古老から沢山、新宮の歴史をお教えいただきました。

二人が話し込んでいる熊野川の対岸は三重県になりますが、
どうしてそうなったか、というと幕末まで話は遡ります。

なんでも長州征伐に連戦連勝したこの藩は、維新で立場が逆転した折、
新政府の意趣返しでこんな廃藩置県の結果になったそうです。

他にもいろいろ興味ある話が聞けて、実りある旅でした。

????。

観光にきたのではナカッタ・・・・。
写真は三重と和歌山を隔てる熊野川。白百合が勝手に咲いていました。
(誰かが植えたようには見えませんでした。)

新宮だより その2 熊の子道?

2006年08月29日 07時48分36秒 | 旅ゆけば
熊野古道と聞くと、鼓笛隊スタイルの熊の子が、二本足で
小太鼓をテケテケ敲きながら歩いている姿を連想する、ってヒトもいたな。

その熊の子、違った、熊野古道の一つ、熊野参道中辺路がこの新宮。
(中辺路はもう一つ、田辺からの道もあります。)

熊野古道以外にも歴史的に興味引かれるスポットが他にもありました。

観光で来ているワケで無いので昼間は拘束されるけど、そこは
爺化進行中のワタクシ、六時前に起床、まずは海に向かいます。
(ホントは釣竿かついで行きたいトコですが、煙草だけ持って・・。)

何で海を目指したかというと、徐福上陸の記念碑があると前日調べて
いたのです。

「旅というのは、話の継穂に似ていて自分がその土地についてかすかにでも
知っていることをよすがにして実感を深めたい衝動に駆られる」
と、司馬遼太郎氏は書いておられます。

土地では無いけど、昔、諸星大二郎で知った徐福ゆかりの地に来た
以上は、実感を深めねば、と思ったワケ。

因みに徐福とは、2200年ほど昔、秦の始皇帝の命により、
不老不死の霊薬を求めて日本にやって来たオジサンです。

諸星氏の漫画ではオドロオドロシイ雰囲気に描かれていた人物ですが、
ここ新宮では捕鯨や紙すきの技術を伝えた賢人として
徐福さん、と呼ばれ、親しまれているそうです。

写真はコンビにさえ無い(不便だぞ~)新宮駅そばの徐福公園。



新宮だより その1

2006年08月29日 06時55分55秒 | 旅ゆけば
8時36分発「オーシャンアロー」に乗車、一路新宮を目指す。

二人がけの指定席に座るが、車中はガラ空きなのに、同年代の女性と
同席になる。

こんなに空いているのに不思議ですね、と話していたが、大阪
、天王寺と停車するたび、乗車客が増え、ほとんど満車状態。

そういえば夏休み最後の土曜であった。

大阪より乗り込んできた60代の男女グループが異常にテンションが高い。

いきなり居酒屋状態、これが終点の新宮まで続く・・・・。

夏休みは、車中が保育園状態で収集がつかん、というコトはママあるが
思わぬ伏兵。

しかし、60を越すと、明らかに男女のパワーに格差がでますな。

甲高い笑い声(叫び声に近いかも)に耐えきれず、隣の車両に移動。
(白浜を越した辺りから、他の車両は空席だらけであった。)

新宮に到着して、スーツケースを取りに戻ると、シルバー泥酔オヤジ
がワタクシの席に鎮座。スーツケースを指指して
「忘れもんかと思とったでぇ~」とヌカス(失礼)。

「あんたらがウルサクテ避難してたんだよ。」と返事。(心の中でね。)

今後、若者の言動を批判する資格は、少なくともあなたたちには無い・・・。

写真は走る車中から撮影した「ナントカ岩」。

アナウンスで説明されたけど、忘れてしまった・・・・。

はぁ~、長い4時間半でした・・・・・・。


露天風呂で血を吸われる。

2006年08月26日 04時52分14秒 | 湯ったり温泉話。
仕事を終えて、22日までの疲れを癒すため、プラス26日からの
催事に備え、体に「湯のし」。

壬生はおなじみ「やまとの湯」へ。

露天風呂のすぐ脇に大人6人がゴロリと横になれるスペースがあります。

仕事疲れからか(釣り疲れでは無い!)30分ほど寝入ってしまった・・。

この時期、当然ヤツラが待ち構えていますわな。

しかも市場のマグロみたいに、ほぼ無防備なご馳走が六品ころがっているし。
 
「A形B型、なんでも有りの血液コラブレーションやぁ」と、蚊が言ったか
どうかは知らないけど、キッチリ大切な血液を吸われてしまった。
(外人さんも一人コロガッテいたので洋食メニューも有り)

しかも腋の下・・・。


吸うにことかいて、わ、き、の、し、た!(吸うにことかく、という日本語
は、あるかなしかは知ねども)

痒い、こそばい(こそばゆい)、どっちやねん!!!

ブログの途中ですが、今日初めていらした方、いつもこんな馬鹿話ばかり
していませんので・・・・・。

願わくば、彼奴に通風がウツルように。
(でも血を吸うのはメスだし効果ないか。)

まぁ、彼女たちも子孫を残そうと必死だから許してあげよう。

で、26日(土)から28日(月)まで和歌山は新宮、という街で催事です。
ホテルの部屋ではネット使用できないので、28日までページは休業。

また帰ってきたら和歌山催事の話します。

しかしオーシャンアローで4時間以上って、前回の博多より時間かかるぞ~。






餃子といえば「王将」!

