秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

日本最古の茶畑。

2007年03月31日 19時35分43秒 | 京都非観光迷所案内
紅葉の季節には観光客で溢れかえる栂ノ尾「高山寺」。

鳥獣戯画でも有名ですね。
この石水院から眺める高雄の眺望はい~ですョ。少し前、中山美穂さんの
お茶のCMに使われていましたね。自然との調和、ってのはこういう事ですな。

CMのプランナーが知っていてこのお寺を舞台にしたかは分りませんが、
ここには日本最古と言われる茶畑が残されています。

 
↑石塔が斜めなのはカメラマンが酔っているんでは無い、斜めに建ってマス。

日本最古、とありますが、九州の佐賀県背振山霊仙寺にも「日本初之茶樹栽培地」
の記念碑があります。

当時の事情(鎌倉時代初期、宋から茶が日本に伝えられた時代)から考えると、
まず、船は九州に着いた、と考えられますから、佐賀→高山寺のルートが
正解かも知れません。(これはワタクシの勝手な見解です。)

 
高山寺登り口。そんなに急坂じゃないけど、ヒールでは歩き難いと思います。↑

余談ですが(いつもの事だけど)、中国で生まれた茶は世界に伝播しましたが、
経路は二つに分けられます。

<チャ、チャイ>(広東)と<テ、テー>(福建)の経路です。

この辺り書いていくと長くなるんでヤメておきますが、機会があったらいつか
「お茶」の話もしたいと思っています。

身近に有りすぎるお茶ですが、調べてみると結構深くて面白いものです。

今朝の紀行番組で台湾の茶畑を紹介してましたね。

害虫は駆除しないで共生・・。(害虫と言っても人間からすれば、という勝手
な解釈ですけど)

ウンカという虫が茎をカジルことによって茶葉に甘みが増すとか。
茶の道も深いです。

ひよし温泉。

2007年03月30日 19時53分54秒 | 湯ったり温泉話。
26日の話をいつまでしとんねん、と言うお叱りの声が聞こえてきそうですが、
一旦これにて終了です。

先に見えるのが日吉ダムです。
左手の芝生広場は日祝には大勢の家族連れで賑わいます。

施設の正式名は「スプリングスひよし」。ウエルカムプラザとリフレッシュプラザ
に分かれてます。(温泉はリフレッシュプラザ)

こちらはウエルカムプラザ入り口→

「北村」を出たあたりから雨は本降りになってきました。車をウエルカム側に
駐車したもんだから、徒歩で橋を渡るのに傘がいったぞ。

泉質は含鉄ーナトリウム塩化物強塩。よくワカンナイけど、舐めると確かに、
ショッパイ。

露天に浸かっていた爺サマの話では、源泉が枯れかけているんでは無いかと
いうコトです。

と、いうのも温泉色がコンクリートを溶かしたようなねずみ色。茶褐色が本来の
色らしいんですな。「こりゃ、底の泥の色とちゃうかぁ」って言ってたな。

ま、温泉には違いあるまい、と露天風呂でボー、と思いついた事・・・。

もし、今大地震が来て、目前のダムが崩壊したら、素裸で発見されるンダ。
でも服着ていても激流に呑まれると、発見時には裸になってるというし・・。

第一、このダムが崩壊する地震なら、ドコにいてもダメだわナ。
なんて事考えつつ、美山散策の一日は終了を迎えたのであります。

ウエルカム側売店。レストランも有り。




美山探訪その3。美山の藍染め工房。

2007年03月29日 17時47分42秒 | 旅ゆけば
今回訊ねた「ちいさな藍美術館」は重要伝統建造物郡保存地区(長い!)の
「かやぶきの里」の中にあります。
            

染色家の「新道弘之」さんの工房兼展示室で、この地区では一番大きな家です。
昔は小浜藩の役人達がこの村を訪ねると、この家が宿泊所にあてられたそうです。
              

               「一階工房」
  

 

              「二階展示室」
 

 



                    

二階の展示室は新道氏が日本を始め、世界で集めてきた藍のコレクションが
展示されています。屋根裏の萱もいいですね。

制作されているのは綿が主。やっぱり本藍の浴衣、いいなぁ。今年の「郡上踊り」
用に一枚造ってみようか・・・。

日本昔話のような村での一日でした。


            

美山探訪その2.美山蕎麦。

2007年03月28日 08時56分24秒 | グルメなのか?
今回の美山探訪の目的の一つが、美山で摂れた手打ち蕎麦を賞味するコト。
←「北村」屋根はもちろん萱吹き

お店の前が蕎麦畑→

メニューは美山で取れた蕎麦、他地区の蕎麦、手打ちでない定食蕎麦に
分かれています。無論注文は「美山の手打ち蕎麦」800円。
←ナゼ日本酒の徳利が?

蕎麦は手打ちですから文句なし。が、つけ汁が・・。これは好みもあるけど、
ワタクシには薄すぎる感。素麺にならいいかも知れない出汁でした。惜しい!

そして目的その2.「神田の水」
この水汲み場の向かいに「美山の名水」の大きな工場があります。この工場に
目を取られて行き過ぎてしまった。(神田はじんでん、と読みます。)

雨でなかったら芦生まで足を伸ばして、こちらの水を汲んで帰りたかったけど、
また今度にします。

白川郷ほどではないけど、この南反地区は茅葺屋根の里として有名。↓
←民宿「もりしげ」一度泊まった事あります。

 
女将がやたら面白い「つるや」。一娯一笑がお店のモットーです。↑

↓不思議な茅葺の家。アトリエかも?
 
        郷土資料館。12月~3月の間は休館。↑

日本最古(慶安3年建造)の「石田家」住宅を見学するのを忘れてた・・・。
この頃、気持ちは日吉ダムの「ひよし温泉」に飛んでいたのです。
 

美山の藍染め工房を紹介したかったけど、ページがもう無い。 

これは明日のブログで。

さて、「神田の水」で今夜は焼酎の水割り・・・。



美山探訪。その1.

2007年03月27日 18時13分40秒 | 旅ゆけば
福大路から162号線(周山街道)をひたすら北へ向かうと、高雄を経て
小野郷の村落を通過します。まるで時代劇に出てきそうなお屋敷です。
北山杉御殿かもしれませんな。
   
                

北山といえば、北山杉。川端康成先生の「古都」を思い出しますね。
思い浮かべる主演女優で年齢が分ります。

岩下志麻、山口百恵、上戸綾・・。(ワタクシは百恵世代だけど観てましぇん。)  
↑川端康成に関する記念館も併設しているみたいです。

梅と北山杉。桜はまだまだ先ですこの辺り。

で、もう少し走ると、かつて心霊スポットとして有名だった「笠トンネル」
です。(少女と母親のシルエットがトンネル内に浮かぶ、という話で、
学生時代見物に行きました。帰り道ヘッドライトが突然切れ、恐ろしい
思いをしたな。)

トンネルを抜けると目に飛び込んで来るのが「猪ラーメン」の看板。
麺喰いだけど、余り食指が動かないもんで、今だ食べたこと無いデス。
いつか食べる日があるだろうか。

不思議なオブジェ?
元は、それなりの衣装を纏って、道具(マンガン掘り)も持っていたんでしょう
が、今はただ、裸のマネキン。しかも倒木が背中から・・・。

あ、もうこんな時間だ。続きはまた後で。

植木等さん死去・・・。昭和の火がまた一つ消えてしまった・・・・。



本日の収穫。

2007年03月27日 17時30分22秒 | グルメなのか?
この前から行こう行こう、と思って仕事や天候のために叶わなかった
美山(京都のずぅーと北部)へ行って来ました。
←この峠を越えると京北町。
若い時、ここのヘアピンカーブでスピンして死にかけた事アリマス・・・。

詳しくは明日からのブログで報告しますが、今回の夕餉の買い物がコレ↓
美山玉子、手作りソーセージ、芥子醤油

きゃらふき、特大椎茸、桜餅

玉子は「美山の子守詩」を買うつもりだったけど、まだ入荷してなかったので
安い方で辛抱。(一ケ100円するんです、子守詩・・。その分で他の買い物
が出来たし、ヨシ、としよう。)
「ふらっと美山」この店で購入。→

今夜は上の素材を使って鉄板焼きだ!!酒が進みそうだナ、こりゃ。

岡北のカレー饂飩

2007年03月27日 07時31分22秒 | グルメなのか?
「ワシ、ここのカレー饂飩がいっとう好きや!」と言ってた摺り友禅作家さんの
言葉を思い出して、平安神宮近くの「岡北」へ行ってきました。
 

今日は月曜、動物園も図書館もお休み。(動物園には用は無いんですけど。)
動物園前の桜は五分咲き。春やなぁ・・・。
                

ほんとは饂飩が有名らしいけど、昨日は「細いモン」がミョ~に食べた
かったので「カレー蕎麦」を注文。
←やや甘めでさっぱり上品な出汁。

岡崎の北村、を略したのが店名の由来らしいけど、味は決して略していない
本格派の味でした。キツネカレーおいしゅうございました。650円也。

先日、知人が大丸の近くに出かけた折、簡単にカレー饂飩でも、と思って
一軒のうどん屋に入ったそうです。

繁華街の昼時、というのに店内はガラ~ンといている・・・。

この時点で「こりゃマズッタかも?」と思ったけど、今更店出る訳にいかない。
で、メニューを見てビックリ、そして納得。

なんと一番安い「カレー饂飩」が2150円!