2006年08月25日 06時35分09秒 | グルメなのか?
いや、別に王将のマワシモノでは無いんですけどね・・・・。

全国あちこち旅してると「王将」の看板を良く見かけるように
なりました。

発祥の地は京都です。(確か四条大宮が一号店だっと思うけど)

看板に「餃子の」と銘打っているだけあって、確かに一週間に
一度は食べたくなる餃子です。

他の料理の味は?と訊ねられると、返答に窮しますが・・・。
そこはホレ、味覚は個人個人千差万別というコトで。

ただ言える事は、野菜の炒め物など注文して、生焼けのピーマン
なんか口にしても、けして怒ってはなりませぬ。

何しろ「早い!安い!美味い!」が売りの店です・・・・。

注文して三分程で出てきた日にゃ、おいおい、前の客の分では
無いのかえ?と勘繰ってしまうくらいですから。

高校生の頃、昼食に行くと、厨房の兄ちゃんが「就職するんやったら王将
やで、高給やし、頑張ったらすぐ店長やで」なんてスカウトしてました。

確かに当時、高卒でびっくりするほどの高給が得られるのは「王将」
か「佐川急便」でしたね。

どちらも、急成長を遂ようとする時期だったもんなぁ。

大學時代、餃子十人前を時間内に食べきればタダ!ってのに友人
五人で挑戦したコトもあったな。
結局クリアーできたのは一人だけ。(ワタクシは七人前でギブアップ)

そういえば創業者の父が元、魚を扱うお仕事だったらしく、オーナがナニを
思ったのか、回転寿司と中華を同じ店舗で営業、というチカラワザを
披露した時もありましたが、当然見事にコケました・・・。

寓居の近所の王将は24時間営業ですが、さすがに朝の5時から
レバニラ、ってワケにはいきませんが、深夜営業の方には嬉しいかも。

母が亡くなる少し前に餃子が食べたい、と申しまして焼き餃子を
一人前持っていきました。

一緒に生餃子も二人前購入しておいて、次回見舞いに持って行こう
と冷凍室に保存してあるけど、まさかあんなにあっけなく逝って
しまうとは思いもよらなかった・・・・・。

もう少し贅沢なものを持って行けば良かった、と思いもしますが、
また、それで良かったんだ、と納得したりする、昨日誕生日を迎えた
ワタクシです・・・・。


できたら此処で暮らしたい・・・・。

2006年08月24日 22時30分20秒 | 旅ゆけば
たまの休日、ゆっくりすりゃ良いものを、また日本海へ。

今日は若狭大島の「筏釣り」・・・。

福井や三重、和歌山以外では余り馴染みの無い釣りです。

簡単に言うと、沖に浮かんでいる「筏」に船で渡してもらい
チヌ(黒鯛)を狙うマニアックな釣りです。

磯釣りや、船釣りに比べると、ダイナミックさに欠ける反面、
繊細さと、忍耐が要求されますな。

真夏の風もそよがぬ海上で、太陽にはジリジリ焼かれ、
海からの照り返しで炙られていると、オーブンレンジで焼かれる
チキンになった気がします。

また、冬は冬で、ピクリともせぬ穂先を見つめながら、
「もっと他に大事なコトせねばならぬぞ、秀明君」という天の声
が聞こえてくる気がします。(もっとも、その声は無視しますが)

ま、どちらかと言えばマゾ向きの釣りかも?

しかし、船釣りのように船頭さんの言うがままに行動する必要も
無いので、筏の上で昼寝をしようが、パラパラを踊ろうが(そんなヤツおらん
けど)自由気まま。

筏でチヌを狙うヒトを「筏師」と呼び、それぞれにこだわりを持って
います。竿や穂先は自作、なんてヒトも結構います。
(かくゆうワタクシもその一人・・・・。)

そんなこだわりのヒトが、ヒラメなどの高級魚を釣り上げてても、
けして手放しには喜びませんな。

「けっ、外道か・・・・。」などと呟きつつ、しっかりクーラーボックス
に入れてます。

今ではさほど「筏」に乗るコトは少なくなりました。

でも、やはり、海上で波にゆらりゆらり揺られていると、胎内
に帰った気がするような気がします。

筏の上でボンヤリしてると、いっそ此処で暮らせたら、などと
夢想してしまいますな。

そういや、広島かドコかでそんなヒトがいて、一時問題になったけど、
結局台風で崩壊してお終い、って事もありましたね。

やはり、「筏」で生活するにはチチカカ湖まで行くしか無いか・・・。

夜中の二時に出発したもんで、いささか疲れました、ではまた明日。

忘れた頃にやって来る。

2006年08月23日 20時11分27秒 | 京都非観光迷所案内
京都非観光迷所案内パート9。

今回は「京都市考古資料館」。

ここは京都市民も、ほとんど知らない資料館です。

トコロは堀川今出川をチョイと西入る北側。
休館日は月曜、なんと、入館料無料という嬉しい隠れスポットです。

中学生の頃は考古学クラブに在籍して、郊外の古墳など彷徨っていた
ワタクシには、メクルメク世界です。

以前にも記述したと思うけど、若い頃、一時建築業のバイトで
食い繋いでいた頃の話。

京都の町はドコを掘っても遺跡が出てきます。

それらしきモノが出ると、工事を中断して発掘調査、てのが
決まり事ですが、民間の業者でそんなコトしてたら大変ですわな。

そんな時はそ知らぬ顔してドンドン工事進めます。

公共事業ならいざ知らず、工事日程が一日でも延びると
それだけ施主等に迷惑がかかるもんね。

そんな現実を掻い潜った資料が展示されている「考古資料館」
興味のある方は覘いてみてもいいかも。

因みにうちの灰皿は桃山時代の灯明です。
柄が取れているけど、お気に入りです。