機関銃のように喋り続ける(注文前から食べ終わって店を出るまで)、
オバちゃんの話では「ウチのカレー饂飩、肉は三島亭で、湯葉はどこそこの
品、歌舞伎役者も食べに来る、云々」というコト。

確かに美味かったらしい(それでマズけりゃ店、燃やしちゃいますよね。)
けど、オバちゃんのお喋りしか印象に残らなかったそうです。

1500円分くらいは講釈代だったのかも知れませんな。

話戻って、「岡北」の一軒南に新しい(と思います。何しろこの辺りで
食事する事がほとんど無いもんで。)うどん屋が開店してました。
山元麺造→   

岡北さんは三代目、すぐそばで開店するには勇気いりますよね。表から拝見
すると若い人達が中心で頑張っている様子でした。今度行ってみよう。

この近辺、蕎麦の「阿国庵」、ハヤシライスで有名な「子宝」もあります。
観光地にしては、ちゃんとした食事処が揃っていますな。

ただ、駐車場完備のお店が少ないので、車で行くにはちょいと不便かも?
           

ナゼか食べたい・・・。

2007年03月26日 22時09分45秒 | グルメなのか?
食憶(これも私の造語?。食べ物の記憶)が覚えているのか、時折食べたく
なるのが、この赤ウインナー。

弁当のオカズに入っていると、何だか嬉しい。

           

渡辺徹さんも大好きなようで、皮無しウインナーを家で出されると、プチ家出
するとか。(イクエさんも大変ですな)

名古屋の居酒屋でこのウインナーとマルシンハンバーグがメニューにあり
ましたョ。(店も、小学校の教室の雰囲気だったナ)

お里が知れる、って言葉があるけど、(爺は嫌いな言葉)子供の頃から寿司屋
で雲丹、イクラ食べて育った人には理解できんでしょうね。

ガキはカッパ巻きで充分!(また世相にそぐわない発言がありました。お詫び
申し上げます・・・。)

なんだかやっと春めいて来たと思ったら昨朝の地震・・・。

寝床の傍、少し高い所に酒瓶置いているもんで、夜中に大揺れ
したら、一升瓶が頭を直撃するかも知れないな。

それで昇天できたらシアワセかも?

こんなコト言ってたら能登の人達に叱られますね、すいません。
一日も早い復興をお祈り申し上げます。

日曜日は日清焼きソバ、た、べ、よ♪

2007年03月24日 12時52分13秒 | グルメなのか?
こんなCMソングが流れていたのは遥か昔のコトでした・・。

素直な少年時代、12時から始まる吉本新喜劇を鑑賞しつつ、焼きソバを
食べるコトが日曜のささやかな楽しみでしたね。
            

その後、素直さを忘れた少年は高校生になって、四条河原町をウロツク
不良になりました。

ある日、「おもろい店、あるぞ」と悪友に案内された一軒のパン屋。

表は普通に菓子パンなど商っていたけど、奥に行くとカウンターが
あって、目の前にズラリとインスタントラーメンが置かれていました。

今でこそ、そんな店も紹介されたりしてるけど、多分アレはモグリで
営業してたな、今思うと。

そこで、日清焼きソバ注文したら、オヤジ、ユキヒラ鍋で焼きソバ作り
やがった。(当時を回顧して少し言葉が悪くなってすいません。)

ふつう、フライパンだろ、焼きソバ作るんなら。と思いましたが
不思議と「つゆだく」の焼きソバが美味かったな。

あれ依頼、時々「つゆだく」の日清焼きソバが食べたくなるようになりました。
(今日もソレが昼飯です。昨日、今日と一人なもんで簡単に済ませてしまう。)

当時のインスタントラーメンでもう一つ思い出すのが、与論島。

ビール10本は飲んだ後、(コラコラ16歳だぞ)神奈川から来てた
女子大生達と浜辺を散歩。コバラが空いたね、てコトで茶花港のスナックへ。

スナックなのにラーメンの提灯も変だけど、注文聞いて、ママ(かなり年配)
はサッポロ一番を取り出し、鍋に火をかけました。

かなり酔っていたのか、調子ハズレの島歌を歌いながら、キャベツを手で
ちぎって、鍋に放り込んでたなぁ。(味は忘れましたね。)

まだ今ほど観光化されていない頃の与論島の話です。

そういや、与論島には「与論憲法」という恐ろしいキマリがあって、
お酌された酒は完全に飲みきって頭上でコップを逆さにしなくてはイケナイ。

ビールならまだしも、泡盛系はキツカッタ、16歳の思い出の夏・・・。